0287話
「イルゼンさん、この道の先で盗賊に襲われてる連中がいるようだけど、どうする?」
裏の街道は、何があるのか分からない。
だからこそ、敵がいるのかどうかを確認するために偵察を行っていたのだが……そんな中で、偵察をしていた探索者の持ってきた報告は、イルゼンを少し迷わせる。
もしここが普通の街道なら、すぐに助けに行くといった選択をしただろう。
だが、現在いるのは裏の街道……後ろ暗いところのある者たちだけが通る場所だ。
そのような場所を進んでいる者は、何らかの事情がある可能性が高い。
そうである以上、それに自分たちが関与してもいいのかどうか。
それこそ、下手をすればそうして助けたあとで助けた者たちが自分たちを見られたということで襲ってくる可能性もある。
そうして少し迷ったのだが、今の自分たちの状況を思えばそのような相手に襲われても反撃すればいいだけかと、そう思い直す。
「分かりました、行きましょう。そうすれば、何らかの情報を入手出来るかもしれません。この街道にどのような存在がいるのか……そのような情報は持っておいて損はないですしね」
このような場所だからこそ、少しでも情報は必要となる。
ましてや、情報の扱いについては上手いイルゼンだからこそ、その重要性は理解している。
「分かったよ。じゃあ、準備するから」
報告を持ってきた探索者はそう告げ、雲海と黄金の薔薇は街道を急いで進むのだった。
「見えました! 敵の数は十人ほど。ですが、それなりに強そうな相手ですから、気を抜かないようにして下さい」
イルゼンの指示に従い、皆が戦闘準備をする。
何があってもすぐ対処出来るようにしているのは、最初から街道の先に敵がいると理解していたということもあるし、それ以外にも探索者だからこそ、すぐに対応出来る準備を整えていたという点もある。
そして、当然だが襲っていた方もイルゼンたちがやって来たのに気が付き……即座に撤退する。
そこには一瞬の躊躇もない。
「っ!? 追って下さい!」
戦いもせずに逃げ出したとことに一瞬呆気にとられたイルゼンだったが、すぐに指示を出す。
普通に考えれば、盗賊たちの反応は何も間違ってはいない。
いや、お互いの力量差を考えれば最善の選択だろう。
だが、それだけに盗賊がイルゼンたちを見て即座に力量差を把握し、そして戦うという選択をせずに逃げ出したというのは驚きだった。
盗賊だからこそ、意味のないプライドから何もせずに逃げ出すといったような真似をするとは思っていなかったのだ。
イルゼンの指示に、何人かの探索者たちが盗賊たちを追う。
その中にリアやロッコーモといった武闘派が入っているのを見て、取りあえずこれで向こうの件は心配ないだろうと判断する。
盗賊のことから頭を切り替えたイルゼンは、襲われていた者たちに視線を向けた。
「大丈夫ですか?」
相手を心配している様子で尋ねるイルゼンだったが、その表情に油断はない。
このような裏の街道を移動している以上、何か後ろ暗いことがあってもおかしくはないのだ。
それこそ、自分たちの顔を見たということで、イルゼンたちに攻撃してくるといったような真似をしてもおかしくはない。
とはいえ、イルゼンも雲海というクランを率いている身だ。
その辺の相手が襲いかかってきたところで、容易に撃退出来る能力を持っている。
相手が攻撃してきても即座に反応出来るように準備しながら尋ねたイルゼンだったが、向こうから返ってきた言葉は予想外のものだった。
「あ、はい。助かりました。ありがとうございます」
襲われていた人物は、イルゼンを見るとすぐにそうやって頭を下げてきたのだ。
四十代ほどの、恰幅のいい男。
攻撃してくる可能性すら考えていたのに、まさかこうして素直に感謝されるというのは、イルゼンにとっても完全に予想外で、意表を突かれた格好だ。
あるいは、もし感謝の言葉を口にした男にその気があれば、イルゼンの一瞬の隙を突くといったような真似が出来たかもしれない。
だが、男は……そして男の仲間と思われる数人の獣人たちも、攻撃するような真似はしなかった。
(獣人ですか。……それがこの裏の街道を使っていた理由ですかね?)
別に獣人が差別されるといったようなことはない。
だが、それでも世の中には自分と違う種族は絶対に許容出来ないといったよう者も存在している。
そういう者達にとっては、獣人という存在は面白い相手ではなかった。
ただし、奴隷商にとって獣人はかなり高い価値を持つ。
一般的な人間に比べると、獣人というのは高い身体能力を持ち、鉱山の仕事といったようなことでは非常に役立つ存在なのだ。
とはいえ、イルゼンが話している人物は奴隷商のようには見えない。
獣人たちも鎖で縛られていたり、もしくはマジックアイテムの首輪の類もなく、普通に行動している。
(だとすれば、あの逃げた相手が獣人を差別する者たちだったということでしょうか?)
そんな疑問を抱きつつも、イルゼンはそれ以上のことを追及するつもりはない。
向こうもこのような裏の街道を通っているのだから、何か訳ありなのは間違いない。
そうである以上、下手に詳しい話は聞かない方がいいと、そうイルゼンは考える。
「無事なようで何よりです。では、私たちも先を急ぎますので、この辺で失礼しますね。追撃に出た人たちもそろそろ戻ってくるでしょうし」
「ちょっと待って下さい!」
イルゼンの言葉に、男は半ば反射的にそう呼びかける。
この時点で、イルゼンは嫌な予感がしていた。
しかし、それを表情に出さないようにしながら、イルゼンは尋ねる。
「どうしました?」
「この街道を通っているということは、メルリアナに向かうんですよね? 出来れば、私たちも一緒に連れていって欲しいのですが」
やっぱり。
それが、イルゼンの思ったことだった。
獣人を率いている目の前の男にとって、イルゼンたちは極めて強力な護衛となる。
先程襲ってきたような者が再度襲ってきても、イルゼンたちがいればどうとでもなると、そう思ったのだろう。
実際にその考えは決して間違っていない。いないのだが、だからといってイルゼンたちが目の前の男たちの護衛をしなければならないという理由もない。
「申し訳ありませんが、僕たちは先を急いでいます。それに、このような場所を通っていることからも分かる通り、色々と事情もありますから」
ガリンダミア帝国軍に狙われているということを言ってもよかったのだが、通りすがりの相手に無駄に情報は与えない方がいいだろうと判断する。
「それでもお願いします。私たちは先程のような腕の立つ者たちが襲ってきたら、対処出来ません。……その辺の盗賊なら何とかなるのですが」
男の言葉は、イルゼンにとっても納得出来るものではあった。
男と一緒にいる者たちは、人より身体能力の高い獣人ではあっても、戦士として見た場合はそこまで強い訳ではないのがイルゼンから見ても明らかだからだ。
であれば、男が自分たちに助けを求めるのも当然だろう、と。
とはいえ、だからといってイルゼンたちがそれを引き受けなければならない理由はないのだが。
「こう言っては何ですが、そちらに事情があるようにこちらにも事情があります。見て分かると思いますが、僕たちは全員が相応の技量を持っています。そんな僕たちであっても、このような裏の街道を通らなければならない……つまり、それだけ大きな厄介事に巻き込まれている訳です」
つまり、自分たちと一緒に行動した場合、その厄介事に貴方たちも巻き込まれてしまう。
暗にそう告げるイルゼンに、男は言葉に詰まる。
自分たちの戦力が決して弱いという訳ではないのは、仲間の獣人たちとの付き合いから知っている。
しかし、それ以上に目の前にいるイルゼンの……そしてイルゼンの仲間たちの様子を見れば、その実力が自分の仲間の獣人たちではどうしようもないくらいにかけ離れているというのは理解出来た。
そうして男が現在の状況を理解したところで、イルゼンは改めて口を開く。
「どうします? それでも一緒に来るというのであれば、こちらも引き受けても構いません。ですがその場合、僕たちが襲われたときの身の安全を保証するといったような真似は出来ませんよ」
そう言われ……男がとった行動は、イルゼンにとっても完全に予想外のものだった。
「お願いします」
「……本気ですか?」
一瞬驚きに言葉を失ったイルゼンが、尋ねる。
お互いの実力差は十分に分かっているはずだった。
にもかかわらず、自分たちの騒動に巻き込まれても構わないから一緒に来たいというのは、それこそ自殺行為以外のなにものでもない。
……実は、ここまでイルゼンの予想を外したという点で、男は周囲にいた探索者たちに驚きの視線を向けられているのだが、男の方はここで見捨てられれば自分たちは間違いなく死んでしまうという必死さを持っているので、それに気が付かない。
男にしてみれば、このままでは間違いなく死ぬ。
だが、イルゼンたちと一緒に行けば、少なくても自分たちを狙っている相手からは殺されることがないと、そう理解しているのだ。
……結果として、イルゼンたちが追われている相手に殺されるという危険もあったのだが、確実に死ぬのと、運次第では生き残れるかもしれないという二つの道。
そうであれば、どちらを選ぶのかは自明の理だった。
そんな男の様子を見て、イルゼンも小さく息を吐く。
この様子では、自分が何を言っても向こうが大人しく引き下がることはないと、そう理解したのだろう。
「少し待っていて下さい。もう一人の責任者に聞いてきますから」
そう言い、イルゼンは一旦その場から離れる。
男としては、このまま自分たちを無視して先に進まれるといったようなことになった場合はどうするかといったような不安を抱いていたのだが……幸いにして、そう時間も経たないでイルゼンが戻ってきたことに安堵する。
……イルゼンの隣に、生まれて初めて見るような美女がいたことに目を見開いたが。




