0185話
やられた。
それがレオノーラから話を聞いたイルゼンの正直な気持ちだった。
もちろん、イルゼンもアランを敵が狙ってくるかもしれないというのは最初から考えてはいたのだ。
そもそもの話、ガリンダミア帝国軍がドットリオン王国に攻めてきた理由の一つが、アランを手に入れるためだったのだから。
また、大樹の遺跡を攻略した影響で周辺の村や街から多くの者たちが集まっており、その中には当然のようにガリンダミア帝国軍の手の者が混ざっているのは予想出来た。
だが……それでもその手の情報がなかったこともあり、イルゼンは虚を突かれてしまった形だ。
当然のことだが、イルゼンもやられたままでいるつもりはない。
アランが捕らわれたことが決定的になった以上、それの対処として雲海の探索者を使って派遣アランの姿を探しているし、黄金の薔薇にもその辺は頼んでおり、ザッカランの正門やそれ以外の門にも兵士を派遣して、厳しく検問をしている。
普通なら今のような状況で検問をすれば問題になってもおかしくはないのだが、ガリンダミア帝国軍が動いているという情報が広まった時点ですでに多くの者が出て行っており、現在ザッカランに残っている者で出て行こうとする者は少ない。
……いないのではなく少ないとなっているのは、最初はザッカランに残るつもりであっても、実際にガリンダミア帝国軍の姿を見て、ここに残るということに恐怖を抱いた者が慌てて出て行ったりといったようなことをするためだ。
そのような者たちにしてみれば、このタイミングで検問を厳しくするのは嬉しくはないだろう。
だが、自分たちがいざというときに逃げ出そうとしているのは理解しており、後ろ暗いせいもあってか……そして、そのような者の数が少ないことから、不満の声が大きくなるようなことはない。
しかし、そのような真似をしてもアランの姿を見つけることは出来ない。
アランも体格という意味では、もう立派な男だ。
そうである以上、もしアランをザッカランから運びだそうとしても、当然のように目立ってもおかしくはない。
あるいは、馬車に細工をして隠すといったような真似をするか。
そのための検問の強化だったが、残念ながら今のところそれによって見つかった様子はない。
「イルゼンさん」
いつ何が起きても、すぐ対処出来るように……そして、少しでも早く情報を手に入れるために、イルゼンと同じ部屋にいたリアがそう尋ねる。
リアにとってアランは大事な息子だ。
それこそ、小さな頃から鍛えてきた自慢の息子と言ってもいい。
才能自体はそこまで高くはないが、それでも拗ねることなく訓練を続けるその様子は、リアにとっては下手な才能よりも大事なものだった。
……実際にはアランが転生したことによって、精神が普通の子供とは比べられないくらいに成熟していたからこそ、出来たことだったのだが。
ともあれ、そんなアランがガリンダミア帝国軍の手の者と思しき相手に誘拐されたのだ。
それでリアに焦るなという方が無理だった。
そんなリアの隣では、夫のニコラスも真剣な表情を浮かべている。
リアやニコラスにとって、雲海の皆は家族も同然の付き合いをしているが、それでもやはり実際に自分の血を引いているアランは別なのだろう。
その証拠に、リアは毎日のようにアランに訓練をして、少しでも探索者として生き残れるようにと行動している。
ニコラスも、ポーションの類を渡したりといったことをしていたが……魔法については、そこまで詳しいことを教えてはいない。
これは純粋に、アランに魔法の才能がない……とまでは言わないが、それでもかなり低いからだ。
どんなに本格的に魔法を勉強しても、三流、四流、五流といったところがせいぜいだ。
それなら、せめて二流くらいにはなれる長剣の技量を鍛えた方がいいという判断からだった。
「イルゼンさん、私も探しに……」
「駄目ですよ」
我慢出来ずに告げるリアに、イルゼンは最後まで言わせず否定する。
イルゼンにとっても、リアがアランのことを心配しているのは分かるのだが、リアは雲海の中でも生身ではトップクラスの実力の持ち主だ。
つまり、何かあったとき……具体的には、アランがどこにいるのかが分かったとき、真っ先に投入すべき戦力となる。
実際に純粋な戦力となれば、ロッコーモやカオグルといった心核使いがいるのだが、それはあくまでも心核を使っての戦いた。
特にオーガに変身するロッコーモは、その巨体から街中のような狭い場所での戦いは苦手としているし、無理に戦った場合は当然のように周囲の被害が大きくなる。
そんなロッコーモに比べると、白猿に変身するカオグルは街中での戦いに向いているのも事実だが……それでもオーガよりは小さいとはいえ、人間よりは大きい。
街中でそのような者が暴れるようなことになれば……それもガリンダミア帝国軍がザッカランから離れた――投石機のような武器が届かない――場所に陣取っているのを考えると、間違いなく敵の攻撃だと判断されてしまう。
ただでさえザッカランは決して有利という訳でもないのに、そのようなことになれば、下手をすると一気に負ける可能性すらある。
そう考えると、やはりアランを救出する場合、動くのはリアと……
(彼女、でしょうね)
リアを見ていたイルゼンはもう一人の人物を思い出す。
アランと最後まで一緒にいただけに、今回の一件に強い責任を感じている人物。
ましてや、強力な心核使いではあるが、アランとは違って生身でも十分な強さを持つレオノーラの姿を。
アランが危険だと判断し、その場に到着したにも関わらず、結局相手に出し抜かれてアランは向こうに捕まってしまった。
結果として、目の前にいるアランを助けることが出来なかったレオノーラは、その行為をかなり後悔しているのだ。
だからこそ、今回の一件では全面的に協力するとイルゼンに約束している。
もっとも、レオノーラの性格から考えて、もしアラン以外が捕らえられても全面的に協力してくれるとは思っていたが。
「イルゼンさん、アランが捕まってここまで誰にも見つからないとなると、やはりザッカランの内部に拠点……いや、隠れ家の類があるのは間違いないんじゃないか?」
そう尋ねてくるニコラスに、イルゼンは当然だろうと頷く。
「間違いなく隠れ家はあるでしょうね。ですが……問題なのは、一体どこにあるかです。今、色々と探らせていますが、候補となる場所が多すぎるんですよ」
元々、ザッカランは城塞都市としてかなり広い。
その上、ガリンダミア帝国軍が攻めてくるということで逃げ出している者も多く……以前に比べると、空き家となっている場所も数多い。
そうである以上、隠れ家として使える場所は数多い。
……さらに問題なのは、そのような場所を使っているのは今回の一件を起こした者たちだけではなく、他にも後ろ暗いところがある者たちが空き家を隠れ家として使っているということだ。
中にはスラム街から出て来た者たちが勝手に棲み着いているということすらある。
だからこそ、アジトとなっている場所を見つけ出すのは非常に難しい。
空き家だけでこれなのだから、誰か人が住んでいる場所……具体的には、アランを連れ去った者たちをガリンダミア帝国軍の手の者だと知った上で匿っている者がいれば、そのような者は余計に見つけるのは難しかった。
(あくまでも普通であれば、の話であればですけどね)
イルゼンはいつもの飄々とした笑みを浮かべたまま、そう考える。
今回の一件は、正直なところ情報戦でしてやられたという思いがあったが、だからといって仲間を諦めるなどといったような真似が出来るはずもない。
現在のイルゼンに出来るのは、それこそ敵が潜んでいる場所を少しでも早く発見し、その場所に向かうことだ。
だからこそ、現在のイルゼンはザッカランに来てから築き上げた情報も最大限に活用してアランを連れ去った者たちが隠れている場所を探している。
本来ならまだ隠しておきたい情報網をも使ってだ。
今回の一件で、ザッカランにおけるイルゼンの情報網は間違いなくガリンダミア帝国軍に知られてしまうだろう。
現状では積極的に妨害活動を行っている訳ではないが、間違いなくザッカランの中にはガリンダミア帝国軍の手の者がいるはずなのだから。
ドットリオン王国軍がザッカランを攻略してから、暇を見つけては作ってきた情報網。それを惜しげもなく使うということは、もしかしたら長期的に見た場合、イルゼンにとって……いや、雲海にとって大きなマイナスとなる可能性がある。
だがそれでも、今はまず何としてもアランを助けるのが最優先とされるとのは、イルゼンにとっても当然だった。
イルゼンにとって、アランもまた雲海の一員……家族のようなものなのだから。
そんな中、不意に部屋の扉がノックされる。
即座にその音に反応したのは、リア。
それこそ猛獣が顔を上げたのではないかと、そう思ってしまう動きで扉に視線を向ける。
だが、幸いにして部屋の中にいる者はイルゼン、ニコラス、リア……それに昔からの付き合いのある雲海の幹部級数人だけだ。
そんなリアの様子を見ても、特に動揺するようなことはなかった。
「入って下さい」
イルゼンの言葉に、扉を開けて雲海の探索者の一人が入ってくる。
「スラム街近くを探したけど、アランはいませんね。ただ……あの辺は場所が場所なので、隠し部屋があったりする可能性があるから、確実にとは言えませんが。もっとしっかりと調べるとなると、人手も時間も足りません。どうします?」
もっと追加するかと聞いてくる探索者の男に、イルゼンは少し考えてから首を横に振る。
「いえ、恐らくもうあの辺にアランはいないでしょう。向こうもアランを連れ去った場所の近くが重点的に調べられるというのは、分かってるでしょうし」
「けど、イルゼンさん。その裏を狙って……というのはあるんじゃ?」
「そうかもしれません。ですが、今の状況を考えると人手はどうしても限られてますからね」
そう告げるイルゼンの表情は、いつものように飄々としたものではなく真剣なものだった。