0100話
その日もまた、ラリアント軍とガリンダミア軍の戦いは続いていた。
戦っている者たちにしてみれば、一体自分たちが戦い始めてから何日くらい経ったのか、それが全く分からない。
分からないが……それでも、お互いにまだ戦い続ける必要があるのは間違いなかった。
双方共に疲労困憊といった様子ではあるのだが、やはり疲労という点ではラリアント軍の方が大きい。
野営をするよりは、しっかりとして建物の中で休めるのだから、本来ならラリアント軍の方が疲れは取れやすいのだが……しかし、毎晩のように威嚇の声を上げられ、隙あらば夜襲をしようとしているガリンダミア帝国軍を相手にするというのは、精神的に疲れる。
これが戦場に慣れているものなら、ガリンダミア帝国軍の動きは気にせずに寝ることも出来るのだろう。
だが、ラリアント軍の中には義勇兵の類も多い。
それだけに、どうしても建物の中で寝ていても熟睡は出来なかった。
……もちろんそれが全員という訳ではなく、義勇兵だったり直接戦場に出ないような者の中には状況に慣れるといった者もいるのだが……その数は決して多くはない。
ガリンダミア帝国軍の方も、徴兵してきた兵士たちの被害は大きい。
相手を消耗させるために、常に最前線で戦わせ続けているのだから、それも当然だろう。
完全に捨て駒扱いされているのは分かっているが、それで督戦隊の存在がある以上、逃げ出すような真似は出来ず、出来るのは戦って生き延びるだけだ。
そんな日が何日も続き……やがて事態が動く。
「援軍だ、援軍が来たぞ!」
そう叫んだのは、城壁の上で矢を射っていた兵士の一人。
城壁という高い場所からだったので、その兵士が他の者よりも一足早く援軍を見つけることが出来たのだろう。
そして兵士の一声が周囲に響くと、城壁の上で疲労困憊の状況で戦っていた兵士たちの視線が、そちらに向けられる。
最初は嘘だろう? という疑惑。
だが、遠くには間違いなく軍と呼ぶに相応しい人の群れが存在している。
それを見れば、今の状況で視線の先ににいる者たちがこちらの援軍ではないという選択は、絶対に有り得なかった。
一人、二人、三人といった具合に、視線を地平線の向こう側に援軍がいるのを確認すると、雄叫びを上げる。
「援軍だああああああぁっ! 援軍が来たぞぉっ! 俺たちの勝ちだ! ラリアント軍の勝ちだぁっ!」
その叫びは、それこそラリアント全体に響くかのような大きさで周囲に響き渡る。
自分たちが耐え忍んでいた甲斐はあったと、そう思えるだけの大戦力。
とはいえ、その戦力が見えたのは地平線の向こう側で、ラリアントに到着するまでには、まだかなりの時間が必要なのは間違いない。
そうである以上、いくら援軍が来たからとはいえ、すぐにそれが自分たちの戦力になるという訳ではないのだが……それでも、援軍が確実に到着するというのが分かっていれば、多少の不利もどうということはない。
援軍が来たという知らせを受けた兵士たちは、それこそ自分の中にある力を振り絞るようにしてガリンダミア帝国軍に攻撃を再開する。
その攻撃によって弓の弦を引く掌の皮が敗れ、肉が裂ける者もいたが、それでも援軍が到着するまで生き残るということに比べれば、その程度のことはどうということはない。
「え、援軍!? 援軍だと!?」
そして援軍の存在にラリアント軍とは逆の意味で衝撃を受けたのは、当然ながらガリンダミア帝国軍の先鋒として用いられている徴兵された者たちだった。
今の状況ですら、自分たちはラリアントの城壁を越えることが出来ていないのだ。
だというのに、そこに敵の援軍が来たというのは、それこそ死に直結しているようにしか思えない。
「ちょっ、おい! これ、どうすればいいんだよ!」
「知るか! 俺たちに出来るのは、とにかく援軍が来るまでに何とか城壁を……」
越えるだけだ。
そう言おうとした男の言葉を遮ったのは、背後から聞こえてきた命令。
『撤退だ! 全軍、一度撤退しろ!』
え? と。
その命令を聞いた者の全員が、本当の命令なのか? と疑問に思う。
今まではどんなことがあっても自分たちを撤退させるような真似はしなかったというのに、何故この状況で? と。
そんな疑問を抱くのは、やはりと言うべきか当然の出来事だろう。
だが、実際に命令を下している者はガリンダミア帝国軍……それも自分たちのように徴兵された者ではなく、ディモの直轄部隊の者たちだ。
そうである以上、これが何らかの罠ということは有り得ない。
それが分かった兵士たちは、喜んでその場から撤退を始めた。
このままここに残っていれば、それこそ現在城壁の上から次々と射られ続けている矢に貫かれてしまいかねない。
そうなると、ここで逃げないでいつ逃げるといった風に思うのは当然だった。
「よし、逃げるぞ! 今はとにかくここから逃げた方がいい。連中が何で急に俺たちに撤退を許可したのかは分からないが、今はとにかく逃げるんだ!」
徴兵された兵士の一人が叫び、その言葉に従うように皆が後方に向かって駆け出す。
その途中で城壁から射られた矢に背中を貫かれる者も出て来たが、今はそんな不運な者に構っていられる余裕はない。
とにかく、ここから逃げ出すということを最優先にするべきだった。
少し前まで行われていたのとは、全く逆の戦闘。
一方的にラリアント軍が攻撃し、ガリンダミア帝国軍は逃げに徹するという状況だったが、当然そうなればラリアント軍の中にも追撃をしたいと考える者も出て来る。
「隊長、敵はこちらに援軍が来たことで、背中を向けて逃げています! 今なら、敵を一方的に攻撃出来ます!」
兵士の一人が、上官に向かってそう叫ぶ。
戦闘が始まってから今日まで、自分達は城壁があるので持ち堪えてはいたが、それでも圧倒的な数を持つガリンダミア帝国軍から一方的に攻撃されていた。
夜になってもしっかりと休むことが出来なかった状況は、兵士たちに強いストレスを与えていた。
そんな中で援軍がやって来て、それを察したガリンダミア帝国軍が逃げ出したのだ。
今までの鬱憤を晴らすかのように、追撃をしたいと思う者が出て来るのは当然だろう。
(どうする?)
追撃をしたいと言われた男は、悩む。
自分に与えられている命令は、あくまでもラリアントの城壁を守ることであって、追撃をしろとは言われていない。
だが、それはあくまでも援軍が来るまで籠城するという考えからのものだ。
であれば、援軍が来て敵が撤退した今、追撃を行ってもいいのではないか。
そう思うも、ここで自分が判断してもいいのか。
しかし今にお状況で上官に追撃を許可を貰いに行っているような時間はない。
そうして迷っているとき……事態が動く。
不意にラリアントの正門が開いたのだ。
今まではガリンダミア帝国軍が幾ら攻撃しようとしても決して開くことのなかった正門が。
敵からの攻撃で開いた訳ではないのは、正門の前にガリンダミア帝国軍の者が誰もいないことから明らかだった。
それはつまり、誰かが内側から開けたということ。
そしてこの状況で門を開ける理由は一つしかない。
まだかなり遠くにいる援軍を迎える……のではなく、撤退していくガリンダミア帝国軍に追撃を行うため。
それに気が付いたとき、追撃するべきかどうかで迷っていた男の天秤は一気に追撃する方に傾いた。
この辺、純粋にラリアント軍だけで防衛戦をしているのではなく、元々ここに滞在していた冒険者や探索者、近隣の村や街からも応援がやってきたことによる影響もあるのだろう。
自分たちが不利なときは、上からの命令にも当然のように従い、一致団結して敵との戦う。
だが、こうして一度自分たちが有利になると、自分たちの判断で動いてしまう。
それが明確に現れたのが、今このときだった。
皆が追撃を行っている。
そんな中で自分が追撃を行わなくてもいいのか、と。
実際には皆というほどに大勢が追撃を行っている訳ではなく、逃げるガリンダミア帝国軍を見て反射的に追撃をすると決めた者たちや、手柄を独り占めしようと思っている者たちといった具合に、少数でしかない。
だが、それでも実際に追撃に移った者を見れば、それに続かなくてはと、半ば反射的にそれに続こうとしてしまう。
「追撃だ! 俺たちも追撃するぞ! ラリアントを占領しようとした侵略者たちを許すな!」
一度追撃すると決めてしまえば、行動は早い。
部下を率いて、そのまま正門に向かう。
途中で先程までの自分と同じように追撃するべきかどうか迷っていた者たちもいたのだが、そんな者たちを出し抜いたとすら思ってしまう。
「ちょっ、おい、待て! 追撃の命令は来ていないぞ! 今は、取り合えず……」
顔見知りの軍人が追撃に向かおうと部下を率いて走っている男に向けてそう告げるが、一度追撃すると決めた以上はそこで足を止めるような真似は出来ない。
半ば意図的に無視し、部下と共に正門から出て、撤退していくガリンダミア帝国軍を追う。
すでに先に出撃した者たちは、撤退しているガリンダミア帝国軍との間合いを詰めつつあった。
恐らく、そう時間がかからないうちに攻撃を開始するだろう。
出遅れたことに後悔を抱きつつ、それでもあれだけの人数である以上は、自分たちの獲物は追いついたときにもまだ残っているはず。
そんな思いと共にに走っていたのだが……
「え?」
不意に見えた光景に、自分でも分かるような呆けた声が出る。
それは、本来なら逃げているはずのガリンダミア帝国軍から行われた攻撃。
大量の矢が山なりに大きな弧を描き、ガリンダミア帝国軍に今にも追いつきそうな者たちに向かって降り注いだのだ。
それも、敵だけではなく撤退の殿軍を押しつけられていた、徴兵された兵士たちにも向かって。
当然そうなれば、ラリアント軍の足を止めるのに十分な威力ではあったが、同時に殿軍にも被害が出る。
明らかに、最初から狙っていた攻撃。
その攻撃を見て足を止めた軍人の男が見たのは……ガリンダミア帝国軍側の地平線の向こうから姿を現した、敵の援軍の姿だった。




