0194話
隠れていた屋敷から無事外に出ることに成功したソランタたち。
だが……屋敷から出た瞬間、そこに待っていた者たちを見て、動きを固める。
「そう、この屋敷の中にアランがいるのね」
「ええ。様々な場所から得られた情報と、何よりイルゼン殿からの情報もあるので、間違いはないでしょう」
そんな会話をしながら、数人がちょうど屋敷の中に入ろうとしていたところだったからだ。
その中の一人に、ソランタを含めた兵士たちは見覚えがあった。
それは、アランを連れ去るときに遭遇した美女。
それもただの美女ではなく、それこそ一生に一度見ることが出来るかどうかといったような、そんな美女。
とはいえ、それを見ているソランタたちにはその美人たるレオノーラに目を奪われるように見惚れる訳ではなく、苦々しげな色の方が強い。
特にアランを捕縛したとき、レオノーラの鞭によって怪我をした者たちは頬が自然の引き攣ってすらいる。
レオノーラの強さ、そして厄介さは、それこそソランタたち全員が理解していたのだ。
それを考えれば、いくら歴史上稀に見る美女だからとはいえ、嫌そうな表情になるなという方が無理だった。
……それでいながら、やはりレオノーラの美貌に目を奪われるという一面があるのは、男の性か。
ともあれ、ソランタたちが屋敷から出ることに成功してすぐにレオノーラたちが現れたのは、ソランタたちにとって幸運といってもよかった。
もう少し屋敷を出るのが遅かった場合、もしかしたらレオノーラたちの前でソランタたちが屋敷の扉を開け、その結果として怪しまれるという可能性は十分にあったのだから。
自分たちが扉を開いた訳でもないのに、何故か勝手に扉が開く。
ましてや、ソランタのスキルによって見えず、気配も察知されないようになってはいるが、その場に存在しているのは間違いない。
それはアランを連れ去ったとき、ソランタのスキルが使われていたのに、レオノーラの鞭によって怪我をした者がいたことが証明している。
そんなレオノーラたちが屋敷の扉の方に向かって近付くのを見たソランタたちは、相手に気が付かれないように脇道に身体を寄せる。
レオノーラたちは、そんなソランタたちに全く気が付いた様子もなく扉の前までやってきて……だが、不意にレオノーラが足を止める。
「……ん?」
びくり、と。
小さく呟いたレオノーラの声に、ソランタたちは自分でも気が付かないうちに汗が流れているのに気が付く。
今の状況で一体何が起きたのか。
それは分からなかったが、それでもレオノーラが何らかの異変を感じたのは間違いない。
しかし、それはソランタたちにとって全く理解の範囲外と言ってもいい。
ソランタのスキルが極めて優秀なのは、それを使っている自分たちが一番理解していたのだから。
だからこそ、一体何故いきなりレオノーラが足を止めたのかが分からない。
絶対に見つかるはずがないのに、何か違和感に気が付かれた。
ドクン、と。
ソランタを含めた多くの者が、自分の心臓の音すらそこまで高い音を立てるなと、そう思う。
そんな中で、唯一何とかレオノーラに気が付いて欲しかったのはアランだったが、そのアランも現在は身動き出来ないように押さえつけられ、声も出せない状況にされている。
「じゃあ、中に……レオノーラ様?」
中に入りましょう。
そう言おうとした探索者だったが、レオノーラが何故か屋敷の中に入らず、不審そうに周囲の様子を眺めているのを見て疑問に思う。
だが、探索者は自分たちを率いる人物たるレオノーラのことを完全に信頼している。
普段ならともかく、今このようなときに何の意味もないような真似をする人物ではないと。
だからこそ、レオノーラの行動に疑問を持ちながらもそれ以上疑問を口に出すようなことはしない。
レオノーラが何かをしているのなら、それを邪魔するような真似をしようとは思わなかった。
ただ、レオノーラが何をしようとしているのかを黙って見守り、もし何か不足の事態が起きたらすぐ対処出来るようにする。
レオノーラはそんな仲間の様子を気にすることはなく、黙って周囲の様子を眺める。
その視線は様々な場所に向けられており、当然のことながらソランタたちのいる場所に向けられることもある。
ソランタの周囲にいる者たちは、ただひたすらに自分の心臓の音が聞こえないようにと、息を殺す。
ソランタのスキルを使っていれば、そのような真似をしなくても見つかることはないと分かっている。
だが、それでもレオノーラの視線は鋭く、何か少しでも迂闊な真似をしてしまえば、それが致命傷となるような気がしたのだ。
そうしてじっと息を潜め……やがてレオノーラは周囲を見回すのを止めて、口を開く。
「気のせいだったみたいね。何か違和感があったんだけど」
「そうですか? まぁ、レオノーラ様がそう言うのなら、間違ってはいないでしょうけど」
会話を交わしながら、レオノーラたちは屋敷の中に入っていく。
そして数分が経過し……
「ぶはぁっ!」
ソランタの周囲にいた男が、大きく息を吐く。
実際にレオノーラが周辺を見回していたのは、数十秒程度だ。
だが、その数十秒という時間は、歴戦の兵士たちにとっても極度の緊張を強いられ、数分……いや、十数分もの時間に感じられた。
それは一人だけではなく、他の兵士たちも同様だ。
ソランタの能力があれば、絶対に見つかるはずはない。
それが分かってはいたが、それでも兵士たちにとってレオノーラが周囲の様子を見ているのは、それだけ緊張する時間だったのだ。
「あれ……化け物だな。アランを捕らえたときには、そこまで恐怖は感じなかったんだけどよ」
「おい、俺はあの女の攻撃で怪我をしたんだぞ。ポーションのおかげでもう問題ないとはいえ、あれだけの力を持ってるんだから、化け物としか言えないだろ」
呆れた様子で告げてくる兵士。
いや、その言葉には呆れ以外に若干の不満の色もある。
腕に自信のある者として、その辺の相手に自分が気をさせられる訳がないという自負からくるものだろう。
「ともあれ、さっき会ったときと違うのは間違いない。そうなると、理由としては……」
そう言う兵士は途中で言葉を切ったが、それでも話を聞いていた皆が何を言いたいのかはすぐに分かった。
つまり、目の前でアランを自分たちに連れ去られたことが、それだけ許せなかったのだろうと。
「さっさと移動しようぜ。このままここにいれば、いつまたあいつが戻ってくるとも限らないし」
兵士の一人がそう提案し、その言葉に否と言える者は誰もいない。
……いや、アランのみは主張出来るのなら、否と声を大にして言いたいだろうが。
ともあれ、ソランタたちはいつまでもここにいるのは危険だと判断し、ここから立ち去ろうとする。
屋敷の中で聞いた話から、時間が経てば経つほどにこの屋敷に集まってくる探索者の数は多くなる。
これが普通の……それこそ、ザッカランにいる警備兵の類が集まってくるのなら、ソランタを除いて精鋭揃いの兵士たちであれば、対処するのは難しい話ではない。
だが、集まってくるのが探索者となれば、話は違ってくる。
探索者というのは、基本的に強いのだから。
また、兵士が思いもしないような手札を持っていることも珍しくはない。
そのような者たちが集まってくるとなると考えれば、少しでも早くこの屋敷から立ち去る必要ががあった。
「一応、念のためにソランタのスキルは発動させたまま行くぞ。万が一にも見つかるような真似は避けたいし」
兵士の言葉にソランタは頷き、スキルを発動させたまま移動を開始する。
これまでにも行ってきたが、スキルを発動させたまま移動するというのは、そこまで難しいことではない。
だからこそ、ソランタと他の面々は屋敷の中に入っていったレオノーラから……そして屋敷の中にいるリアから少しでも離れた場所に移動しようとして敷地内から出る。
レオノーラやリアのような存在がいないければ、自分たちが見つかるようなことはない。
そんな思いを抱いてたのだが……
「そこに誰かいるな?」
不意に聞こえてきた声に、再び一行の足は止まる。
自分たちの存在は絶対に見つかるようなことはないはずなのに、何故今日に限ってこうも見つかりやすくなるのか。
そんな思いと共に、それでも万が一にも今の声は自分達に向けられたものではないかもしれないと思って声のした方を見ると……そこには、三人の男の姿があった。
三人の中の一人が、自分の視線の先に誰かがいると確信しているような態度を取る。
そんな態度を取る男の側にいる二人は、いきなり何を? と困惑した様子を見せながらも、男が言うことであれば間違いなく何かがあるのだろうと、そんな思いと共に武器を構える。
「おい、ニコラス。本当に誰かいるのか?」
「ニコラスさんが言うなら、間違いはないと思いますよ」
一人はニコラスの見ている方に視線を向けても、誰の姿もないことを疑問に思う。
だがもう一人は、ニコラスが言うのであれば間違いないと、そう断言する。
そんな意見の違う二人の言葉を聞きながら、ニコラスは冷静に口を開く。
「姿は見えない。気配もない。だが……それでも誰かがいる以上、空気は動く。普通なら気が付かないかもしれないが、魔法を使っていればそのくらい探知するのは難しい話じゃない」
そう告げるニコラスの言葉に、ソランタたちはどうするべきかと迷う。
ニコラスの言ってることが嘘、単なるブラフという可能性も考えないではなかった。
だが、実際に姿や気配はソランタのスキルによって消されているものの、そこに実体がある以上、身体を動かせば空気も動くというのは間違いないのだ。
「言っておくが、逃げようとしても無駄だよ。こちらは少し前からここで待機していたんだ。……中にリアたちが入っていけば、巣穴を突かれたネズミのように逃げ出すと思っていたけど、どうやら正解だったようだな」
冷静にそう告げるニコラスだったが、それはあくまでも表面だけだ。
血を分けた息子が誘拐されたのだから、リアのように目に見えるほど怒っていなくても、思うところがあるのは当然だろう。
絶対にこの場からは逃がさない。
そんな意思の籠もった目で、ソランタたちがいると思われる場所を睨み付けるのだった。




