0283話
ガリンダミア帝国軍と戦った野営地を出発した雲海と黄金の薔薇の面々は、そのまま素早く移動を始める。
とはいえ、ダーズラ率いる精鋭を破った相手だ。
迂闊にちょかいを出しても勝ち目などないと、周辺の領主もアランたちが通るのを特に邪魔することはない。
もちろん、それはアランたちが派手に動いたりといったようなことはせず、あくまでも騒動を起こしたりせずにメルリアナ国に向かっていればの話だが。
そうであれば、領主たちも自分たちの領地をアランたちが通ったのに気が付かなかったといったように言い訳が出来る。
実際にアランたちが領地を通っているということに気が付いていない者もいた。
……中には、見回りの兵士がアランたちと遭遇したにもかかわらず、上からの命令のためかそこにアランたちがいるというのに、全く気が付かない振りをするような者たちもいたが。
だが、当然ながら領主の中にはそんな者たちだけではなく、ガリンダミア帝国の皇帝に深い忠誠を誓っていたり、もしくはアランたちを倒して手柄にしたいと考えているような者もいた。
「行け、行け、行け! ガリンダミア帝国に対する反逆者を倒せ!」
指揮官の命令に従い、兵士たちは突撃を開始する。
先鋒になったのは、騎兵たち。
騎兵というのは、高い突破力と強い攻撃力を持つ、極めて強力な兵種だ。
だが……それは、あくまでも兵士が馬に乗って自由に動き回れればの話だ。
「ヒヒヒィン!」
「ちょっ、うわぁっ!」
先頭を進んでいた騎兵の馬が突然悲鳴を上げて地面に倒れる。
当然そうなれば馬に乗っていた兵士も無事ですむはずがなく、そのまま地面に倒れた。
しかし、男にとって不運なのは自分が騎兵の先頭にいたこと。
……つまり、自分のすぐ後ろからは多数の騎兵が走ってきているのだ。
走っている騎兵は簡単に止まれるようなものではなく、そして兵士の男はそんな騎兵たちによって踏み潰される。
そう思ったのだが……
「うわあああっ!」
「なっ!? これは!」
「た、助け、助けてくれぇっ!」
後方の騎兵たちも、揃ってその場で転んでいく。
一体何が?
最初に転んだ騎兵は、そんな疑問を抱きつつも、とにかくこの場から離れようと思ったのだが、不意に何かに足を引っかけてその場に転ぶ。
「痛っ! ……根?」
背後ではまだ多くの騎兵が転んでいるのだが、その理由が分かった。
地面には根があったのだ。
騎兵がこうして戦場に投入されているのを見れば分かるように、ここは平原だ。
本来なら、とてもではないがこのように木の根が地面から飛び出るような形で伸びているはずがない。
それも、ちょうど走っている馬や人の足を引っかける、罠のような形で。
何よりもこの平原は、騎兵たちがよく来る場所でもある。
全てを知りつくしている……といった訳ではないが、それでもこのような根はないと断言出来る。
「何で、こんな根が急に……?」
そんな疑問を抱く男だったが、背後ではその根によって次々と騎兵が転ばされている。
もし兵士がもう少し冷静で、地面をしっかりと見ることが出来ていれば、木の根が次々と地面から地上に出て来ては、足を引っかけやすくなるような形になっていることに気がついただろう。
しかし、そのことに気がつくよりも前に事態は進展する。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」
そんな雄叫びを上げながら、オーガが棍棒と盾を手に突っ込んできたのだ。
オーガの背後には、白猿やリビングメイルの姿もある。
何よりも男の目を引いたのは、いつの間にか敵陣の中に一本の木が生えていたことだろう。
間違いなく、戦いが始まる前にはそのような場所に木は生えていなかった。
それ以前に、この平原にあのような木が生えていれば、何度もここに来たことのある兵士がそれを知らないはずはない。
「木? ……って、その前に逃げないと! くそっ、悪い!」
そう叫んだのは、倒れている仲間たちに対するものか……それとも、相棒の馬に対するものか。
木の根に引っ掛かって転んだ馬は、足の骨が折れており、とてもではないが歩ける状態ではない。
騎兵の馬は高度に調教され、訓練を重ねてきた馬だ。
それだけに、騎兵隊の馬がほぼ全滅状態にあるこの状況は、兵士たちの所属している領地に経済的に大きなダメージを与えたのは間違いなかった。
そうして騎兵隊は雲海や黄金の薔薇に攻撃することが出来ずに全滅してしまう。
この領地を治める貴族にとって、騎兵は最精鋭と呼ぶべき部隊であり、そんな部隊がこうもあっさりと全滅してしまったことに、騎兵隊を追っていた他の兵士たちはただ唖然とする。
自分の目で見た光景が信じられないと。
実際、この騎兵隊は今まで多くの敵を相手に活躍している。
もちろん、今まで一度も負けたことがない訳ではない。
ガリンダミア帝国の貴族の率いる軍だけに、今まで何度も周辺諸国との戦いに参加している。
そんな状況で、連戦連勝といったことはまず無理だった。
だが……それでも、ここまで一方的にやられて騎兵隊が全滅に近い被害を受けるといったことはなかった。
それだけに、背後からやって来ていた兵士たちは混乱し……そこに、オーガ、白猿、リビングメイルという三人の心核使いが突っ込んでいく。
また、騎兵隊を全滅させた最大の理由たるケラーノもまた、地面に接触すると周辺に頑丈な種をまき散らす木の実と遠くから投擲して兵士たちに攻撃する。
「う……うわああああああああっ!」
木の実の一撃は、痛みこそ強いがそれでも兵士たちを殺すことが出来るといったような威力ではない。
しかし、それでも次々に飛んでくる木の実の爆散は、兵士たちに大きな混乱をもたらすには十分な威力と数の攻撃だった。
その上で、心核使いたちが襲ってきているのだ。
兵士たちにしてみれば、とてもではないがまともに戦って勝てる相手ではない。
半ば……いや、完全に混乱状態になりながら、兵士たちはその場から逃げ出していく。
中には、戦えと命令している指揮官もいるのだが、オーガたちが真っ直ぐ自分たちのいる場所に突っ込んでくるのを見れば、それを防ぐのは不可能に近い。
そうである以上、兵士たちが逃げ出すのを防ぐといったような真似は、到底出来ない。
「ここで逃げれば、俺達が負けるぞ! そんなことになってもいいのか!」
「なら、お前が戦え」
部下に指示を出していた指揮官だったが、気が付けば自分の前にはオーガの姿。
棍棒を持っているオーガというのはそんなに珍しい話ではないのだが、盾を持っているオーガというのは珍しい。
ましてや、その盾は亀の甲羅を模している盾だ。
……ダーズラ率いるガリンダミア帝国軍との戦いが起きた野営地にあった遺跡の地下にいる亀の人形を倒して手に入れた甲羅。
もしくは、人形の製造設備から確保した甲羅という可能性もある。
ともあれ、指揮官はいきなり目の前に姿を現したオーガに、半ば反射的に長剣を振るう。
この辺り、侵略戦争を続けているガリンダミア帝国の軍人らしい思い切りのよさだ。
しかし……この場合、相手が悪かった。
ギィン、という甲高い音と共に長剣の一撃は盾で防がれる。
それどころか、亀の甲羅を模している盾は丸みを帯びており、長剣の一撃は盾の形に添うように受け流され、指揮官はバランスを崩す。
「うおっ!」
バランスを崩したのは一瞬。
だが、一瞬であっても命懸けの戦闘の中では致命的な時間だった。
ましてや、心核でオーガに変身しているロッコーモは、戦闘に対する高い才能を持つ。
そんなロッコーモが、相手がバランスを崩した隙を見逃すはずもない。
「ふんっ!」
そんな気合いの声と共に振るわれた棍棒は、体勢を整えようとした指揮官の身体に命中する。
それも、指揮官が着ていた金属の鎧をひしゃげさせるような、オーガらしい剛力が活かされた一撃。
「ごあっ!」
その一撃は強力で、ただでさえ体勢を崩していた指揮官に受け止められるはずもない。
棍棒によって殴り飛ばされた指揮官は空中を飛び、地面にぶつかって転がりながら動きを止める。
「が……」
倒れた指揮官の口からは、その一言だけが漏れ……やがて、その目から光が消える。
指揮官は、貴族が派遣した軍隊の中でも腕利きとして有名な人物だった。
そんな人物が、あっさりと殺されてしまったというのは、ただでさえ騎兵隊の全滅と複数の心核使いが襲ってきたといことで、半ばへし折れていた兵士の心を完全にへし折ってしまう。
「撤退! 撤退だ! 逃げろ! 逃げろぉっ! こんな連中に勝てるはずがないだろ!」
ある程度地位のありそうな男が、恐怖に負けて叫ぶ。
その叫びが契機となり、まだ何とか踏ん張って戦おうとしていた兵士たちもその場から逃げ出し始める。
中には、そんな兵士たちに逃げるなと叫んでいる者もいたのだが、襲ってきた軍の中では最強と見なされていた指揮官がオーガの一撃であっさりと殺されてしまうといった光景を見せれられれば、どうしようもない。
その上、後方で指揮を執っているイルゼンからの指示により、トレントに変身したケラーノが強固な種を周辺に撒き散らかしながら爆散する木の実を、そのようにまだ戦意を保っている相手に集中して投擲させるのだ。
攻撃される方にしてみれば、たまったものではないだろう。
「どうします? 追いますか?」
探索者の一人が尋ねるが、イルゼンは首を横に振ってそれを否定する。
「いえ、無駄に戦闘をする必要はないでしょう。これだけの被害を受ければ、向こうもこれ以上こちらの邪魔をするといったような真似は出来ないでしょうから」
一番金のかかる騎兵隊が殲滅したというのは、この地を治める領主にとっては非常に大きなダメージなのは間違いない。
何しろ馬というのは非常に高価だ。
その中でも、騎兵用に訓練をした馬というのはさらに高価になる。
その馬の大半が死んだか怪我をしたのだから、金銭的な被害は非常に大きい。
「ああ、ですが馬の中でも軽傷の馬は捕獲して下さい。治療をすればこちらの馬として使えるでしょうから」
イルゼンのその言葉に、周囲の者たちは呆れの視線を向けるのだった。




