0201話
「ん……」
不意に目が覚めたアランは、現在自分がどこにいるのかが全く分からなかった。
寝起きそのものは、探索者としてそんなに悪くないはずなのだが、今はまともに頭が働かない。
寝ていたベッドの上で起き上がるのにも、数分もかかったのだから、どれだけ寝惚けているのかが分かりやすいだろう。
そんな寝惚けた様子ではあったが、それでも染みこん探索者としての習性か、現在自分がどこにいるのかを理解しようと、周囲の様子を見る。
「……どこだ……」
まだ上手く働かない頭であっても、現在自分のいる場所が普通の宿といった場所でないのは明らかだ。
何しろ、アランが眠っていたベッドは、それこそ一人どころか三人で寝ても十分に眠ることが出来るようなベッドだったのだから。
その上、シーツや布団も一流の品だというのが手触りで分かる。
以前雲海として侯爵家のパーティに招待されたことがあったが、そのときに泊まった部屋の寝具よりも数段上なのは間違いない。
そのような状況に疑問を抱きつつも、考え続け……そのまま数分が経過し、やがて急速にアランの頭は働き始める。
「っ!? そうだ、俺は……」
気絶する前のことを思い出し、慌てて周囲を見回す。
だが、その働き始めた頭でも、やはり現在自分がどこにいるのかというのは全く分からなかった。
分かるのは、自分が今まで入ったこともないような豪華な部屋の中にいるというだけだ。
「あの連中……」
ザッカランからの脱出の最中、アランは兵士たちによって暴れられては邪魔だからということで気絶させられた。
とはいえ、気絶というのは基本的にそこまで長い時間するようなものではないし、実際にアランが今までした気絶――主にリアとの訓練で殴られての気絶だが――したときも、基本的にはどんなに長くても数時間程度だった。
……だが、自分の今の状況を考えると、恐らくかなり長時間気絶していたのではないかと、そう思える。
そう思った最大の理由は、やはり現在自分がいる場所だろう。
普通に考えて、ザッカランから自分を連れ去った者たちがこのような豪華な寝室に自分を運ぶとは思えない。
このような部屋があるということは、間違いなくここは何らかの地位のある者の家……いや、屋敷なのだろうというのを予想するのは難しくはなかった。
(そうなると、俺はただ気絶させられただけじゃなくて、何らかの手段で長時間意識を失っていたのか? 普通に考えれば、麻酔薬とか睡眠薬とか、そんな感じの奴なんだろうけど)
そう考えながら、問題なのは自分が一体どれだけの長い間意識がなかったのかということだ。
少なくても、自分をザッカランから連れ出したということは、そう簡単に休める場所はないはずだ。
これは自惚れでも何でもなく、雲海は仲間を見捨てるなどといったような真似は絶対にしないとアランは理解しているし、その理由の一つにはゼオンという強力な人型機動兵器を使えるという点もある。
また、アランの自惚れでなければ、自分の前世を知っていて強い興味を抱いており、好意的な感情を抱いているだろうレオノーラもまた、自分の救出に協力してくれる可能性が高かった。
(もっとも、レオノーラの場合は難しいかもしれないけど)
レオノーラ個人の感情はともかく、レオノーラは黄金の薔薇というクランを率いる身だ。
本人も責任感が強く、自分が皆を率いているという気概がある。
それだけに、自分の感情と黄金の薔薇の存続を考えて、後者を重要視するといった可能性は十分にあった。
実際、以前ラリアントで防衛戦を行ったときは、本人としてはアランたちに協力したかったのだが、黄金の薔薇の面々に迷惑がかかるかもしれないと判断して、一度はラリアントから去った。
最終的には仲間からの後押しもあってラリアント防衛戦に参加したのだが。
そのときと比べても、今回は明らかに相手が悪い。
「ここって、間違いなく爵位の高い貴族の屋敷……いや、もしかしたら王族の……」
そう呟いていたアランだったが、その思惑を遮るように不意に扉が開く。
「っ!?」
一瞬、その音にどう反応すればいいのか、アランは迷う。
とはいえ、今のアランに出来ることはそう多くはない。
最大の武器にして相棒たるカロはどこにいるのか分からないし、捕らえられている身である以上、アランの手元に武器があるはずもない。
そして生身での戦いとい点においては、甘く判断して平均的といった程度の実力しかもたない以上、現在の自分がすぐに行動に移れるはずはなかった。
……とはいえ、そんなアランの心配はすぐに消える。
何故なら、開いた扉から入ってきたのは一人のメイドだったからだ。
ちなみにアランが前世で知っている――TVでしか見たことはないメイド喫茶だが――メイドとは違い、本当の意味でのメイドだ。
年齢は二十代半か。
優しそうな年上のお姉さんといった印象を与え……そして当然というように、その顔は整っていた。
「お目覚めでしたか。失礼しました。すぐに着替えを持って参ります」
そう言い、頭を下げてメイドは部屋を出ようとし……
「ちょっと待った!」
そんなメイドの背中に、アランは急いで声をかける。
現在の服装は寝るときに負担にならないようにするための動きやすい服装だったが、今は着替えるよりも急いでやるべきことがあった
「はい? 何でしょう?」
部屋を出ようとしたメイドだったが、アランのそんな声に動きを止める。
そうしてアランを見てくるその視線には、警戒の色はない。
それこそ、アランを捕虜ではなく客人として接しているかのような、そんな態度。
(え? 何でだ?)
半ば反射的に呼び止めたアランだったが、それでも今の状況でまさか素直に自分の言葉に従ってくれるとは、思ってもいなかった。
そんな驚きと共に、少し考えながら口を開く。
「えっと……ここってどこですか?」
根本的な疑問。
一瞬、自分は誰ですかと……ここはどこ、私は誰? といったようなことを聞こうかとも思ったアランだったが、さすがに今の状況でメイドにそんな真似をしても嫌がらせにしかならないだろうと、そう判断する。
ともあれ、何をするにもここがどこなのかを確認する必要があるので、ここがどこなのかと、そう聞いたのだが……
「申し訳ありませんが、主からそれを答えることは禁止されております」
そう、申し訳なさそうな顔で頭を下げてくる。
これが、居丈高にそのようなことを言われたのであれば、アランもそれに反発して色々と不満を抱くことが出来るだろう。
だが、優しそうな美女に申し訳なさそうに頭を下げられると、アランとしても反発心を抱きにくい。
あるいは、自分をここに連れて来た者はそれを狙ってこの人を寄越したのでは?
そんな風にすら思ってしまう。
「そう、ですか。……まぁ、ここがどこなのか具体的な場所までは分かりませんけど、ガリンダミア帝国なのは間違いないんでしょうね」
そう告げるアランだったが、メイドの女はそんなアランの言葉に申し訳なさそうな表情を浮かべるだけだ。
(なるほど。少しでもこっちに情報を与えないようにと、徹底している訳か。その上で、俺と接触するのは、強引な真似をすれば俺が罪悪感を抱いてもおかしくはないような相手。……それでも、ここがどこなのかくらいは、教えてもいいと思うんだけど)
女の様子を見ながら、アランはこれからどうしたものかと悩む。
アランが口にしたように、現在自分のいる場所がガリンダミア帝国であるというのは、間違いないと思われた。
そもそも、自分を連れ去った者たちがガリンダミア帝国軍の者だったのだから、それも当然だろう。
……あるいは、自分を連れ去った者たちがガリンダミア帝国ではなく別の国に自分の身柄を売り払ったという可能性も、ない訳ではなかったが……捕まっているときに聞いた話から考えると、バストーレというガリンダミア帝国軍の将軍に心酔している様子だった。
そのような状況で自分を別の場所に売り払うといったような真似は、まずないだろう。
「それで、俺はこれからどうなるんです?」
ここがどこなのかは分からない以上、自分はこれからどうなるのか。
せめて、それだけは聞こうと思って尋ねたアランだったが、それに返ってきたのは困った表情のメイド。
この質問にも、答えないように言われているのだろうというのは、容易に予想出来た。
(つまり、このメイドからは何の情報も得られないのか。……いやまぁ、手段を選ばないなら何とか出来そうだけど)
アランはそこまで強くないとはいえ、探索者として平均的な能力を持っているのは、間違いのない事実だ。
そんなアランにしてみれば、それこそメイドの一人や二人は素手でもどうにでもなる。
これが兵士や騎士、冒険者、傭兵、探索者といったように、戦闘力を持っている者たちが相手なら、そう簡単に倒すような真似も出来なかったかもしれないが。
(とはいえ……そんな真似をするのもちょっとな)
申し訳なさそうに自分を見てくる、優しそうな年上の女。
そんな女に対し、乱暴な真似が出来るはずもない。
恐らくはアランがそう判断するということを理解した上で、この建物の主はこのようなメイドを自分につけたのだろうと、そう思える。
それが分かっていても、アランとしてはどうしようもないのが事実なのだが。
これで、メイドがもっと性格の悪そうな相手であれば、アランも行動を躊躇いつつも実行に移したかもしれない。
だが、現在アランの視線の先にいるような相手に対しては、どう対処すればいいのかアランは分からなかった。
「えーと、それで俺はこれからどうなるんです? 一応、誘拐されてきた身としては、その辺のことを知りたいんですが」
「申し訳ありません」
再び頭を下げるメイド。
そんなメイドの様子に、アランは何と言えばいいのか迷い……やがて、これ以上聞いても何の情報も得られないだろうと判断し、話題を変える。
「その、喉が渇いたので、水か何か貰えませんか?」
その言葉はメイドにとっても問題がなかったようで、笑みを浮かべてすぐに用意しますと告げるのだった。




