0128話
「ぐがあああああっ!」
青い狼に変身したガーウィットは、苛立ちを露わにして叫びながら、目の前のカバに向かって牙を突き立てんとする。
青い狼の牙と爪は鋭く、大抵の相手であれば容易に倒せる。
それどころか、金属の鎧や盾を持っている相手に対してであっても、青い狼の牙は容易にそれを貫き、斬り裂くことが出来た。
……だが、目の前にいるカバに対しては、どうしようもない。
何しろ皮膚も相当に頑丈で、牙や爪を使った攻撃をしても、その皮膚を切り裂くことすら出来ないのだ。
せいぜいが、引っ掻き傷をつけるだけ。
カバのモンスターを相手にして、その程度の傷では全く意味がない。
実際、今のところ何度となく攻撃しているにもかかわらず、相手には全く堪えた様子がないのだ。
(何故だ! 何故私の攻撃が通じない!)
青い狼の動きは素早く、カバの攻撃もそのほとんどが命中していない。
結果だけを見れば、お互いに相手に有効打を与えていないという点では、半ば互角に近い。
だが……それでも、危機感を強く持っているのはガーウィットの方だった。
何故なら、敵のすぐ後ろには城壁がある。
そして城壁の上には何人もの兵士がおり……
「がああああああああああああっ!」
兵士たちがタイミングを揃え、一気に射った矢が纏めて青い狼に降り注ぐ。
矢を見た青い狼は即座にその場から退避しようとするが、残念ながら全ての矢を完全に回避するような真似は出来ない。
「ぐぬぅっ!」
数本の矢が、青い狼の身体に突き刺さり……だが、それでもガーウィットの闘志は衰える様子も見せず、身体に矢が突き刺さったまま、カバのモンスターに襲いかかる。
とはいえ、厚い皮とその下に蓄えられた脂肪、そして強靱な筋肉。
その三つの防御を青い狼では破ることが出来ない。
このような相手には、鋭利な刃ではなく鈍器による攻撃……鎚や斧といった武器での攻撃が有効なのだが、青い狼に変身したガーウィットにそのような攻撃方法はない。
……いや、あるとすれば得意の速度いを活かした体当たりなのだが、それでもカバのモンスターに大きなダメージを与えられるかどうかとなれば、それは難しい。
(だが……それでも、私はやらなければならない。ここで何も出来なければ、わざわざザッカランの攻略戦についてきた意味がない!)
そう決意し、一度相手から距離を取り……そうして距離を取れば、再び城壁の上にいる兵士たちが矢を射る。
モンスターの中には体毛で刃を防ぐような、強力な防御力を誇る種族もいる。
だが、ガーウィットが変身した青い狼は、速度はともかく防御力という点では決して高くはない。
だが……
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
その雄叫びと共に、青い狼の周囲に数十本の氷の矢が浮かぶ。
その氷の矢は、自分に降り注ぐ兵士の射った矢を、次々と迎撃していく。
数だけで考えれば、矢の数は兵士の射った矢の方が多い。
だが、兵士とは言っても精鋭はラリアント攻略戦に持って行かれ、そこで多くの者が戦死している。
結果として、現在ザッカランの防衛を行っている兵士たちは、何とかラリアントでの戦いを生き残った者と、実力が足りずにラリアントに行けなかった者が混在している。
そして実力が足りない者の射った矢は、青い狼の方には向かっているが、正式な狙いは逸れていることも珍しくはなかった。
だからこそ、青い狼の放った氷の矢は、自分に向かって降り注ぐ矢だけを迎撃することに成功していた。
青い狼の周囲に、多数の矢の残骸が降り注ぐ。
それを見て、隙と判断したのだろう。
カバのモンスターが全速力で突進していく。
「があああああっ!」
そんなカバに向かって、再び放たれる氷の矢。
しかし、矢を破壊するだけの威力がある矢であっても、固い皮膚と厚い脂肪、強靱な筋肉という三つの防御を持つカバに大きなダメージを与えることは出来ない。
それこそ、カバは攻撃されたのすら気が付かない様子で突っ込んでいき……
「させるか!」
轟っ、と。
そんな声と共に振るわれる強力な一撃。
当然のように、その一撃を放ったのは青い狼……ではなく、いつの間にか近くまでやって来ていたオーガ。
そのオーガの振るった拳は、突進してきたカバを正面から殴りつけ……結果として、オーガは大きく吹き飛ぶが、同時にカバの方も殴られた衝撃で進行方向を逸らされ、青い狼から少し離れた場所を突進していく。
「なっ!?」
激しい衝撃を覚悟していたのに、全く何の衝撃も来なかったことに驚く青い狼。
咄嗟に周囲に視線を向けると、そこには巨大な影があった。
青い狼も普通の狼と比べても圧倒的な大きさを持っているのだが、その影は自分よりも明らかに大きい。
緑の皮膚を持つ、オーガ。
そのオーガが、何故ここにいるのかが青い狼に変身したガーウィットには分からなかった。
今回の戦いは自分の実力を証明する絶好のチャンス。
だというのに、それを邪魔した相手がいる。
オーガ……雲海に所属する心核使いのロッコーモに叫ぶ。
「何のつもりだ!」
その叫びは、寧ろ敵に向けられるものよりも鋭かった。
自分の実力を発揮するはずの場面で邪魔をされたのだから、当然だろう。
だが、その行為を行ったロッコーモは、青い狼を担ぎ上げると強引にその場から離脱する。
このままここで戦った場合、かなり面倒なことになるというのを理解しているのだろう。
何しろ、オーガには遠距離攻撃の手段はない。
何か物を投げるという方法で攻撃することは可能だったが、それはそれで隙が大きいというのも事実だ。
城壁を破壊するつもりで攻撃すれば、戦力の少ない向こうを動揺させることは出来るかもしれない。
だが、それでも……今の状況を考えれば、それが決して最善の手段でないことは、間違いなかった。
だからこそ、今は一度退くべきだと、そう判断したのだろう。
……イルゼンにそのように指示されたことも大きな理由ではあってが。
「離せ! この無礼者が! 探索者風情が、気安く私に触れるな!」
アランを敵視しているガーウィットは、当然のようにアランの所属している雲海についても調べているし、そして雲海にはアラン以外に二人の心核使いがいるというのも知っている。
その片方が、ロッコーモというオーガに変身する心核使いであることも。
だからこそ、ガーウィットは現在自分の身体を持って走っているオーガが、そのロッコーモが心核で変身した相手であるということを十分に理解していた。だが……
「うるせえっ! 横でぎゃあぎゃあ騒がれてたら、気が散ってしょうがねえだろうが! 荷物は荷物らしく、そのまま大人しくしていやがれ!」
ガーウィットの言葉に従うどころか、間近でそんな風に怒鳴られる。
ガーウィットにしてみれば、貴族であり、心核使いでもある自分をこうして怒鳴る相手がいるとは思えなかった。
いや、自分の家族なら話は別だが、貴族でも何でもない一介の探索者に怒鳴れるといのは、生まれて初めての経験となる。
だからといって、それを受け入れられる訳でもないのだが。
「貴様っ! 自分が何をしたのか、あとでしっかりと教えてやるぞ! 絶対に……絶対に許さんからな!」
ガーウィットは、青い狼の姿のまま、必死になって叫ぶ。
……それでも暴れるといったことがないのは、自分がここで暴れても何の意味もないと、それどころか敵に利益しか生まないと知っているからだろう。
背後から聞こえてくる歓声……ザッカランを攻略しようとした自分たちを撃退したことに喜ぶ声に、はらわたの煮えくり返るような思いを抱きながらも、ガーウィットはそれ以上何も言わなくななる。
自分のやるべきことが失敗したと、そう感じていたためだ。
実際には、ガーウィットがやるのはザッカランにどのような奥の手が残っているのかを調べるという行為で、その行為はしっかりと果たされている。
少なくても、ザッカランには心核使いが最低一人いることは明らかになったのだから。
……とはいえ、それ以外の奥の手が何かあったとしても、それが判明しなかったというのは痛いが。
ただし、イルゼンはザッカランの領主サンドロについての情報を持っており、その情報とガーウィットが行った戦いの成り行きから、恐らくは心核使い以上の奥の手はないと判断した。
心核使いというのは、一人だけで戦局を逆転させるだけの強さを持っているので、心核使いがいるというだけで、実際には奥の手と呼ぶのに相応しいのだが。
だが、今回はドットリオン王国軍にもアランを始めとして心核使いは多く、そういう意味では奥の手にはなりえない。
つまり、このまま予定通りに戦いを挑んでも問題はないと、そう判断してロッコーモにガーウィットを助けるように命令が下されたのだろう。
別に助けに行くのであれば、他の心核使い――アランとレオノーラ以外――でも構わなかったのだが、そんな中でロッコーモが選ばれたのは、やはり巨大な青い狼をこうして強引に担いで連れ帰るという点を考慮してのことだろう。
「はいはい、その辺は好きにしな。お前が何をどう考えたところで、こっちは命令されたことをやってるだけなんだからな」
ロッコーモがそう言うと、ガーウィットも不満を抱きつつも何も言えなくなる。
何しろ、この戦いにおいては勝利することこそが大事なのであって、ガーウィット本人の思いなどは全く関係ないのだから。
「ぐっ」
ガーウィットの口から、悔しげな言葉が漏れる。
ここで自分が何を言っても、意味はない。そう判断したのだろう。
実際にそれは間違っていないので、ロッコーモはガーウィットを連れて陣地内に戻るのだった。
「お疲れ様です」
本陣に戻ってきて担いでいたガーウィットを下ろすと、そうロッコーモに声をかけてきた相手がいた。
ロッコーモが所属する雲海を率いる、イルゼンだ。
だが、青い狼から人の姿に戻ったガーウィットが睨み付けたのは、そのイルゼンではなく……イルゼンの横にいる、アラン。
(いや、俺を睨まれても困るんだけど)
アランとしては、何故自分が睨まれなければならないのかと、内心で溜息を吐くのだった。




