0105話
突然聞こえてきた、待てという声。
一触即発といった状況ではあったが、それでもその声の持ち主は周囲にいる者たちの視線を集めるのに十分な迫力を持っていた。
アランも、そしてアランを苛立たしげに睨んでいた貴族や、武器を抜きかけていた貴族の取り巻きたちも、その全員が声のした方に視線を向ける。
そうして視線が向けられた先にいたのは、巨漢と呼ぶに相応しい男だった。
一目見ただけで、その男がただの男ではないと感じることが、アランにも出来る。
「セレモーナ将軍」
そんな中、小さく呟く声が聞こえてきた。
苦々しげなその声を発したのは、アランに心核を出せと言っていた貴族。
(セレモーナ将軍。……聞いたことがあるな)
アランはその人物を見るのは初めてだったが、このドットリオン王国において勇猛な将軍として名前を知られている人物だ。
その実力はドットリオン王国の中でも非常に有名で、だからこそラリアントの援軍としてこの人物がやって来たのだろう。
とはいえ、本人も貴族の家柄……伯爵家の者であるにもかかわらず、実力主義の性格は他の貴族……特に自分の血脈に誇りを持っている貴族たちには、疎ましがられていた。
それが、現在アランの目の前の光景なのだろう。
「貴様ら、一体何をしている」
鋭い視線で貴族を睨むセレモーナに、睨まれた貴族は忌々しげな表情をしながらも大人しく答える。
貴族にとって、セレモーナは好ましい相手ではないが、だからといって堂々と逆らうような真似も出来ないのだろう。
「いえ、何でもありませんよ。ただ、ラリアント軍にいる心核使いを、同じ心核使いとして話してみたかっただけです」
ピクリ、と。
アランは貴族の言葉に反応する。
目の前の貴族は、自分も心核使いだと言ったのだ。
だとすれば、何故この貴族が自分に辛く当たったのかというのは、容易に想像出来る。
心核使いというのは、この世界において決定的な戦力の一つとして扱われている。
だからこそ、貴族の自分ではない探索者が強力な心核使いとして名前が知られていることが許せなかったのだろう。
(つまり、俺から心核を取り上げてもゼオンがいなくなった分は自分でどうにかするつもりだった訳か)
本当にそのようなことが出来るほどに強い心核使いなのか、それとも自分の実力を過信しているのか。
その辺りはアランにも分からなかったが、分からない以上、そんな相手の考えに乗る訳にはいかない。
何より、そのような性格の心核使いがラリアントを本気で守るとは思えなかった。
まだ目の前の貴族と接した時間は、せいぜい十分程度でしかない。
そうである以上、これまでの言動から目の前の相手を信頼出来る要素は一切ない。
「そうか。ヒルスの気持ちは分かるが、今はそんなことをしている場合ではない。お前もアランと同じ心核使いなら、その実力は実戦で示してみせろ。……いいな?」
そのセレモーナの言葉で、アランはようやく目の前の心核使いの貴族がヒルスという名前であることを知る。
もっとも、それを知ったからといったどうなる訳でもなかったが。
「……分かりました。貴族としての実力は、この者の前で実際に戦って見せつけましょう」
これ以上ここで言い争っていても意味はないと悟ったのか、ヒルスは短くそれだけを告げ……最後に、苛立ちを込めてアランを睨み付けると、その場を去っていく。
そんなヒルスを追って、取り巻きたちもアランの前から立ち去った。
ヒルス同様に、アランを憎々しげに睨み付けてから。
そんなヒルスたちを見送っていたアランだったが、ふぅ、と聞こえてきた溜息に視線を向けると、そこにはセレモーナの姿がある。
アランと視線が合うと、セレモーナは頭を掻きながら口を開く。
「うちの軍の者が迷惑をかけたな。ヒルスは……いや、ヒルスだけではないが、多くの者がお前を気にしている。いい意味でも悪い意味でもな」
「で、今のは悪い方なんですか?」
「そんなところだ。……ともあれ、態度こそ小物のそれだが、奴は心核使いとして相応に腕が立つ。もっとも、だからこそ奴も大きな顔を出来ているんだがな」
セレモーナの言葉は、アランにとって少しだけ意外だった。
あの様子から、てっきり口だけで実力はそれほどではないと思っていたからだ。
この辺、アランの貴族に対する一種の偏見だろう。
もちろん自分に絡んで来た相手の態度が気にくわなかったから、というのも大きいのだろうが。
「腕、立つんですか?」
「ああ。まぁ、そう見えなかったかもしれないがな。……けど、それはお前もだろ?」
セレモーナが数秒前とは全く違う鋭い視線でアランを見る。
その内面までをも見透かすような視線は、不意に消える。
「お前が心核使いとして強いのは、報告ですでに知っている。だが、それはあくまでも心核使いとしてだけだろう? 生身での戦いとなれば、そこまで強くはないはずだ」
「それは……」
事実であるだけに、アランはそれに反論出来ない。
実際にアランは、生身での戦いとなれば長剣を使っても平均的な腕前くらいしかない。
毎日のように訓練していたのにこうなのだから、それは純粋に才能の問題だった。
「奴もお前と同じで、心核使いとしての技量は高いが、生身での実力はそこまで高くない。そんなこともあって、お前に絡んだんだろうな。……理由はどうあれ、うちの軍の者がアランに絡んだのは間違いない。すまなかったな」
そう言い、セレモーナは頭を下げる。
貴族の血筋を持ち、それでいながら実力で将軍という地位になった者が、人前で頭を下げたのだ。
当然のように、周囲にいる者たちはそんなセレモーナの姿にざわめくし、アランもまたあまりの驚きで一瞬言葉を失ったあと、慌てたように口を開く。
「あ、頭を上げて下さい! セレモーナ様が謝ることではないでしょう!? その、俺の件はもういいですから」
あまりの驚きに一人称が俺に戻っているのにも気付かず、アランははそう叫ぶ。
そんなアランの様子に、セレモーナは頭を上げる。
「そうか。分かって貰えたようで何よりだ。……ああ、それと別に俺の前では無理に言葉を取り繕う必要はないぞ。公式の場ではきちんとして貰う必要があるが、今のような場合なら無理をしなくてもいい」
「……ありがとうございます」
少し迷いながら、それでもアランはセレモーナがそう言ってくれたのだからと、そう答える。
「よし。じゃあ、お前もこっちに来い。使者から色々と事情は聞いたが、実際にガリンダミア帝国軍と戦った者の意見というのは重要だからな」
セレモーナは、元々そのためにここまで来たのだろう。
だが、そのことを口にするよりも前に、あの騒動があったのだ。
そう察したアランは、一度セレモーナに断ってからゼオンの下に行き、心核に……カロの状態に戻す。
全高十八メートルもの大きさの人型機動兵器が消えた光景に、驚きの様子を見せる兵士たち。
心核なのだと分かっていても、やはりゼオンほどの大きさの存在が突然姿を消すというのは、驚くべきことなのだろう。
セレモーナですら、目の前でゼオンの姿が消えた光景に、目を見開いたのだから。
そんな光景を眺めつつ、アランはセレモーナに話しかける。
「ゼオンを心核に戻したので、取りあえず行きましょうか。時間にもそこまで余裕はないでしょうし」
「……そうだな」
アランの声で我に返ったセレモーナは、そのままアランを引き連れて離れた場所にある天幕に向かう。
そんなアランの姿に、兵士たちはただ驚きの視線を向けて見送るだけだった。
……ただし、兵士たちの中の何人かは、暗い視線をアランに送っていたが。
ラリアントに対する援軍と一口に言っても、そこには多くの者がいる。
中には当然のように兵士たちから情報を集めるために貴族に雇われている兵士の姿もあり、そのような者はアランの存在が貴族に……自分の雇い主にとって、面白くないものであると、そう理解していたのだろう。
「それで、率直な意見を聞きたい。ここにいる者の顔色を窺うような意見ではなく、本当に率直な意見をだ」
天幕の中に入るなり、セレモーナがアランに向かってそう告げる。
そんなセレモーナの言葉に、天幕の中にいた多くの者は当然だといったように頷く。
ただし、ここでも何人かはアランに軽蔑や嘲笑、疑惑といった負の視線を向ける者がいた。
アランも当然その手の視点には気が付いていたが、相手が貴族であればおかしな話ではないと、直接絡まれることがなだけマシだと判断し、セレモーナの言葉に頷く。
「分かりました。俺で分かることなら何でも話します」
俺という言葉に負の視線を向けていた何人かが口を開こうとしたが、それよりも前にセレモーナが口を開く。
「そうしてくれ。さっきも言ったように、言葉遣いはそのままでいいからな」
そうセレモーナが言えば、アランの言葉遣いを注意しようとしていた者も何も言えなくなる。
「まず、ガリンダミア帝国軍の中には心核使いが多くいます。基本的に多くの国と同時に戦いになっているガリンダミア帝国軍としては、どうやってあれだけの心核使いを集めたのかというくらいに」
大量に心核使いが出て来ているのでアランも誤解しがちになってしまうが、基本的に心核使いというのは人数が少ない。
そもそも、心核というのは遺跡や……そしてたまにダンジョンから発見される代物で、希少価値が高いのだ。
それ以外にも、心核使いが何らかの理由で手放した心核がを手にした者が心核使いになることもあるが、そのような場合は再度心核が使えるようになるまで、長い時間がかかる。
それらの事情を考えれば、ザラクニアの一件でもそうだったが、ここまで多くの心核使いを用意するというのは、普通に考えれば難しい。
「ガリンダミア帝国軍か。占領した国の心核使いを強制的に引き抜いているという話を聞いたことがあるが、本当だったらしいな。もしくは、引き抜いた心核使いを他の戦ってる場所まで送り、ガリンダミア帝国軍の心核使いをこちらに持ってきたのかしれないが」
セレモーナの難しい表情を見ながら、アランは自分が戦ったことで気が付いたことを説明するのだった。