0234話
レオノーラたちは鋼の蜘蛛と連携し、戦いの準備を整え……やがて、その日はやってくる。
ガリンダミア帝国史上において、屈辱の日……いや、国辱の日と呼ばれるようになる、その日が。
最初、それに気が付いたのは、一体誰だったのか。
通行人だったのか、冒険者だったのか、商人だったのか……それとも、兵士だったのか。
ともあれ、帝都のど真ん中にいきなり巨大な黄金のドラゴンが姿を現したのだから、誰がそれに気が付いたのかは分からずとも、すぐに皆がその存在に気が付く。
気が付くが……いきなり帝都に黄金のドラゴンが現れるという、明らかに冗談じみた現象だったためか、最初は皆がそれを誰かが幻術か、もしくは巨大な人形として作った……といったように思った。
あるいは、もし本当に帝都に黄金のドラゴンが姿を現したとすれば一大事であるがゆえに、そう思い込みたいと考えての行動だった可能性もある。
ともあれ……それが少なくてもぬいぐるみの類でないことは、その黄金のドラゴンが動いたことで証明されたし、幻術の類でないことも、黄金のドラゴンが一歩踏み出したことによりって生じた振動から、明らかとなる。
そして、黄金のドラゴンが本物だと知れば……当然のように、大きな騒動となる。
「ほ……本物だああああああああっ!」
「きゃああああああああああああああああああああああああっ!」
「逃げろ、逃げろ、逃げろぉっ!」
レオノーラが変身した黄金のドラゴンの姿を見た者たちが、大きく叫ぶ。
当然のように、その騒動……混乱は、レオノーラを中心として周囲に大きく広がっていく。
「警備兵を……いや、騎士を呼べ! 冒険者や探索者、傭兵に声をかけろ!」
そんな中でも、ある程度指揮を執るのに慣れている者は急いで黄金のドラゴンと戦う態勢を整えようとするが……混乱している今の状況では、とてもではないがそのような真似をする余裕のある者は多くない。
それに帝都の中にいきなり黄金のドラゴンが姿を現したことにより、その脅威から逃れようと、多くの者たちが走り出したのだから、余計に戦力を集中するといった真似は出来なかった。
「心核使いだ、心核使いを呼べ! あんな巨大な黄金のドラゴンに、生身で俺たちが勝てる訳がないだろ!」
そのように叫ぶ者もいたが、残念なことにそれに対して反応する者は多くはない。
それでも何人かは心核使いをどうにかして探そうとしたのだが……
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
不意に今まで黙っていた黄金のドラゴンが周囲に……いや、帝都全体に響き渡るような雄叫びを上げる。
その雄叫びは、黄金のドラゴンが姿を現した場所から遠く……それこそ、まだこの騒動について何も知らない者たちの耳にも当然のように響き渡り、その雄叫びによって黄金のドラゴンが姿を現した周辺だけではなく、帝都全体が恐慌状態になる。
黄金のドラゴンの姿が見えない場所であっても、聞こえてきた雄叫びは間違いなく自分たちではどうしようもない相手が上げた雄叫びだと、そう本能的に理解出来てしまったのだ。
もちろん、全員がそんな訳ではない。
中にはその雄叫びを聞いても自分たちならどうにか出来ると考えている者もいたし、ここで活躍してガリンダミア帝国軍に好待遇で雇ってもらったり、何らかの報酬を貰おうと……そんなことを考えている者も、決して少なくはない。
そんな中、帝城に向かって移動している者が存在する。
いや、これだけの騒ぎである以上、帝城ににこの事態を知らせる者がいるのは当然なのだが、その者たちは決して兵士ではない。
皆が一塊になって移動しているのではなく、それぞれが別個に移動しているその者たちは、雲海、黄金の薔薇、鋼の蜘蛛……そして、レジスタンスの有志たち。
砦の件もあって、鋼の蜘蛛の存在を面白く思っていない者も多いのだが、それでも今回の意見を提案したところ、若干ではあるが応じた者たちがいたのだ。
あくまでも若干といった程度の数である以上、そこまで多くはない。
だがそれでも、今回の一件においては、一人でも二人でも数が増えるということは大きな意味を持つし、鋼の蜘蛛に協力したレジスタンスたちにしてみれば、今回の一件が上手くいけば、ガリンダミア帝国に反抗するレジスタンスとして、名声を手に入れることが出来る。
一種の箔と言ってもいいそれは、レジスタンスとして活動していく上では必須のものだ。
だからこそ、多くのレジスタンスは少しでも黄金のドラゴンから逃げようとしている人混みを縫うようにしながら、城に向かって走る。
ただし、当然の話だが帝城に近付けば近付くほどに、人の数は減っていく。
(どうする? かなり人の姿が少なくなってきた。ここまで誰にも見咎められずに近づけただけでも陽動の成果はあったかもしれないが……かといって、このままだと見つかって怪しまれる。予定なら、そろそろのはずなんだけど……まだ、来ないのか?)
いくら帝都の中に黄金のドラゴンが姿を現したとはいえ、帝都の周辺は当然のように見張りの類は存在する。
予定では、帝都の中に姿を現した黄金のドラゴンが、帝城に向かって突っ込んでくる手筈となっていた。
だが、今のところまだ黄金のドラゴンが動く様子はない。
とはいえ、あくまでも予定は予定だ。
予想外の何かが起こったとなれば、その辺りの話はまた違ってくる。
「おい」
背後からそう声をかけられた瞬間、レジスタンスの男は反射的に短剣を抜こうとし……それを何とか押さえ、振り返る。
するとそこにいたのは、自分とは違うグループに所属しているレジスタンスの一人だった。
顔見知りのその相手を見て、咄嗟に武器を引き抜かなくてよかったと安堵しつつ、それを表情に出さないようにしながら口を開く。
「お前も来たか。……けど、黄金のドラゴンはまだだぞ。本当に来ると思うか? ここに来るまでに聞いた話によると、帝都にいる冒険者や探索者が戦いに駆り出されるって話だったけど」
「それは……厄介だな。結構な腕利きもいるだろうし」
従属させた国の数を考えれば、ガリンダミア帝国は広大な国土を持つ。
そんな国の首都たる帝都だけに、腕自慢の者があつまるのは当然だろう。
ましてや、ガリンダミア帝国は侵略戦争を続けているだけに、戦力は多ければ多い方がいい。
冒険者、傭兵、探索者……それ以外にも、腕利きの者であれがガリンダミア帝国軍に引き抜かれるということは決して珍しくはなく、それを目的にして帝都にやって来ている者もいる。
そのような者たちにしてみれば、黄金のドラゴンを相手にするというのは実力を見せつけるという意味では、これ以上ないだろう。
……それでも、黄金のドラゴンという存在を喜んで相手にするような者は、そう多くはないだろうが。
「じゃあ、どうする? 元々俺達だけでどうにかするってのは、無理があったんだし……そうなると……」
「待て、来たぞ」
現在の自分たちの状況をどうするべきかと言おうとしたレジスタンスの男だったが、もう一人の男が途中でそれを止める。
一体何が? 一瞬だけそう思った男だったが、今のこの状況で来たとなれば、それが何なのかは考えるまでもなく明らかだ。
勢いよく、もう一人の男が見ている方に視線を向ける。
すると、当然の話だがそこには巨大な黄金のドラゴンの姿があった。
現在自分がどのような状況にあるのかも、全く気にした様子がなく、悠々と空を飛ぶその姿は、何も知らない者であれば……いや、それこそ事情を知っている男たちでさえ、思わず目を奪われてしまうだけの何かがあった。
それでも男たちがずっと空を飛ぶ黄金のドラゴンに目を奪われたままでなかったのは、現在がどのような状況なのかを理解しているからだろう。
そんな二人の視線の先で、黄金のドラゴンは真っ直ぐ城に向かって飛んでいく。
「おい……大丈夫だと思うか?」
「分からねえよ。けど、自信がなければ、あんな真似は出来ないだろ? 帝城の結界をどうにかするだけの目処は立っていると思ってもいいはずだ」
そんな二人の側に、何人かの男女が集まってくる。
二人ともが、最初は敵ではないのかと一瞬緊張したが、この状況で自分たちのいる場所にやって来るのだから、それは敵か……もしくは、味方しかいない。
そして幸いなことに、近付いてきたのは味方だった。
「どうしたの? 向こうが約束を果たしたんだから、行くわよ。他の人たちも、それぞれもう準備についてるわ」
女のその言葉で、二人の男も顔を合わせて頷き、城に近付いていく。
空を飛んでいる黄金のドラゴンは、そんな地上の様子を全く気にした様子もなく空を飛び…帝城まで近付いたところで、不意に壁にぶつかったようにして動けなくなった。
それは、敵意があり、脅威となる存在を帝城に近づけないようにするための、結界。
普段から張られているその結界だが、普通ならそれを突破することは出来ない。……そう、あくまでも普通なら、だ。
だが、当然の話だがレオノーラが変身している黄金のドラゴンは、普通とは呼べない存在だ。
城に結界が張られているのは分かっているだろうに、全く速度を落とさずにそのまま突っ込んでいき……やがて、その身体はバリアに当たる。
そして、バリアは黄金のドラゴンの突撃を防ぐことに成功した。
『わああああああああっ!』
そんな光景を見ていたのだろう。帝城の守りについている兵士たちの口から、歓声が上がる。
自分たちの城を守っている結界が、黄金のドラゴンの侵入すら防いだ。
そう思っていたのだろう。
それは正しい。だが……その喜びは、次の瞬間に絶望の声に変わる。
何故なら、結界とぶつかってそれ以上進めなくなっていた黄金のドラゴンが、そのような状況でも全く諦める様子がなく、周囲に響き渡る……それこそ、帝都中に響くだろう雄叫びを上げながら、結界の中に突入しようとしたのだから。
そして、城の兵士や騎士たちが息を呑んでその様子を見ていると……やがて、帝城を覆っていた結界は、パリンッというガラスが割れるような音と共に砕けるのだった。




