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Sixth-sense of Wonder / シックスセンス・オブ・ワンダー  作者: 沃懸濾過 / いかく・ろか
第3章 - 儕輩の勧誘
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第1幕 - 司宰ライコウの儕輩

 男の名前は司宰しさいライコウといった。


 彼は朝の支度を終え、窓から外の様子を一瞥し、ドアノブを捻った。しかしドアを開けることはなく、何かに気付いたようにまた部屋の中へ戻る。コート掛けに引っ掛けてあったハンチング帽を大事そうに手に取り、鏡の前で身につけ、そして再びドアへと向かった。

 満足そうなその足取りが向かうのは、果たしてパン屋だろうか、花屋だろうか。


「ごめんください」


 とある扉の前にたどり着き、ライコウは中にいるだろう住人に声をかけた。

 ドアを開けて現れたのは、春らしいカーディガンを羽織った、歳の近い若い女性だった。


「はーい。あら、おはようございます、ライコウさん」


 彼女は肩に掛かる髪を揺らし、にこやかに挨拶を返した。


「おはようございます。実は、今日は少し遠出を……」


 ぐるるる、と腹の虫が鳴く。

 ライコウが言おうとした言葉は途切れ、二人で目をぱちぱちとさせてお互いを見た。


「ふふふ、どうぞ上がってください。コーヒーくらいでしたらすぐお出しできますよ」

「すみません……こんな僕でも、お腹は空くんですねぇ」


 ライコウは困った顔をしながらも、被っていた帽子を手に取り、勧められるままに扉を潜った。


 彼女に続いてライコウが歩くと、廊下の床は二人分の重さでギシギシと音を立てた。居間へ通じる扉も立て付けが悪く、ドアノブを捻って押し開けるときには力を入れていた。


 案内された一人掛けの簡素なソファに腰を下ろして待っていると、半透明のパーティションの向こうからお湯を注ぐ聞いていて心地良い音がする。その間にも、ライコウの目は何かを探して何気なく動いていた。


「ユクルなら、今はお隣で遊んでいますよ」


 机の上のプリザーブドフラワーやテラリウムが少しだけ隅へ寄せられ、そこへ暗い水面の揺れるカップが置かれた。


「あぁ、そうでしたか」

「大丈夫ですよ。キョウスケさんがちゃんと見てますから」


 この部屋の隣に住む、信頼できる友人が見ていると言う。ライコウはそれに満足したように微笑んだ。


「それでしたら少し安心しました。あの子はずっと変わらないと思っていたのに、最近は目を離すとすぐいなくなるものですから」

「そうですね。六年という時間は短いようで長い」


 しみじみと言いながら、彼女は部屋の隅に置かれた化粧台からバレッタを取り出した。装飾の付いた丸いスタンドミラーを見ながら慎重に位置を決め、左耳の上あたりでぱちんと留める。


「おや、新しい髪留めですか?」

「ええ。遠出をすると仰っていたので、せっかくですから」


 今度は姿見に歩み寄り、覆っていた布を上部に掛けて自身を映した。正面を見て、背後を見て、そしてくるりとまた正面に向き直る。


「似合いますか?」

「似合っていますよ」

「それは良かった」


 彼女が姿見の布を戻している間に、ライコウは残りのコーヒーを飲み干した。左腕を軽く振り上げて袖を腕時計から離す。もう何年も大事に使い続けているその時計は、丁度長針と秒針が頂上で重なっているところだった。


「さて、キョウスケさんに声をかけて、早速出かけましょうか」

「どうでしょう……ユクルのことを見ている人間も必要でしょうし……」


 ライコウの提案に彼女は難色を示す。そして改めてライコウに視線を合わせ、確認するように尋ねた。


「ライコウさん、おつきが私だけでは心配ですか?」

「とんでもない。あなたがいるというだけで、僕たちにとっては大変心強いものです」


 彼女の顔によぎった僅かな不安の色は、そのままどこかへと溶けていった。

 ライコウは静かにソファから立ち上がり、横に置いていたハンチング帽を拾い上げ、それから思い付いたように言った。


「考えてみれば、キョウスケさんはあまり表に出たがらない人でしたね」

「そうですよ。つい先月も、少し無理を聞いてもらったところです。今日はユクルと過ごしてもらえれば、それでいいじゃありませんか」

「しかしそうなると、あとはどなたを呼びましょうか?」


 広くはない居間に大人二人で立ち尽くして、数秒の間それぞれが心当たりを探った。


「そうだ。シオンさんを誘うのはいかがですか?」


 ぱっと顔を挙げた彼女が、また別の、信頼の置ける隣人の名前を出した。


「いいですね、そうしましょう」


 ライコウが穏やかに肯定すると、「ではさっそく」と残して彼女は居間からいなくなった。




 コーヒーカップを流しに置いて水を入れると、ライコウも追って玄関を出る。すると、準備はできているというように彼女が立っていた。少し強くなりだした風に、髪やカーディガン、膝下丈のスカートの裾が揺れていた。


「シオンさんには話を通しておきました。すぐにでも来ると思います」

「ありがとうございます。それからコーヒーも、ごちそうさまでした」

「いえいえ」


 何でもないことのように、彼女は首を横に振る。


「またごちそうするためにも、無事に……いえ、より良い知らせを携えて、この遠出を終えましょう」


 彼女の言葉は、この遠出が日常の一角ではないことを表していた。

 それを受けて、ライコウの顔から穏やかさがするりと抜け落ちる。


「可能性があるというのなら、そこへ行かなくてはなりません」

「ええ、それはもちろん。私も同じ気持ち(・・・・・)です」


 コツンコツンと靴が鳴る。


「急ぎましょう」


 早まる鼓動を表すように、その音は間隔を狭めていった。



「希望の種が、心災防衛サイカに隠されてしまう前に」



「待ってください、ライコウさん」


 小走りに追いついた彼女が、戒めるように呼びかけた。


「怖がらせないように、ゆっくり優しくお話をしないとだめですよ」


 それはまるで、子供の面倒を見るときの心掛けだった。ライコウは声を出して笑う。


「そうですね。もしも逃げられてしまったら、その時はシオンさんに捕まえてもらいましょう」


 足の向く先を睨みつけていたのが嘘のように、ライコウは背中で手を組み、ゆったりと歩みを進めた。


「僕たちイガルタなら、それからでもお話はできますから」


 司宰ライコウ。彼は儕輩イガルタを束ねる黒幕にして、六年前に生まれた最初の『イガルタ』だった。

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