0206話
「一ヶ月……それは……いや、だが、俺の身体はそんな風には……」
一ヶ月もの間眠っていたと言われたためか、アランの口調は乱れている。
自分のことを私ではなく俺と言っているし、それ以外でも丁寧な言葉遣いをするように心掛けていたにもかかわらず、乱暴な……普段通りの言葉遣いとなっていた。
そんなアランの様子に、二人の騎士の片方……特にアランに対して敵意を向けている騎士が何か言おうとするが、アランの正面に座っている子供はそれを手で制する。
その仕草は、とてもではないが子供がやるようなものではない。
一種の貫禄すら感じられる仕草だったが……自分の現状を教えられたアランは混乱し、そのことには全く気が付かなかった。
それでも何とか自分を落ち着かせるように深呼吸をし、改めてアランは自分の正面にいる子供に視線を向ける。
さらさらな緑の髪……それこそ、風が吹けばたなびくような緑の髪が肩まで伸びている子供。
そんな自分の目の雨にいる子供は、不思議な存在感があった。
それこそ、見ているだけでただものではないと思えるだけの存在感が。
普通なら、目の前にいるような子供が自分の前にいて、ここまで堂々と話すようなことは難しい。
だが、目の前の子供は実際にそのような真似を行っているのだ。
そんな子供の様子を見ると、アランも不思議と自分が一ヶ月もの間眠っていたということに対する混乱が落ち着いていく。
本当に不思議なことではあったのだが。
「それで、ここが帝都だったという話ですが?」
「うん、そうだね。ここは間違いなく帝都だ。アランがいたザッカランまでは……そう簡単に帰れないんじゃないかな?」
容易く告げられたその言葉に、アランは拳を握り締める。
実際に自分がここにこうしている以上、その言葉は正しいと思えたからだ。
……これでカロが手元にあるのなら、それこそゼオンを召喚してすぐにでもザッカランに戻ることが出来るのだが。
(とはいえ、恐らく雲海と……もしかしたら黄金の薔薇の面々が俺を助けるために帝都までやって来るかもしれない。だとすれば……)
何とかなるかもしれない。
そう考えたアランだったが、そんなアランの考えを読んだかのように、子供が口を開く。
「君の仲間が助けにくると思っているね?」
一瞬、その言葉にアランの動きが止まる。
まるで完全に自分の考えを読まれたように思えたからだ。
だが、すぐに内心の動揺を押し殺しながら口を開く。
「当然でしょう。私はこう見えても雲海の中では結構な重要人物ですし」
心核を入手する前は、雲海の中でも末っ子的な扱いで可愛がられているという自覚はあった。
だが、今はカロという心核を入手し、雲海の中でも最大級の戦力となったのだ。
そうである以上、自分という戦力を助けるために仲間たちが動くのはほぼ間違いないと、そう自分に言い聞かせる。
「へぇ、随分と仲間を信じてるんだね。……けど、聞いた話によると、君は随分と仲間に可愛がられていたみたいだったし、それも当然なのかな」
「随分と私のことに詳しいみたいですね」
「それはそうだよ。僕たちがどれだけ君を手に入れるために頑張ったと思ってるんだい?」
そう言いながら自分の目を見てくる子供の目を見て……何故か、本当に何の理由もなく、アランは背筋が冷たくなる。
相手は子供だ。
明らかに子供の知性ではないが、それでも直接戦った場合はどうあっても自分が勝てるはずだと、そう自分に言い聞かせて、目の前にいる人物に気圧されないようにする。
「私を手に入れるにしては、随分と大袈裟な真似をしましたね。ガリンダミア帝国が受けた被害ももの凄かったのでは?」
それは事実だ。
アランによって受けた被害そのものも大きかったが、同時にその行動のため行われた諸々の行動で受けた被害もまた大きい。
とてもではないが、心核使い一人を捕らえるために行ったとは思えない行動。
……とはいえ、アランの操縦するゼオンの攻撃力を考えれば、その程度の被害は大したものではない。
アランはそう理解しているし、アランの目の前に座っている子供も同様に理解しているのだろう。
子供は口元だけに笑みを浮かべた……アルカイックスマイルとでも呼ぶべき笑みを浮かべ、アランを見る。
アランが何を言ってるのか、全て分かっている。
そんな雰囲気を匂わせる様子だったが、アランもそれは気にしない。
自分のゼオンが目当てでここまでやったのだから、それくらいの被害は許容範囲内だと、そう思ってるのだろうと。
アランの様子を見ていた子供は、やがて面白そうな様子で口を開く。
「今回の一件における被害は、君を手に入れたことについて考えれば、そう大きなものじゃないよ。それこそ、許容範囲と言ってもいい」
そう子供が口にしたとき、アランの監視と子供の護衛を兼ねた男の一人……アランに対して敵意を抱いていた騎士が、何かを言いかけようとして、黙り込む。
この男にしてみれば、アランを捕らえるために受けた被害は、とてもではないが許容出来るものではないと思っていたからだ。
だが、この部屋において自分に発言権はないと知っているので、実際に口を開くことはなかった
……代わりに、アランに対してはさらに厳しいものになってしまったが。
「ザッカランに攻め込んだ一件で……いえ、それ以前からの件もあって、侵略そのものが停止している場所も多いと聞きますが?」
ガリンダミア帝国の国是とも言うべき侵略。
正確には国土を広げて属国にしていくのだが、それを一時的に止めてまで自分を捕らえる価値はあるのかと、そうアランは尋ねる。
ゼオンは強力無比な存在だが、それでもガリンダミア帝国軍全体を見回せば、同レベル……とまではアランは思わなかったが、それでも似たような強さを持つ心核使いがいてもおかしくはない。
「あははは。そうだね。普通ならそう考える。……実際、君と一緒に有名になった黄金のドラゴンとかは、そんな感じだろう? けど……それは、あくまでも僕たちでも理解出来る代物だ」
そう言い、子供一旦言葉を切ると、改めてアランの顔を見てくる。
その目に映るのは、深い……それこそ、吸い込まれそうな程の闇の色。
子供の目を見てしまえば、それこそ自分でも知らないうちにその闇に呑みこまれそうになるかのような、そんな視線。
(自分が深淵を見ているときは、自分もまた深淵に見られている……って、何かにあったよな?)
自分の状況を誤魔化そうとしながら、アランはそんなことを思う。
いくらかその効果はあったのか、アランの中にあった子供に対する畏怖は若干であるが消える。
そんなアランの様子を見てとったのか、子供の方は少しだけ意外そうな表情を浮かべながらも感心し、やがて興味深そうな視線をアランに向ける。
とはいえ、そのような視線を向けられたアランは、どう反応すればいいのか分からなかったが。
目の前にいる子供が、ただの子供でないというのは、それこそ今までのやり取りを見れば明らかだ。
そもそも、部屋に中に入るときにメローネがくれぐれも失礼がないようにと、そう言っていたのを思い出す。
目の前の子供がただの子供だった場合、そこまでの権力は普通なら素材しない。
もちろん、有力者……この場合はこの帝都にいる最大の有力者たる皇帝の一族という可能性もあったし、それが一番高い可能性のようにも思えたが、目の前の子供がそのような人物であるとは、どうしてもアランには思えなかったのだ。
何らかの理由がある訳ではない。
だが、目の前にいる子供は、子供として認識してもいい相手ではないのは明らかだ。
「そう言えば……本当にいまさらの話ですけど、名前を聞かせて貰ってもいいですか? 私の名前はもう知ってるので自己紹介はいらないでしょうけど、そちらの名前は知らないので」
そんなアランの言葉に、子供は少しだけ意外そうな表情を浮かべ……笑みを浮かべる。
その笑みは、それこそ外見だけなら普通の子供の笑みとしか思えないような、そんな笑み。
だが、実際にその子供の本性と思しきものを感じているアランにしてみれば、とてもではないが外見通りの存在と認識することは出来ない。
「僕の名前はビッシュ。ビッシュ・レム・ガリンダミアだよ。よろしくね。君には、是非気軽にビッシュと呼んで欲しいな」
笑みを浮かべてそう告げるビッシュ。
顔立ちは整っており、子供だからか男女の判断はつきにくい。
笑っている様子も、一見すれば非常に子供らしい笑み……呼ぶことも出来るのだろうが、ビッシュの雨に座っているアランにしてみれば、とてもではないがそのような相手とは思えなかった。
「ビッシュ様、でいいんですか?」
「いやいや、そんなに堅苦しくなくてもいいよ。アランとはこれから同じ勢力として行動するんだから、ビッシュと呼んでくれ」
すでにアランがガリンダミア帝国に所属することを前提として話すビッシュだったが、アランはそんなビッシュに対して首を横に振る。
「いえ、残念ですが私はガリンダミア帝国に所属する気はありません。なので、ビッシュ様と呼ばせて貰いますね」
「……へぇ、僕の誘いを断るの?」
数秒前の友好的な雰囲気が、一瞬にして消えたビッシュがそう尋ねる。
感情の起伏が薄いその言葉遣いは、見るからに危険だとそう理解出来る雰囲気があった。
アランも一瞬そんなビッシュに気圧される。
気圧されるが……それでも、ここで退く訳にいかないのは間違いなかった。
自分はあくまでも雲海の一員で、ガリンダミア帝国に所属するつもりは一切ないのだから。
あるいは、ここまでお互いの関係が悪化するよりも前に、アランだけではなく雲海そのものを雇うといったような形であれば、あるいは……万が一、億が一といった程度の可能性だが、ガリンダミア帝国軍に仕官していた可能性もない訳ではない。
だが、ここまで関係が悪化しては、その可能性はほぼ無理だろう。
だからこそ、アランはビッシュの言葉に黙り込みたくなるのを我慢しつつ……頷くのだった。




