0150話
「うおっ、寒っ!」
地下八階の砂漠にある階段を使い、地下九階に降りた瞬間……突然感じた寒さに、アランの口からそんな声が漏れる。
当然の話だが、そんな声を発しているのはアランだけではない。
他に何人もが、地下九階に降りた瞬間にそんな声を漏らす。
普通なら階段を降りている途中で寒さを感じてもおかしくはないのだが、その辺は遺跡としての機能なのか、階段を降りている途中では全く寒さを感じなかったのだが。
また、上の階が砂漠だったため、余計にそんな風に感じてしまうのだろう。
……ましてや、アランの場合は快適な環境にあるゼオンのコックピットから砂漠に出てその暑さを感じた直後にこの寒さである以上、その落差から余計に寒く感じているという点もあるのだろう。
そんな寒さを感じつつ、アランは地下九階の様子を確認してみる。
地下八階の砂漠が、空まで存在していたような場所だったのに対して、この地下九階は洞窟……それも鍾乳洞の洞窟のようになっている。
その上でうっすらと凍り付いていたり、天井には鍾乳石と間違うような氷柱が存在したりと、かなり紛らわしい。
(俺の出番……なさそうだな)
砂漠ではゼオンを使って皆を運ぶといった真似も出来たのだが、天井が十メートルくらいのこの鍾乳洞において、ゼオンの出番はまずないと思えた。
そして、ゼオンの出番がないとなると、アランにとってこの地下九階において出番はほとんどないことを意味していた。
もちろん、アランとしては自分が出来るべきことはしっかりとやりたいと思ってはいるし、だからこそ何か頼まれれば率先して引き受ける気ではいる。
「足下は滑るから、気をつけろよ!」
先頭を進む男が、後ろにいる者たちに注意するようにそう叫ぶ。
洞窟のような場所で地面が滑るというのは、非常に危険だ。
それこそ、ここで下手に転ぶようなことにでもなれば、受ける被害はかなり大きなものとなるなるだろう。
手首の骨が折れるといったようなことくらいは、平気で起きる。
そうならないようにするためには、やはり慎重に進む必要があるのは間違いなかった。
「アラン、準備はいいわね?」
確認するように尋ねてくるリアに、アランは問題ないと頷く。
「ああ、俺は問題ないよ。母さんの方こそ転んだりしないようにしてくれよ?」
「随分と偉そうな口を利くじゃない。……そんな口を利いた以上、転んで怪我をしたりしないと思っていいのよね?」
リアは少しだけからかうようにそう告げると、アランを追い抜いて前の方に向かう。
少し早まったことを言ったか? と思わないでもないアランだったが、それでも何となく今はそんな気分だったのだ。
(とにかく、この鍾乳洞は戦う場所としても結構厄介だな)
地面が濡れていたり、苔が生えていたり、場所によっては凍っていて滑りやすいというのもそうだが、道そのものがそこまで広い訳ではない。
また、鍾乳洞や氷柱がいつ落ちてくるかも分からないし、中にはかなり長い鍾乳石や氷柱もあるので、槍のような長柄の武器……どころか、長剣を振りかぶるといったような真似をしてもそこにぶつかりかねない。
天井はそれなりに高いのだが、鍾乳石や氷柱のために、そこまで高いとは思えないのだ。
(こういう場所なら、短剣とかの方が使いやすいんだろうけど……俺は向いてないしな)
アランも生活に必要な技術として、短剣を使うことは出来る。
だが、戦闘の際に使う武器としては、決して短剣の扱いは得意ではない。
「ちっ、敵襲! 氷で出来た鳥だ! 後方、気をつけろよ! こっちの頭の上を抜けていくぞ!」
先頭の方からそんな声が響き、その言葉通り氷で出来た鳥が前方を進んでいる者たちの頭の上を通り抜けて来たが……その氷の鳥がアランのいる場所に届くよりも前に、前方の誰かが振るった槍によって叩き落とされる。
いや、正確には氷の欠片になって吹き飛んだと表現すべきか。
これが地下八階の砂漠であれば、その氷によって涼しさを楽しむことが出来るのだろうが、ここは地下九階だ。
肌寒い中で氷の欠片があっても、特におかしくはない。
そのまま途中で何度か襲撃されるも、前方を進んでいる探索者たちは次々と倒していく。
砂漠のように地形的な意味で厄介な場所では、その環境から探索者たちも行動するのがかなり難しい。
だが、多少寒くてもこの洞窟の中は移動することに困るようなことはない、
地面は苔や水、氷で滑る場所もあるが、砂漠のようにふんばりのきかない場所もある。
それでも今の状況では砂漠よりも圧倒的に戦いやすいのだ。
「……やることがないのは、いいのか、悪いのか」
アランは地下九階を進みながら、そう呟く。
前方で騒動が起こることがあるものの、その騒動の戦いは即座に終わる。
アランにしてみれば、遺跡の中を進む途中で若干の緊張はあるものの、それ以外は特に何かがあるようなことはない。
そんな風に考えながら歩いていたからだろう。
不意に天井から降ってきた何かに反応するのが、一瞬遅れてしまった。
「うわぁっ! 冷たっ!」
ベトリ、という感触に驚き、叫びながらアランは自分に触れている何かを地面に向かって叩きつける。
反射的に地面に叩きつけたそれは、スライム。
アランもこの世界で探索者として活動しているので、当然スライムという存在については知っている。
もっとも、スライムとは言ってもその種類は様々だ。
ダンジョンや遺跡の掃除役を担っているスライムもいれば、動いてい相手襲い掛かって溶かすようなスライムもいる。
今回天井から降ってきたスライムがどちらなのかは、アランにも分からない。
アランに分かるのは、触れた瞬間にもの凄く冷たく感じたということだけだ。
それでスライムに攻撃的な意思がないのであれば、それこそ砂漠に連れていけば非常に便利な代物になるだろう。
だが、今の状況でそんなことを言えるはずもなく、アランは取りあえず地面に叩きつけたスライムは放っておく。
幸いにも、スライムは液体状の身体を持つためか、アランの力で地面に叩きつけられても特にダメージを受けた様子もなく動き続け、壁の方に向かう。
「ちょっと、アラン。大丈夫だったの?」
黄金の薔薇に所属する女の探索者が、少しだけ心配そうにアランに尋ねる。
そんな女に、アランは問題ないと頷く。
「ああ。いきなりでびっくりしたけど。……スライムだからしょうがないけど、まさか音も何もないままに落下してくるとは思わなかった。普通なら、石とかそういうのの欠片が落ちてきてもおかしくはないけど」
「そのくらいは気配で察知しなさいよ」
アランが無事だと知った女の探索者は、呆れ気味に言う。
雲海も黄金の薔薇も、腕の立つクランとして知られている。
当然のように、そこに所属している探索者は気配や殺気といったものを感知出来た。
出来たのだが……残念ながら、アランはそこまで鋭敏な感覚は持っていない。
いや、全く気配や殺気を感じない訳ではないのだが、他の面々のような精度でと言われれば、非常に難しい。
「一応、訓練は積んでるんだけど……」
若干の悔しさと共に、アランはそう呟く。
その言葉通り、アランも訓練の類を怠けるようなことはない。
だが、アランの才能は基本的に心核使いに特化しているので、生身での戦いの才能はどうにか平均的といったところだ。
訓練を重ねてその結果である以上、訓練を怠ければ平均的な技量はあっという間に下がるのは間違いない。
「そう。まぁ、レオノーラ様の足を引っ張らないように頑張りなさい」
そう告げ、女は歩みを再開する。
そうしてしばらく進むと、不意に巨大な空間に出る。
いや、高さそのものは十メートルちょっとで、今まで進んできた場所よりも高い訳ではない。
だが、天井から鍾乳洞や氷柱の類がないだけでも、余計に天井が高く感じてしまう。
そして天井が高だけではなく、広さという点が今までよりも大きく違った。
これまでが二人か三人くらいしか並んで歩ける幅しかなかったのに対し、その空間はまさに広場と表現するのが相応しいくらいの空間だった。
だが、その空間で一番目を引くのは、高い天井でも広い横幅でもなく……その空間の中央にいる、ゴーレムだろう。
それも、一般的にゴーレムと言われて思い浮かべるような、岩のゴーレムではない。
氷で出来た、アイスゴーレムだ。
そのゴーレムは、広間の中に入ってきた者たちを見ると動き出す。
「げっ! 畜生、敵はアイスゴーレム! 皆、戦闘準備をしろ! 魔法を使える奴は魔法の準備を!」
先頭にいた男の言葉に、皆がすぐに動き出す。
アランは、一応長剣を武器としているので前衛に出る。
もしこの広間がもっと狭ければ、アランが前衛として戦うようなことはなかっただろう。
「ピ!」
アランの懐の中で、カロが頑張れ! と鳴き声を上げる。
その声に励まされるように、アランは前に出る。
「アラン、あまり無理をするなよ」
アランの隣に立った探索者の男が、半ば励ますようにそう告げる。
雲海の探索者として、アランと共にやってきたからこそ、アランの実力をよく知っており、だからこそそのような言葉が出たのだろう。
アランはその言葉に、若干悔しそうにしながらも頷く。
自分に才能がなく、雲海や黄金の薔薇の探索者と比べればどうしても腕が落ちるというのは知っている。
知っているが、それを素直に頷けというには、アランは負けん気が強かった。
(分かってはいるんだけどな。それでもやっぱり悔しい)
長剣を手に、アイスゴーレムを見ながらアランはそんなことを思う。
それでも、ここで悔しさのあまり自分の実力を証明してやる! と考え、暴走することがないのは、アランが前世の経験を持っているからだろう。
……ここで自分が暴走するようなことになれば、それこそ皆に迷惑を掛けると、そう理解している為だ。
また、アランにとってはゼオンが雲海にとって最大の切り札であるという思いがあったことも、ここで暴走させないようにしていた一因だろう。
(とにかく、今は余計なことを考えず、アイスゴーレムを倒すことに集中するんだ)
気合いを入れ直すアランたちに向かい、近付いてきたアイスゴーレムはその氷で出来た太い腕を振り下ろすのだった。




