0221話
メライナとダーナがメイドたちに噂を流している頃……アランは、今日もまた部屋の中で地道な訓練を重ねていた。
腕立て、腹筋、背筋、スクワット……といったような基本的な運動をしたあとで、シャドーボクシングならぬ、シャドー模擬戦とでも言うべきものをを行う。
相手はグヴィスだ。
訓練場において実際に模擬戦をすることが多いのは、当然のようにグヴィスだというのが理由だ。
そして訓練場の模擬戦において、アランは未だにグヴィスに勝ったことはない。
元々の身体能力、それに技量が大きく違う以上、それは当然のことではあったのだろうが……だからといって、アランもそれで諦めるようなことない。
負けん気の強いアランとしては、グヴィスとの模擬戦で勝ち星を上げたいと思うのは当然だった。
とはいえ、純粋な身体能力と技量の双方で劣っている以上、そんな相手に勝つのは容易なことではない。
(心核を使えば確実に勝てるんだが……まさか、それを許可してくれるはずがないしな)
全高十八メートルもある人型機動兵器だけに、それこそ一流の腕を持つ騎士であっても、勝てるはずがなかった。
心核使いに対抗出来るのは心核使いだけとよく言われているが、アランの心核によって呼び出されるゼオンは、生半可な心核使いであれば容易に倒すことが出来るというのは、今までの実績がこれ以上ないほどに証明している。
……もっとも、アランに心核を使うことを許可すれば、試合云々よりも前に、とっとと帝城から逃げ出すことにするだろうが。
(カロは……寂しがってないといいんだけどな)
幻影のグヴィスとの模擬戦を終えると、ふとアランはそんなことを思う。
アランの心核は、普通の心核とは違って明確な自我を持っている。
知性そのものはそこまで高くないのか、それとも単純に話を出来る機能がないだけなのかは、アランにも分からなかったが、それでもペットのような……そのくらいの知能はあり、アランにも懐いていた。
アランも最初はカロの存在に戸惑ったが――心核が自我を持つなど、見たことも聞いたこともなかったので――それでも最終的には良好な関係を築けたと思う。
それだけに、自分と離されている現状、カロが寂しく思っているのではないかと、そう考えることが出来たのだ。
何となく、このまま訓練を続ける気になれないアランは、下手に訓練を続けると怪我をしかねないと判断し、訓練を止めると汗を拭いてからソファに座り込む。
(カロの件もそうだけど、そろそろ俺を助けにきてくれてもいいんだけどな)
雲海、そして黄金の薔薇の面々が、自分を見捨てるような真似をするとは、アランには思えなかった。
いや、あるいは黄金の薔薇に所属する探索者の何人かは、そのような反応をしてもおかしくはない。
だが、それでも……そう、それでも黄金の薔薇を率いているレオノーラは、自分を見捨てるといったようなことをするとは思えなかった。
これは単純にレオノーラが自分という存在を戦力的に重要な存在と判断しているだろうという思いもあったし、それと同時に自分の秘密……前世の存在を知っている以上、アランという存在はレオノーラにとっても、ある意味で切り札になる可能性もあったのだから。
この場合、特に大きいのははやりアランの日本での生活を知っていることだろう。
それにより、色々と有益な知識を知ることが出来たのだ。
もっとも、それはあくまでもアランの前世を追体験した恩恵であって、実際の意味ではそこまで詳しくは知らない。
それを役立てるためには、やはり実際にその辺りの知識を知っているアランの助けが必要だった。
そのような理由から、レオノーラが自分を見捨てることはない……と、そうアランは思う。
正確には、そのように思いたいという表現が正しいのだろうが。
「アラン様、レーベラ様が少しお話をしたいとのことですが、構いませんか?」
「こっちとしては、全く構いませんけど……またうるさくなりそうですね」
そんなアランの言葉に、メローネは笑みを浮かべて話を誤魔化す。
基本的に部屋の中では特にやることがないアランとしては、レーベラが訪ねてきてくれるのなら、それを拒否することはない。
最初に会って以降、レーベラは何度かこの部屋に来ており、アランと話している。
……正確には、話すのは大半がレーベラで、アランはその話を聞いてるだけなので、何とも言えないのだが。
ただし、心核使いとして帝城にいるだけあって、レーベラは心核について深い知識を持っており、アランも知らないようなことを色々と教えてくれる。
そういう意味では、非常に有用な相手ではあった。
アランよりも年下なのに、何故そこまで心核使いについて詳しいのかといった疑問はあったが。
「では、レーベラ様をお連れしますね」
「お願いします。……それと、多分話が長くなると思うので、紅茶と軽く食べられる何かを用意して下さい」
紅茶と軽食をメイドに要求するアラン。
その光景を見れば、とてもではないが囚われの身だとは思えないだろう。
だが、アランはすでにその辺りを気にすることは止めていた。
悩んでもどうにもならないのなら、今の状況を少しでも楽しもうと、そう思ったのだ。
「分かりました。少々お待ち下さい」
一礼し、部屋を出ていくメローネ。
アランはそんなメローネを見送り……扉の外に出ると、鍵がかけられる音を耳にし、軽く眉を顰める。
この部屋の中ではそれなりに自由にすごしているし、訓練場では刃を潰されているとはいえ、武器を手にすることも出来る。
だが……それでも、自分が囚われの身であると、鍵のかけられる音を耳にするたびに、自分の立場を思い知らされてしまう。
もっとも、アランもメローネが部屋の中にいるときには、そのように態度を露わにしたりはしないのだが。
(逆に考えれば、この音で自分の立場を理解する限り、懐柔されることはないと、そう思いたいところだな)
半ば無理矢理自分に言い聞かせ、アランはレーベラがいつ来てもいいように準備をする。
そして十分程が経過すると、扉がノックされ……アランが中に入るように言うと、メローネとレーベラが姿を現す。
レーベラはアランと会えたことが嬉しいのか、目を期待に輝かせていた。
レーベラにしてみれば、アランという心核使いは今までにないゼオンという特殊なゴーレム――レーベラの認識だが――を呼び出すことが出来るという、非常に希少な存在だ。
それだけに、アランと話をするのは非常に嬉しいことだった。
「アランさん、お久しぶりです!」
メローネと共に部屋に入ってきたレーベラは、アランを見て勢いよくそう言葉をかけてくる。
それこそ、アランと話すのが待ち遠しかった……と。そう全身で表しているのかのような、そんな様子で。
とはいえ、それはあくまでも心核に関係する話をしているときに限るというのを、アランは知っている。
心核に関係のない話をするときは、かなり大人しくなるのだから。
とはいえ、アランも何度となくレーベラと話しているので、そんなレーベラの性格も理解はしている。
このような状況のときは、しばらくレーベラに話し続けさせておいた方がいいだろうと、ソファに案内しながら、メローネの紅茶の用意をするように頼む。
メローネも、アランの世話係となってからそれなりに時間が経つ。
そのおかげで、アランがレーベラをソファに案内しながら視線を向けてきただけで、何を希望してるのかを理解し、行動に移る。
そして二十分ほどが経過し……その間、レーベラはずっと心核について話し続けていた。
(よくこれだけ話し続けていられるよな。……疲れないのか?)
そう思うアランだったが、自分も前世ではゲームの話になると、これくらいは普通に話していたことを思い出す。
もっとも、それはレーベラのように一人で話し続けるのではなく、何人かで話している、という方が正しいのだが。
とはいえ、レーベラも話し続けていれば喉が渇くのは当然で、メローネが用意した紅茶に手を伸ばす。
淹れたときに比べると少し温くなっているのだが、レーベラは特にそれを気にせず、紅茶を飲む。
そんなレーベラを見ていたアランは、ふと気になったことを尋ねる。
「そう言えば、何年も前に噂……本当に噂で聞いただけなんだが、心核の中に自我を持ち、意思を持つような心核がいるって話を聞いたことがあるんだけど、そういうことはあるのか?」
「っ!?」
何気なく尋ねたアランだったが、それを聞いたレーベラは紅茶を飲んでいた手を止め、勢いよくアランに視線を向け、口を開く。
「その……そういうようなことがある、という噂は聞いたことがあります。ですが、私は残念ながら実際にその光景を見たことはありません。……もしかして、アランさんの心核は意思や自我を持ってるんですか?」
レーベラの問いに、アランは一瞬どう答えるべきか迷う。
現在、アランの心核たるカロはガリンダミア帝国に奪われている。
当然のようにアランは現在カロがどこにあるのかは分からないが、もしレーベラにカロの存在を話せば、カロを奪い返せる可能性はあるかもしれない。
もちろん、そのようなメリットだけではなく、デメリットも存在する。
カロの存在を明かすと、それこそ非常に希少な例だとして、アランをガリンダミア帝国に引き入れるという選択肢が消えて、カロの研究に専念する可能性もあった。
最悪、これだけ心核に執心しているレーベラだけに、カロを持ち去るという可能性も否定出来ない。
「いや、話に聞いただけだよ。心核に詳しいレーベラなら、その辺の事情についても知ってるかと思ってな」
結局アランが選んだのは、カロの存在について教えないということだった。
上手くいけばカロを取り返せるが、失敗すればカロが失われてしまう。
自分が関与するのではなく、自分の知らない場所でそれが決まってしまうということが、アランにとってはかなり怖かった。
結果として、アランはカロについては誤魔化す。
……ただ、そんなアランを見るレーベラの視線が一瞬だけだが鋭く光ったことに、アランもメローネも気が付くことはなかった。




