0209話
「手がかりらしい手がかりはなし、ですか。……アラン君の情報は随分と念入りに隠されているようだね。もっとも、あそこまでして欲しがっていたんだから、当然かもしれないが」
帝都にある家の一室で、イルゼンは憂鬱そうに溜息をつく。
この家は貸家で、帝都という都会にあるだけに家賃も相応に高い。
だが……雲海と黄金の薔薇という二つのクランが宿に泊まるとなると、当然のように目立つ。
本人たちも自覚していたり、していなかったりと様々だったが、雲海と黄金の薔薇というクランはガリンダミア帝国軍にとっては怨敵……とまではいかないが、それでも今までの戦いで何度も被害を与えてきた相手なのだ。
そうである以上、これだけの人数が纏まって宿屋に泊まるのはまずい。
そういう訳で、イルゼンが手を回してこの貸家を借りたのだ。
現在、帝都にいる雲海と黄金の薔薇の探索者たちは、全員がこの家を拠点にしている。
……正確には、家というよりは屋敷という表現の方が相応しい大きさだなのだが。
自分たちの存在を可能な限りガリンダミア帝国側に気が付かせないための措置ではあったが……この屋敷を用意したイルゼンとしては、今の状況で敵にまだ知られていないとは完全に安心は出来なかったし、仮に今はまだ見つかっていなくても、そう長い時間誤魔化せるとも思っていない。
元々イルゼンたちの目的は、アランを助けることだ。
そうである以上、最悪自分たちの存在が完全に露見し、ガリンダミア帝国軍がやって来るよりも前にアランを助けられればそれでいい。
「城に乗り込む……なんて手は使えないんだよな?」
ロッコーモが一応といった様子で尋ねる。
それこそ最初からその提案は断られると思っての言葉だったのだが……ロッコーモにとって予想外だったのは、イルゼンが自分の言葉を即座に否定しなかったことか。
それどころか、難しい表情を浮かべつつも何かを考えている様子すら見せていた。
本気か?
ロッコーモだけではなく、話を聞いていた多くの者がそのように思ってもおかしくはないだろう。
……何人かは、城に直接乗り込むという言葉に対して、乗り気ではあったが。
特にアランの母親たるリアは、奪われた我が子を取り戻すために必要なら、それこそ今すぐにでも城に向かいかねない様子だ。
夫のニコラスによって止められていたが。
他にも少数ではあるが、自分たちから城に行ってアランを取り返すといったことをしたいと思っている者は多い。
だが……結局ニコラスは首を横に振る。
「止めておきましょう。敵の意表を突くという点ではいいかもしれませんが、何の勝算もなくそのような真似をしても、間違いなく敵に包囲されて殲滅するだけです。ガリンダミア帝国と敵対する戦力を探して、協力態勢を整える方がいいでしょうね」
ガリンダミア帝国は、侵略によってその領土を広げてきた。
そうなれば、当然のように領土を奪われた者たちは強い不満を抱く。
大半の者たちは、それでも相手との戦力差が大きいために、逆らうことを諦めるが……中には、そんな状況であっても、決してガリンダミア帝国を許容出来ず、レジスタンスとして活動する者もいる。
イルゼンは当然そのような情報を入手していたが、問題なのは一体どうやってそのレジスタンスと接触するかということだった。
ガリンダミア帝国の首都たる帝都で活動している相手だけに、当然のようにレジスタンスは慎重に慎重を期すといったような行動をしている。
そうである以上、イルゼンたちが接触しようとしても簡単でないのは当然だった。
だが、それだけに上手く接触出来ればお互いに協力しあえるということで、イルゼンたちは何とかレジスタンスに接触するというのを、目標の一つとして考えている。
「イルゼンさん、アランはやっぱりカロとは離されてるんだよな?」
「そうですね。もしアラン君がカロと一緒にいるのなら、それこそすぐにでも城が破壊されていてもおかしくはないですし。そのようなことがない以上、カロはアラン君とは他の場所に保存されていると考えてもいいでしょう」
心核使いは戦争に参加すれば、一人で戦局に影響を与えることも珍しくはない。
だが、それはあくまでも心核があってこそだ。
心核使いも、心核がなければただの人にすぎない。
……いや、雲海や黄金の薔薇の心核使いは、元から探索者として有能な者が揃っているので、もし心核がなくても探索者として活動することは難しくはなかった。
だが……アランの場合は、その才能が心核使いに特化している。
生身での状態では、どんなに贔屓目に見ても平均的な能力といったところだ。
それだけに、カロと引き離されたアランでは一人で城を脱出するといった真似はまず不可能だった。
「それこそ、今の状況では下手に動かないでいてくれた方がいいわね」
しみじみとレオノーラが呟く。
もしアランが自力で現状をどうにかしようとして、それが失敗すれば……それは、間違いなくアランにとって悪い結果となる。
最悪でも、見張りの数は増えるだろう。
「アランも、自分の実力は知ってるだろうから、その辺は心配しなくてもいいと思う」
レオノーラの言葉に、ニコラスがそう応える。
父親だけに、息子の性格はよく知っているのだろう。
……出来ればそうして欲しいという希望も、そこには混じっていたが。
「そうなると……まずは城の中でアランがどんな風になっているのかを知る必要があるな」
「城で働いてる奴を買収するか?」
探索者の一人がそう告げるが、イルゼンは首を横に振る。
「城で働いている者は多いので、中にはあっさりと金に転ぶ者もいるでしょう。ですが……そのような者が有能であるかどうかは別ですよ。それに、下手に悪知恵が働く場合、僕たちの存在を売るという可能性もありますから」
その言葉には、誰も反論出来ない。
もちろん、中には心の底から協力してくれる者もいるだろう。
だが、そのよう者と自分たちを売る者。
どちらの方が多いのかと言われれば、普通は後者だろう。
「そうなると……城の中にいる者を信用出来ないとなると、この中の誰かが城の中に潜り込むとか?」
イルゼンの言葉を聞いた雲海の探索者たちの視線は、黄金の薔薇の探索者たちに向けられる。
元々が貴族の次男や三男といった者たちや、政略結婚をしたくない女たちといった者たちで結成されているのが、黄金の薔薇だ。
そのような者たちで構成されているだけに、貴族の間の礼儀作法にも当然のように詳しい。
これは平民出身が多数の雲海に比べて、黄金の薔薇が城に行くということに向いているのは明らかだった。
黄金の薔薇の探索者たちも、それは分かっているのだろう。
誰が城に行くかのが相応しいのかと、考え始める。
レオノーラは、本来なら自分が行きたいところだがすぐにそれを却下した。
ゼオンを使うアランと並ぶだけの心核使いのレオノーラは、それこそ何かあったときの最重要戦力なのだから。
……それ以外にも、レオノーラは黄金の薔薇を率いる者として知られているし、何より問題だったのはその美貌だ。
潜入する以上は、当然の話だが極力目立たないようにする必要があるのだが……レオノーラの場合、その美貌からどうしても目立ってしまう。
それこそ、城の中に女好きの貴族がいた場合、そんなレオノーラを手込めにしようとちょっかいを出し、そうなれば間違いなく問題になる。
レオノーラも、そのような真似をされて黙っていられるような性格をしてはいない。
また……何よりもそんなことになれば、黄金の薔薇の探索者たちがそれを許容しないだろう。
いや、それは黄金の薔薇に限った話ではない。
雲海の中にも、レオノーラの美貌に憧れを持っている者は多いのだから。
「ある程度自衛出来るだけの能力は必要でしょうけど……その点なら、ほぼ全員が問題ないわね」
レオノーラの言葉に、黄金の薔薇の探索者たちが自信に満ちた笑みを浮かべる。
これが普通の貴族であれば、自衛の力を持っているとはいえ、実際にそれが役に立つかどうかは微妙だろう。
自衛の力を持っていても、実戦慣れしていなければどうしても思い通りに身体を動かせなかったりといったようなことになるのは珍しくないのだから。
だが……黄金の薔薇に所属している者たちは違う。
その辺の冒険者や探索者、傭兵よりもよっぽど修羅場と呼ぶべき地獄を潜り抜けてきているのだ。
それこそ、城で何か危害を加えられそうになっても、基本的には問題なく対処出来るとレオノーラも自信を持って断言することが出来る。
とはいえ、城に潜り込めたからといって、すぐにアランのいる場所まで行けるとは限らない。
アランの重要性を考えれば、とてもではないがその辺の適当な場所に軟禁されているとは思えない。
……実際、アランは爵位の高い者が泊まる場所に軟禁されている。
そのような場所は、それこそ城に来たばかりの者にはそう簡単に行ける場所ではない。
「そうなると、あまり顔が知られていない人を派遣する必要があるわね。……誰がいいかしら」
レオノーラのその言葉に、黄金の薔薇の探索者たちはそれぞれが視線を交わす。
顔が売れていないという点では、それこそ誰がそうなのか自分たちでは分からない。
それこそ、心核使いとして名前が知られているジャスパーは当然のように名前は知られているだろうから無理だろう。
それ以外の誰かということになれば……それもまた、難しい。
少し考え……やがて、レオノーラは一人の人物に視線を向ける。
それなりに顔立ちの整っている女だが、決して誰もが目を惹く美人といった訳ではない。
貴族として代々美形を嫁に、婿に迎えてきたことから考えると、平均よりも少し上といった顔立ちか。
だが……当然ながら、黄金の薔薇に所属している以上、探索者として相応の腕を持つ。
そして、整いすぎてない顔立ちが、今回の件にはちょうどよかった
「ララメラ、お願い出来るかしら?」
レオノーラの言葉に、ララメラは笑みを浮かべて頷くのだった。




