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Sixth-sense of Wonder / シックスセンス・オブ・ワンダー  作者: 沃懸濾過 / いかく・ろか
第5章 - 災孼人を待たず
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第7幕 - 方針転換

 たった今まで見続けていた画面から、イリアは思わず目を逸らした。それはもう、うんともすんとも言わないただの黒い板になっている。


 今も目には大勢に囲まれたホノカの視界が、耳には強気にイガルタと渡り合うホノカの声が染み付いている。ついさっきまで当たり前にあったものが突然失われた感覚が、ひどくイリアを不安にさせた。


 心災防衛サイカシステムの仮拠点となった寮の広い一室で、暗く青み掛かった照明がイリア以外の者達の姿も浮かび上がらせている。

 腹の中に溜まっていく片付けようのないわだかまりを、なんとか誰かと共有できないものかとイリアは視線を隣に走らせた。カムイは机を睨んで口元を隠しながら眉根を寄せ、ルナは何も映さない画面を見続けていた。

 その様子は、この立ち会いを申し出た時とまるで逆。ままならないことに、あの時の勢いはどこかへ消えてしまっていた。


 イガルタの様子を探る立ち会いは、ホノカを見送り帰還したカムイがすぐさまモエに願い出たものだった。

 カムイはイガルタの情報を意図的に伏せられていたことを盾に意見を通した。待機していたイリアやルナと合流したタイミングでそれを切り出したのは前線に出る者が知らないでいるリスクを主張したかったのだろう。組織運用に必要な情報管理であることは認めていたが、それでも自らの選択を通すために果敢に食い下がっていた。

 モエが折れることで決着がついた時、彼女はイリアとルナにもどうするのかと尋ねた。行くと答えた自分の言葉にイリアは驚いたが、思い当たることもある。会っていなかった時間の方がずっと長いのに、ショウブの現在が心配でならなかった。


 そして今、部屋の前方では、モエの指示が引っ切り無しに飛ばされている。イリア達を除いて十人に満たない情報課の職員達が、その指示に細かく応答しつつ、手を休めずに作業を続けていた。

 耳に入る報告はかんばしくなく、通信が途切れるまでの時間ではホノカの位置は特定できす、映像や音声の回復も難しいという結論に至っていた。


 緊張の中にも動きのある部屋前方に対し、いくつかの空席の列で隔たれた後方はまるで時が止まったかのようだった。モニターから目を離してからずっと、ルナは俯いて微動だにしていない。カムイは手を組んで顔を隠しており、その表情はうかがい知れない。イリアも、そんな二人を見ているのは辛かった。

 励まさなくては、と外に向いていた思考が、ふとイリアの内側を見た。仲間がたった独りで危険のど真ん中にいるというのに、自分は彼らのように動けなくなる程の気持ちを感じていない。


 隣に座るカムイの肩に伸ばしかけていた手は、机に下ろしてしまった。知り合って半年も経ってないというのは、言い訳になるのだろうか。それとも自分はただ薄情なのだろうか。


 自問自答の逡巡の間に、コツコツと足音を立ててながら近付いてきた人影がイリアの前で止まった。


「モエ先生……あの……」


 タブレットを睨む彼女に話しかけるものの、イリアは続きを口にすることができなかった。何かをどうにかしたくとも、どうしていいか分からない。


「立ち会いを申し出た時の威勢はどうした? 覚悟はどこへやったんだ」


 困ったように薄く笑ってモエが尋ねた。しかしイリアが口を開く前に撤回の言葉が続いた。


「すまない、今のは言う必要のない言葉だった」


 かつて見たことがないほどに顔を歪めたその様子は酷く後悔していることを滲ませている。普段は飄々と会話をし、お茶目に融通を効かせるモエでさえ、この状況はこたえさせるのだ。


「情けない話だが、イガルタをなんとかするためには、君達が頼りなんだ」


 モエは自らの眉間を人差し指で捏ねて伸ばし、深呼吸をした。その様子が、何事を嘆くにしてもそれは今ではないという手本のようだった。


「西陽さんは……どうなるんでしょうか」


 潜入した敵地で正体の発覚。取引に応じたと見せかけて騙していたことと合わせれば、人質となった者がどんな扱いを受けるのか、想像したくはない。


「ホノちゃん……きっと無事だよね。イガルタは、人を傷付けないって……」


 ルナからも不安を押し込むような言葉が上がった。それは確認というよりも、自身に言い聞かせているようにも聞こえる。

 ルナとホノカは小学生の頃からの友人らしいことはイリアも知っている。彼女が感じているであろう心配の大きさは、イリアの想像できるようなものではないだろう。


「今までのイガルタの傾向で言えば人に対し怪我をさせるようなことはないだろう。けれど今日のこの襲撃規模を考えると、そう楽観視もできない」


 モエははっきりとは言わなかったが、それはホノカが危険な目に会う可能性を含むものだった。正直な回答であっても、喜べるものではない。


「ホノカちゃんの救出も重要事項だ。が、酷なことを言うけれど君達には──」

「モエ先生、前に言ってましたよね」


 唐突な声がモエの言葉を遮った。イリアが振り向くと、カムイが変わらぬ姿勢のまま独り言のように呟いていた。


「もうすぐ会えるだろう、とか……イガルタ問題が片付けば、とか」


 カムイはおもむろに立ち上がった。腰掛けていた椅子が床と擦れ、断続的に嫌な音を立てる。正面の虚空に視線を彷徨わせながら、彼は言葉を続けた。


「サイカはケンジさんがイガルタだと知っていた。それに居場所も分かってた。それなら考えられる理由は……捕まえていたから。この風見ヶ丘拠点のどこかに閉じ込めていた。だからケンジさんは言ったんだ。風見ヶ丘にはずっと居たって。何年も前、特務隊の誰かがイガルタの色々な情報を持ち帰った。それは前から聞いていた話だけどそれがケンジさんだった。あの人の第六感センスなら、それができる。イガルタ化の条件を満たしてしまう特務隊の中で、あの人だけはその能力でって帰ってこられた。だけど、そんなケンジさんをサイカは……」


 文章をまとめ終えないままカムイは言葉を途切れさせた。

 ケンジ。谷津浦やつうらケンジ。カムイが目標だと普段から語り、そしてついさっき、イガルタの本拠地で現れた脅威。

 カムイから吐かれる言葉とともにイリアはその思考を追い、推測された事実に納得してしまった。

 第六感シックスセンス保有者の監禁。これがもしも本当なら、心災防衛サイカシステムの保有者に対する運用方針が揺らぐ一大事件だ。


「これは独り言だが」


 不意にモエがカムイの方を見ないまま呟いた。


「守るためだった。本当だ」


 その言葉にカムイが顔を上げ、モエに視線を合わせて言った。


「それは、組織の都合でしかない」


 事実というナイフを突きつけるカムイを、モエは一瞥しただけでタブレットの画面に手を伸ばした。


「これ以上この件について話すことは許可できない」

「逃げないでください」

「言うねえ。でも、何を言われたって認めることはできないんだよ」


 部屋の出口に向いたままモエは続けた。


「何がどこまで真実であっても、我々が認めてはいけない」


 語気を強くし、まるで自らに言い聞かせるように言い切る。


「君達までもを巻き込んでしまって申し訳なく思う。だけど、どんなに押し潰されそうでも、吐いて楽になりたくても、墓場まで持っていかなければならない」

第六感シックスセンス保有者を監禁していたなんて事実が知られては、心災防衛サイカの信頼は失墜しますからね」


 カムイが諦めたように小さく呟くが、モエは何も返さない。


「石津本部長、ケンジさんがイガルタの味方だと知っていて、なぜホノカの潜入を許可したんですか」


 いつもとは違う呼び方に、距離を取り軽蔑する気持ちが現れていた。


「ケンジさんがいるなら、第六感センスを持たないことくらいすぐにばれる。それが分かっていて、なぜ」

「彼の居場所は心災防衛サイカとして把握していたはずだった、が……合流されてしまったのは、我々の力不足だ。すまない」

「俺に……僕に謝られても」


 直接的な謝罪の言葉を受け、不意にカムイはたじろいだ。


「……いや、そもそも俺が、勝手なことを言ってたからか」


 カムイは目を瞑り、軽く五秒はかけて深呼吸をした。


「ケンジさんを捕らえ、それを無かったことにしようとしていたこと……仕方がなかったとは認めたくありません」


 カムイは否定をはっきりと宣言し、そして続ける。


「でも、理解はしました。今は、そうしておくしかない。そればかりに構って、ホノカを助けられなくなるのは嫌です」

「我々の指示のもと、動いてくれるかい?」

心災防衛ここが悲劇を収束させると信じられるうちは、そうさせてもらいます」


 呆れや苛立ちを冗談めかして織り交ぜた台詞とともに、彼はどっかりと再び椅子に腰を下ろした。


「よかった」


 カムイの言葉に答えたのは、モエではなくルナだった。小さな希望を見た様子が、その力無くも僅かな笑顔に滲んでいる。


「ホノちゃんを助けに行かなきゃと思ってたのに、カムイまで敵になったらどうしようって考えちゃったから」

「馬鹿言え、それじゃあもうケンジさんが敵みたいじゃないか」


 白状するルナに、カムイは呆れた視線を向けていた。

 イガルタであると分かったのだから、敵なのではないのだろうか。イリアは言葉の意味するところがわからず首を捻った。


「あの人は救助対象になっただけだ」


 カムイの瞳は闘志を燃やしていたが、それは悪者を打倒するというものではないのだろう。見上げた精神だ。伊達に何年も心災防衛サイカシステムにいる先輩ではない。


「イガルタ事件を丸ごと収束させて、ケンジさんもホノカもみんな助け出すんだよ」


 カムイの力強い宣言により立ち会いは締め括られ、イリア達は部屋の移動を命じられた。


 今まではイガルタがどこで大規模に動き出しても良いように、また、その拠点がどこで発見されても対応できるように。そして何より、いつイトナと連絡がついても駆けつけられるように、イリア達高校生は拠点待機をしていた。

 しかしホノカの信号ロストを機に、心災防衛サイカシステムは方針を転換したらしい。イリア、カムイ、ルナの三人に、街の別のエリアへ避難誘導のために散らばって出場するよう指令が下った。多少のリスクを負ってでも、いち早く現場にたどり着けることに賭けたと見るべきだろう──というのが、カムイの述べた推測だ。


「流石に湊辺みなとべ君は、心災防衛サイカのことをよくわかってるよね」

「このくらい誰だって考えるだろ」


 目の前のカムイは淡々と言いながら、黒とオレンジで構成される上着に腕を通していた。学校から直行したばかりに着たままだった制服は、上下ともに机の上に畳まれている。


「二人とも! 帽子受け取ってきたよ!」


 同じ上着を身にまとったルナが、一つを自身で被り、残り二人分の帽子を手に持って現れた。


「はい、どーぞ」

「ありがとう」

「悪いな、三人分も」


 二人とも帽子を受け取り、それぞれを被った。


「いやいや。直しに行くついでだから気にしないで」


 ルナは自身の後頭部を指差して言った。鏡のある手洗い場で結い直された髪は、後ろで一つの団子になっている。


「こうして制服を着ると、心災防衛サイカの一員だって改めて思うし、気も引き締まるよね。三人揃ってチームみたい!」


 橙色の袖先をみて、ルナが言った。塞ぎ込んだっておかしくない事態の中で、元気に前を向こうとするその姿勢に、イリアは「そうだね」と同意を示した。


「ホノちゃんとも……一緒に着たかったな」


 耐えきれなかったように彼女の眉尻が下がり、しんみりとした空気が三人を覆った。


「なんだそれ。まるでホノカが死んだみたいな言い方しやがって」


 そしてそんな空気は一瞬もせず吹き飛ばされた。まともに取り合うことなく支度に戻ったカムイに、ルナはむっとした顔を返していた。


「そんなつもりじゃない」

「俺の方が先に着ることになるなんて、実は思ってもなかったんだよな。早くこれを見せつけてやりたくて仕方ねぇよ」


 誰に見せるのかなんて、この文脈なら一人しかいない。カムイはホノカを友人として気に掛けながら、部署は違えど好敵手ライバルのように思っているのだろう。


「イガルタもこれだけ派手に動いてるんだから、心災防衛サイカだって、もう雲隠れはさせないよ」


 カムイのあえて聞かせた大きな独り言に続き、イリアも言葉をかける。するとルナはその表情を持ち直して大きく頷いた。


「うん。今日でイガルタ事件にカタをつけよう」




 そうしてイリア達が拠点から出て一時間も経たないうちに、再び不穏の気配が忍び寄っていた。


『イリアくん、聞こえていたら応答して』

「はい、こちらイリアです。聞こえてます」


 避難誘導のために張っていた声を小さくし、防衛部長、樫寺かしてらコウサからの要請に応えた。


『よしよし、よかった。イリアくんとは繋がってるね……あ、散開してからカムイくんの姿を見てないかな?』

「見てない……と思います。担当を振り分けた地域はそれなりに広いですし、間違って被ることはよっぽど……」


 イリアはつい辺りを見渡しながらそう答える。視界に入るのは砕けたアスファルトの道路と、無事なままのタイルで舗装された歩道。時折人を見つける度に避難所へと案内しているが、カムイの姿は記憶にない。

 そして思考を巡らすうち、どこか腑に落ちない質問であることに気がついた。イリアとは繋がっていると言ったが、それなら。


「もしかして、通信が届かないんですか?」

『実はね。中継地点が少ない地域でも無いんだけど、おかしいなぁ……任務中にごめんね、もう少し僕達で調節してみるよ』

「あっ、待ってください」


 イリアは終了しそうになる通信を引き止めた。


「僕やルナさんの通信と湊辺君のを繋げることってできますか? 機能していない中継地点の位置によっては連絡できるかもしれません」

『良い案だ、そうしてみるよ』


 了承の答えとともに、プツッと小さな音がして通信が切れる。それから間も無く、ザーザーと雨が降るような雑音が流れ始めた。その砂嵐を割ったのは、予想外にも高い声だ。


『カムイ! 聞こえたら返事! カムイー!?』


 耳の奥まで刺すような大声だった。


「る、ルナさん! 僕にも届いてるよ! 音割れしてる!」

『あっ、ごめん』


 ルナにも事情は伝わっているらしく、カムイを探す呼びかけだったようだ。


「その様子だと、返事はまだ無いみたいだね」

『うん。何にも』

「場所を変えてもう少し呼びかけてみる?」

『そうしよう。誘導や救助をしながらになるけど、私もカムイのいるほうに向かって移動するね』


 順番に居場所を見失っていくようなこの状況。得体の知れないものが這い寄っているような悪寒。

 イリアは頭を振って思考を現実に引き戻し、カムイのいる方向を目指して歩みを進めた。

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