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Sixth-sense of Wonder / シックスセンス・オブ・ワンダー  作者: 沃懸濾過 / いかく・ろか
第1章 - 大穴の上半身
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第4幕 - 大穴の上半身

 ルナは一つ深呼吸をして、背を預けていた芸術科棟からそろりと顔を覗かせた。ここからなら一歩踏み出すだけでグラウンド全体が一望できる。


 再び目にしたグラウンドは、もう一分前の姿を保ってはいなかった。

 どこもかしこも穴ぼこだらけ。そこら中に亀裂が走り、掘り返され、掻き乱され、工事現場か幼稚園児が遊んだあとの砂場のような様相だった。


 こんなことがただの人間にできるはずがない。


 グラウンドの盛り上がった中心付近に、人影が見える。逆光で、何者なのかは分からない。

 ホノカか、カムイか、それとも──


 ルナがそこに向かって走り出したときだった。


「ルナちゃん危ない!」


 頭上からの声に驚いて足を止めると、地面に亀裂が走り、一拍おいて目の前の足場が消失した。マンホール大の底の見えない穴が現れて、片足は落ち尻餅をつく。

 穴の中は昨日の大雨のせいか、浸み出した泥水がごぼごぼと吹き出ていた。


「ああもう! 帰るように言ったのに!」


 ホノカは水道の向こうにある階段を登った先、体育館のベランダにいた。そこから身を乗り出して叫んでいる。


「ホノちゃんこそ危ないのになんで一人で行っちゃったの!?」

「待って!」


 最短距離で階段へ向かおうとしたルナをホノカは制止する。


「そこから急いでコンクリートのところまで戻ってください! 土のところは通っちゃだめです!」


 ルナは従って迂回する。水道と花壇、クスノキ並木を越えて、階段まで辿たどり着いた。


 ホノカとは一度ちゃんと話さねばならない。

 全てを明かすことこそ友情だ、などと言うつもりはない。お互いに落ち着ける関係であればそれで良いと思っている。けれど、隠し事があると分かっている関係に、ルナは心地良さを感じることはできなかった。


「……ホノちゃん」

「ルナちゃん、大丈夫ですか?」


 ホノカはルナの背中に手をやって、落ち着かせるように包み込む。彼女はいつの間にか片耳のヘッドセットを付けていた。ルナの目に映るその顔は苦しそうで、悲しそうで、それでも安心させようと、ルナに向かって笑いかけていた。


 毎日聞いていた優しいホノカの声が、ルナの耳に届いた。


「怖かったですね、でも大丈夫です。ホノカが付いてますからね。大丈夫です」

「あのさ、私、ホノちゃんに、聞かなきゃ、話さなきゃいけないことがあって」

「安心してください。ここまでは泥も、水も来ません」


 ホノカと同じ視点に立つと、グラウンド全体が俯瞰ふかんして見える。ついさっきルナの前に現れたような穴が体育館南側からハンドボールコートを通って、グラウンドの中心まで続いていた。


 そこでは不審者──モグラ男とカムイが戦っている。


 喧嘩ではない。カムイの動きは何か格闘術のようにも見える。モグラ男の両腕では鋭い巨大な爪が光を反射しており、彼はその突きや引っ掻きをかわしながら、少しずつ移動をしているようだった。


『そっちのケリはつきそうか?』


 ホノカのヘッドセットからカムイの声が漏れる。それを聞いて彼女はグラウンドに視線を向けた。


「はい、どうしましたか」

『足場が悪い。マシな方へ誘導を頼みたい』

「了解であります」


 カムイの周りには水が漂っていた。けれどそれは水溜りでも、穴の中の泥水でもない。


 透き通った純粋──純水だ。透明で、なんの交ざり物もない水。

 彼の手は磁石が砂鉄を引き寄せるように、飴細工のように水を操る。ぐにゃぐにゃと形を変える水は意志を持つ前衛芸術にも見えた。


 水は、下から上へは流れないはずだ。そんな動きはしないはずだ。

 ルナの目には信じられないものばかりが映る。


 カムイが水をモグラ男の方へと動かせば、モグラ男は地面に潜って姿をくらます。そしてすぐに離れた地面から出てきては、爪で彼に攻撃をしようとする。

 ホノカと同じ視点からはモグラ男の現れる位置が明白だった。地面に亀裂が入るのを見てはその位置を知らせ、カムイは事前にそこに向かって構える。その繰り返し。


 けれど次の一手は違った。姿を隠したモグラ男が再び現れるより先に、カムイの立つ地面が崩れ、そして閉じる。拍子に彼の眼鏡もずれた。


「……捕まえ、た」


 モグラ男が姿を現す。そして大きく振りかぶって巨大な爪を突き刺そうとするが──


「『氾濫分子ハイドロリヴォルト』」


 カムイがそう唱えた瞬間、周りの水が紐状に伸びて、モグラ男の両腕を絡め取った。


 カムイにとってその水は、距離が近い程に操作性と捕縛力の高まるもののようだった──故のカウンターが、おそらく彼の狙い。

 捕縛成功、かと思えたが、カムイの表情は晴れない。おかしな手応えがあるようで、硬い岩が軋むような音がルナの所まで届いた。


 異常な音の源を探るためか、カムイは水を薄く伸ばすとモグラ男の泥だらけの表面を洗い流す。モグラ男の全貌を、明らかにした。


「ガラス……二酸化珪素か!」


 現れたモグラ男の全身は、曇ったガラスに包まれていた。半透明の鎧を着た姿はまるで御伽噺おとぎばなしの怪物のよう。


 水圧では、きっと爪も鎧も破壊できない。今カムイが水の力を緩めれば、ガラスの爪は彼に刺さることになるだろう。

 モグラ男の方もカムイに爪を向けることに手一杯なのか、頭をぐらぐらとさせてガラスに包まれた口を開いた。


「どうしてくれるんだ……大洪水だよ……グラウンドが……ああ、整備しないと……」

「洪水を起こすつもりはない。整備は後でやってくれ。早く休まないと死ぬぞ」


 体育館のベランダから見ても、その場は膠着状態だった。進退せず、水と硝子ガラスが拮抗している。


「予測が外れてすみません。カムイ君、応援が要りますか?」


 ホノカは通信でカムイに訊く。


『多分もうすぐ終わる、けど少しマズイかもしれない。念のため外周チームのどっちか呼んでもらえると助かる』


 カムイの体は少しずつ、ずぶずぶと沈んでいた。彼の捕らえられた穴は蟻地獄だ。その中ではきっと絞り出された泥水が渦巻いている。


「分かりました──ってルナちゃん!?」


 ホノカが叫んだ。そうしてやっと、ルナは自分が走り出していたことに気付く。もう階段のほとんどを降りながらに返事をした。


「助けないと!」


 更に制止する言葉は飛んでこなかった。階段を降り切ってベランダを見上げると、困惑した顔でホノカが覗き込んでいる。

 

「信じて。方法はあるから」


 そう告げると、何かを言おうとしていた顔がぴくりと止まる。


 それにしたって、信じてなんてどの口が。

 黙っていたのは自分なのに。八年間、思い出そうともせず、忘れたフリをして口をつぐんでいたのは自分なのに。


 小さく自嘲を零して、ルナはグラウンドの真ん中へ走った。途中でクスノキの下の腐葉土を握り、転がっていたサッカーボールを抱えて。


 モグラ男がサッカーボールから距離をとったことを、ルナは見逃していなかった。


「何やってんだお前! 逃げろ!」


 逃げずにルナはサッカーボールをモグラ男に投げつける。それでモグラ男の攻撃が止まれば──


「スローイン……」


 モグラ男は、怯まなかった。

 投げつけられたボールを胸で受けると地面に埋まっていた片脚を抜き出し、軽くリフティングをして明後日の方向に蹴り飛ばす。

 曇りガラス越しの顔は笑って歪んでいた。


 けれどそれはルナにとって十分な隙を生んでいた。ボールに怯えようが、それを迎え撃たれようが、どっちでも良い。安全に近付ける隙があればそれでよかった。


 簡単だ。あの感覚(・・・・)はもう、忘れない。

 ルナは掴んできた土を、モグラ男の埋まる地面に押し付けて叫んだ。


「この人を捕まえて!」


 その言葉を合図に、緑が芽生える。


 双葉は若木になり幹は太り、クスノキは育って木本もくほんとなる。通常の成長ではありえないほど速い枝分かれを根本から繰り返して、モグラ男の体に巻き付いた。


 その様子は生物教材にある早回しの成長ビデオのようだった。


 その後も枝は伸び、クスノキの茎頂は本来そうあるように天を目指す。モグラ男の両腕は水から解放されてはいたが動けない。枝はガラスの爪程度に切られることはなく、泥から全身を引っ張り上げて停止した。


 いつの間にかカムイは穴から脱出しており、地面に手を当てている。呪文のように「『氾濫分子ハイドロリヴォルト』」とまた唱えると、透明な水──およそ数百リットルが地面から吸い上げられ、モグラ男に降りかかった。


 大量の水に襲われたからか、全身が地表に晒されたからか、それとも疲れからか、モグラ男はぐったりと意識を失っていた。もうグラウンドを好き勝手にする元気はなさそうだった。


「おい、ホノカ! これでいいんだな?」


 停止したクスノキが落葉し枯れ始め、崩壊した枝から落ちそうになるモグラ男をカムイは受け止める。投げやりに放たれた言葉とは裏腹に、丁寧な動作でモグラ男を地面に横たえた。

 ルナが体育館の方を見れば、叫びながらこちらへ向かってくる小さな姿が見える。


『「ル〜ナ〜ちゃ〜ん〜!!」』

「うるせえ! 耳が壊れる!」


 キレ気味にカムイはヘッドセットを外す。ルナの耳に十分届いたその大声は、彼の耳には相当な音量で注ぎ込まれたことだろう。


 カムイの半身はすっかり泥にまみれており、重そうだと思ってルナが見ていると泥はみるみると乾いていった。彼が軽く叩くと固まった塊はぼろりと崩れ、ぱんぱんと砂をはたき落とす。

 片手間に手をひょいと下から上へ上げると水が地面から空中へ引き伸ばされ、そしてできあがった水風船は割れてシャワーを降らせた。不自然に横へと伸ばした左手は、ヘッドセットを濡らさないための配慮だったらしい。


 ダイナミックな水浴びだな、とルナはなんとか感想を探し出すが、今何を驚くべきかとも迷う。よく見れば彼の服は一切濡れていなかった。そんな小さなことにも驚いた。


「……あー、なんつうかな。さっき言わなかったのはそういうことか。いらん世話かけたな、ホノカ」

「ルナちゃん! どういうことですか!? あの木は! どうして!?」


 カムイは気まずそうにそう呟いたが、ホノカの方は彼の言葉を特に聞いてはおらず、ルナの肩を掴むとがくんがくんと揺さぶっていた。


 言葉のまとまらないルナに代わってか、カムイはホノカに言葉をかける。


「とりあえず心災中枢ペインアイを搬送しよう。俺は外周チームに同行するが、お前は……そこのお友達と一緒に行ったらどうだ」

「ああ……はい。特に異論はないであります」

「言うまでもないだろうが外で大事な話はするなよ」

「……分かってますよ」


 聞こえないくらい小さな声でホノカは悪態をいた。ルナはそれらのやりとりを理解できず、ただグラウンドを眺めるだけだった。

 

 グラウンドに生えたクスノキは一本だけではなかった。モグラ男を捕まえてみせたもの以外にも、グラウンド中の穴からまちまちな大きさのクスノキが生えている。それは穴が地下で繋がっている証左。成長の止まったクスノキは枯れ、大量に落葉をさせている。

 その様子は八年前に見た『枯木の樹海街』に酷似していた。


「……よし。それじゃあルナちゃん、一緒に行きましょうか。ホノカたちの拠点へ」


 ホノカは地面を見ていた。そこには過去の情景があるのか、それとも絵にも言葉にもならない何かがあるのか。


 顔を上げたホノカとルナの目が合う。


 知ってしまった秘密と知られてしまった秘密の全貌を、お互いに共有できる場所。

 そんなところに、辿り着ける気がした。


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