0190話
「クレナ通りにある無人の屋敷、ですか」
イルゼンがリアの持ってきた情報を聞き、そう呟く。
結局男から得た情報の中で、一番重要な情報はそれだった。
元々アランの居場所を知るために行った行動だった以上、見事に当たりを引いたといったところなのだが。
ただ、イルゼンの表情に嬉しそうな様子がない。
「どうしたの? アランの居場所が分かったんだから、早く行きましょうよ」
「待って下さい。その情報が本物かどうかを確認する必要があります。もしこれが僕たちを誘き寄せるための罠だとしたら……」
「その心配は分かるけど、あの状況でそんな嘘を口に出来るとは思えないわよ?」
そう告げるリアの言葉には、強い真実の色があった
実際、もしあの男が嘘を口にしていると理解したら、リアは迷いなく首を斬り飛ばすつもりだったのだから。
そんな状況で嘘を言うとは、到底思えない。
何より、そこまで雇い主に忠誠を誓うような性格には思えなかった。
「とにかく、他の人たちが戻ってきて、その情報と摺り合わせる必要があるだろうね」
イルゼンのその言葉は、正直なところリアにとっては決して許容出来るものではない。
だがイルゼンの言う通り、騙されて敵の罠にはまるといったような真似は、絶対に避けたいというのはリアに理解出来る。
一連の動きで、イルゼンは情報戦で負けている。
そのことが、いつも以上にイルゼンを慎重にしているのだろうと。
……とはいえ、だからといってアランを連れ去った者たちをそのままにしておくなどといったようなことは、するつもりもなかったが。
「他の人たちはまだ戻ってこないの?」
イルゼンに尋ねるリアの口調が若干攻撃的なものになったのは、アランの母親というリアの立場を考えれば当然なのだろう。
今回の一件……ガリンダミア帝国軍と繋がっている者たちに対する襲撃は、雲海と黄金の薔薇の多くの者たちによって同時に行われている。
もちろん、それは現在ザッカランを治めているドットリオン王国の認可を得てのものだ。
ドットリオン王国にとっても、ゼオンを操るアランという存在は、ザッカランを守る上で非常に大きな戦力なのだから。
そんなアランをガリンダミア帝国軍に連れて行かれたとなれば、ドットリオン王国軍としても決して許容出来る訳ではない。
今は、ドットリオン王国から援軍が来るまでザッカランに籠城する必要があり、その上でゼオンという戦力は非常に大きい。
であらば、その戦力を奪われるというのは死活問題ですらあった。
だが、現在のドットリオン王国軍は、ザッカランの周囲にいるガリンダミア帝国軍に対処する必要があり、アランの探索に手を回すような余裕はない。
であれば、雲海や黄金の薔薇といった面々にアランの探索を任せ……そして、ガリンダミア帝国軍と繋がっている相手を討伐することを行って貰う必要があった。
むろん、他に戦力が全くない訳ではない。
具体的には、ザッカランの治安を守る警備兵も相応の数、戦場には出ずに残っていたが。
だが、それはあくまでも治安を守るための戦力だ。
ガリンダミア帝国軍と繋がっている者が……そしてガリンダミア帝国軍に包囲されているという現状でパニックに陥って騒動を起こすような者がいる可能性が高い以上、そちらに対処して貰う必要があった。
結果として、自由に動ける戦力となると……誘拐されたアランが所属していた雲海の面々と、その雲海と行動を共にしている黄金の薔薇が最善だったのは間違いない。
「もうすぐ戻ってくると思うよ。……そもそも、君が戻ってくるのが早すぎたんだから」
他の場所には、複数人で向かっている。
にもかかわらず、リアは一人で目的の場所に向かい、そして帰ってくるのも一番早かった。
ここから一番近い場所――それでも相応の距離はあるが――にある場所だったからというのもあるが、やはり一番大きいのは、息子を誘拐された母親の怒りは凄まじいということだろう。
リアと戦ったバトルアックスを持っていた男も、決して弱い訳ではない。
だが、怒れる女獅子とでも呼ぶべきリアは本来持つ実力以上の力を発揮し、結果的に男を一蹴してしまった。
バトルアックスを持つ男にとっては不運だったが、挑発のつもりで迂闊にアランの話題出したのが、致命傷となってしまう。……生きてはいるが。
「来たわね」
と、不意にリアが呟く。
その数秒後、リアとイルゼンのいた部屋の扉が開き、ロッコーモが姿を現す。
「倒してきたぜ。情報もしっかりと持ってきた。アランはクレナ通りにある無人の屋敷にいるらしい」
ロッコーモの言葉に、リアがイルゼンに視線を向ける。
ロッコーモの持ってきた情報が、自分と同じものだったからだ。
それはつまり、アランがそこにいるのはもう決まったのではないかと、そう言いたいのだろう。
この期に及んでも、それは自分たちを集める罠なのではないかという思いは捨てきれないイルゼンだったが、今の状況でリアにそれを言っても間違いなく聞かないだろうし、何より今のリアならもし罠があっても力づくで喰い千切りかねない。
そうである以上、ここは無理に止めるよりも実際に突入させた方がいいかと、そうイルゼンは判断する。
(幸い、一人じゃないですしね)
ロッコーモは、生身でも相応の実力者だが、心核使いとしての腕も一流だ。
アランのゼオンやレオノーラの黄金のドラゴンのような規格外には敵わないだろうが、普通の心核使いとして考えれば、かなりの強さを持つ。
「出来ればもう数人戻ってくるのを待ちたいところなのですが……今の状況を思えば、それは無理そうですね」
それは、リアのことだけではない。
アランのことについても含まれる。
今回、多くの者がガリンダミア帝国軍と繋がっている者たちを襲撃している以上、当然のようにその情報はザッカランにいるガリンダミア帝国軍の者にも知らされるだろう。
そして、自分たちがどこに潜んでいるのかを知られた可能性が高いということも。
そうである以上、アランを連れ去った者たちはすぐにでも隠れ家から離れるといったような真似をしかねない。
その辺の事情を思えば、なるべく早くアランの取り戻した方がいいのも間違いない。
また……アランを取り戻されるくらいならと、アランに危害を加えないとも限らない。
であれば、まだ向こうの態勢が整っていないうちに攻撃をするというのは決して間違った選択ではない。
(それに、罠であっても……)
突入するのが、リアとロッコーモの二人なら、心配しているように罠があっても、どうとでも対処出来る。
そう判断すると、イルゼンは頷いて口を開く。
「では、お二人にお任せします。……ああ、勿論他の人も連れて行って下さい」
この場合の他の人というのは、ロッコーモと共に行動していた探索者たちだろう。
ここにいないのは、報告にはロッコーモだけで十分と思っているからか。
ともあれ、相手が精鋭なのは間違いない以上、それで戦力が足りるかどうかは分からず……
「他にも戻ってきた人がいたら、そちらに回しますので。……本来なら、戦力の逐次投入というのは可能な限り避けたいところなんですがね」
戦いにおいては、戦力の逐次投入というのは基本的に悪手だ。
だが、今回は少しでも早くアランを助ける必要があり、そしてイルゼンたちにはリアとロッコーモという戦力がある。
これが一般的――雲海の探索者としてはという意味だが――な戦力しか持っていないのであれば、イルゼンもこのような選択はしなかっただろう。
それでも今回そのような選択をしたのは、色々な理由があるが……単純に考えれば、リアを止めることが半ば不可能に思えたから、というのが大きい。
なら、ロッコーモという戦力をつけて、それによって戦力を充実させた方が、まだマシだろうと。
「ええ、分かったわ。あの人も戻ってきたらすぐに来ると思うから、お願い」
あの人というのが誰を示しているのかは、イルゼンもすぐに分かった。
リアの夫にして、アランの父親……ニコラスだ。
ニコラスもまた、当然のようにアランが連れ去られたことに強い怒りを抱いてはいだが、それでも魔法使いだという理由からか、もしくは自分が怒るよりも前にリアが怒髪天を衝くといったような状態になったためか、そこまで怒ってはいなかった。
だからといって平然としていられる訳もなく、現在は他の者たちと共に内通者の屋敷を襲撃している。
「分かりました。では、すぐに目的地に向かって下さい。ただし……繰り返すようですが、罠である可能性は否定しきれません。そうである以上、くれぐれも注意して下さいね」
イルゼンのその言葉にリアは頷き、ロッコーモに視線を向けると短く呟く。
「行くわよ」
「おう」
ロッコーモもまた、アランを小さいときから見守ってきた者の一人だ。
今となっては、同じ心核使いでもある。
それだけに、アランを連れ去った相手を決して許すなどということは出来なかった。
だからこそ、リアの言葉に短く答えて一緒に部屋を出ていく。
そんな二人を見送り、イルゼンは視線を窓の外に向ける。
「今回の一件……ガリンダミア帝国軍にいいようにしてやられましたね」
穏やかな口調ではあるが、その中に込められている悔しさは本物だ。
自分もそれなりに出来るようになったと思っていたが、やはり上には上がいるということなのだろう。
自分自身に対する怒りを表に出さないようにしながら、イルゼンはこれからのことを予想する。
アランを連れ去ろうとした相手がまだザッカランの中にいたということは、周囲に展開しているガリンダミア帝国軍は囮と考えていいだろう。
もちろん、囮は囮であっても、もしザッカランを占拠出来るような機会があれば見逃すような真似はまずしないうだろが。
「だとすると……もしアラン君を取り戻すことが出来た場合、向こうがあらたな行動に出る可能性がありますね。その辺りの情報も上に流しておいた方がいいでしょう」
今回は後手となったが、だからといっていつまでも後手ではいない。
何とか一矢報いるべく、イルゼンにしては珍しく真面目な表情で考え込むのだった。