0295話
野営地の多数の場所では、獣人と探索者との戦いが行われていた。
だが、その戦いも最初こそ激しい戦いではあったのだが、次第に戦いは収まっていく。
当然ながら、探索者側の勝利といった形でだ。
獣人たちも、こうして夜襲を行ってくるのだから、自分たちの戦力に自信はあったのだろう。
だが、雲海や黄金の薔薇の探索者を相手にするには、力不足だった。
振るわれた攻撃は防がれ、回避され、カウンターを受け……それぞれ、相手に圧倒されてしまう。
特にカウンターで反撃された獣人は、その大半が一撃で気絶している。
それも、命に関わるといったようなほどではないにしろ、重傷を負った者も多い。
野営地の中央付近で、アランはクラリスと共に聞こえてくる喧噪が次第に静かになっていくのをじっと聞いている。
本来なら、クラリスは怖がって泣き喚いてもおかしくはない。
何しろ、自分の命を狙って多数の敵が夜襲を行ってきたのだから。
それでも動揺した様子を見せずにいるのは、姫として育てられたからこそだろう。
あるいは、クラリスの元々の性格も関係しているのかもしれないが。
(とはいえ、それは表に出していないだけ、か)
表情には恐怖や動揺を表してはいなかったが、微かに握られている手は力が込められすぎて震えているし、二本の尻尾もクラリスの内心を示すように激しく動き回っている。
「大丈夫だ」
そんなクラリスに対し、アランはそう声をかける。
アランの言葉に、クラリスはそっと視線を向け……大丈夫だと言いたいように、頷く。
今の状況ではそうすることしか出来ないというのもあるのだろう。
「そうですね。大丈夫です。皆を信じていますから」
クラリスはゴドフリーとロルフ、それ以外の者たちに対しても、信じているといった視線を向ける。
だが……それでも、やはり恐怖を完全に落ち着かせることは出来ないのか、そっとアランに手を伸ばしてきた。
手を繋いで欲しい。
そう態度で示されたアランは、黙ってその手を握り返す。
握っていた手は、やはり震えていた。
だが、それでもアランが手を握っていると次第に震えは収まっていく。
(俺が握ってるだけで、何だってそんなに? ……クラリスが落ち着いているのなら、それはそれでいいけど)
そうしてクラリスの手を握ること、二十分ほど。
どこからか最後の悲鳴が聞こえてきたのが最後となり、戦いは終了する。
もっとも、アランはその辺りを読むといったような能力はない。
それでも戦いが終わったと判断したのは、アランたちの周囲を固めていた探索者たちの緊張が解けたのを感じたためだ。
「どうやら、戦いは終わったようだな。こっちの勝ちだ」
「本当ですか?」
アランの呟きに、クラリスはそう尋ねる。
自分が狙われているだけに、狙ってくる相手がどれだけの強さなのかは十分に理解しているのだろう。
「ああ、見てみろ。周囲の人たちが緊張してないだろ?」
「……えっと、ちょっと分かりませんけど」
アランには分かることだったが、クラリスには分からなかったらしい。
口調から随分と賢いように思えるが、クラリスはまだ十歳ほどだ。
それを考えれば、アランに分かることがクラリスに分からなくても仕方がないのだろう。
もっとも、それは今の話であって、将来的に……もう数年もすれば、クラリスも十分成長してその辺りのことは分かるようになる可能性が高かったが。
(とはいえ、こうして大々的に襲撃してくるというのは予想外だったな。クラリスたちと会ったときのように、十人くらいで襲撃してくるとばかり思ってたんだけど)
それだけは、アランにとっても予想外だった。
とはいえ、ガリンダミア帝国軍が襲撃してくることに比べれば、今回の襲撃の方が対処が楽だったのは間違いないが。
(って、本当に獣人なんだよな? 襲撃の規模的に勝手に獣人たちの襲撃だと考えてたけど、実は違ってましたなんてことになったりしたら……まぁ、それはそれで結局撃退することが出来たんだから、大丈夫だとは思うけど)
アランにしてみれば、どちらが襲撃してきたのだとしても、それを撃退出来たのだから結果的には問題はない。
「アランさん? どうかしましたか?」
「いや、何でもない。今回の襲撃は問題なく対処出来たようで何よりだと思ってな。問題なのは、襲撃してきた連中から情報を吐かせることが出来るかどうかだが」
尋問というのは、普通はそう簡単に出来るものではない。
だが、今のような場合は少しでも情報が必要なのも事実だ。
そうなると、当然だが多少荒っぽいやり方になる。
黄金の薔薇の面々は、そんな尋問のやり方を好みはしないが、雲海の者たちにとってはそこまで珍しい話ではない。
それこそ、襲ってきた盗賊たちから拠点を聞き出すために尋問を行うのは、珍しい話ではないのだから。
(とはいえ、クラリスのような子供に見せるものじゃないのは間違いないないよな。出来れば、襲ってきたのは獣人であって欲しいといころだけど)
そうアランが思うのは、ガリンダミア帝国軍の兵士……それも精鋭部隊ともなると、尋問――もしくは拷問――に対する訓練を積んでいることが多いためだ。
それに比べると、獣人は素の状態で高い身体能力を持っているためか、兵士のように鍛えるといった者はそう多くはない。
いない訳ではないのだが。
尋問や拷問に対して訓練をしていない者が相手であれば、情報を引き出すのはそう難しい話ではない。
そう考えていたアランに、ゴドフリーが近付いてくる。
「アランさん、少しいいですか?」
「はい? どうしました?」
「尋問の件ですが、お手伝い出来ると思います」
「は?」
ゴドフリーの口から出たのは、アランにとっても予想外の言葉。
正直なところ、アランはクラリスたちを戦力として数えてはいない。
生身の自分よりも強いというのは分かっているのだが、それでも他の探索者たちに比べれば数段……あるいはそれ以上に劣る実力の持ち主だ。
そうである以上、尋問といった行為にも参加せず、クラリスの護衛だけをしていればいいと思っていたのだが……そんな中で出て来たのが、尋問に役立てるという言葉なのだから、驚くのは当然だろう。
「そういう技術でも持ってるんですか?」
尋ねてみたアランだったが、クラリスの護衛という意味では襲ってきた相手から情報を引き出す必要があるので、その手の技術を持っていてもいおかしくはないと、そう思ったのだが……ゴドフリーの口から出て来たのは、予想外の言葉。
「いえ、姫様がその手のことを得意としています」
「……クラリスが?」
ゴドフリーの言葉に、アランはクライスへ視線を向ける。
そんなアランの頭の中では、クラリスが鞭や蝋燭を持って捕虜を尋問している光景が思い浮かべられた。
なお、その際にクラリスが来ていたのは女王様――国の長ではなく、性的な意味で――に相応しいボンテージだったが、十歳程度のクラリスがそのような服を着ても当然ながらどことは言わないが大きな隙間が浮かんでしまう。
「痛っ!」
そんなことを考えていたアランだったが、クラリスの握っていた手が強く握り締められ、反射的に叫ぶ。
「アランさん、何か妙なことを考えませんでしたか?」
まだ十歳でも、女の勘というのは働くのか。
そんなことを思いながら、アランは何もやましいことは考えていないと首を横に振る。
「いやいや、そんなことは何も考えてないから、安心してくれ。それで、クラリスがどうやって尋問するんだ? 見たところ、そういう能力を持ってるようには思えないけど」
「ふふっ、初めて会ったときのことを……いえ、あのとき、アランさんは私の声が効いてないようでしたね」
そう告げるクラリスの言葉に、アランはクラリスを初めて見たときのことを思い出す。
あのとき、クラリスの声は間違いなく何らかの不思議な力を持っていた。
何故か……本当に何故かアランにその声が何らかの効果を発揮するようなことはなかったが、それはアランだから話であって、他の者たちは違う。
であれば、そんなクラリスの言葉を使えば、獣人から何らかの情報を引き出せるかもしれないというのは、アランにも納得出来た。
(言霊、だったか? 言葉には力が持つとかいう概念)
日本にいたときに漫画か何かで見た記憶を思い出すアラン。
もっとも、言霊ということでアランが知っているのは、あくまでもそういう力があるというだけであって、実際にどのような効果があるのかは分からない。
「ともあれ、クラリスの力があれば情報を引き出せる訳だな。なら、イルゼンさんにその辺を話してみるか。それでイルゼンさんが許可を出せば、クラリスに試して貰えばいい。それでいいか?」
尋ねるアランに、クラリスは頷く。
出来れば、クラリスも自分の力を使いたくはない。
しかし、今の状況を考えればそんなことを考えていられる訳がない。
何よりも自分の力を使っても影響を受けない人がいるというのを知れたのは、クラリスにとっても非常に嬉しいことだった。
そうして、アランはクラリスと共に……そして当然ながら、ゴドフリーやロルフといった護衛たちも一緒に、イルゼンが使っているテントに向かう。
イルゼンのことだから、恐らく……いや、ほぼ間違いなく自分で前線に出るような真似はせず、後方――正確には野営地の中央なのだが――から味方に指示を出していると、そう思ったためだ。
そして実際、アランの予想は正しかった。
到着した場所には、イルゼンやその護衛として何人もの探索者たちが待機している。
最初こそ獣人の姿を見て警戒した様子だったが、すぐにゴドフリーやロルフ、そしてなによりアランが一緒にいるのを見て、安心したよう力を抜く。
中にはアランがクラリスと手を握っているのを見て、面白そうな様子を見せる者もいたが、アランは取りあえずそれを無視しておく。
(ロルフたちを見て警戒していたってことは、やっぱり野営地を襲撃してきたのは獣人だったか。クラリスを狙ってのものなのは間違いないだろうな)
アランはそんな風に考えつつ、イルゼンに事情を説明するのだった。




