0182話
城壁を降りたアランは、兵士と一緒に歩いていたのだが……
「あれ? こっちに行くんですか?」
兵士の向かっている方向が、雲海の宿ではないと気が付き、疑問を口にする。
だが、そんなアランの言葉に、兵士は申し訳なさそうに頭を下げる。
「はい。実は別の場所なんですよ。だから何か急ぎかと思ったんですが……」
兵士が少しだけ責める色を込めてアランを見た。
そんな兵士の視線の向けられたアランは、この兵士が呼びに来ても何だかんだとレオノーラと話していたことを思い出し、そっと視線を逸らす。
ガリンダミア帝国軍との戦いはまだ始まっていないとはいえ、それでも少し悠長にしすぎかたと。
そんな思いを抱いていたアランだったが、兵士の案内に従って歩きながら進んでいると、その進む方向が明らかにおかしいのでは? と疑問を抱く。
先程は別の場所に案内すると言っていた。言ってはいたが、それでも現在自分が進んでいる場所は、決して普段からイルゼンがいるような場所ではなく……一体、ここで何をするのだ? と、そう疑問に思うのは当然だった。
何故なら、この先にあるのはスラム街なのだから。
「本当にこっちでいいんです? 明らかに普通進むべき方向とは違うんですけど」
「ええ。それで間違いありま……」
「ピピピピピピピ!」
兵士が最後まで何かを言うよりも前に、不意にアランの懐の中でカロが高い鳴き声を上げる。
「うおっ! 一体何が!?」
そんなカロの声に驚いたのは、兵士よりも寧ろアランの方だ。
いきなり自分の懐からカロが……自分だけに聞こえるような大きさではなく、それこそ防犯ブザーか何かではないかと思えるような、そんな鳴き声を上げたのだから、驚くのは当然だろう。
アランだけではなく、当然のように兵士もいきなりのそんな声に驚く。
だが、現在いる場所が目的の場所だと判断すると、慌てたようにアランに声をかける。
「アランさん、この音は一体なんですか!?」
「それは……取りあえず、ちょっと待ってくれ! 今はそれどころじゃないんだ!」
アランにしてみれば、何故かいきなりこのようにカロが大声で鳴き始めたのだ。
基本的にカロが自我を持っているというのは雲海や黄金の薔薇以外の者には秘密になっている。
そうである以上、ここでカロの正体を知られて、大きな騒動を起こす……などというつもりは一切なかった。
だからこそ、今は目の前にいる兵士を何とか誤魔化して、まずは懐の中で鳴いているカロをどうにかするべきだと、そう判断する。
そのような判断をしているからこそ、何故ここで急にカロが周囲に響くような大声で鳴いたか……そして同時に、アランのすぐ側で本来なら誰もいない筈の場所に突然数人が姿を現すといったようなことになったのかに、気が付く様子はなかった。
アランのすぐ側に姿を現した者たちは、何とかカロを黙らせよう、兵士に対して誤魔化そうとしているアランに向かって襲いかかる。
姿を現した男の一人が、持っていた槍を大きく振るう。
それでも槍で貫くのではなく、横薙ぎの一撃だったのは、アランを殺さないためだ。
「なっ!?」
懐の中のカロを黙らせようとしたアランは、その動きの際に視界の隅で動く何かを目にし、ほとんど反射的にその場から跳躍する。
この辺りの判断力の素早さは、探索者として鍛えられてきたからだろう。
アランは決して優れた探索者という訳ではないが、それでも探索者なのは間違いない。
咄嗟の判断によって、反射的に身体を動かすくらいは容易に出来る。
だが……その一撃を回避出来たのは間違いなかったが、幸運なのはそこまでだった。
跳躍している最中、再び何もない場所からいきなり人が現れ、自分に向かって突っ込んできたのだ。
(どうする?)
一瞬悩むが、空中にいるときはほとんど身体を動かすような真似は出来ない。
結果として、アランが空中にいる間に突撃してきた相手に攻撃され、そのまま吹き飛ばされる。
「ちぃっ! ……ん?」
吹き飛んで倒れたアランだったが、敵の前で倒れているということほど危険なことはない。
倒れている状態から勢いを付けて立ち上がり……受けたダメージそのものはほとんどないことに疑問を抱く。
今の一撃は空中にいるときに受けた。
そうである以上、空中で吹き飛ばされた分、間違いなく衝撃は吸収されている。
だがそれでも、ここまでダメージがないのはおかしい。
そう考えているちょ、不意に涼しさを感じ……同時に、自分に攻撃してきたと思しき者の手の中に、見覚えのある……それこそ、心核使いにとっては命と同じくらい大事な存在があるのに気が付く。
「返せ!」
男の手に中にある物……心核を見て、アランは動く。
だが、それは限りない悪手。
元々生身では何とか標準ギリギリといった程度のない能力のアランだ。
その上、アランは知らないが、現在目の前にいるのはガリンダミア帝国軍の将軍バストーレ直属の兵士たちで、その技量は非常に高い。
そのような相手に、何も考えずに突っ込んで勝てる訳がない。
あるいは、ここにいるのがアランではなく他の者であれば、何とかなったかもしれないが。
「甘いな」
真っ直ぐ自分に向かってくるアランに、心核を奪った男はそのまま後ろに下がる。
当然、男が後ろに下がれば、アランはそれを追う。
……そして、当然のように最初に槍を振るった男が槍をアランの足下に伸ばし、心核を持った敵しか見えていないアランは、そのまま槍の柄に引っかかって転ぶ。
「うわっ!」
「今だ!」
槍を構えた男の言葉に、再び何もない場所から何人もが姿を現し、アランが動けないように紐で結んでいく。
その手際は非常に素早く、この手の仕事に慣れているのは明らかだった。
「なっ! くそっ、何をするんだ、離せ!」
当然縛られているアランの方も、ただ黙って縛られるといったような真似はしない。
必死に叫び、暴れるが。結んでいる方はそんなアランの様子を全く気にせず……それどころか、その程度のことは慣れていると言わんばかりに、縛っていく。
アランが身体を動かせば、その動きを利用して動いた部分を紐で縛って身動きを取れなくしていくのだ。
アランは気が付いていないが、自分の周囲にはまだ他にも何人かがおり、そのような者たちはアランがもし男の手の中から脱出するようなことがあった場合、すぐにでも取り押さえられるように準備している。
ここが大通り近くなら、アランの騒いでいる声を聞いて誰かが来てもおかしくはないのだが……残念ながら、ここは大通りからかなり離れており、半ばスラム街に近い。
そのような場所である以上、騒動が起きるのはそれこそ日常茶飯事だ。
よほどの何かがない限り、ここで騒動が起きても誰かが助けるといったような真似はしない。
それでも、万が一ということがあるのは分かっているのか、ここで油断している者はいない。
当然だろう。ここにいるのは、所属を隠しているものの、ガリンダミア帝国軍の者なのだから。
そしてザッカランは現在ガリンダミア帝国軍との戦争中――実際にはまだ戦いは始まっていないが――なのだから、そんな状況で自分たちが見つかったら……それも、アランを連れ去ろうとしてるのを見つかったらどうなるか。
それは、考えるまでもないからだろう。
だからこそ、ここにいる者たちは慎重に慎重を期して動いていた。
「くそっ、何なんだよ……何なんだよお前らっ!」
手足が次々と縛られていき、時間が経つに連れて身動きがしにくくなっているのに焦るアランだったが、今の状況では諦めるなどといった真似が出来るはずもない。
そして数分も経たず……アランの手足は完全に縛られ、身動き出来なくなる。
アランは分からなかったが、その縛り方は縄抜けが得意な者であっても……それこそ関節を自由に外したり出来る者であっても、抜けることは出来ないような、そんな縛り方だった。
……残念ながら、アランの場合は元から縄抜けの類がほとんど出来ないので、本来ならそこまでやる必要はなかったのだが。
それでもそこまでやったのは、万が一を考えてのことだった。
アランは今回の戦いにおける最重要目標なのだ。
そうである以上、ここで手を抜くなどといった真似が出来るはずもなく……そのような意味では、ここで手を抜くなどといった真似が出来るはずがなかった。
「人が来る前に片付けるぞ」
兵士が……アランをここまで連れて来た兵士がそう告げる。
無理に急がせるような真似はしない。
仲間の技量は信じているし、ここで無理に急がせるような真似をすれば、それこそ焦って行動を失敗するような真似をする訳にはいかなかった。
「っ!?」
そんな兵士の言葉に、猿轡を嵌められ、暴れているにもかかわらず手足をロープで縛られそうになっているアランが、殺気を込めて睨み付ける。
この兵士が自分をここまで連れて来た以上、ここで待ち伏せしていた者たちの仲間だというのは容易に予想出来た。
だが、それでも……もしかしたら、本当にもしかしたら、自分を助けてくれるのではないかと、そう思ったのだ。
だが、そんな儚い願いも今の一言で完全に砕け散ってしまう。
(畜生っ! 油断した油断した油断した。どうする? どうする? どうすればいい?)
もし懐に心核のカロがあれば、それこそ今のこの状況からでもゼオンを召喚して対処することは出来る。
だが、その逆転の一手となるカロも、現在はアランから奪われている。
どうにか出来ないか? と思いながら素早く周囲を見回すと、アランからカロを奪った男が、箱にカロを入れてる光景がアランの目に入った。
その箱は、当然のようにただの箱ではないのだろう。
見るからに立派な箱である以上、何らか仕掛けがしてあってもおかしくはない。……あるいは、何らかのマジックアイテムか。
その辺の事情は分からなかったが、ともあれその箱に心核を入れられるのを見ながら、アランはなおも暴れる。
だが、すでに身体のほとんどが縛られている状態では、暴れても意味はなく……全く身動き出来ない状態に縛り上げられる。
それを見た兵士は、満足そうに頷いて口を開く。
「よし。あとはさっさとここを……」
そう言いかけた瞬間、不意に一人の女が姿を現す。
黄金の髪を煌めかせながら、その女は兵士たちを睨むのだった。