第9幕 - 裏切りと再々会
「ち……妨害電波でも出てんのかよ」
通信状況が優れない現状にカムイは舌打ちを鳴らした。時折インカムに応答を求めても、返ってくるのはノイズだけ。はじめは人数不足からくるオペレーターの不在や機器の故障を考えたが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「携帯電話が通じないなら分かるけどな……」
誰に言うでもなく独り言ちた。自分一人の頭で考えても答えが出ないからこそ行き詰まった疑問が口から抜けていく。
心災防衛は通信において一般には使われない周波数帯を利用しているが、その基地局は民間の住宅に扮している。カムイが知る限りでは破壊された建物は無人の廃ビルのみ。建物以外でも一部の携帯用基地局が破壊され、局所的に情報面で孤立している地域があるのは聞いていたがカムイの担当地域は該当していない。
ならば妨害電波だろうかと考えたが、仮にそうだとしてもカムイ一人にどうこうする力はない。
また、現状として避難状況も芳しくない。道路だけが大規模に破壊されたことで外への避難を諦め、未だに屋内に閉じ籠っている市民が相当数いると予想されている。今も救助隊からの呼びかけは行われているが、カムイが心災防衛の職員として勝手な判断をすることはできない。
拠点への報告と相談が必要だというのに、通信のできないままでは状況は悪化の一途だ。追加の人員も必要と見られ、何にせよ一度拠点に戻る必要があるだろうと、頭を切り替えた時だった。
「『他重人格・共鳴る震駭』」
そんな言葉がどこかで聞こえた瞬間に、カムイの耳元で強烈な破裂音が響いた。一瞬平衡感覚を失って、ぐらりと体が傾く。混乱しながらもカムイは即座に体勢を立て直し、状況を把握すると共に周囲に視線を走らせた。
耳元に手を添えればインカムが使い物にならなくなっていることが分かる。幸い出血はしていないが、衝撃で音の聞こえ方がおかしい。
通信からの孤立は元々だが、回復する見込みが完全になくなってしまったのは好ましいとはとても言えない。
「──増援を呼ばれては厄介だからね、連絡手段は断たせてもらったよ。しかしこのガジェット、六年前にはなかった装備だね。基地局は壊したっていうのに民間とは別の通信手段を取ってるだなんて、まるで軍事会社じゃないか」
声の聞こえる方向が判然としない。周囲への注意を怠っていたつもりはないというのに、声の主の姿がなかなか捉えられなかった。
「ここだよ」
すぐ隣から声がかけられ、肩に手を置かれる。振り返ったときすぐ目の前にいたのはケンジだった。
「なっ……」
思わずカムイは後退った。五歩程の距離を取るが心許ない。すぐに操ることのできる水の射程内とはいえ、ケンジが相手では近過ぎても遠過ぎても警戒に値する。
「カムイはコウサさんの幻像心災を経験してないだろうからね、追跡に気付けなくても仕方がないさ。それにしても本当、便利な第六感だよ『共鳴る震駭』。あらゆる事がこれ一つで済む万能能力だ。キョウスケがイガルタになってくれていて良かったよ」
ケンジの手にはホノカから取り上げたのだろうインカムがあった。カムイの物と同じように、使い物にならないほど破壊されている。規格が統一されているが故に同一の物体と見做され、共鳴で破壊させられたのだろうことは予想できた。
「……ケンジさん、何をしに来たんですか」
通信機器を破壊されたのだ。好意的な接触とは思えない。けれど声をかけて姿を現した上、追撃をされていない状況ではこちらから手出しをすることに気が引ける。
「良かったよカムイ、もう二度と口を聞いてくれないかと思った」
「もう今更でしょう」
「いや、軽蔑されてるかと思ってさ」
「……まさか。イガルタの情報を持ち帰ってくれただけで、ケンジさんは十分に心災防衛として仕事をしてくれてます。今度は僕が、ケンジさんを助ける番です」
「俺じゃなくてユクルを助けてほしいんだけどなぁ」
ケンジの一人称が『僕』ではなくなっていることにカムイは気付いた。すなわちそれは今、ケンジの中にはケンジ自身ではない別の、他人の人格が重なっていることを示している。
谷津浦ケンジの第六感は『他重人格』。目と言葉を交わすことを条件に、他者の精神構造を取り込む能力。思考回路の変化に対応し、重なった人格によって感覚、感情、一人称、のみならず第六感までも再現させられる。
ケンジの一人称が『僕』ではないということは、未だに誰かの人格を重ねているということだ。今も尚の臨戦態勢、油断はできない。
「事情は分からないですけど、事情があるのは分かってます。だったら僕達心災防衛は被害者を救うために行動するのみです。事情を話してもらえれば、イガルタとは洗脳なんてしなくても協力し合えるはずです」
「協力は無理だよ。俺達は他人を信じられない。ユクルを先に傷付けたのは心災防衛なんだ。今更協力だなんて、烏滸がましいにも程がある」
それは、モエとホノカから聞いていた予想に違わない返事だった。
洗脳という手段を採ることから予想される他者への不信。だからイガルタは心災防衛と協力をすることはできない、と。
「なら、どうして今僕の前に来てるんですか。協力の申し出じゃないのなら、何の用があってわざわざ声をかけたんですか」
「お話だよ。事情を聞いてもらえることは大歓迎なんだ。カムイには、是非とも聞いてほしい話がある」
ケンジは両手を広げて敵意がないことを示した。そんなジェスチャーで警戒心を解くことはないが、心災防衛としてはイガルタに関する情報が欲しい。ケンジの口から有益な情報が語られるかは別としても、事情が話されるというのならば聞かざるを得ない。
「聞いてくれよ。僕たちのことを」
ケンジの一人称が『僕』に戻っている。それが信用する理由にはなりはしないが、カムイは耳を傾けることにした。