0175話
「ふむ、成功したか」
その言葉に、報告を持ってきた副官は真剣な表情で頷く。
「はい。ですが閣下。一体どこであのような者を?」
「何、少し帝都のスラム街を歩いているときにな」
「閣下……」
スラム街を歩いていたと聞き、副官は自分の上官に呆れの視線を向ける。
スラム街というのは、大なり小なり危険が多い。
ましてや、それがガリンダミア帝国の帝都にあるスラム街となれば、一体どれだけの危険があるか。
それこそ、その辺の戦場の方が安心出来る場所だと言っても、決して間違いではないだろう。
そのような場所に、閣下と呼ばれる人物……ガリンダミア帝国軍の中でも将軍と呼ばれる人物が行ったのだから、それに怒るなという方が無理だった。
ましてや、副官が知ってる限り自分の上司は実力に自信があるためか……
「当然のように、護衛も連れてないんですよね?」
「当然のように、護衛も連れてないに決まってるだろう」
副官の言葉を真似するようにして、そう返す。
そんな自分の上司に、副官は胃が痛くなる思いをしながら恨めしそうな視線を向ける。
だが、その視線を受けた男はそれを気にした様子もなく、再度口を開く。
「このバストーレが、その辺の相手にやられると思ってるのか?」
そう言われれば、副官も首を横に振ることは出来ない。
バストーレの実力は、副官もよく知っている。
部下を指揮する実力も高いが、本人の実力も非常に高い。
心核使いが変身したモンスターと互角に戦えるだけの実力を生身で持っているのだから、その実力は明らかだろう。
ガリンダミア帝国軍の将軍という立場は、それだけの実力を持っているからこそのものだ。
……実際には、他の将軍の中には指揮能力はともかく、個人としての実力という点ではバストーレに及ばない者もいるのだが。
「そうは思っていませんよ。ですが、万が一ということはいつでもあります。それこそ、将軍の身に何かあったらどうするつもりですか?」
「気にするな、そうなったらそうなったで、あとは残ってる連中が何とかするだろ」
あっけらかんとそう告げるバストーレの姿に、副官は溜息を吐く。
これが二十代くらいなら、そのような言動も許されるのだろう。
だが、バストーレはすでに四十代で、軍の中でも重鎮と評してもいいだけの地位にいる。
……その細く引き締まった身体付きからは、とてもではないが四十代とは思えない。
普通の者が見て分かるような、筋骨隆々といった身体付きではない。
だが、実際にはそんな身体付きの上司が、鋭い動きでそのような力自慢の相手を次々と倒してきたというのを、副官は知っている。
色々と問題のある人物なのだが、それでも今まで手柄を挙げ続けており、副官としてもあまり強くは言えない。
実際、今回のザッカラン攻略においてもその計画を建てたのはバストーレなのだから。
「それにしも、正直よく見つけることが出来ましたね。生まれながらそういう能力……特殊なスキルの類を持つ者がいるというのは知ってますが、そこまで都合のいい人物というのは、そうそういないんじゃないですか?」
「そうだな。もっとも、その能力があったからこそ、あいつはスラム街で生きていけたんだが。それに……正直な話、そこまで大規模に能力を展開出来る訳じゃない。自分を入れて、せいぜい五人かそこらってところか」
「いや、それでも十分に凄いですよ」
しみじみと呟く副官。
実際、バストーレがスラム街で見つけて連れて来た相手は、そう言われるだけの能力を持っているのは間違いない。
その実力を使い、その相手がスラム街で生き延びてきたという点でも、有用性は明らかだろう。
「何にしろ、こちらの戦力を少数とはいえ秘密裏にザッカランの中に運び込めるというのは、非常に大きいです」
「ああ。それに……ザッカランの中にいる連中とも繋がりはついてるのだろう?」
「はい。ザッカランはドットリオン王国と接しているだけに、余計にドットリオン王国を下に見る傾向があります。……今まで何度もザッカランからドットリオン王国に攻め込んでいるのを見ている、というのもあるんでしょうね」
「そのおかげで楽を出来るのはいいが、あまり上手くないな」
「そうですね。実際、今回のような事態になった理由の一つは、その辺の認識にあるというのも、間違いのない事実でしょうし」
副官のその言葉に、バストーレは今回の一件が上手く片付いたら、その辺りの認識をどうにかした方がいいだろうなと思い……すぐに首を横に振る。
(今から先のことを考えすぎるのは駄目だ。まずは実際にザッカランを取り戻してからじゃないとな)
将来のことを考えるも、将軍としては重要だろう。
だが、ザッカランを占領しているドットリオン王国軍は強い。
……いや、正確にはドットリオン王国軍に協力している探索者たちが強いと言うべきか。
空を飛び、光魔法か何かと思われる攻撃をしてくる人型のゴーレムと、そのゴーレムと同等の大きさを持ち……そして恐らく強さという点でも同等だろう黄金のドラゴン。
そのような心核使いが二人に、バストーレが得た情報によると他にもまだ複数の心核使いがいる。
「探索者ってのは、厄介だよな。冒険者や傭兵の類も厄介と言えば厄介ではあるんだが、心核使いが混ざってる探索者ってのは、手に負えねえ」
バストーレのその言葉は、副官にも否定は出来なかった。
実際、今回の戦争では雲海と黄金の薔薇という探索者のクランが、非常に強力な敵として存在しているのだから、そのように思うのは当然だろう。
「そうですね。……本来なら、クランを買収するという方法を採りたいところなのですが……」
「無理だろうな」
「はい」
探索者の中にも、金に汚い者はいる。
いや、寧ろ古代魔法文明の遺跡から出るアーティファクトの類は、高値で売れることが多い。
だからこそ、探索者をやっているという者も少なくないのだ。
そういうクランであれば、それこそ副官が言うように買収するようなことも可能だろう。
だが、今回は事情が違う。
ガリンダミア帝国の皇帝が求めているのは、あくまでもゼオン……正確にはその心核使いのアランだ。
もし雲海が買収に応じたとすれば、それはアランをガリンダミア帝国に売り飛ばすことになる。
当然のように、ガリンダミア帝国に所属した心核使いは好待遇で迎えられ、それこそゼオンのような強力なゴーレムを使う心核使いであれば、金も女も権力も、その殆どが思うままになるだろう。
場合によっては、皇女を与えられて皇族に取り込むといったことすら考えるかもしれない。
だが……バストーレが得ている情報によると、雲海は利益で繋がっているのではなく、家族同然の関係を持つクランだ。
そのようなクランの場合、特定の心核使い一人だけを寄越すようにと言っても、従う可能性はほぼない。
あるいは、欲しい人材がガリンダミア帝国に所属したいと思っていれば話は別だが、今までの流れから考えると、とてもそんなことを希望しているようには思えない。
であれば、今回の一件はやはりどうしても無理に推し進める必要があるのは間違いなかった。
「一応聞くが、アランだったか。そいつが心核使い以外だと駄目な奴ってのは本当なんだな?」
「はい。ザッカランにいる者たちの話からすると、それは間違いないようです」
「なら、いい。戦いが始まる前に、そのアランをこっちで押さえれば、ドットリオン王国軍の方も、もしかしたらすぐに降伏するかもしれないしな」
「それは難しいと思いますが何しろ、向こうにはゼオンとかいうゴーレムと同じだけの強さを持つ黄金のドラゴンがいるという話です。それを考えると、そう簡単には……」
降伏することはないでしょう。
そう言葉を続ける副官だったが、バストーレは鼻を鳴らして口を開く。
「今回の目的は、あくまでもアランの奪取だ。最悪、それが成功したらそのまま撤退してもいい」
「ザッカランは……いいんですか?」
元々の名目は、あくまでもザッカランの奪還だったはずだ。
だというのに、そのザッカランを放置するような真似をして撤退してもいいのか。
そう尋ねる副官に、バストーレは問題ないと頷く。
「アランを捕らえて撤退すれば、当然のように向こうはそれを取り返しにくるはずだ。そうなれば、当然の話だがザッカランの戦力は少なくなる。そうなれば別に俺たちではなくても、ザッカランを攻略することは出来るはずだ」
「それは……まぁ、そうかもしれませんけど。ですがそうなるとザッカランの奪還は将軍の手柄にはなりませんよ?」
「構わねえよ。別に俺はそこまで手柄を求めてる訳じゃねえ。今の将軍って地位だって堅苦しいってのに、これ以上出世してどうしろってんだよ」
「……将軍なら、そう言うかもしれないとは思っていましたけどね」
はぁ、と。
溜息と共に副官がそう呟く。
実際、バストーレの性格から考えて、将軍をやってることそのものが珍しいと言ってもいい。
それ以上の地位に就くことなど、絶対にごめんなのだろう。
……もし仮にバストーレをそのような地位に就けようと考える者がいれば、最悪バストーレは将軍という地位を捨てて逃げ出す可能性すらあった。
もちろん、バストーレも出来ればそのような真似は避けたいのだろうが。
「ともあれ、準備の方も進んでるなら何よりだ。ただし……俺が集めた情報によると、雲海を率いているイルゼンという探索者はかなり切れる。迂闊な真似をすれば、それこそすぐにでもこちらの動きを察知されかねない。その辺だけはくれぐれも気をつけるように注意しろ」
「分かりました。その辺は徹底させます。……とはいえ、将軍の部下に迂闊な真似をするような者がそういるとも思えませんがね」
長年一緒に行動してきた部下たちだけに、副官は自信を持って言う。
もちろん、戦い続けている以上は戦いで死ぬ者もいて、それによって補充されてくる者もいる。
そのような者たちは、当然のように最初は使い物にならないが。それでも部隊の一員としてやっていくと、次第に実力は身についてくるのだった。