0225話
「えーと……その……普通に考えて、第三皇女が俺の部屋に自分で来るということはないと思いますけど……一応聞きますが、もしかして来た人は第三皇女の使いだったりしますか?」
そのままベッドで眠って、今の出来事は忘れてしまいたい。
そんな思いを押し殺して尋ねたアランだったが、メローネはそんなアランに同情した様子を見せながらも、首を横に振る。
「いえ、その……ルーベリア殿下は活発な方ですので。このようなときは、自分で動かれることも多いのです」
「それって、皇女としてどうかと思うんですけど」
「あら、ご挨拶ね。私がわざわざ会いに来てあげたのよ? 喜ぶならまだしも、そんなことを言うのは……捕虜としての自覚がたりないんじゃないの?」
皇女という立場にある者としては、ざっくばらんな言葉。
だが、その言葉の内容を考えれば、いつの間にか開いていた扉の向こう側に立っていた女が誰なのか、考えるまでもなく明らかだ。
「……ルーベリア殿下ですか?」
メローネの口から、尋ねてきた相手がルーベリアであるということは聞いていた。
聞いていたが、目の前にいる人物が第三皇女という立場にいるような者だとは、とてもではないがアランには思えない。
しかし、尋ねられた方は当然といった様子で背中まで伸びている、青のロングヘアーを掻き上げ、笑みを浮かべて口を開く。
「当然でしょう? この帝城にいるのに、私のことを知らないと言うの?」
待遇はともかく、実質的には捕虜である以上、知らなくても当然だと思ったアランだったが、それを言っても相手は納得しないように思えたので、取りあえず黙っておく。
実際、この帝城の中でもルーベリアの顔を知らない者は少なくないのだ。
本人が色々な場所に……それこそ、本来なら皇女の立場にある者が行かないような場所であっても、気が向けばそこに顔を出すといったようなことをするのは、珍しくないのだから。
そのような性格をしているからこそ、どこからかアランのことを聞き、こうして会いに来たのだろうが。
「残念ですが、私はガリンダミア帝国の者ではないので」
「……ふん」
アランの言葉が気にくわなかったのか、ルーベリアは少しだけ不満そうに鼻を鳴らす。
周辺諸国を次々と呑み込んでいき、領土を広げ続けているガリンダミア帝国の皇女たる自分を知らないというのは、ルーベリアにとっては面白くなかったのだろう。
だが同時に、自分を前にしても態度はともかく、実際には決して退いたりしないというところが若干ではあるが気になったのも事実だ。
「それで、一体私にどのような用件があるんでしょう?」
「用件がないと、会いに来ちゃ駄目なの?」
そのような台詞は、このような場所ではない場所で、それも別の相手に言われたのなら、嬉しかったかもしれないが……生憎と、今のアランの状況でそのようなことを言われても、決して喜ぶべきことではなかった。
とはいえ、実際には、ルーベリアは顔立ちが整っている。
年齢的にはアランよりも若干年下なので、美人というよりは可愛いという表現が相応しい。
それだけに、ルーベリアがそのような言葉を口にしても、見ている者は思わず納得してしまうような、そんな姿なのは間違いない。
……かといえ、アランがそれを受け入れるかどうかは、また別の話だったが。
この場合は幸か不幸か微妙なところではあったが、アランの場合、好みは可愛らしい相手ではなく美人系の……いわゆる、大人っぽい方が好みだ。
そういう意味では、ルーベリアが可愛らしい様子でそのようなことを口にしても、それに対してどうこう思うようなことはなかった。
「それで、一体私にどのような用件があるんでしょう?」
アランの口から出たのは、数秒前と全く同じ言葉。
だが、そんなアランの態度がルーベリアにとっては不満だったのだろう。
面白くないですといった思いを全身で表す。
……あるいは、ルーベリアの取り巻きや護衛の騎士といった者たちがここにいれば、そんなルーベリアの態度にアランを敵視するような真似をしたかもしれないが、幸いながらそのような者はいない。
第三皇女としての権力を使っても、取り巻きはここに連れてくることが出来なかったし、護衛の騎士や世話をするメイドたちを連れてくることも出来なかった。
取り巻きたちの方は、アランの重要性を考えればある意味で当然の結果なのかもしれないが……騎士やメイドも部屋の中に入るのが禁止されるというのは、ルーベリアにとっても予想外のことだった。
これは、ガリンダミア帝国の上層部……特に皇帝や宰相、各種大臣たちの思惑の一つだ。
ルーベリアという、アランと同年代の皇女と合わせることで、少しはアランも気を許すのではないか。
そのためには、護衛の騎士やメイドたちはいない方がいいだろうと。
メローネやグヴィス、クロスといった面々からの報告で、アランがルーベリアを人質にするような真似はしないと、判断しての行動。
当然だが、万が一のときはその三人がすぐにでもアランを鎮圧するということになっていたが。
アランの生身での戦闘力がどれだけのものなのか、という情報もあるからこそのルーベリアの派遣だった。
……それでいながら、ルーベリアの登場に不自然さをアランに覚えさせないように、メローネにはその辺りの情報が秘匿されていたのだが。
これは、メローネなら指示がなくても何かがあればすぐに対応するだろうと、信頼されているがゆえの行動でもあった。
「むううう! ちょっとあんた! 捕虜の分際で皇女の私が会いに来たんだから、もっとこう……何か反応はないの!?」
二度同じ言葉を口にしたのがルーベリアにとっては面白くなかったらしく、私は不満ですといった様子を隠しもせずに、そう叫ぶ。
だが、アランにとっても目の前にいる人物が第三皇女という立場にある以上、どう反応すればいいのかと、迷ってしまう。
「そう言われても……それこそ、第三皇女様が、一体何をしに捕虜の私に会いに来ようなんて思ったんですか?」
「ちょっとした興味よ、興味。それに、ガリンダミア帝国に対して大きな被害を与えた人物の顔くらいは、ちょっと見ておきたいじゃない」
アランに向かって自信満々に胸を張るルーベリアだったが、その胸はメローネに比べると哀れみを覚えるくらいに大平原だ。
……もちろん、アランもそのようなことを言った場合はどうなるか想像するくらいは出来るので、その点については何も指摘しなかったが。
だが、アランが何も言わなくても、ルーベリアにとっては密かな……二人の姉と比べて圧倒的に貧しい胸――もしくは胸板と表現すべきか――に視線を向けられたのに気が付いたのか、急速に不機嫌そうな表情になる。
それは、見て分かるほどに顕著な態度の変化だったからこそ、アランも自分が何かを失敗したということには気が付いてしまう。……何かに失敗したというのは分かっても、何に失敗したのかは分からなかったが。
男のチラ見は女のガン見。
そんな言葉が前世の日本にはあったのだが、残念ながら今のアランがそれを思い出すことはなかった。
「貴方、アランだったわよね。随分と失礼じゃない?」
「えっと、何がでしょう?」
アランの言葉は、決して惚けての言葉ではない。
純粋に、ルーベリアの胸を見たことが気が付かれていないと、そう思ったのだ。
ルーベリアはそんなアランの様子に気が付いたのか、顔を赤くして言葉に詰まる。
このままアランが何故自分が怒っているのかが分からないというのも面白くなかったが、同時に自分が何故アランに胸を見てがっかりしたなどと、そんなことを言わなければならないのかと。
……それこそ、ルーベリアにとっては自分からわざわざ恥を掻くようなものだ。
不満を出したいのに、その不満を口にすると自分が恥を掻く。
そんな状況の中でルーベリアが最終的に選んだのは、不満を表に出しつつも、その理由を露わにしないことだった。
メローネが淹れた紅茶を飲み、幾分か落ち着いたところでルーベリアは口を開く。
「それで? あんたはなんでガリンダミア帝国に帰順しないのよ。うちは強国なのよ? 他に所属したいと思う者は大勢いるわ。そんな中でアランが選ばれたんだから、素直に降伏すればいいじゃない」
アランの態度に不満を持っているからからだろう。
ルーベリアの言葉は普段よりも攻撃的ではあったが、それでも素直に思っていることを口にしているだけなのは、間違いなかった。
そんなルーベリアの態度に、アランは少し考え……やがて口を開く。
「普通なら……それこそ、私がクランに所属していなければ……いえ、クランに所属していても、雲海という今のクランでなければ、その選択肢を選んだ可能性が高いでしょう」
実際、ガリンダミア帝国に所属する心核使い……それも前代未聞の人型機動兵器の使い手ともなれば、その辺の貴族以上……場合によっては貴族の中で最も爵位の高い公爵級の扱いを受けてもおかしくはない。
もちろん、それだけの厚遇を受けるのなら相応の義務を果たすことにもなるのだろうが。
それでも一介の探索者にしてみれば、これ以上ないくらいの就職先なのは間違いない。
だが……そう、だが。それでもアランはガリンダミア帝国に仕えるという道を選ぶことは出来ない。
「……雲海という帰るべき場所がある以上、ガリンダミア帝国に仕える訳にはいきません」
「へぇ……」
アランの言葉を聞いたルーベリアは、自分の思い通りにならなかったことに苛立つのではなく、むしろ興味深そうにアランを見る。
ガリンダミア帝国の第三皇女として生を受け、これまで生きてきたルーベリアにとって、これ以上ないだろう好条件であるにもかかわらず、それを断るというアランの存在は興味深かった。
それこそ、滅多に見ることが出来ないような珍獣を見るような目でルーベリアはアランを見て……やがて笑みを浮かべて口を開く。
「アランだったわね。貴方のことは気に入ったわ。必ず、ガリンダミア帝国の物にしてみせるから」
そう告げるルーベリアの視線は、間違いなく本気の色だった。




