0166話
待て、と。そう声をかけられたアランとケラーノの二人は、特に動揺した様子もなく足を止め、声をかけてきた相手に視線を向ける。
向こうが一体何を考えて自分に声をかけてきたのか。
それは分からなかったが、それでもここで無視をするといったような真似はしない方がいいと、そう判断したのだろう。
「どうかしたかい?」
アランではなく、ケラーノがそう言葉を返す。
それは、そう不思議なものではない。
アランとケラーノでは、明らかにケラーノの方が年上だと見て分かる。
また、戦士として一定以上の実力があるものあれば、アランとケラーノではどちらが強いのかというのは、容易に理解出来るだろう。
アランとケラーノに声をかけた男は、覚悟を決めた目で……それこそ、いざとなったら腰の鞘から長剣を引き抜くのを躊躇うことはないといった雰囲気を漂わせながら、口を開く。
「お前たち、ザッカランをまた戦場にするつもりか?」
それが何を意味しているのかは、明らかだ。
つまり、ガリンダミア帝国軍がザッカランを奪還しようとして攻めて来たときに、それを撃退するために戦うのかと、そう言っているのだ。
だが……ケラーノは戸惑った表情を浮かべつつ、言葉を返す。
「それを俺に言われてもな。それを決めるのは、俺達じゃなくてザッカランを占領しているドットリオン王国軍だぞ?」
ケラーノのその言葉、紛れもない事実だ。
ケラーノやアランが所属している雲海は、探索者が集まったクランという集団なのだから。
戦力的に考えれば、それこそその辺の正規軍よりも圧倒的な強さを持ってはいるが、それでも本業は探索者だ。
そんな雲海に、このザッカランを守るためにガリンダミア帝国軍と戦うかどうかを決める裁量は存在しない。
少なくても、表向きにはそのようなことになっているのだ。
……実際には、ガリンダミア帝国軍がゼオンという、この世界においては規格外の人型機動兵器を持つアランを放っておくようなことは出来ず、何とか捕らえて従わせようという思惑がある以上、雲海としてはガリンダミア帝国軍に大きな被害を与えるのは優先して行うべきことなのだが。
アランという存在を捕らえるのが、割に合わないと知ればガリンダミア帝国軍も諦める可能性が高い。
実際には、実力のあるクランであっても、一つ……いや、黄金の薔薇を合わせて二つのクランに一国の軍隊が大きな被害を受けたとして、面子を潰されたと判断し、執拗にアランを狙ってくる可能性も否定は出来ない。
だが、現在も周辺諸国に侵略しており、戦力がいくらあっても足りないガリンダミア帝国軍にしてみれば、アランを捕らえるために集められる戦力には限りがある。
ましてや、現在は雲海がザッカランにいると分かっているからいいようなものを、このままではいずれガリンダミア帝国軍の領土内から出ていき、余計に手を出すのが難しくなるかもしれない。
そうならないためには、今のうちにどうにか雲海を倒してアランを確保する必要があり、そのためには出来るだけ早くザッカランを攻撃する必要がある。
つまり、戦力の逐次投入といったような、愚策と分かっていてもそれを行わなければならなかったのだ。
「お前たちが協力しなければ、ドットリオン王国軍もザッカランを守れないと判断して撤退するはずだ」
「そう言われてもな。そもそもの問題は、ガリンダミア帝国軍がドットリオン王国の領土に攻め入って来たのが原因なんだぜ? 実際、そのときはザッカランからのも多くの者が傭兵として雇われて参加したんだろう? なのに、その反撃でザッカランが占領されたとたんにそういう風に言うってのは、正直どうなんだ?」
「ぐっ、そ、それは……」
ケラーノの言葉に、責めていた男が口籠もる。
実際、ケラーノの言葉は紛れもない真実だったからだ。
今回のザッカランが占領された件についても、ガリンダミア帝国軍がドットリオン王国を侵略しようとしていなければ、起きることはなかったのだから。
とはいえ、それを理解した上でもケラーノと話していた男が納得する様子はない。
「ドットリオン王国がガリンダミア帝国に逆らうってのがどういう意味を持ってるのか、分かってるのか!?」
それは、自分たちの国の方がドットリオン王国よりも上の存在だと思っているからこその言葉。
だからこそ、ザッカランがドットリオン王国に占領されたということが我慢出来ないのだろう。
しかし……この場合は、相手が悪かった。
「さぁ、どうなるんだ? というか、どうなっても構わないしな。俺たちはあくまでもドットリオン王国軍に臨時で雇われた探索者であって、何があったらそれこそドットリオン王国でも、ガリンダミア帝国でもない、別の国に行けばいいだけだし」
「そんな無責任な真似をしてもいいと思ってるの!?」
ケラーノと話していた男の隣にいた女が、金切り声と呼ぶに相応しい声で叫ぶ。
叫んだのはその女だけだったが、他の者たちも気持ちとしては同じなのだろう。
そんな真似をするのは卑怯だと、卑劣だと、外道だと、そう次々に叫ぶ。
しかし、そんな男女に弾劾されているケラーノは、全く気にした様子はない。
それどころか、呆れの様子すら見せたまま、口を開く。
「あのなぁ、お前たちが知ってるかどうかは話からねえが、元々探査者ってのはどこの国にも所属していねえんだぞ? それを前提として、そういう職業が許されてるんだ。それは大樹の遺跡があるザッカランに住んでるんだから、分かるんじゃねえのか?」
国に所属していないということは、何かあったときに国が守ってくれないということでもある。
もちろん、ギルドで仕事を受けたり、遺跡から得た物やモンスターの素材、魔石といった諸々を売ったときにはそこから税金が徴収されているので、最低限のサービス――何かあったら警備兵の詰め所に行く等――は受けられるのだが。
「それは……と、とにかく、お前たちがザッカランから出て行けば、ドットリオン王国の連中もザッカランを守ろうとはしなくなるはずだ!」
男が叫んだ内容は事実でもあった。
ザッカランを攻略するときに雲海や黄金の薔薇が協力し、その圧倒的な戦力のおかげで占領に成功したのは事実。
現在もザッカランを守るために、ドットリオン王国軍の援軍がやって来てはいるが、それでも雲海や黄金の薔薇の戦力に期待が寄せられているのは間違いないのだから。
とはいえ、ケラーノとしてはその言葉に素直に頷く訳にはいかない。
アランの一件もあるので、アランに手を出せばどれだけの被害を受けるかというのを、ガリンダミア帝国軍……正式には国の上層部や皇帝といった者達にもその辺を刻み込む必要があった。
もっとも、侵略国家としての面子もあるの以上、そう簡単に諦めるような真似をするとは、ケラーノにもアランにも思えなかったが。
「その辺は俺が考えることじゃないな。俺たちは個人で動いている訳じゃなくて、あくまでも探索者の集団のクランなんだから。そうである以上、俺たちの方針を決めるのは、イルゼンさんだ」
「それでも、心核使い二人が主張すれば、その発言に力はあるだろ!」
「さて、どうだろうな」
男の言葉にそう誤魔化すケラーノ。
ただ、心核使いだから発言力があるというのは、一般的に考えれば間違いではない。
だが……それはあくまでも一般的な話だ。
何にでも例外はある。
たとえば、黄金の薔薇。
黄金の薔薇を率いているレオノーラは心核使いだが、アランと一緒に心核を入手する前には、当然のように心核使いではなかった。
だが、黄金の薔薇を率いているのはあくまでもレオノーラであり、黄金の薔薇の心核使いのジャスオアーは他の者よりも発言力は高かったが、それでも大した違いはない。
雲海もまた黄金の薔薇とは違った意味で、心核使いだからといって高い発言力がある訳ではなかった。
探索者が集まってはいるものの、基本的に雲海全部が一つの家族といったような繋がりである以上、その辺は当然なのだろうが。
「ともあれ、俺達は特にイルゼンさんの判断に従うだけだ。それよりも、そろそろいいか? 腹も減ったし、ザッカランに戻って何か食いたいんだけどな」
「お前っ! 俺たちとの話よりも自分の空腹が優先するというのか!」
ケラーノの言葉に怒ったのか、男は腰の鞘に……そこに収まった長剣に手を伸ばす。
だが……その長剣を抜くよりも前に、ケラーノが鋭い視線を向けて口を開く。
「その武器を抜いた瞬間、お前は明確に俺の敵となる。そうなった場合、俺は自分の身を守るためにも容赦しないし、他の面々に対しても同様の対処をする。それを分かった上で、武器を抜くのなら抜け」
「ぐっ……」
武器を持っているということは、男も多少は自分の技量に自信があるのだろう。
実際に城壁からそう離れていないとはいえ、ザッカランから出ているのだから。
だが……それでも、多少腕に自信があっても腕利きの探索者のケラーノを前にしては、その実力が効果を発揮するかと言われれば、難しいだろう。
男もそれが分かっているからこそ、長剣を抜くような真似はしない。……いや、出来ない。
今の状況でそのような真似をすれば、それこそ本当に自分を敵だと認識して攻撃されると、そう理解したのだろう。
「それでいい。ここで迂闊な真似をしなければ、俺たちはただ自分たちの意見を口にしただけ。それだけですむからな」
「……おのれ……」
武器を抜くまでもなく、あっさりと動きを封じられたことが屈辱なのか、男の口からは押し殺したかのような声が漏れ出る。
特に強く屈辱を感じているのは、やはりケラーノとアランがドットリオン王国軍に協力しているからか。
探索者であっても、自分たちよりも下に見ている存在に協力しているということは、到底許せるものではないのだろう。
だが、悔しく思っても……それでも、今の状況では何が出来る訳ではない。
ここで攻撃をすれば、明らかに自分たちは敵と判断され……ケラーノが口にしていたように、ほぼ間違いなく殺されてしまうだろう。
そう分かっている以上、男やその仲間たちはザッカランに戻っていく二人の背中を睨み付けるしかなかった。