0231話
「やあ、久しぶりだけど元気だったかい?」
以前ビッシュと面会した部屋で、今回も面会するということになった。
これは、アランに気を遣った……というよりも、別の場所での面会となると、色々と面倒があったから前回と同じ場所にした、というのが正しいのだろう。
「そうですね。元気かどうかと言われれば、元気ですよ。身体が若干鈍るくらいには」
「おや? 騎士たちと一緒に模擬戦をしているって話を聞いたんだけどね」
そう言い、ビッシュは自分の後ろで待機しているグヴィスに視線を向ける。
その視線を見れば、アランが模擬戦をやっているのは基本的にグヴィスとだけであり、もう一人の騎士のクロスとは模擬戦をしていないというのを知っているのが明らかだった。
「そうですね。ただ、それでも毎日って訳でもないですし、訓練の時間もそう長い訳ではないですから」
それは紛れもない事実だ。
ガリンダミア帝国軍に捕まる前、アランは何か特別な事情がない限り、毎日のように母親のリアと訓練をしていた。
だが、今は訓練の時間が明らかに短くなっている。
……それでも、グヴィスという自分よりも技量的に上の相手との模擬戦が中心なので、技量の低下はそこまで深刻ではないのだが。
「ふーん。なら、いいんだけどね。……さて、それじゃあ、そろそろ君を呼び出した本題に入ろうか」
メローネの淹れた紅茶を飲みながら、ビッシュはそう告げる。
戦闘訓練云々というのは、本題の前振りのようなものだったのだろう。
アランとしても、本題に入るのが早いに越したことはない。
ビッシュという人物は子供の外見をしているが、精神年齢は非常に高い。
いや、単純に精神年齢がたかいというのではなく、子供の姿をした大人といった印象であり、恐らくその予想はそう間違っていないだろうというのが、アランの予想だ。
それだけに、可能な限り早く話し合いを終わらせて部屋に戻りたいというのが、正直なところだった。
「実はね、今日……帝都の近くにある砦が、何者かに襲われたんだ」
「っ!?」
正直に事情を話してくるビッシュの言葉に、アランは息を呑む。
同時に、やはりという思いを抱いたのも事実。
今の自分の状況を考えると、何故わざわざそんなことを自分に教えるのかといった疑問を抱くのは当然だろう。
ビッシュに……いや、ガリンダミア帝国にしてみれば、自分にそのような事情を教える必要がどこにある? という思いを抱いたためだ。
(考えられる可能性としては、砦を襲撃したのが雲海や黄金の薔薇だと判断出来ないから、とか? いや、けど……この状況でそんな真似をする集団が他にいるとは思えない)
レジスタンスという勢力が帝都には存在しているのだが、今のアランにはそれに思いいたることはない。
つまり、こうしてビッシュが鎌を掛けてきているのは、今回起こったという砦に対する襲撃が、実はアランを助ける為の行動の一環なのではないかと、そう疑っているのだ。
「いえ、残念ですけど思い当たることはないですね」
可能な限り動揺を表情に出さないようにしながら、言葉を返すアラン。
とはいえ、いきなりのことだったので、どこまで表情に動揺を出さないように出来たのかは、本人も疑問だったが。
「ふーん。……そう」
アランのそんな表情を見たビッシュが、そう呟く。
その言葉にどのような思いがあるのかは、アランにも分からない。
だが、今の状況を考えると、決して自分にとって有利なことではないのは明らかだった。
そして、じっとアランを観察するような視線を向けるビッシュ。
一体、その状況でどれくらいの時間が経ったのか……やがてビッシュは、そんなアランから興味をなくしたといった様子で視線を逸らし、紅茶を飲む。
少なくても、メローネの淹れた紅茶が温くなるくらいの時間は、アランの顔を観察していた。
「分かった。もう行っていいよ」
冷めた紅茶に微かに眉を顰め、それでも一口飲んでからテーブルに戻したビッシュの口から出たのは、そんな言葉だった。
え? と。
アランはビッシュのその言葉を聞き、間の抜けた表情で相手を見る。
この状況で自分を呼んだのだから、そう簡単に自分を帰すような真似はしないだろうと、そう思っていたのだ。
……もっとも、帰すといっても帰る先は帝城の中にある部屋である以上、ビッシュにしてみればアランは自分の手の内にあるのと同じような意味なのだろうが。
「いいんですか?」
「ああ。聞きたいことは聞いたし、君が嘘を言ってるような様子もない。なら、僕も君とずっと話をしていられるような余裕はないからね」
先程の沈黙の時間に、嘘を言ってるのかどうかを確認したのだろう。
それはアランにも分かったが、具体的にどのような方法でそのような真似をしたのかは、分からなかった。
(それでも、ビッシュと一緒にいる時間が短くなるのなら、それはそれでいいけど)
そう思い、挨拶をしようとした瞬間……その機先を制するようにビッシュが口を開く。
「それなら、もう少し一緒にいるかい?」
『え?』
いきなりのその言葉に、アランだけではなく他の者も一体いきなり何を言ってるのか分からないといった様子で声を上げ……その中で、アランだけがすぐに現在何が起きたのかを理解し、今すぐにでもこの場から逃げ出したいのを我慢して口を開く。
「じゃあ、この辺りで失礼させて貰います」
そう言いながらも、アランの顔は緊張し、背中には冷たい汗を掻いていた。
間違いなく、今のビッシュの言葉は、アランが考えたことに対する返答であると、そう理解出来たためだ。
(もしかして、ビッシュは心を読む能力……いや、マジックアイテムでもあるのか?)
そう疑問を抱くが、今の状況でまさかビッシュにそのようなことを聞く訳にもいかず、黙り込む。
今は、出来るだけ早くこの部屋から出るべきだという思いがあった。
(もし何らかの手段で心を読んでいたのなら、もしかして前回会ったときも俺の考えていたことを読まれたのか? いや、今は何も考えるな。何かを考えれば、それがまた読まれる)
自分に言い聞かせながら、アランはビッシュと会談をした部屋を出る。
……アランにとって幸いだったのは、ビッシュがそれ以上は特にアランに何も言わなかったことだろう。
とはいえ、特大の釘を刺されたようなものだったが。
そうして部屋を出ると、とにかく部屋に戻ろうとし……
「きゃっ!」
不意にそんな声と共に軽い衝撃がアランの身体に走る。
何だ? と一瞬疑問に思ったが、視線の先にメイドが倒れているのを見て、自分とぶつかったメイドを吹き飛ばしたのだと理解する。
ビッシュとの会談を行った部屋の近くに何故メローネ以外のメイドが? と疑問に思いつつも、自分が吹き飛ばしたメイドだからということで、助け起こそうと近づき……
「っ!?」
そのメイドを見たアランは息を呑む。
……何故なら、そのメイドは知っていた顔だったからだ。
それもこの帝城で見たことがあるという訳ではなく、黄金の薔薇にいるのを見たことがあったのだ。
話したことも、少ないながらあったはずの女。
一瞬見間違いではないかと思ったものの、相手の様子を見れそれが間違いではないというのは理解出来る。
女の方もそんなアランの存在に気が付いたのだろう。
だが、すぐに自分が現在どのような状況にあるのかを理解し、慌てて立ち上がるとアランに頭を下げる。
「申し訳ありません。また、この城に来たばかりなもので……失礼しました」
「いや、気にするな。……貴賓室だ。カロを手に入れてくれ」
メイドとすれ違うとき、周囲には聞こえないように小さく、だが確実に女の耳には聞こえるように告げるアラン。
メライナとこの帝城で名乗っている女は、アランの言葉に微かに頷く。
「まぁ、メライナ。怪我はない?」
そんなメライナとアランの様子に気が付いているのかいないのか、メローネがそう声をかけてくる。
そしてメローネに怪我ないと判断すると、アランに向かって頭を下げる。
「申し訳ありません、アラン様。うちのメイドが失礼な真似を」
「いや、気にしないでください。こっちも不注意でしたから。それに、いつもはグヴィスとクロスという護衛の騎士が一緒にいてくれるから、注意するのを忘れてましたし。……普段から人のいる場所にいれば、その辺は対処出来たと思うんですけどね」
メローネと会話をするようにしながら、頭を下げているメライナにさりげなく自分の情報を伝えていく。
咄嗟のことではあったので、色々と情報を伝えないといけないと分かってはいたのだが、具体的にどのような情報を伝えればいいのかを迷う。
また、いつまでもここで話をしている訳にもいかず、やがてアランはこれ以上ここにいては危険だと判断する。
ここで下手にメライナに構いすぎれば、それこそメライナが怪しまれてしまうだろうと。
メライナもそれは理解しているのか、頭を下げた状態か上半身を起こすときに、アランと一瞬だけ目を合わせる。
その一瞬でアランの現在の状況を大体理解し……かなり健康な様子であることに驚く。
当初、メライナはアランがいるのは地下牢だと思っていた。
だが、結局美形の王子がいるという噂を使ってメイドたちを動かしたか、それでもアランを見つけることは出来なかった。
だからこそアランがいるとすれば、地下牢ではなくどこかの部屋に軟禁でもされているのではないかと、そう思ったのだが……それでも、ここまで元気な様子なのは予想外だったのだろう。
敵に捕まって軟禁されていたにもかかわらずこの様子なのだから、それこそもしかしたら敵に寝返ったのではないかと、そんな思いすら抱いてしまう。
しかし、そんなメライナの不安も、アランが自分の情報を口にしたことを思い出し、ある程度取り除かれる。
アランとメライナはまだそこまで親しい相手ではないので、アランからもたらされた情報で完全に信じるといったような真似は出来なかったが。
それでも……帝城に入り込んでから、二ヶ月近く。ようやくメライナは自分の狙いが大きく前進したことを確信していた。




