幕間 - イガルタ
「あのう、湊辺カムイ防衛副士長はいますか?」
「なんだ?」
壱岐宮ルナが訪れた部屋には湊辺カムイが一人いるだけだった。
中はルナが思ったほど広くなく、部屋の奥に畳まれた机とパイプ椅子が重ねられている。備品室を都合よく利用しているようだが、掃除は行き届いていて汚い印象は感じさせない。
カムイは机の一つを壁際に立て、そこで書類を作成していた。彼はルナが入ってきたのを見て、画面が見られないようにかノートパソコンを閉じた。
「あー、えーっと」
「……ああ、すまん、謝罪がまだだったな。朝にあんたを気絶させたのは俺だ。悪かった。ちょうど襲撃があって、その仲間かと思ったんだ」
「あ、うん、それはいいや」
もう聞いた、とばかりにルナは流す。
淡白に返し過ぎたせいか、肩透かしを食らったようにカムイは目をぱちくりとさせた。
「……ホノカに何か聞かされたな?」
「『カムイ君がきっと話したいことがあるだろう』って……」
「ち……余計なお世話を返されたか」
はあ、とカムイは溜息を吐いた。思い当たる節があるのだろう。
ルナは心災防衛に所属したことで八年前の真実を知った。カムイもまた、ルナが保護対象者だったために伏せられていた情報を今日知らされたのだ。
「あんたが真相から距離を置きたいならそれで良かったが、知りたいと思うなら知っとくべきだろうな……八年前のことも、すまなかった。『快晴の大洪水』を起こしたのは俺だ」
「ああ、やっぱり」
カムイの口から直接聞いても、あまり大きな驚きをルナは感じなかった。
「気付いていたのか?」
「うーん、なんとなく? 『枯木の樹海街』の原因が私なら、そっちも誰かいるんだろうなーって。あと洪水以来、深い水が苦手でさ。泥水を見たらなんか思い出しちゃって」
感覚的に近しい事象を見たことで、八年前の出来事を想起させられたのだ。
「……悪かったな」
「ううん。あのときこの力──第六感? が発現したのが私でよかったって思うよ。洪水が起きてすぐ私も心災を起こしたから、それで洪水を止められたんでしょ?」
「だが、それだってそもそも俺が原因だろう」
カムイは申し訳なさを示すように少し俯いた。そんな必要はないと、ルナはカムイの肩を叩いた。
「私が良かったって思うのは、当事者にならなきゃこうやって困ってる人たちがいることも知らなかっただろうってこと! カムイくんはさ、第六感を使って人を助けたいんでしょ? 私も同じ!」
ルナは胸を張って言う。だからこれからは対等だと、そんなつもりの言葉だった。
「でもさ、どうして私をここに誘ったの?」
「名前だけは聞いてたんだよ。ホノカが楽しそうにあんたとの話をするんだ。興味のない俺にわざわざ何度も」
少し俯いてカムイはそう言った。
「だけど、楽しそうなのもずっとじゃない。あいつ、最近は特に辛そうだったんだ。あんたに隠し事をしているのが負担だったんだろうな」
「よく見てるんだね。私は全然気づけなかった……でも、心災防衛のことを私に話してくれている時、ホノちゃんすごく嬉しそうにしてた」
「あんたが所属してくれたから、やっと明かせたんだ。潰れて取り返しがつかなくなる前に間に合ったな」
カムイは、自分とは違うホノカの一面を知っている。今日知り合ったばかりでも、そんな彼が思い遣ってくれていることが嬉しく感じられた。
「そうみたいだね……うん、ありがと」
「それは俺が受け取る言葉じゃない。ずっとあんたを守ってたホノカに好きなだけ伝えてやればいい」
「いーや、カムイにも言っとく!」
複雑な表情を返された。呼び捨てたことがそんなに気に入らなかったのだろうか。
「私のことも『ルナ』でいいから」
いつまでも被害者だと思われたくはない。対等にあるためには、呼び捨てにし合うくらいでないと意識できなさそうだと思っての提案だ。
カムイは呆れたような溜め息を吐くと、真剣な顔をして顔を向けた。
「この組織に所属するなら、いつか同じ任務に当たることもあるだろう。その時はよろしく頼む、ルナ」
「もちろんだよ、こちらこそ!」
話が一段落すると、それを見計らったかのように扉が開く。そこから顔を覗かせたのは西陽ホノカだった。
ルナが帰る素振りを見せたため開きかけていたノートパソコンをカムイは再び閉じる。
「ホノカか。やってくれたな」
「カムイ君こそ。これでおあいこですよ」
からりと笑うホノカに、は、とカムイも笑いを零した。
「お疲れ様ですルナちゃん。お話はできたみたいですね」
「うん、言いたいことは言えたよ」
「なによりです」
ルナが話していると、気になることでもあるのかカムイがじっとホノカを見ていることに気付いた。
ホノカも無言で首を傾げ、言いたいことがあるならと先を促す。
「今日の心災中枢、どうなった?」
気にしていたのはモグラ男のことのようだった。ルナにとっては不審者だったが、カムイやホノカにとっては救うべき対象。気になるのも当然と言える。
「もう落ち着いたようです。ご家族とも連絡は取れています」
「そうか。第六感は?」
「保持しています。物質操作系でしたし、グラウンドも本人が直せると」
「だろうな……しかしまた偏りが激しくなったな」
「そういうものでしょう。精神操作系は発現数こそ多いですがほぼ暫定消失ですから」
物質操作系に、精神操作系。一口に第六感と言っても様々なものがあるらしいことをルナはなんとなく感じた。
「イガルタに貴重な保有者を《《もってかれた》》のもあるだろ」
「……ですね」
『イガルタ』という言葉に、二人の間に走る緊張が見えるようだった。思い返せば自分が朝にカムイから攻撃を受けた時にも、そんな名前で呼ばれたような気もする。
「その、『イガルタ』って私が朝に勘違いされたやつだよね。それって何なの?」
「心災防衛に敵対している組織、と思ってもらえれば大丈夫です」
「おいホノカ、今日所属したばかりでいいのか?」
「ルナちゃんなら問題ありません。ホノカが保証します」
太鼓判を押されてしまった。信頼は何より嬉しいが、所属したての自分にほいほいと教えて良いものかと気にはなる。
「大丈夫ですよルナちゃん。勘違いされて攻撃されたルナちゃんには知る権利があります。今朝心災防衛はそのイガルタから襲撃を受けて、厳戒態勢が密かに敷かれていたのです」
「それで私が悪い人だと思われたってこと?」
「……見覚えのない奴が植物操作なんてしてたら敵だと思っても仕方がないだろ」
「とまぁ、お説教したというのにあまり反省が見られないんですよね」
「ううん、ホノちゃんたちも大変だったんだろうし、私は大丈夫だよ。あっ! そういえばあの時の男の子は?」
今朝の話を出されたことで、どうして自分が植物を動かそうとしたのかをルナは思い出した。
あのときルナは池で溺れる少年を過去の自分に重ね、助けようと思って第六感を再発現させたのだ。
「そう、それです。今朝あの場にいたのはルナちゃんとカムイ君だけで他に誰かが残ってはいませんでした。カムイ君は見ましたか?」
カムイは記憶を辿るように上を見たが、顰め面からして結果は芳しくはないらしい。
朝から調子が悪くルナの思い違いという線もある。けれどルナも必死になって少年を助けようとしたのだ。あの時の感覚が嘘だったとは思えない。
「……それらしい物は見てないな。気を取られていたってわけじゃねぇが、俺が来た時には木を変形させて池に伸ばしていたし、木の先に何かいたりもしていない。水面は静かだったしな」
「じゃあやっぱりその子は……」
ホノカが言い淀むのを見て、また信じてもらえない勘違いだったのかとルナは落ち込みそうになった。けれど続いたカムイの言葉はルナを否定するものではなかった。
「水面から逃げたんだろう。イガルタの仲間ってことだろうな」
水面から逃げる、という意味が分からなかった。
ホノカはカムイの言葉に頷いて、思案するように手を口元に当てた。
「今のところイガルタ構成員に十九歳未満の子供の記録はありません。新たな構成員か、隠し球だったのかもしれません」
「油断させるための人員やら人質って可能性もあるな。先に知っとけたのは好都合だが姿を記録できなかったのは痛いな」
「ですね。ルナちゃん、その男の子の特徴は何か覚えていますか?」
当たり前のように信じてもらえるありがたさを痛感するばかりの一日だ。誰かに信じてもらうという事に対して、ルナも不信感を持ち過ぎていたのかもしれない。
ホノカの期待を裏切るわけにはいかないと、ルナは記憶を必死に辿ったが服の色すら思い出せなかった。ただ幼い少年だったことしか記憶にない。
「ごめん、ぜんぜん思い出せないや……多分小学校に上がったばかりくらいの男の子なんだけど、他にはぜんぜん……」
「気にするこたねぇよ。第六感を再発現したってんなら心災起こした時並みに頭ん中がめちゃくちゃになってたはずだ。記憶の混濁が起きない方が珍しい」
「そうですよ。むしろルナちゃんがその子を見たのを覚えていただけで、心災防衛にとっては値千金の情報なのです」
「……そっか、そうなんだ。私も役に立てるんだね」
「えぇ、もちろんです!」
ホノカが笑顔で語りかけてくれる。知っていることを共有して、一緒に何かをするという楽しさを改めて実感した。
「ところでなんだけど……さっきの『水面から逃げた』って何?」
ホノカとカムイの顔が同時に自分の方を向いた、と思いきや二人はまた顔を合わせて目で何かやりとりをしていた。
「先に知るか後に知るかだけですし、今話しても問題ないでしょう」
「だな。目下一番に厄介な相手だしな」
「えぇ。ルナちゃん、イガルタの構成員が保有する第六感に『鏡面界域連絡』という能力があるんです。鏡のように光を反射する面を出入り口にして、自由に場所を行き来できます」
「そんな能力もあるの……!?」
植物を操る、水を操る。そういった目に見える物を動かす能力ばかりをルナは想像していたが、とんでもない能力もあったものだ。
「非常に稀有な第六感です。この保有者がイガルタの手に渡ってしまったため、心災防衛は手を焼いています」
「手に渡ったっていうのは……」
「洗脳されたんだよ」
カムイが端的に答えた。
「イガルタってのはそういう集団だ。何年も前に別の拠点も襲撃されて、その時に心災防衛の職員がかなりもっていかれちまった。元はこっちの主力だったのにな」
「本部を華ノ盛塚から移したことに勘付いて、今回の襲撃を行った可能性もあります。十分戦力が集まったということかもしれません」
ホノカが推測を述べた。それに対しカムイは嫌そうな顔を向ける。
「六年前に特務隊の半数を取られた時点で戦力はひっくり返ってるだろ」
「そうですが、今まで繰り返してきた事件も、傾向から増員が目的だったと推測されています」
「じゃあ今朝の拠点襲撃の目的は?」
「そもそもイガルタの目的が不明ですから」
「……何も分からないな」
カムイもホノカも溜息を吐いた。
おそらくは長年勤めてきたと思える二人が分からないことを、ルナが分かるはずがなかった。何やら難しい状況らしいことは伝わるが、果たして自分に何ができるだろうか。
「分からずともやるべきことは決まっています。心災防衛の目的は人々を守ることです。たとえ後手に回るとしても、敵対組織の対処にばかり人員は割けません」
「ただでさえ人手が足りてねぇってのにな。人員増強が課題ってのは大昔から言われてるだろ」
そう言うと二人の目が再びルナに向けられた。
「心災防衛は閉鎖的で世間からも隠れていますから、大々的に職員の募集ができないんです。ですからホノカ達にとっては、ルナちゃんの所属は希望の種なんですよ」
「ま、第六感持っててやる気のある奴は大歓迎だな」
そう言われて、ルナは今までに思う以上に自分の奥底から湧き出る感情に気付いた。困ってる人を助けたい、というある種誰もが当然のように抱く気持ちではない。
この感情は、使命感だ。
自分と同じように、困難に巻き込まれてしまった人々を救いたい。実行できる力があるのだから、そうするべきだと自分自身を焚き付ける感覚がある。ずっと押し隠してきた記憶と気持ちが形を持って、背中を強く押してくるようだった。
春らしい、新たな気持ちの芽生えをルナは感じた。