0191話
クレナ通りにある無人の屋敷。
得られた情報から、リアとロッコーモ、それに雲海の探索者三人がその屋敷の前にいた。
当然の話だが、リアは屋敷の前にやって来たからといって躊躇するような真似はしない。
そのまま屋敷の中に入ろうとし……不意にその動きを止める。
ヒクリ、と鼻を鳴らすと不愉快そうな表情が浮かぶ。
一体何があった? とロッコーモや他の探索者が疑問に思ったが、何も異常は感じられない。
「リア?」
探索者の一人がリアにそう尋ねると、リアは気分を取り直したかのように口を開く。
「血の臭いがするわ」
『っ!?』
血の臭いという言葉に、ロッコーモを含めた全員が息を呑む。
アランが連れ去れた場所で血の臭いがするというのは、不吉以外のなにものでもない。
だが、リアはそんな周囲の者たちに向かって落ち着くように言う。
「安心して。血の臭いからして、今日のものじゃないわ」
その言葉を聞き、ロッコーモは安堵する。
血の臭いと聞いて思い浮かべたのが、やはりアランの血ではないかということだったのだ。
エルフほどではないにしろ、ハーフエルフも通常の人間よりも鋭い五感を持つ。
リアはその鋭い五感の一つ、嗅覚によってここに僅かに残っていた血の臭いを嗅ぎ取ったのだ。
……もっとも、五感という意味ではハーフエルフよりも獣人の方が高いのだが、ここにその姿はない。
「じゃあ、どうする? このまま一気に中に突入するか?」
「当然でしょ。このまま迂闊に時間を掛ければ、またこの中にいる相手がアランを連れてどこかに逃げないとも限らないもの。なら、今は多少の危険よりも時間を重視した方がいいわ」
そう告げるリアの言葉は冷静なようでいて、やはりどこか急いでいるようにロッコーモには思えた。
「そうだな。なら、行くか。いいよな?」
「もちろんだ。俺たちだってアランを助けたいという思いは変わらないんだから」
短剣を手にした探索者がロッコーモにそう返す。
ここにいる全員は雲海の探索者だ。
当然のように、アランを小さい時から知っている。
そんなアランが連れ去られ、この屋敷の中にいると聞かされているのだから、助け出すのは絶対に必要なことだった。
「行くわよ」
リアが短く告げ、長剣を手に屋敷の敷地内に入る。
最低限の冷静さは残っているのか、長剣は鞘に収まっていた。
それでもリアの技量を考えれば、鞘に収まっている長剣であっても容易に相手を殺すといったような真似が出来るのは間違いなかったが。
リアも自分の実力は分かっているので、基本的に攻撃するときは手加減をする。
しかし、目の前の屋敷にいる人物は、アランを誘拐した相手だ。
当然の話だが、そう簡単に許容出来るかと言われれば……その答えは否だ。
手加減を間違え、必要以上の怪我をさせてしまう可能性もあったが、リアとしてはそうなったらそうなったでしょうがないと、そう判断していた。
リアとしても、ガリンダミア帝国軍を……もしくはそれに協力している相手から情報を引き出すことの重要さは理解していたのだが。
「さて、一体何が出て来るのやら。鬼が出るか、蛇が出るか」
「……何だ、それ?」
リアの後ろでロッコーモが呟いた言葉に、他の探索者が疑問の言葉を投げる。
「いや、いつだったかアランが言ってたんだよ。こういう時に、何か合わないか?」
「それは……まぁ、そう言われれば、そうか?」
アランの言葉ということで、納得出来るところがあったのか、話を聞いた者たちは頷く。
出て来るのが鬼でも蛇でも、その程度の相手なら今のリアなら容易に倒せるだろうという確信がある。
「行くわよ」
そんなリアと共に、ロッコーモたちは屋敷の敷地内に入る。
何があってもすぐ対処出来るよう、準備を調えながら。
そうして扉に近付き……リアはノックも何もなしで、長剣を振るう。
斬っ、と。そんな音を立てながら切断される扉。
「ちょっ!」
そんなリアの行動には、ロッコーモを含む他の面々も驚く。
まさか、いきなり扉を斬り裂くとは思ってもいなかったのだ。
だが、そんな周囲の様子とは裏腹に、リアは特に驚いた様子もなく……いや、むしろ何故この程度で驚いているのかといった表情すら浮かべていた。
リアにしてみれば、ここはアランを連れ去った者たちの本拠地とも呼ぶべき場所だ。
もしくは、本拠地でも何でもなくリアたちを嵌める為の罠か。
そのような場所だけに、普通に扉を開けただけで何らかの罠が発動する危険もあるし、何よりこの中にいるのは間違いなく敵だ。
そうである以上、ここで手を抜くという選択は存在しなかった。
扉を切断し、数秒。
何も罠の類がないことを確認してから、リアは屋敷の中に入っていく。
ロッコーモたちもそんなリアに遅れるようなことはなく、その姿を追う。
「……誰もいないわね。気配の類もない。けど……血の臭いはある」
すんっ、と鼻を鳴らして周囲の様子を確認するリア。
他の者たちも当然のように周囲の状況を確認するが、特に違和感の類はない。
(どう思う?)
(さぁ?)
言葉には出さずとも、お互いに目と目でしっかりと意思疎通がされる。
今のやり取りは、リアの言ってることが正しいのかどうか……ではなく、お前には臭いを嗅ぎ取ることが出来るか? といった無言のやり取りだ。
リアが血の臭いを嗅ぎとったのなら、それは間違いないく真実だ。
だが、それでも現在の自分たちで嗅ぎとれないのは、若干情けないと、そう思ってしまう。
五感の鋭さというのは、基本的に生来のものなのだが。
もちろん、全く鍛えることが出来ないという訳ではない。
ただ、探索者としてはそれよりも鍛えるべきことが多くあり、そちらの方を重用するのは当然だろう。
特にロッコーモは、心核使いとして戦力の鍵となることも多い。
……本人の性格的に、その辺りがあまり向いていないという点でも大きいのだろうが。
「リア、人の気配がないように思えるけど……どうする? もっと屋敷の中を探してみるのか?」
「当然でしょ」
探索者の言葉に、リアは探さないという選択肢は存在しないと、そう態度で告げる。
他の面々にとっても、リアのその態度は予想出来たものだったこともあり、特に不満を口に出すような者はいない。
一応、念の為に聞いたといった態度で、もしリアが人の気配がないからといって探索を止めようなどと言おうものなら、それこそ驚いていただろう。
「そうか。じゃあ行くか。アランの奴も早いところ見つけないといけないしな。……それにしても、こうもあっさりと捕まるとなると、アランを助け出したら訓練はもっと厳しくした方がいいのかもしれないな」
「そうね」
リアは真剣な表情で頷く。
実際、こうしてあっさりと捕まっている以上、訓練を今まで以上に厳しくするというのはリアにとっても歓迎すべきことだった。
今回はこうして自分が助けることが出来るが、いずれはアランも独立するなりなんなりして、自分だけで動くということにる可能性もあるのだから。
もっとも、アランはハーフエルフのリアの子供。……つまり、クォーターエルフとも言うべき存在だけに、寿命は普通の人間よりも長い。
そう考えると、独り立ちするのはもっと先になる可能性もあった
……アランの場合、前世が存在する関係上、その辺がどうなるかは微妙なところだが。
「この屋敷、外から見た感じだと結構広い様子だったから、二手……いえ、三手に分かれましょうか。私とロッコーモは一人でいいわよね?」
「それは構わないけど……罠があるのなら、全員で纏まって移動した方がいいと思うんだが」
ロッコーモの側で周囲の様子を見ていた探索者の言葉に、リアは首を横に振る。
「問題ないわ。私ならどんな罠が来てもどうとでもなるし、ロッコーモもいざとなったら心核を使えばいいでしょ」
「いや、この屋敷の中で心核を使ったら、屋敷が壊れそうなんだが」
ロッコーモが心核を使って変身するオーガは、かなり大きい。
爵位の高い貴族や大きな商会を営んでいるような、そのような者たちの屋敷であればオーガに変身しても問題はないのかもしれないが、この屋敷は一般的な家に比べれば屋敷と呼ばれていいるだけに規模は大きいが、それでもオーガに変身したロッコーモが普通に活動出来るような大きさはない。
だからこそ、今の状況を思えばこの屋敷の中でロッコーモが変身をするというのは不可能だった。
屋敷を壊す……リアがやったように、扉だけを壊すのではなく、屋敷そのものを壊してもいいのなら、問題はないのだが。
だが、幾ら何でもそのような真似をすれば後々面倒なことになるのは間違いないし、何よりもしこの屋敷にアランがいるのなら、屋敷が破壊されればアランにも被害が及びかねない。
そう説明すると、リアも不承不承ながらロッコーモの言葉を受け入れる。
「じゃあ、二手に分かれましょう。私と貴方たち。それなら問題はないでしょう?」
結局リアのその意見が採用される。
……ロッコーモたちは、リアが敵を見つけたら暴走するのではないかと、そんな心配もしていたのだが、アランに被害があるかもしれないと言われれば、リアも多少なりとも大人しくせざるをえない。
ロッコーモの言葉にリアも頷き、不用意に建物を破壊しないと約束して二手に別れる。
リアはいつ敵に遭遇してもいいように、鞘から抜いた長剣を手に廊下を進む。
(人数が少ないのは問題だけど、イルゼンさんはすぐに応援を寄越すって言ってたし。あの人もそう遠くないうちにくるでしょうから、アランがここにいるのなら見つけるのはそう難しくはない……筈よね)
そう考えながらも、リアは近くにある部屋の扉を開く。
最初は罠があるかもしれないので、この屋敷の扉のように破壊しようかとも思ったが、ロッコーモの、それによってアランに被害が出る可能性を示唆されてしまえば、そのような真似は出来ない。
結果として、何かがあったらすぐ対処出来るようにしながらも、手で扉を開ける。
だが……扉を開けても、特に何かが起きる様子はない。
「ふぅ」
罠のない安堵と、アランの手掛かりがない不満という正反対の感情を抱きながら、リアは探索を続けるのだった。