0200話
ガリンダミア帝国軍の撤退。
最初にそれを見たザッカランの兵士たは、一瞬それを欺瞞か何かではないかと思った。
ザッカランの城壁が頑丈で、しかも空には黄金のドラゴンがいるのだ。
それを考えれば、このまままともに戦うよりも、一度撤退したと見せて自分たちを油断させようとしているのだろうと。
そのように思ったのは、一人の兵士だけではなく、他にも大勢がその様子から同様の疑問を抱く。
だが……実際にガリンダミア帝国軍は、見せかけではなく本気で撤退していったと理解したのは、数時間後。
ザッカランから見えない場所までガリンダミア帝国軍が移動したのだ。
あるいは、見えない場所で疲れを癒やし、時間を潰して黄金のドラゴンがいなくなったらまたやってくるのではと警戒もしたが、黄金のドラゴンの姿が降雨中から消えても、ガリンダミア帝国軍が戻ってくることはない。
本当に撤退したのかどうかは、もう少し様子を見る必要があるが、それでも兵士たちの中に安堵の気持ちが広がったのは間違いのない事実だ。
だが……そうして安堵しているのは、事情を知らない兵士たちだけだ。
何故ガリンダミア帝国軍が撤退したのかを知っている者……特に当事者たる雲海や黄金の薔薇の面々は、その理由を理解しているがゆえに、現在の状況を最悪だと理解出来ていた。
「イルゼンさん、どうするんだよ! このままアランを見捨てるのか!?」
雲海の面々……だけではなく、黄金の薔薇の者たちも集まっている領主の館にある会議室の一室。
その会議室の中には、探索者の面々だけではなくボーレスの姿もある。
ザッカランを占領したドットリオン王国軍のトップで、現在は実質ザッカランを治めている立場にいる者だ。
そのような人物やその側近――あるいは取り巻き――がここにいるのは、アランが誘拐されたというのがそれだけ大きいからだろう。
何よりもボーレスが危惧しているのは、アランがガリンダミア帝国軍の戦力として出て来ないかということだ。
普通に考えれば、それはとてもではないがありえない。
だが、世の中には相手の意思を奪ったり洗脳したりといったような方法は多数存在する。
そのような能力を使って、アランが敵の戦力として出て来た場合……ゼオンがどれだけの力を持っているのかを理解しているからこそ、それを危惧するのは当然だった。
ボーレスにとっては、レオノーラが変身する黄金のドラゴンにも恐怖や畏怖を覚えるが、アランの操縦するゼオンはそれ以上の恐怖を抱くべき存在だった。
黄金のドラゴンであれば、まだかろうじてその存在は理解出来る。
だが、ゼオンは……あまりにも異質なのだ。
無理矢理分類するのであれば、ゴーレムということになるのだろうが……そもそも、ゴーレムは肩や腕の上に乗ったりすることはあっても、その内部に乗るようなこととはない。
ましてや、ゼオンのように光の一撃……いわゆるビームを撃ったりもしない。
ザッカランを占領したときにも見た、その圧倒的な性能。
それを行ったゼオンが敵として現れる可能性を考えると、現在ザッカランを治めているボーレスとしても、この話し合いに参加しないという選択肢は存在しなかった。
「まさか、そんな訳がないでしょう? アランは僕たちの家族です。それを見捨てるなどという真似をするつもりは、一切ありません」
探索者の言葉にイルゼンがそう答え、それを聞いていた多くの者たちは安堵する。
……だが、中にはイルゼンの言葉の意味を理解し、厳しい表情を浮かべる者もいた。
それはつまり、雲海が……そして恐らく黄金の薔薇の面々もザッカランから出て行くということを意味していたためだ。
アランを見捨てない。つまり、助けに行く。どこに? それは当然のように、ガリンダミア帝国の領土内だった。
いや、領土内というだけではなく、そこは恐らくガリンダミア帝国の首都たる帝都だろう。
もちろん、可能なら帝都に到着するよりも前にアランを助け出すことが出来れば最善だったのだが、アランを連れ去った者も当然のようにその辺りのことは分かっている。
だからこそ、敵に追いつかれないように……可能な限り素早くアランを帝都に運び、防御が万全な場所で戦いを行うというのが、向こうにとっては最善なのだ。
それを追うとなると、雲海や黄金の薔薇の面々も全力を出す必要がある。
そして全力を出すためには、当然のようにクラン全員の力が必要となり……つまり、ザッカランの防衛戦には強力出来なくなるということを意味していた。
現在はガリンダミア帝国軍の姿はない。
撤退もザッカランにいる者たちを誘き寄せるための罠ではなく、本当に撤退しているということが確認されている。
だが……撤退したあとで、再び態勢を整えてまた攻めてくるという可能性は十分にあるのだ。
イルゼンの言葉に厳しい表情を浮かべている者は、その辺りの事情をしっかりと理解している者たちなのだろう。
「では、私たちはすぐにでも出発の用意をしますので、この辺りで失礼します。……ドットリオン王国からの援軍が出来るだけ早く来ることを祈っています」
『なっ!?』
イルゼンが言った先程の言葉の意味をようやく理解した者たちの口から、驚きの声が上がる。
アランを捜すことを諦めないと言っていたことが、言葉通りの意味だったと理解したのだ。
だが、自分たちもそんなイルゼンの言葉に問題ないと頷いていた以上、ここで不満を口には出来ない。
もしここでそれを口に出来るとすれば、現在ザッカランにいるドットリオン王国軍のトップにして、実質的にザッカランを治めているボーレスだろう。
にもかかわらず、そのボーレスは何を言うようなこともない。
まるでイルゼンの行動を認めているかのような態度だ。
……いや、この場合はまるでではなく、実際にイルゼンの行動を認めているのだろうが。
そもそも、ボーレスと雲海、黄金の薔薇は雇用契約の類を結んでいる訳ではなく、あくまでも雲海や黄金の薔薇の思惑……ガリンダミア帝国軍がアランに手を出してくるという行為に対して、自分たちに手を出したら大きな被害を受けるというのを、思い知らせるため一緒に行動していたのだ。
……ザッカランに存在する遺跡が目当てというのも、あったのだが。
ともあれ、ガリンダミア帝国軍が目指す最大の目的たるアラン奪われてしまった以上、それを奪還しないという選択肢は存在しない。
もし何らかの手段で雲海や黄金の薔薇の行動を束縛しようとすれば、その場合は二つの有力なクランの牙の向けられる先が自分たちになってしまう。
ボーレスは、そう確信してもいたのだろうし……実際、それは間違いという訳でもない。
……もっとも、ボーレスは雲海や黄金の薔薇に感謝こそすれ、無理矢理に行動を拘束するようなつもりは最初からなかったのだが。
あるいは、現在進行形でザッカランが攻められている最中なら、もしかしたらボーレスも無理を承知でもう少し残ってくれるように頼んだかもしれないが、幸いにして今はガリンダミア帝国軍の姿も消えている。
「では、失礼します」
「そちらも無事を祈る」
頭を下げて部屋を出ていくイルゼンに、ボーレスは短くそれだけを告げる。
そして雲海と黄金の薔薇の面々がいなくなると、会議室の中には色々な者たちの様々な声が響くのだった。
「さて、ではこれから忙しくなりますね。……一応念のために聞いておきますが、黄金の薔薇は今回僕たちと一緒に行動をするという認識でいいのでしょうか?」
「当然そうさせてもらうわ」
廊下を進みながら尋ねるイルゼンに、レオノーラは即座にそう言葉を返す。
その後ろに続く黄金の薔薇の探索者たちの中には、そんなレオノーラの言葉が面白くないと思っているような者もいた。
だが、黄金の薔薇を率いるのがレオノーラであり、自分たちが忠誠を誓っているのがレオノーラである限り、その言葉に否はない。
間違いなく、今の状況ではレオノーラがアランを助けに行くと、そう言うのは分かりきっていたのだから。
黄金の薔薇の面々にしてみれば、レオノーラとアランの仲が近すぎるというのが面白くないと思う者もいる。
だが、それとは反対にアランという人物のおかげで、レオノーラが力を抜くことを覚えたことを喜んでいる者もいた。
レオノーラがアランと話しているとき、少女らしい笑いを浮かべているのを見た者も多い。
それを嬉しく思う者もいれば、アランに対して嫉妬する者もいる。
色々と理由はあれど、今の状況は決して楽という訳ではないのは分かっている。
だが、それでも……たとえアランに嫉妬している者がいても、だからといってレオノーラが悲しんでいる顔を見たいと思う者はいない。
「なら、まずは準備をする必要があるね。僕たちの方は今回の会議の前からもう準備をしていたけど……黄金の薔薇の方はどうかな?」
「問題ないわ。私たちの方でも、もう準備はさせてるから、すぐにでも出発出来るはずよ」
イルゼンの言葉に、レオノーラは自信に満ちた笑みを浮かべる。
……それでも、レオノーラの浮かべている笑みのいくらかには強がっているのがレオノーラと親しい者には理解出来てしまう。
レオノーラ本人もそれは実感している。
だが、それでも今の状況でそのようなことを口にしても意味はない。
だあらこそ、今は自分のやるべきこと……アランを取り返すというのを最優先に考える必要があった。
「アラン君が心核を取り戻すことが出来れば、僕たちの心配もいらないんだけどね」
「そうね。でも今この状況になってもまだアランが戻ってこないということは……間違いなく心核とアランは離されているはず。それをどうにかしないと」
アランを助けるのは当然だが、そのアランの心核たるカロを取り戻すことも優先する必要がある。
アランにとって、カロはすでに単なる心核ではなく、仲間という認識なのだから。
「助けるわ。必ず。……そしてガリンダミア帝国には、アランを連れ去ったことを後悔して貰う必要があるでしょうね」
凄惨な笑みを浮かべて呟くレオノーラは、それでもなお美しかった。




