0244話
「まだ分からないのか!」
そんな言葉と共に、テーブルを拳で叩く音が周囲に響く。
もしテーブルが頑丈な物ででなければ、間違いなく破壊されていただろう。
……もっとも、会議室にいる面々の中でそれを責めるような者はいない。
色々な思惑があるにせよ、全員が同じような思いを抱いていたためだ。
「ガリンダミア帝国を、ここまで馬鹿にした奴も珍しい。……笑ってしまうほどにな」
会議室の中にいた男の一人がそう呟く。
その口元は、言葉通りに笑みが浮かんでいる。
ただし、その笑みは面白くて笑っているといったような笑みではなく、獰猛な……それこそ、獲物を見つけた肉食獣が浮かべるような、そんな笑みだ。
そんな男の表情を見て、言葉通りに受け取るような者はまずいないだいろう。
とはいえ、他にも似たような笑みを浮かべている者は多い。
「ドットリオン王国に向かったというのは間違いないんだろう? なのに、なんで捕らえられない?」
本来なら、ここで自分たちが罠にかかったと思う者がいてもおかしくはない。
だが、イルゼンの情報操作と罠により、今のところ疑問に思っている者もいるし、何かおかしいと思いながらも、決定的な答えには辿り着いていない。
それだけ、イルゼンの行動が巧みだったということだろう。
ザッカランにおいて、ガリンダミア帝国軍に情報戦で後れをとったのが、それだけ悔しかったということか。
「とはいえ……もし雲海と黄金の薔薇を見つけても、生半可な戦力だと撃退されるだけだぞ?」
今まで会議室の中で行われていた話し合いを黙って聞いていた男が、そう呟く。
何人もの者たちが、その言葉に何も言えなくなる。
実際に、雲海と黄金の薔薇というのはそれだけの実力を持っているからだ。
ましてや、一人いれば戦局を引っ繰り返すことが出来るという心核使いが複数存在しており、その中でもアランとレオノーラの二人は、他に類を見ないほどに強力な心核使いだ。
そのような相手を前にして、中途半端な戦力を出すということは、それで戦っても死人や怪我人が大量に出来るだけだ。
「なら、こちらからも心核使いを出せばいい。この帝城には、まだ複数の心核使いがいるはずだ。それに、中には敵を追うのに適した能力を持っている者もいる」
「馬鹿な!」
そんな男の言葉に対し、即座にそう吐き捨てたのは、今まで話し合っていた男の一人。
当然の話だが、馬鹿なと言われた男の方はそんな相手の言葉に苛立ちを露わにする。
「馬鹿だと!? 貴様、誰に向かって言ってるつもりだ!」
「あんただよ、あんた。いいか? 今まであの連中に何人の心核使いを倒されてると思ってるんだ? 何より、黄金のドラゴンと特別なゴーレムを相手に、どうにか出来ると本気で思ってるのか?」
「貴様……我がガリンダミア帝国が、多少は名が知られたとはいえ、探索者風情に手も足もでないと、そう言うつもりか!? 帝城をあれだけ荒らされ、兵士や騎士も何人も死んだ。心核使いにも被害が出ているし、金目の物や武器の類も奪われている。それどころか、研究区画まで……」
男がそう言うと、他の者たちも何も言えなくなる。
金目の物は、美術品の類は惜しいが、それでも今はそこまで気にすることはない。……その手の収集家は、怒髪天を衝くといった様相だが。
武器の方は、逸品と言われているような貴重な武器や魔剣や魔槍といったようなマジックアイテムの類ではなく、奪われたのはあくまでも一般的な……それこそ、兵士たちが使うような武器の類だ。
その辺りの被害はそこまで多くはない。
痛いか痛くないかと言われれば、痛いことは痛いが、そこまで気にするほどの痛みではないといったとこか。
だが……中庭に降り立った黄金のドラゴンと戦って負けた心核使いの被害という意味では非常に大きい。
幸いにして、怪我を負ったものの生き残った心核使いもそれなりの人数がいるが、それでも死んだ者も多い。
そして、心核使いと同等に……いや、あるいはもっと大きなダメージとなったのは、研究区画の受けた被害だろう。
帝城のかなり奥まった場所――その中でも外れの部分だが――に用意された研究区画は、各種マジックアイテムや心核、それ以外にも様々な研究を行っている場所だ。
当然の話だが、本来なら護衛の兵士が何人かいて、そう簡単に中に入れないようになっている。
だが……黄金のドラゴンが帝城の中庭に現れたということや、帝城の中に雲海や黄金の薔薇、レジスタンスといった者達が侵入したことにより、多くの兵士や騎士たちはそちらの処理に回されてしまった。
本来なら、そのような事態だけに研究区画の守りを固めていざというときに備える必要があったのだろうが……それだけ、黄金のドラゴンがいきなり帝城に姿を現したというのは、大きな衝撃を与えたのだろう。
あるいは、黄金のドラゴンが姿を現したのが帝城ではなく戦場の中であれば、そこまで混乱するようなこともなかったかもしれないが。
やはり帝城は絶対に安全だという認識を多くの者が持っていたのだろう。
結果として、研究区画が受けた被害は非常に大きなものとなっている。
それこそ、研究途中だった資料が破かれたり、踏みにじられたり、もしくは研究成果の魔剣が折られ、特殊な効果を持たされたポーションは破壊され……といったように。
不幸中の幸いだったのは、研究者たちは襲ってきた相手を前に、自分たちに勝ち目はないと判断し、ほとんどの者が無駄な抵抗をしなかったことか。
……ほとんどの者であって、全員ではないのだが。
自分の研究を無茶苦茶にされるくらいなら、と破壊者……ロッコーモに逆らった者もいる。
だが、雲海の中でも腕利きの探索者の一人として知られているロッコーモを相手に、特に鍛えた訳でもない研究者が、どうやっても敵うはずがなかった。
結果として、ロッコーモに抵抗した数少ない研究者たちは、死にこそしていないものの、重傷と呼ぶに相応しい怪我をしている。
「研究者の怪我は重いが、それでも命に別状はない。……これは偶然そうなったのか、それとも最初から殺す気はなかったのか。どちらだと思う?」
「偶然だと思うがな。研究者たちから聞いた話によると、研究区画を襲ったのは雲海のロッコーモだ」
その情報をすでに知っていた者たちはただ頷き、知らなかった者たちはいくつかの反応に分かれる。
雲海のロッコーモという人物がどのような性格の者なのか知っている者たちにしてみれば、それが偶然そうなった形になったのだろうということに納得の表情を浮かべ、ロッコーモという人物を知らなかった者は、近くにいる者から情報を聞く。
……もっとも、この会議室に呼ばれるのは一定に地位にある者たちだ。
そのような者たちにしてみれば、現在重要な意味を持つ雲海の主要な探索者について、ある程度の情報を持っている者が大半だったが。
「ロッコーモか。オーガに変身する心核使いで、生身での戦闘力も相応にある。出来れば引き抜きたいところだが……」
「無理、でしょうね」
隣の席で呟いた四十代ほどの男の言葉に、その隣に座っていた二十代半ばの女が即座にそう返す。
「黄金の薔薇もそうだけど、雲海はかなり内部の結束が強いわ。そんな中でロッコーモだけを引き抜くといった真似は難しいわ」
自分よりも倍近い年齢の男に対しても、全く遠慮した様子のない言葉遣いで女は言葉を続ける。
「オーガは強力で、その上そこまで巨大というほどではないから、使い勝手のいい心核使いなのは間違いないんだけど」
その女の言葉に、何人かが頷く。
巨大――黄金のドラゴン等と比べてだが――すぎないくらいには大きく、戦争以外にも多くの場所で使える汎用性は、オーガにある。
もちろん、実際には結構な大きさなので普通の家の中といった場所では使いにくいのだろうが。
「雲海や黄金の薔薇には、それ以外にもまだ心核使いがいるんだろう? ……探索者や冒険者、傭兵といった連中の中に心核使いがいるのは珍しい話ではないが、雲海と黄金の薔薇には少し多すぎないか?」
そう呟く男の声に、こちらもまた多くの者が同意するように頷く。
以前までであれば、雲海にはオーガのロッコーモと白猿のカオグル。そして黄金の薔薇にはリビングメイルのジャスパーの三人だけだった。
だが、今となってはそれに追加するように、ゼオンのアランと黄金のドラゴンのレオノーラ、そしてこちらの情報についてはまだ知られていないが、トレントのケラーノといったように、合計六人となっているのだ。
アランとレオノーラが心核を入手する前と比べると、単純に倍の数になっているのだ。
……もっとも、ガリンダミア帝国が雲海や黄金の薔薇という存在を認識したときには、すでにアランとレオノーラは心核使いとなっていた。
そしてケラーノがトレントに変身出来る心核を入手したことは、まだそれほど知られていない。
……この会議場の中には、何人かケラーノについて知っている者もいたのだが、今のところそれを直接口に出すような者はいなかった。
「心核使いが多いクランというのは、他にもいない訳じゃない。それこそ、もっと大きなクランもあるんだから、そっちをぶつけてみるというのはどうだ? 探索者は探索者同士で争って貰えればいい」
「言ってることは分かるけど、それはそれで難しいだろうな」
「そうね。そもそもガリンダミア帝国にそこまで大きなクランは……ないわけじゃないけど、他国に比べると、かなり少ないし」
その理由は、遺跡が他国に比べて少ないということもある。
とはいえ、それかんしては占領して従属国にしていった国の中にいくらでも遺跡があるのだから、そこまで決定的な理由ではない。
やはり決定的な理由としては、猛者と呼ぶべき者の多くを好条件……それこそ、今まで得ていた金の数倍の金額を支払ったり、ある程度の地位を与えたり、女を用意したり……といったように、様々な手段で引き抜いているからというのは大きい。
こうして、会議は長引くのだった。




