0193話
扉を開けて部屋の中に入ってきたのは、数人の男だ。
そんな中でも、粗暴そうな一人の男が部屋の様子を見て鼻を鳴らす。
「ロッコーモ、どうしたんだ?」
「いや。この部屋には人のいた気配があるような気がしたんだが……今こうして見ても、もういないみたいだな。どうやら逃げたらしい」
ロッコーモのその言葉に、他の男たちがざわめく。
それはつまり、少し前までここに人がいたということなのだから。
もっとも、人の気配があったからとはいえ、それがアランやアランを連れ去った者たちだとは限らない。限らないのだが……無人の屋敷に人がいたという状況や、何よりもこの屋敷の件を口にした者たちの様子から考えれば、ここにいたのが誰なのかは考えるまでもないだろう。
「どれくらい前の気配か分かるか?」
「そこまで分かる訳ねえだろ。お前達はどうなんだ?」
「……いっそ、リアを呼んでくるか? リアならアランの気配があったら母の愛とかで分かりそうじゃないか?」
暗にここにいたのが――実際にはまだいるのだが――アランの気配かどうかは分からない。
そう告げるロッコーモに、他の者たちがそう告げる。
母の愛などというもので本当にアランがいたのかどうかを理解出来るのかと思わないででもなかったが、アランが連れ去られてからのリアのことを思えば、案外何とかなるのではないか。そう思ってしまうのは、決して間違ってはいないのだろう。
「うーん、でも、リアを呼んでいる間に屋敷から逃げ出されるって可能性はないか?」
「いや、イルゼンさんが追加で人を寄越すって言ってただろ。それを思えば、リアを呼ばなくてもアランを探す戦力は時間が経つに連れて増えることになるんだ。なら、ここはリアを呼んできた方がいいと思う」
そんな風に喋っているのを、ソランタのスキルで姿を消している兵士たちは嫌そうな表情で聞く。
今の会話から、敵がこの屋敷を本格的に調査しようと考えているのは明らかだったからだ。
ロッコーモたちがこの部屋に来るまでは、一通りの調査だろうからソランタのスキルを使ってやりすごすといったことも考えてはいた。
だが、この屋敷にやって来る者の数が増える……それも話を聞いた限り一人や二人ではなく、結構な数が来るとなれば、ここで敵をやりすごすというのは悪手となる可能性があった。
もし何らかの手段で自分たちがこの屋敷の中にいると確信された場合、逃げるのはまず不可能になると、そう理解していた為だ。
もちろん、ソランタのスキルが非常に高い隠密性を持っているのは分かっているし、そう簡単に見破られることがないというのは、これまでの経験から十分な程に理解している。
だが……それはあくまでも、今まではの話だ。
本格的に自分たちを探そうとしている腕利きの探索者がいるとなれば、どうなるか。
そのような状況でも絶対的に安全だなどとは、絶対に言えない。
(とにかく、今はここから出た方がいいか)
兵士の一人がそう考えるが、問題はどうやってこの部屋から出るかだ。
アランのことを調べているのだから、当然のようにリアという人物のことも知っている。
ハーフエルフで腕利きの剣士。そしてアランの母親。
その技量は非常に高く、今まで何度もモンスターや盗賊、場合によっては貴族にもその腕を発揮している。
……貴族の場合は、リアの美貌を目当てに無理に言い寄ってきたり、権力に物を言わせて自分の愛人にしたりといったようなことをしようとしたのが大半の理由だったが。
ガリンダミア帝国の貴族も何人か同じような騒動を起こしている。
ここにいる面々は、今回のように敵陣に忍び込むといった作戦も珍しくはないため、当然ながら相応の戦闘能力を持っている。
仮にも探索者のアランをあっさりと捕らえたのを見れば、その実力のほどは容易に理解出来るだろう。
だが、そんな兵士たちにとってもリアを相手にするというのは難しいと思えた。
だからこそ、リアが来る前にこの部屋から抜け出してしまいたいのだが……こうして扉が閉まっている状況、それも部屋の中に雲海の探索者たちがいるような状況で、どうやって逃げ出すのかといった問題がある。
それでも、ここにいてリアが来るのを待っているか、それとも部屋から逃げ出すかのどちらかを選択しろと言われれば、やはり後者だろう。
兵士達はそれぞれ簡単なブロックサインを使い、相手の身体にそのブロックサインを付させるような真似をして意思疎通をしながら、これからどうするかの方針を決める。
当然ながら、その方針はあっさりと決まる。
皆、リアのような強者と戦いたいとは思っていないのだろう。
とはいえ、この場合の最大の問題は、どうやって部屋を出るかということだ。
また、暴れないように抑えているアランも、機会があれば当然のように暴れようとするだろう。
アランにしてみれば、すぐ近く……それこそ比喩でも何でもなく、少し手を伸ばせば届くところに生まれたときから一緒だった仲間がいるのだから。
何とかして自分を抑えている相手をどうにかして助けを求めたい。
そう考えるのは当然で……一層強く暴れるのもまた当然だった。
とはいえ、アランがそのように考えるだろうというのは、兵士たちも当然のように理解し、それをさせないようにするのもまた当然だった。
(くそっ、そこにロッコーモたちがいるのに!)
押さえつけられながら、本当に悔しい思いを……そして自分の不甲斐なさに歯噛みするアラン。
……本来なら、部屋の中でそのようなことをやっていれば気配で分かりそうなものだったが、ソランタの能力のおかげでそれが知られるようなことはない。
そうしてある程度の時間が経過し……やがて、ソランタたちに絶好のチャンスが訪れる。
いよいよリアを呼ぶという話になり、誰が呼びに行くのかをロッコーモたちが話し始めたのだ。
ここが怪しい……具体的には何らかの手掛かりがあるというのは分かっている以上、リアを呼んでくるというのは決定事項なのだが、一体誰が呼んでくるのかという問題が出る。
今のリアはあまり刺激したくないと、そう思っている者も多いのだろう。
それでもせかっく手掛かりがここにある可能性が高い以上、あまり時間をかけたくないということもあり、結局ロッコーモが呼びに行くことになる。
この選択は、決して間違ってはいない。
何しろ、この場に誰も残さないという選択肢は存在しないし、かといって少人数で屋敷の中を移動するとなると、敵に見つかる可能性もある。……実際には、敵と呼ぶべき存在は全てこの部屋に集まっているのだが。
客が来たときに使う二十畳ほどもある大きな部屋だからこそ、この部屋にソランタたちがいても、ロッコーモたちが気が付くことがない。
ロッコーモたちも、少し前までこの部屋に誰かがいたかのような気配を感じていたので、何らかの手掛かりがこの部屋にあるのは半ば確信しているが、まさかソランタの能力によって完全に姿を消しているとは、思ってもいなかった。
ともあれ、ロッコーモは他の者たちに説得され、リアを呼ぶために扉を開け……
「ああ、扉は開けたままにしておいてくれ。何かあったとき、すぐ対処出来るようにな」
「ん? ああ、そうか。分かった。ならリアを呼んでくるから少し待っててくれ」
そう告げ。部屋を出ていく。
廊下で何かあったときに聞き逃さないようにと考えての行動だったのだろうが、これはソランタたちにとっては千載一遇のチャンスと呼ぶべきものだ。
扉が閉まっていれば、それこそ部屋から脱出するにも扉を開く必要がある。
そうなれば、当然のようにその音で敵に見つかる可能性があった。
しかし、異常があったときすぐに反応出来るようにという狙いからだろうが、向こうからその危険を排除してくれたのだ。
ソランタたちにしてみれば、感謝こそすれ恨むといったようなことはない。
……捕らえられて身動きも出来なくなっているアランにしてみれば、何故そんな真似をという思いがあったのも事実だが。
そうして、空いた扉からソランタたちは早速脱出する。
大胆というよりは無謀な行動に躊躇しない者もいない訳ではなかったが、ロッコーモがリアを呼んでくると言っていた以上、この部屋に残るという選択肢は存在しない。
いくらこの部屋が広くても、リアの……ハーフエルフが持つ鋭い感覚で自分たちの正体を察知されるという可能性は否定出来なかったし、何よりもアランが母親のリアを見ればどんな行動に出るか分からないというのが大きい。
ならば、多少のリスクを負ってでもこの部屋から……いや、屋敷から出た方がいいというのは、当然の判断だった。
ソランタを中心にして、扉の近くにいる探索者たちに見つからないように注意しながら、部屋を出る。
やはり、一番見つかる可能性が高いのは、部屋から出るときだ。
『……』
ソランタのスキルで、まず見つかることはない。
それは理解しているし、リアならともかく、ここに残った探索者たちなら人数の差で何とか勝てるという自信もある。
だが、それでも……やはり、ここで緊張するのは間違いのない事実だった。
それでいながら、緊張によって失敗するといったようなことをせず、探索者たちのすぐ近くを移動して部屋を出ることに成功したのは、精鋭揃いの兵士たちだからこそだろう。
……特にアランを抑えている者たちは、アランが暴れないように、そして動けないようにしながら部屋を出ることに成功する。
その手際は、まさに一流の職人芸と言ってもいい。そう言われて喜ぶ者はあまりいないだろうが。
ともあれ、無事に部屋を出ることに成功したソランタたちは、そのまま屋敷からの脱出に移る。
「こっちね? その、何者かの気配があったっていうのは」
背後から聞こえてきた声に、兵士たちの何人かが視線を向ける。
そこではロッコーモがリアを連れて先程まで自分たちがいた部屋に入るところだった。
ギリギリのタイミングに安堵しながら……ソランタたちは、廊下を進むのだった。