0289話
「これは……凄い……」
目の前に広がっている光景に、ゴドフリーは驚きに声を上げる。
そこに広がっているのは、野営の光景。
裏の街道を通っているとはいえ……いや、裏の街道だからこそ、メルリアナに向かうにもそれなりに時間がかかる。
当然ながら、メルリアナとガリンダミア帝国を結ぶ最短の場所は後ろめたいところのない者が使う普通の街道として使われている。
裏の街道は当然ながら最短で移動するといったような真似は出来ない以上、普通の街道を通るよりも時間がかかってしまう。
だからこそ、裏の街道を通っている中でもこうして夜になれば野営をするのだ。
もっとも裏の街道である以上、野営をするのは危険だと判断して夜通し移動するといったような者もいるのだが。
雲海や黄金の薔薇にしてみれば、この裏の街道で襲ってくるような盗賊がいても楽に倒せる。
それどころか、襲ってきた盗賊から物資やお宝を奪うことが出来るという意味で、盗賊の襲撃は歓迎するという思いすらあった。
そんな訳で、雲海や黄金の薔薇は夕方になったところでさっさと野営の準備を始めたのだが……百人近い人数だけあって、その規模がゴドフリーや獣人たちにしてみれば驚くべきものだった。
「ゴドフリーさんたちは、あそこをどうぞ。野営地の中でも中央に近いので、襲撃の心配はいらないと思います」
「え? あ、はい。分かりました。ありがとうございます」
唖然として野営地を見ていたゴドフリーに、アランはそう声をかける。
ゴドフリーもそんなアランの言葉ですぐ我に返ると、獣人たちを引き連れて馬車と共に移動する。
(あの馬車の中には多分重要人物がいるはずだ。けど、俺たちの前に出す訳にはいかない。つまり、その重要人物は馬車の中で寝泊まりするのか? いやまぁ、馬車によっては下手に地面で寝るよりも快適だってことはあるけど)
馬車と一口に言っても様々だ。
本当に最高級の馬車となれば、それこそ部屋がそのまま移動しているような、そんな馬車もあると聞く。
そのような馬車は、当然ながら非常に高価だ。
それこそ雲海や黄金の薔薇であっても購入するのは難しいくらいには。
ゴドフリーたちの馬車は、そんな突出して高級な馬車ではないにしろ、一般的に見て高価な物なのかもしれないとアランには思えた。
外見は普通の馬車にしか見えないのだが、その辺はどうとでも変更は可能なのだから。
「それにしても、これだけの人数が野営の準備をしているとなると、凄いですね」
ゴドフリーが馬車を移動させながら、周囲の様子を見てしみじみと呟く。
それはゴドフリーだけではなく、獣人たちもまた同様だった。
アランにしてみれば、獣人の中には群れを作る獣の特徴を引き継いだ獣人もいる。
そうである以上、これだけの群れで行動していてもおかしくはないのではないか、と。
そう思ったのだ。
もっとも、今の状況で尋ねても獣人たちが素直に話してくれるかどうか分からなかった以上、わざわざ獣人に尋ねるといったようなつもりはなかったが。
「そうですね。俺たちも以前は雲海だけでこの半分くらいの人数での移動だったんですが、黄金の薔薇と一緒に行動するようになって倍くらいになりましたから。……もっとも、何だかんだとこの人数にはもう慣れましたけど」
慣れたというか、一緒に色々なトラブルを潜り抜けてきたことで、仲間意識が芽生えたというのが正確なところだろう。
最初こそ、雲海と黄金の薔薇はクランという同じ集団で、実力もまた同じくらいではあったのだが、性格は正反対と言ってもよかった。
当然だろう。何しろ、黄金の薔薇は王女や貴族により結成されたクランなのだから。
一般的なクランの雲海との相性は決してよくはない。
しかし、その後色々と行動することによって、今は友好的な関係を築いている。
……黄金の薔薇の中には、レオノーラと近すぎるとアランに対して思うところがあるような者もいるのだが。
「そちらも色々と大変なんですね」
「そうですね。……さて、じゃあ到着しましたし、俺はそろそろ行きますね。何かあったら、周囲にいる誰かに聞けば、多分大丈夫だと思いますから」
そう言うアランだったが、雲海や黄金の薔薇の中にはゴドフリーたちと一緒に行動することに不満を抱いている者もいる。
何しろ、はっきりと足手纏いなのだ。
そんな状況で敵に……ガリンダミア帝国軍の追撃があったりした場合、どうなるのかは考えるまでもなく明らかだろう。
それだけではなく、ゴドフリーたちを追ってくる相手が雲海や黄金の薔薇に攻撃する可能性も否定は出来ない。
ゴドフリーもそれは理解しているので、他の探索者たちの邪魔にならないようにと気を配っていた。
獣人の中にはプライドが高く、足手纏いとして扱われることを嫌う者もいた。
だが、実際にアランたちに助けて貰っている以上、不満を言うような真似は出来ないし、何よりもここで自分たちが騒動を起こせば、馬車の中にいる人物に迷惑をかけることになってしまうと理解しているためか、獣人たちも特に問題行動を起こしたりはしない。
もっとも、探索者たちがいらないちょっかいを獣人たちにかけていれば、どうなっていたのかは分からないが。
だが、探索者たちも獣人たちを足手纏いだとは思っているが、それでわざわざ絡んだりといったような真似はしない。
「じゃあ、俺はこの辺で失礼しますね」
「ええ、ありがとうございました」
アランはゴドフリーとそう言葉を交わすと、自分の寝泊まりする場所を準備するために去っていく。
そうしてアランが十分離れたところで、ゴドフリーは馬車に近付く。
「姫様、よろしいですか」
姫、とそう呼ばれた人物は、馬車から降りることなくゴドフリーに答える。
「ゴドフリー、大丈夫ですか? 皆、怪我はしていませんか?」
「探索者たちが来てくれたお陰で、誰も大きな怪我はしていません」
それは言い換えれば小さな怪我をしている者はいるということなのだが、姫と呼ばれた人物はそれでも安堵した様子を見せる。
「そうですか。それで……メルリアナまでは無事に到着出来そうですか?」
「探索者の方々と一緒に行動すれば大丈夫でしょう」
「だが、これだけ腕の立つ探索者が、何故裏の街道を通るような真似を? 何か問題を抱えてるとは言っていたが……」
姫とゴドフリーの会話、アランと話した狼の獣人がそう告げる。
狼の獣人にとって、アランたちは頼れる護衛であると同時に、決して気を許すことが出来るような相手ではない。
もし自分たちのことをしれば、最悪の事態にならないとも限らないのだ。
だからこそ、完全に気を許すことは出来ない。
「でも、私たちを助けてくれたんでしょう? それにメルリアナに向かうって言ってたし。なら、もう少し事情を話して、助けて貰ってもいいんじゃない?」
「姫様、さすがにそれは難しいかと。彼らは探索者。基本的には古代魔法文明の遺跡を渡り歩くような者たちです。今回のように一時的に協力して貰うのならまだしも、長期間の協力は難しいでしょう」
ゴドフリーの言葉に、馬車の中の姫は残念そうな様子を見せる。
そんな雰囲気を感じたのだろう。周囲でゴドフリーと姫の会話を聞いていた獣人たちは悔しそうにする。
姫がここまで探索者たちに協力してはどうかと言うのは、日中に襲われたとき、自分たちが対処出来なかったからだろうと。
実際には死人や重傷を負った者はいなかったので、ある程度互角に戦えてはいたのだが……互角に戦えていたからといって、それで勝てる訳ではない。
いや、互角だったということは、それこそ勝率はちょっとしたことで変わってしまうのだ。
そういう意味では、アランたちが来なかったら自分たちが負けていた可能性を否定出来ない。
「姫様、心配はもっともですが、メルリアナに到着するまでの安全は確保したと言ってもいいかと」
ゴドフリーは姫を安心させるようにそう言う。
他の獣人たちにもそれは理解出来たのだろう。
ゴドフリーの言葉に続くように、狼の獣人が口を開く。
「姫様、私たちの実力が足りないのは分かります。ですが、メルリアナに到着するまでは数日あるので、その間に探索者たちに戦闘訓練をつけて貰おうと思っています」
その言葉に驚いたのは、姫ではなくゴドフリーや他の獣人たちだ。
ゴドフリーと共に獣人たちを纏めているこの狼の獣人はプライドが非常に高い。
そのような人物が、自分の実力不足を認めて探索者に戦闘訓練をして欲しいと、そう言ったのだから。
もっとも、狼の獣人にしてみれば、自分のプライドによって守るべき相手を守れないといったことは、耐えられない。
自分の実力が上がって馬車の中にいる姫を守ることが出来るのなら、プライドはいくらでも売り払うつもりだった。
そんな獣人の覚悟までは分からずとも、馬車の中の姫は驚きつつも嬉しそうに口を開く。
「そうなの? でも、怪我はしないようにしてね?」
「大丈夫です。こう見えて力には自信がありますから。訓練をして貰っても、そう簡単に怪我をするなんてことはありませんよ」
「分かったわ。……じゃあ、頑張ってって言った方がいい?」
「はい。頑張らせて貰います」
そんなやりとりのあとで、ゴドフリーたちは自分たちも野営の準備を始める。
馬車……姫が乗ってる場所ではなく、荷物を入れている後部を開いてそこからテントを出していく。
十人くらいの野営の準備だし、獣人たちは野営に慣れているのかその速度はかなり早い。
そうして準備が終われば食事になる。
ゴドフリーたちも、食料は自分たちで用意してあったのでアランたちが貰うといったようなことはしなくてもすんだ。
そうして準備を終わらせると、少し早めの食事となる。
「これ、姫様の夕食です」
女の獣人の一人が、料理を用意するとゴドフリーに渡す。
他の獣人たちが食べる料理より少しだけ上等な食事。
それを持ったゴドフリーは馬車に近付くと、扉をノックする。
「姫様、食事の用意が出来ました」
「ありがとう」
そう言って扉が開き……ちょうどそのタイミングで、アランの声が周囲に響く。
「言い忘れてましたけど、見張り……は……」
途中で言葉を止めたアランの視線の先には、ちょうど十歳前後の狐の耳と二本の尻尾を持つ少女の姿があった。




