幕間 - いつかのあやめ
「イリアは心災防衛で仕事をするつもりがあるみたいです」
カムイは扉を開け、中にいる人物を確認すると言った。
そこは御築村から戻った心的決壊災害防衛機構の風見ヶ丘拠点。心災中枢や職員の関係者たちに使われる待合室だった。
その部屋ではアヤメが一人、簡素な折り畳み机を前にして座っていた。イリア、ショウブ、トジャクはカムイが御築村でした説明よりも詳しい話を聞くために別室に通されている。
カムイも机を挟んでアヤメの反対側に座った。
「そう、速報ありがとうカムイくん」
アヤメはおかしそうに笑って返事をした。カムイが小走りで来たため息が上がっていたのがどうやら面白かったらしい。
「アヤメさんに相談しないととも言っていましたから。彼が所属してくれるとしたら心災防衛としてもありがたいです。僕からもお願いをしたいと」
「そんな根回ししなくたっていいわよ。あの子が決めたことなら、好きにさせるわ」
大急ぎで言いに来る程の事でもない、ということらしい。
アヤメはイリアが自分で考えて選んだことであれば、どんなことであれ受け入れる覚悟がきっとあるのだろう。
人手不足の激しい心災防衛としてはフリーの第六感保有者を是非とも防衛員として所属させたい。そういった裏方の仕事もやっておこうと、考えての行動だったが余計な物案じだったらしい。
「ね、カムイくん。御築の家長って誰が相応しいと思う?」
「え?」
突然何を言い出すのかと思えば、相続会議についてだった。イリアが心災を起こしたことで今日の相続会議は御流れになっている。
次の休日にはまた、きっと話し合いをするのだろう。
それをカムイに訊く意図は、よく分からないが。
「……そうですね。村の人達や、イリアの意見を聞いた感触的に、トジャクさんに任せたら安心だとは思いますが……」
「やっぱりそうよねー。村の外の人から見ても、そう映るわよね」
うんうん、とアヤメは頷いた。
御築村で育った自分や周囲以外からの意見を聞いておきたかったようだ。
「これ以上有耶無耶にさせるわけにはいかないし、兄さんも覚悟を決めたみたいだし、私も決めたわ。トジャク兄さんを家長にする」
「……遠い親戚の方達の反対はどうするんですか?」
「ちょっとズルだけど、私が一度全ての家長権限を引き継いでからトジャク兄さんを次期家長に指名して引き継がせようと思うの」
「え、そんな抜け道、できるんですか」
法律に造詣が深いわけでもなく、もちろん御築家にある独自の風習や仕来りの詳細など知りもしないカムイにはその可否は分からない。
「できるとかじゃなくてやってやるのよ。私は直系の御築家長女よ? しおらしくしてさえなければ私が全部引き継いで終わりだったんだから」
「イリアのことは、どうなるんですか」
「それね、そんなのはそもそも論点じゃないのよ。みんなは息子がいるのが問題だって囃し立てたけど正しくは娘がいないのが問題でしょう? 突然娘ができるってことはないけど……直系の長女の家長を継ぐ権利はびくともしないわ」
アヤメは堂々と言い切った。
カムイとしても考えが全く及んでいなかったことに気付かされる。イリア本人もショウブも息子の存在が相続問題へと発展したことを前提としていたが、そんなものは周りがこじつけた理由だったらしい。
カムイもまた思い込み、思い違いをしていたのだ。
「御築が嫌いなのに御築の権限を使う、っていうのが癪だったからやらなかっただけよ。けどそんな我儘、言ってられないしね。いっそ大嫌いな御築を利用しまくってやって、しっちゃかめっちゃかにしてやるわ」
今日の朝に御築の母屋で胡座をかいたときのように笑った。
「なんか、ショウブさんと似たようなこと言ってませんかそれ」
「私は前向きにしっちゃかめっちゃかにしてやるのよ。それにショウブ兄さんの言い分も分かるわ。私が村から逃げたのは事実だし、裏切り者って言われても仕方ないの」
にこりと微笑みながらアヤメはそれにね、と言葉を続けた。
「妹としての勘なんだけど、ショウブ兄さん、あれで結構偽悪的なところもあるから、本当はトジャク兄さんが家長になる目を潰したくないっていうのは、ちょっとあったと私は思うのよね」
「そう、だったんですか」
「習わしとか曖昧なものじゃなくて、確かに残っている村への貢献の実績を見るなら、トジャク兄さんが家長になることを咎められる人なんて誰もいないわ。トジャク兄さんが覚悟を決めるのを、ずっと待っていたんだと私は思うの」
本当のところは分からない。そんなのはアヤメの主観でしかない。けれどカムイの否定する感情も、カムイの主観でしかない。
真実はショウブの心の中にしかなく、本人以外が何を言ったとしてもそれが完全な正解となることはないだろう。
話が一段落したのを受けてカムイは壁掛け時計を見た。もう少ししたら日を跨ぐ時間だ。イリアたちへの説明も、それくらいで終わるだろう。
アヤメももう少しかかりそうね、と零した。
「ね、カムイくん。まだ時間あるし、ちょっと私の昔の話、聞いてくれる?」
「きっと後でまた調書……イリアの普段の様子や村についても訊かれるとは思いますが……」
「また話せばいいのよ。でもそんなんじゃなくてね、イリアの友達に聞いてもらいたいの。私はね、自分の子供がいつかこうやって何か大きな事件を起こすかもしれなかったから、あの村から出てきたの」
自分はイリアの友達と言えるほどまだ親しい付き合いをしていない、とは言えなかったし、それに類する言葉を選ぶ時間もなくアヤメは話し始めた。
「昔はね──兄二人が我慢させられている様子とかを家で見ても何も思わなかったわ。そういうものなんだって、みんなが当たり前みたいにそれを受け入れていたから、私もそれが普通だって思ってたの」
「トジャクさんからそういった話を、僕も聞きました。村ぐるみで迫害を受けていたと」
「迫害……そうね、その通りだわ。それが異常だって知ったのはやっと村の外の大学に通い始めたくらい──あら、もう三十年も前かしら。その頃に旦那と出会ってね、それがまた誠実な人でね」
カムイが真剣に聞こうと手を組んだのを見て、アヤメは少し笑った。
「真剣に聞くほどの話じゃないわよ。惚気みたいなものだし」
「いえ、今後の心災防衛での任務の参考になります」
この言葉は本心だ。今回の任務は閉鎖的な村で独自の第六感に対する解釈が作られた非常に稀なケースだが、いつか将来に似たような事案が発生しないとも限らない。得られるものは得られるだけ手に入れておきたかった。
アヤメははにかんで続きを話す。
「あの人はね──いろんな事から一歩引いてる人だったわ。大学でもあんまり目立つタイプじゃなかったし、正直つまらなさそうな人だった」
はい、とカムイは頷きを返す。
「大学ではみんなで色んなことを話し合ってね、『多様な視点を持ちましょう』って。物事の良い面と悪い面とか、ある場合には正しいことが他の場合では間違っていたり、そういうことを話して、価値観の違いを知ろうっていう講義を受けてる時だったわ。彼ったら誰の意見にも共感しちゃうし、一人で一度に正反対の意見を思いついちゃったりして、どの立場を取ればいいのかいつも分からなくなってたわ」
「……人の意見を尊重して色々な可能性を考慮する方だったんですね」
優柔不断、と言いそうになるのを飲み込む。
「優柔不断だったのよ」
アヤメの方はばっさりと切り捨てたが。
「彼ね、特定の誰かと連むこともなかったし、『どっち付かず』なんて笑われてたわ──それでね、彼はあんまり周りに言いふらすような人じゃないって思ったから、私の村のことを訊いてみたことがあるの。もちろん、自分の故郷だってことは伏せてね。彼なら、この異常な風習をどう思うかなって気になって。どうだったと思う?」
突然のクエスチョンに、カムイは少し考える。
「どう……って、急ですね……話を聞く限りなら……村の在り方を肯定する意見と否定する意見の両方を出したんじゃないでしょうか」
「正解。まぁ当然よね。私もなんだつまらないな、って思ったわ。けどね、普段は彼、自分の立場は全く言わなかったのに『もしもそんな村が本当にあるなら、その家の仕来りなんて壊してやりたい』って言ったのよ」
随分な正義感も持ち合わせた人だったらしい。優柔不断の核がそういった考えであることを、その時に知ったということか。
「それで、結果は」
「村を見たでしょ? 無理よ、無理無理。彼はそんな大したことができる人じゃなかったわ──でも私を村から連れ出してくれた」
「それが馴れ初めと」
「そう。それで今回の事件を受けて思ったんだけど……彼、三十年越しで家の仕来りを壊してくれたみたいだなって」
「……? あぁ、イリアが生まれたから、ですね」
アヤメが言っているのは今この状況。心災防衛という外部の組織が御築村に介入し、古い仕来りを壊す一つの転機となっていることを示している。
イリアが存在しなければ、心災防衛に村の事情が知られることもなかった。
「彼が私を連れ出して、イリアが生まれてくれたから村を変えられる機会が訪れたんだなって。これが兄さんたちにとっても転機になるといいけど──トジャク兄さんは前よりも大変になりそうね」
イリアの存在によって相続問題が起きたと難癖を付ける人はたくさんいた。ショウブに、家長権限を取り合った傍系の御築の女性達。
けれどイリアの存在によって、このまま御築村が続いていたときに生まれたかもしれない、未来の被害者達は救われた。
「あの人に会えたってだけで、人の縁に恵まれたって思えるわ。本当に素敵な人だったもの」
アヤメは記憶を思い返すように上を見た。
惚気話だと言われていたように、アヤメは伴侶のことを随分と思っているらしい。イリアの家族愛は母親譲りなのだろうと思った。
話が終わってカムイは、急におかしな違和感を感じた。アヤメの話にはやけに過去形の表現が目立っている。
御築村に息子は連れてきていたというのに、伴侶の姿がないことや、娘がいないというのも、もしかすると。
「あの……お話ぶりから気になったのですが、今イリアのお父さんは……?」
「あっ! 違う違う! やぁね死んでなんかないわよぴんぴんしてるわ! 出張に行ってて最近会えてないからそういう言い方になっちゃっただけ! 昨日だって電話で話したわよ」
「……あぁ、そうでしたか。すみません、いきなり。それならイリアのお父さんにも、また近いうちに心災防衛から話をしなければなりませんね」
「また電話で伝えておくわ。最近じゃ昔みたいに小難しい話はしなくなったわね──昨日話したのなんてレタスの値上がりについてよ? それで、『自分はつまらない男になってないか?』なんて心配そうに言われたりもしたわ。でもね」
頬に手を当ててアヤメは話す。
「そういうつまらない話を当たり前にできることが、何よりも幸せだなって思ったのよ」
アヤメの話は最初から最後まで惚気話だった。
つまらない当たり前が何より幸せという言葉も、会ったこともない赤の他人が言っているのを聞いたって顔を顰めるだろう。けれどしみじみと言うアヤメの言葉は、まだそう長く生きていないカムイもなるほどと思わせるだけのものがあった。誰もが当たり前の幸せを享受できる世の中にするためにも、一層の努力が必要である。
壁掛け時計の短針が十二時を回り、イリア達の対応をしていた樫寺コウサがアヤメを呼びに部屋にやってきた。
一人残されたカムイも、今から報告書を書いたら確実に徹夜だと考えてロッカーに向かう。さっさと帰ろうと扉の前まで来たときだった。
カムイがドアノブを握るよりも先に、扉が勢いよく開かれる。危うく顔面にドアが叩きつけられるところだった。
「やあやあカムイ君! お疲れ様だったね!」
「石津博士、お酒でも飲みました?」
突如やって来た石津モエは異様にテンションが高かった。いつも通りの白いロングカーディガン姿で部屋の出入り口に仁王立ちしている。
普段仕事をしているときには冷静なのだが、こちらの状態の方が記憶に残りやすいためモエはひたすらにおかしい人という印象を抱きがちだった。それを間違った印象だと言い切れないのも問題なのだが──徹夜が祟っているのだろうか。
「まさか! 勤務中にアルコールなんて摂らないさ。それより御築村のことだよ!」
「報告書なら明日提出します。今日はもう遅いですし、帰って寝ようと思ったところです。石津博士も寝たほうが良いんじゃないですか?」
「いやあ、そうつれないこと言うなよ。御築のあの二人! 是非とも心災防衛に入ってもらいたいレベルの稀有な第六感の持ち主じゃあないか。お手柄だねえ」
「はい、まぁそれは、ありがとうございます……二人って、イリアはどうなんですか?」
御築の二人、という呼び方に、所属の意思を示していたイリアが入っていないことが気になりカムイは尋ねた。
「匠イリアね。彼は──うーん、火力が高すぎるかな。ちょーっと能力が破壊力に振り切り過ぎてるような気がする。本人はやる気十分だけど、正直あまり向いている感じはしないかなあ」
「そりゃ捕縛や気絶ができる能力は重宝しますけど、だからって救助任務に使えないわけじゃないじゃないですか」
「大規模な破壊が必要だったり超火力に対抗するのにはいいかもね」
モエは扉の枠に手を付けてもたれた。出入り口を塞がれてカムイは帰ることができない。
にやにやと笑っている姿で、カムイが帰りたがっているのを察してわざとそうしているのだと分かる。
カムイは徹夜が確定したモエの、深夜の小休憩に付き合わされているのだ。
「こういうのは多様性が大事じゃないですか。貴重な攻撃性能でしょう」
「あ、それそれ多様性と言えば超貴重な空間操作系! トジャクの『手品師の種』だよ!」
「イリアとの落差がひどくないですかね……トジャクさんも協力的なタイプだと思うんですけど、どうでしたか?」
「村の事業で忙しいから常勤は難しそうだね。でも本人は割とノリノリだよ。心災防衛で付けてる第六感名を聞いたら『手品師の種』なんて早速名前を付けていた」
やけにモエは楽しそうに話した。
イリアという若手の新戦力よりもトジャクの存在に対して喜んでいる。そのことになんだか違和感を覚えた。空間操作系の貴重な第六感保有者が現れたことに喜んでいるのは確かなのだろうが、どこか、それだけではないような。
「ジュリさんの代わりにはなりませんよ、トジャクさんは」
ふと、自分でも引くくらい意地の悪い言葉が口からぽろりと溢れてしまって、カムイははっと我に返る。
早く帰りたいのを妨げられているからといって、それはあまりにも人の心がない発言だった。
「……分かってるさ。そんなこと考えてもない。ジュリの代わりになる者なんて、この世にいないよ」
ジュリ──柵ジュリは、元心災防衛の職員だった、と聞いている。
保有する第六感は『鏡面界域連絡』という鏡を介して空間同士を繋ぐ能力。特別救助任務部隊に所属していた非常に優秀な防衛員で、かつてのモエの友人で、今ではイガルタの構成員とされている人物だった。
特務隊の約半数は、イガルタの手によって洗脳され、もっていかれた──ジュリもその一人。
同じ空間操作系の第六感を持つトジャクに、友人の姿を見出しているのかもしれない。カムイはそんなことを思ってしまったのだ。
「ジュリの話で危うく忘れるところだったね。私が話しに来たのはケンジ君のことだよ」
突然もうずっと会えていない先輩の名前が出て、カムイは心拍数が急激に上がるのを感じた。
「ケンジさんがどうかしたんですか」
あくまで平静を装って尋ねる。
谷津浦ケンジも元は特務隊の構成員で、カムイから見れば遥か高みにいる存在だ。簡単に会えるような人ではないと、理解してはいる。
けれど大仕事を終えた後だからこそ、余計に一度話をしたい気持ちが募った。こんなにできることが増えたのだと、報告して、共に喜んでもらえたらと思うと胸が高鳴る。
もしもケンジに会うことができたら、それが何よりも励みになると思った。
「いやあ、カムイ君は直ぐにでも帰りたいみたいだし? また明日にしようかなあー」
「えっ、ちょっと、石津博士!」
扉を閉めて出て行こうとするモエをカムイは呼び止めようとした。けれどモエはすたすたと廊下の先を行ってしまう。
「石津博士、さっきの非礼をお詫びします。すみませんでした」
「怒っちゃいないさ。私と君の仲だぞ? そんなに畏ることもないだろう」
「すみません、石津博士」
「んんー、違う違う、そうじゃなくてさあ。な? 私と君の仲だぞ、もっと親しみを込めてくれていいんじゃないかい?」
モエはにやりと笑った。
それが何を意味するのかカムイは分かる。
「……モエ先生」
「なんだってえ?」
声が小さい、ということらしい。
「モエ先生! ケンジさんがどうしたのか教えてください!」
「おっけい教えてしんぜよう!」
くるりと回ってロングカーディガンを翻し、モエは腰に手を当てて廊下に立つ。
「ケンジ君、割と直ぐに会えるかもしれないよ」
それは胸が踊る朗報だった。
「つまりそれは、イガルタの問題が解決しつつあるということですか?」
ケンジは仕事が忙しく、誰かとゆっくり話すような時間を作ることが難しいと、そう聞いていたのだ。
「んんー、そうじゃあないが……まあ似たようなもんか。あくまで可能性だけど、ケンジ君がちょろっと時間を作れるかも、くらいに思っておいて」
「……本当ですか」
「ああ。でも、それは御築ショウブも心災防衛に協力的であってくれた場合、かなあ」
「え?」
カムイの口から間抜けな声が漏れた。
何故ここで、急にショウブの名前が出るのだろう。
「彼の第六感、記憶の奪取だけど詳しく試してみたら奪い取った分、脳の状態までも切り取られたみたいになってるようでね。これがまた救助任務にはうってつけの能力だとは思わないかい?」
その質問には肯定できる。カムイだってイリアの心災に追い詰められ過ぎて同じことを考えたのだ。
「ええ。それは僕も思いましたよ。今回初めて心災が起こりつつあるところに立ち会いましたけど、その場で記憶が奪い取れたら、直ぐにでもイリアを落ち着かせることができるのにって思いましたから」
「だろう? やっぱり精神操作系の第六感は強力だ。是非とも心災防衛に欲しいねえ? 彼が協力してくれたら色んな仕事が手早く済むのになあー」
わざとらしく、モエはちらちらとカムイの方を横目に見ながら言った。
「……それは戦力の増強ができたら、イガルタの問題が早く片付くという意味ですか」
「どう捉えてもらってもいいさ。だからまあ、ほら、カムイ君もお仕事を頑張ってくれたまえ!」
モエはひらひらと手を振って、カムイを置いて廊下をどんどんと先に進んでしまう。
それはなんとも勝手で漠然とした、全てを丸投げする鼓舞激励の言葉だった。