0204話
話が一段落すると、メローネはすぐに水の入った樽と布を用意する。
何をするのかと、少しだけ疑問を抱いたアランだったが、考えてみればこれから立場のある人物と会う以上、今のような汗だくの状態では色々と不味いだろうとすぐに思い直す。
現在は囚われの身だと理解しているアランだったが、それでも地位のある相手と会うのだから、身嗜みを整える必要があった
いくら相手が自分を捕らえている相手だとはいえ、それで礼儀も何もない対応をしようものなら、後日それを母親のリアに知られれば一体どうなるか。
とてもではないが、それを考えたいとは思わなかった。
「お手伝いしましょうか?」
アランは最初、メローネが冗談で言ってるのか、それとも色仕掛けでもするつもりなのかと迷う。
だが、メローネの表情を見る限りでは、とてもではないが冗談を言ってるようには見えないし、自分を誘っているようにも思えない。
だとすれば、これは真面目に言ってるのだろうと判断し……首を横に振る。
「いえ、このくらいは一人で出来まるので」
「あら、そうですか? ですが、背中の方とかは一人で拭くのは難しいのでは?」
そう言われる。
実際に背中を自分だけで拭くのはそれなりに手間なのは事実なのだが、だからといってメローネに任せるという考えはアランにはなかった。
メローネと接したのは短い時間だったが、優しい性格をしているのは容易に予想出来る。
だが……それでも、結局のところメローネはガリンダミア帝国側の人間なのだ。
そうである以上、迂闊に身体に触られるといった真似をした場合、何をされるか分からないためだ。
……もっとも、それが杞憂だというのはアランも分かっている。
何しろ、自分が眠っていた間の世話はメローネが行っていたのだから。
もし本当にメローネがアランに何か危害を加える気があるのなら、それこそアランが眠っている間にやれるべきことは色々とあっただろう。
にもかかわらず、今のアランは無事だ。
それがメローネがアランに対して害意を持っていないということの証明になっていた。
……とはいえ、今までが安全だったからこれからも安全なのかと言われれば、必ずしもそうとは限らないのだが。
ともあれ、メローネからの提案を断ったアランは服を脱ぎ、自分の身体を拭いていく。
……メイドだからか、アランが下着だけになってもメローネは薄らと頬を赤くするだけで、視線をアランから逸らすようなことはない。
そんなメローネからの視線を若干気にしながらも、アランは身体を拭き続ける。
そうして時間が経過し……やがて身体を拭き終わったアランが元の服に着替えようとしたところで、メローネが口を開く。
「お待ち下さい。アラン様。着替える服はこちらで用意してあります」
「……そうなんですか? まぁ、この服で偉い人に会うってのは、ちょっとどうかと思いますけど」
先程までアランが着ていた服は、眠っていた時に着ていた服だ。
アランがザッカランで捕らえられたときに着ていた服ではなく、ベッドの上で寝ているとき、身体の負担にならないようにされた服。
言ってみれば、寝間着やパジャマと呼ばれるようなものに近い。
……若干、誰が自分を着替えさせたのかを疑問に思ったアランだったが、そんなことはすぐに忘れる。
アランにしてみれば、別に誰が自分を着替えさせても、そこまで気にすることではないと、そう思ったのだ。
これでアランが女なら、その辺を大いに気にしていた可能性もあったが。
そうして着替え終わると、メローネが布や水、着替える前にアランの着ていた服を持って部屋を出ていく。
もうしばらくお待ち下さいと、それだけを言って。
「この服……間違いなく高級品だよな」
アランはそこまで服に詳しい訳ではない。
だが、現在自分が着ている服の生地は滑らかな手触りで、それこそずっと触っていたいと、そう思ってしまってもおかしくはない代物だ。
この部屋のベッド……正確にはシーツや布団の類もそうだったが、明らかに高級品だった。
それも一般人が少し贅沢をすれば買えるといったような意味での高級品ではなく、本当の金持ちが馬鹿げた――アランの認識でだが――金額で購入するような、そのような意味での高級品。
だからこそ、アランは疑問に思う。
(ザッカランの近くに、そこまで金持ちだったり、爵位の高い貴族がいたか?)
アランもガリンダミア帝国とことを構える覚悟をした以上、その地理も大体ではあるが理解している。
とはいえ、この世界において地図は戦略物資とでも呼ぶべきものだ。
日本のように書店で購入するといたような真似は出来ない。
いや、正確には買えることは買えるが、その地図はガリンダミア帝国にとって都合の悪いことは省略されている、非常に簡素な地図なのだ。
当然のように、そんな地図ではアランの知りたいような情報は書かれておらず……だが、そんな中でもイルゼンはザッカランにる者たちから情報を聞き、ある程度正確で、ある程度詳細な地図を作っていた。
それを見たことのあるアランだったが、そんなアランではあってもザッカランの近くにそこまで金持ちの商人や爵位の高い貴族の領地があるとは思えなかった。
(そうなると、ここは実はガリンダミア帝国じゃない……いや、それはないか。だとすれば、俺はかなり長期間眠っていたとか? 身体の動きの鈍さを考えると、可能性としては考えられない訳じゃないか)
だが、そうなればそうなったで、現在の自分の状況が予想していたよりも酷いものになっているということを示している。
それはアランにとっては最悪という言葉でしか言い表しようがないだろう。
(ともあれ、今は俺に会いに来るって奴がどういう奴かを確認する必要があるだろうな)
そう考えたところで、扉がノックされる音で我に返る。
誰だ? と、一瞬そう考えるが、メローネから誰かが自分に会いに来るという話を聞いていた以上、すぐにその相手なのだろうと判断したのだが……
「失礼します、アラン様」
そう言って扉を開いたのは、アランが予想していた顔も知らないお偉いさんではなく、メローネの姿だった。
「メローネさん? もしかして、俺に会いに来るのって……」
「あら? ふふふ。違いますよ。私が来たのは、会見場所までアラン様をお連れするためです」
もしかして、メローネが自分と会おうとしていた人物なのでは? と若干の疑問を抱いたアランだったが、それを察したメローネの口からすぐに否定の言葉が漏れる。
メローネにしてみれば、アランがまさかそのように思うとは予想外だったのだろう。
……とはいえ、メローネの身のこなしは非常に優雅で訓練されたものであり、それを見たアランがもしかしたら……と、そう思っても不思議はないのだが。
「そうですか。……じゃあ、いつまでもこうしてる訳にもいきませんし、その場所に案内してもらえますか?」
考えてみれば、ここはかなり広いが、あくまでも寝室になるのだ。
そんな場所でお偉いさんに会うのは、色々と不味い。
(それに……俺はあくまでも年上の男だと思ってたけど、場合によっては貴族の女と会うという可能性もあるしな。それを考えれば、寝室で会うというのはまずないか)
自分に会うのは地位のある男だとばかり思っていたので、アランはそんな風に思い直す。
それに何より、これは絶好の機会であるのは間違いない。
この屋敷から脱出するにしろ、もしくは雲海や黄金の薔薇の探索者たちの助けが来るのを待つにしろ、この屋敷がどのような構造であるのかを知っておくのは悪い話ではない。
また、カロがどこに隠されているのかというのも探る必要があった。
そういう意味では、非常に快適な部屋であるとはいえ、この部屋から出ることが出来る機会を見逃す訳にはいかない。
「分かりました。こちらの準備は出来ているので、行きましょう」
「はい。では、ご案内しますね」
そう告げ、メローネはアランに部屋から出るように態度で示す。
それに従って部屋から出たアランは……
(当然、いるよな)
そこに男が二人……それも明らかに生身の自分では勝てないだろうと思われる実力の持ち主がいるのを見て、納得する。
あそこまでして自分を捕らえたのだ。
そうである以上、万が一にも逃がさないようにと見張り用意するのは当然の話だった。
それも、アランよりも強い相手を配備するのも、当然のことだ。
「ふん」
そんな男の片方が、アランを見て鼻を鳴らす。
その目に宿っているのは、蔑み。
男にとって、アランはどうあっても自分には及ばないような技量でしかなく……また、そのよう相手をこうして特別な待遇で迎えることは、面白くなかった。
もう片方の男も、表情には出さないが相方の男の意見には賛成なのか、咎めるような真似をしない。
当然、そのような態度をされればアランも面白くはないのだが、今の状況で自分が暴れてもカロがいないのでは勝ち目はない。
どう頑張っても平均的な能力しかないアランに対し、男たちは明らかに一流の強さを持つ相手なのだから。
……なお、アラン本人は全く気が付いていなかったが、アランが今までいた部屋はこの城の中でも高い身分の者が泊まるときに使う寝室で、ふつうならとてもではないが一介の探索者が泊まれるような部屋ではない。
そのような部屋にアランを泊めたことが、二人の騎士にとっては面白くなかったのだろう。
これで、もっと下の者が泊まる部屋であれば、騎士たちの態度ももう少し変わったのだろうが。
ちなみに、本来ならそのような部屋に外からかかる鍵など存在しない。
つまりアランが部屋から出たとき見た鍵は、アランがあの部屋に運び込まれたあとで追加された鍵なのだろう。
(にしても……)
メローネに先導され、左右を騎士に挟まれるようにして移動しながらも、アランは自分の歩いている通路の様子を確認し……疑問を抱く。
当初は、ここがガリンダミア帝国の帝都に向かう途中にある貴族が大商人の屋敷ではないかと、そう思っていたのだが……こうして見る限りでは、とてもではないがそのような屋敷には見えない。
……いや、これはむしろ……
(城、か?)
そう内心で呟くのだった。




