第2幕 - 既知との再会
久慈薬神社の参道、ルナの視線の先ではカムイと男性が向かい合っている。
カムイに呼び掛けられた男性はじっと目を細めてから、途端に驚いたように目を丸くした。
「……あっ、もしかしてカムイ、カムイじゃないか!?」
「そうです! お久しぶりですケンジさん!」
一瞬不安そうに曇ったカムイの顔が明るくなる。普段の様子からは想像できない程に声を輝かせてカムイは返事をした。
「随分背が伸びたな!? 眼鏡もかけてるからすぐには分からなかったよ! いや本当に分からなかった!」
「もう高校生ですよ。背も伸びますって」
カムイは恥ずかしそうに少しだけ俯いて頭を掻いた。
「いやぁ、立派になった! 最近調子はどうだ? もうⅠ類か?」
「えっ、まだⅡ類、です。けど! ケンジさんに追い付くために任務も訓練もがんばってます!」
「そうかそうか、けどカムイなら士長になるのもすぐだろうな! いやぁ、あんなに小さかったのにいつのまにか僕より大きくなって、立派に育ったなぁ!」
ケンジは腕を伸ばすとカムイの頭をくしゃくしゃと撫でた。おとなしく撫でられているカムイは子供に返ったように見える。いつもの任務中のように、どこか達観しているような陰はない。久し振りに帰省した叔父に、甥っ子がひどく懐いているような光景をルナに連想させた。
「ケンジさん、特務隊が解散してからも忙しいって聞いて、全国駆け回っていたと思ったんですけど今回の任務はここのヘルプですか? ケンジさんがいれば百人力です。イガルタだって鎧袖一触ですよ!」
「そうか、カムイもイガルタについては聞いてるんだな。Ⅱ類防衛員も任務に参加している……石津博士らしい、いやコウサさんの采配かな」
「? 今からは待機任務の予定です。ケンジさんも今から拠点に向かうところですか?」
「あぁ、いや、ずっと秘密の任務で風見ヶ丘にいてさ。今やっと出てきたどころだよ。ところでそっちの子は?」
「えっ、あ」
ルナの存在などすっかり忘れていたのか、カムイは思い出したように顔を赤くした。それに対しルナは首を傾げて苦笑いを返した。
はしゃぐ姿を見られたくらいで恥ずかしがる必要はないのに、とは思うけれど、相手をきちんと紹介してもらいたい気持ちはある。旧知の仲らしい二人の間に、割って入れるほどの度胸はルナになかった。
ケンジの名前は何度か聞いたことがある気はしたけれど、詳しい話は聞いたことがない上に直接会うのは初めてだ。
ケンジの目も自分に向いて、ルナはおずおずと頭を下げる。早く紹介するようカムイに目で訴えた。
「……こっちは壱岐宮ルナ。同学年で最近所属したばかりの防衛士です。最近はよく一緒に任務に出ることが多くて、結構頼りになります」
ばつが悪そうにしながらカムイはルナを紹介した。もう一度お辞儀をして、ルナも口を開く。
「壱岐宮ルナです。Ⅱ類防衛士で、カムイくんには任務でお世話になってます」
「壱岐宮ルナさんね、はじめまして」
ケンジはすっと手を出すと握手を求めた。手を握りながらルナの目をじっと見ると、少し考えるように目だけ斜め上を向いた。
「あっ、『枯木の樹海街』の! あぁじゃあカムイとはそうか! なるほど奇縁だね懐かしいなぁ」
突然何かに得心したようにケンジは手を打った。
そして口から出たのは心災、『枯木の樹海街』の名前。八年前の出来事を覚えていることはおかしくないが、それをルナによるものと知っていたことに目を見張った。
「ルナ、こっちは何度か話したこともあるけど俺の先輩、谷津浦ケンジさん。『快晴の大洪水』と『枯木の樹海街』の時に任務に当たってたうちの一人だ」
「えっ! じゃあもしかして私の命の恩人……!?」
手で口を覆って驚くルナに対してケンジは笑いながら手を振った。
「いやいや、僕はカムイの方を担当してたからね。君の方には行ってないかな」
「でもあの時僕を止めてくれたのはケンジさんですよ。ケンジさんは洪水の被害者全員を救ったようなもんです」
「はは。おだてるなよカムイ、嬉しくなっちゃうじゃないか」
ケンジは腰に手を当てながら朗らかに笑った。
過度な謙遜はせず評価には感謝を返し、かといって変に驕る様子もない。よく笑うがその笑顔に軽薄さも感じられない。
気持ちの良い好青年、というのがルナがケンジに対し抱いた印象だ。
「しっかしへぇ、カムイにも同い年とはいえ後輩かぁ。成長と月日を感じるなぁ」
「ケンジさんは、その、あまり変わりがないみたいで」
ケンジの胸辺りを見てカムイが言い淀んだのを受け、ケンジはああ、と自分の上着の裾を引っ張った。
「今着てるのは六年前の制服だからね。今じゃもっとかっこいいデザインになってるんじゃないか?」
「僕は着る機会がないので分からないですけど、今街に出てるⅠ類の人達が着てるのが多分一番新しいやつだと思います」
「そうなのか。じゃあ行ったらついでに見ていこうかな」
ふんふんと機嫌が良さそうにケンジは頷いた。
任務のついでにそんな余裕があるのかルナには想像付かないが、カムイが手放しで慕う先輩なら十分にありえるだろう。
「そうだ。ところでカムイ、何かとんでもない第六感の話とか、石津博士に聞いたりしなかったかい? 時間操作系とか、それか精神構造に関与する第六感でもいいんだけれど」
「えっ?」
「いやさぁ、あんまり最近の職員について詳しくなくてね。面白い能力でもあれば知っておきたい」
「それは……ケンジさんが直接プロフィールを見た方が面白いものが見つかるんじゃないですかね」
「……それもそうか。じゃあ後でじっくり見させてもらおうかな」
話しながらもケンジは頻繁に辺りを見渡した。時折顎に手を当てて、考え事をする素振りも多い。
腕を組んでしばし地面を睨んだ後、腰に手を当てるとケンジはルナとカムイに向き直った。
「うん、よし。だいたい分かった。カムイに今会えて良かったよ。やらなきゃいけないことがあるから僕はそろそろ行こう」
「はい。ケンジさんも任務がんばってください」
「ああ。そうだ、コウサさんとは話したけど石津博士には会えてなくてね。カムイからよろしく伝えておいてくれないか」
ケンジはそう言うと、ちらりと拠点の方向を見遣って歩き出した。一方的に会話を切られはしたが、カムイも別段気にする様子はない。たったこれだけの会話でも、カムイにとっては貴重な時間だったのだろう。
「ケンジさん! 任務が終わったらまたお話しましょう!」
カムイの言葉に応えるようにケンジはひらひらと手を振って、鳥居の向こうへと消えていく。
それを見送るカムイの顔は見慣れないくらい緩んでいる。ルナがその横顔を見つめると、視線に気付いたのか徐にカムイは振り返った。その表情はいつもと同じに戻っていたが、耳だけは赤いままだった。
「……なんだよ」
「んーん、なんでも。ね、今のケンジさんが、いつも言ってた『先輩』と同じ人?」
「ああ。心災防衛で一番すごい人だよ」
カムイはやっとその場から足を動かし、今ケンジが出てきたところだろう神社の社務所の方へ歩みを進める。ルナもその後ろに続いた。
交わされた会話は三分にも満たない。急ぐ必要はないと言われたとはいえ、遅れ過ぎるのも心苦しく二人はまた早足になった。
「先輩先輩って言うからもっと年上で強面のおじさんを想像してた。すっごく若いね」
「俺らの十歳近く上だぞ。二十五、六くらいのはずだ」
「えー、ぜんぜんそんな風に見えなかった。高校生料金で映画見れそう」
「学生証なきゃ無理だろ。ケンジさんは昔からああいう性格だから若々しいんだろうな」
そうカムイは言うがルナからしてみれば初対面だ。比べようがないためただ若いということしか分からない。
カムイのケンジに対する慕い様も、ただ助けられたことだけが理由とは思えない。けれど過去に二人がどんな関係だったのかも、簡単には想像がつかなさそうだった。
「あの人、街の方に出てったみたいだけどイガルタになっちゃったりしないのかな」
ふと思ったことがルナの口を衝いた。
「ケンジさんがそんなヘマするか。あの人がいればそれだけで心災防衛は安泰って言えるくらいだ」
「それってますますイガルタ化したらまずい人じゃない」
「だからあり得ねぇよ。んなことにはならねぇしもしなったらこっちに勝ち目がなくなる。ケンジさん一人で何人分の働きになると思ってんだ」
「へぇー」
「……想像付いてないだろ。どうせこれからあの人と任務に出れば嫌でも分かる」
そう話すうちに二人は社務所に着いた。カモフラージュされた拠点の出入り口の一つで、参道から向かうなら一番早い。そのまま奥へと進み、地下に降りるための扉を開く。
すると、その拍子に砂埃がふわりと舞った。
「……何、これ……?」
自然とルナの口は困惑を零した。砂埃の向こうに見えるのは、果たして幻覚だろうかと疑いたくなる。
階段を降りた先には、厳重なセキュリティによって閉ざされている扉があるはずだった。
けれどルナの目に映るのは、修復不可能なまでに裂けた扉、割れた照明、砕けた壁だったもの。奥に見えるはずの廊下は瓦礫に埋め尽くされていた。
地上の久慈薬神社は外見上は何の変化もない。至っていつも通りの静かな空気が流れる場所だった。だというのにその地下、心災防衛の拠点は見るも無残な有様と化していた。