第10幕 - 秘密室
『あー、あー……聞こえる?』
「オーケー、問題なさそうだ」
耳元から流れ込んだ音声に返事をして、カムイは胸元の小型マイクを操作した。スイッチを切り替え、無線機の入出力をオフにする。
「ふう、よかった。もし付け替えることになってたら、また私の耳たぶが死ぬところだったよ」
自室からマイクテストをしていたルナが襖を開け、カムイのいる共用部屋に合流した。
今回初めてインカムを付けることになった彼女は、耳に固定する段階でかなり苦戦していたようである。
これから行うショウブへの説得とトジャクへの心災防衛に関する説明の間、ルナは別室で待機をする。
理由は一点の懸念──ショウブがカムイからの説得さえもなかったことにしてしまう危惧があったため。その異常を客観的に判断し、有事の際にリカバリーをする役割をルナに任せたのである。
救助任務ではないため、本来オペレーターを担う情報課などの役割だが、今回は両方を防衛員であるカムイとルナが担当する。
そして日の入りを迎え、周囲の山の輪郭が空に溶ける。辺りはすっかり暗くなって夜が御築村を包み込んだ。
ショウブが出掛けていたため、結局時間は相続会議と夕食の間にしか取ることができなかった。
対話の場に出る前に、カムイは入念に足のストレッチをした。行き先は相も変わらず和室なのだ。子供だと言って侮られ、軽んじられているこの現状で、足が痺れたなどと言い出すのは以ての外だ。
心災防衛の回収班は日付が変わる少し前──相続会議が終わる頃に到着するよう手配してある。ショウブが第六感を使いさえしなければ相続会議は問題なく終わるはず、という判断だった。
「まず、皆さんに謝罪させてください。学校の課題のために来たと伝えておりましたが、僕達には別の目的がありました。騙すような事をして、申し訳ありません」
カムイは頭を下げた。
場所は東の離れ。他の親戚達はまだ母屋にいる時間で、部外者に聞かれずに話をするのに都合がいい場所だった。
外廊下を渡り、離れの扉を開けて襖を越え、そうしてやっと入れる部屋。雨戸は内外から鍵を掛けられ入り口は絞られる。そこを除けば邪魔者の入る余地はない。
離れでカムイと対するのはショウブ、トジャク、アヤメだった。閉塞感のある部屋の中、相続会議の際にも使われている机の下座にカムイは座る。アヤメは相続会議の時と同じ位置だが、ショウブとトジャクは下座から上座へと移っていた。
本来話す必要があったのはショウブとトジャクの二人だけだったが、御築家の代表として話をするべきだと、トジャクの強い勧めで同席することになったのだ。
それに、トジャクにはイリアへの心配もあったのだろう。御築の血脈への配慮をするというのなら、断る理由は無い。
カムイは保護対象者に伝えることが許可される基準までの情報を開示する。
第六感──という言葉は出さないが、この村で御築家の呪いとして言い伝えられてきたものは人の心に起因する現象であること、そしてカムイたちはそれらから人々を救助し保護する組織から調査にやって来たことを明かした。全国に五つある拠点の他にも研究所や教育機関、国営組織との連携によって待遇の保証があることなども。
「──というのが心災防衛の概要です。何か質問はありますか?」
本来ならば組織名も伏せたいところだったが、どんな立場にあるかも分からない人間を信用しろという方が難しい。必要最低限に含まれる情報であると甘んじ、正式名称を隠して表記の想像されにくい略称のみを伝えた。
カムイが説明をする間、トジャクとアヤメは真剣に話を聞いていたが、ショウブは胡座をかき、眉間に皺を寄せて机に視線を落とし続けていた。その不満そうな顔からは、何を考えているかはよく読み取れない。
話が終わるまでにショウブの手によってこの場を台無しにされなかったことに、カムイは胸を撫で下ろした。
「じゃあ俺」
ひょい、と軽い調子でトジャクが手を挙げる。ショウブもアヤメもそれを止めることはない。カムイは「どうぞ」と答えて、質問の続きを促した。
「さっき連携している組織の話が出たけど、サイカっていうのは、高校も管理してるなんてことはあるか?」
「高校ですか……ええまあ、一部そういう学校もあります」
身構えていたカムイは一体何のための質問かと戸惑った。高校とサイカの繋がりが、彼の今後の身の振り方に影響するとは思えなかったからだ。普通ならもっと他に聞くことがあっただろう、と。サイカが今後何をするのかだとか、そこでの自分の立場はどんなものなのかだとか、そんなことを。
「イリアの通ってる高校は?」
「風見ヶ丘高校なら……はい、心災防衛の職員や保護対象者が籍を置いています」
この質問の意図はイリアに関するものだと答えながらカムイは気付いた。トジャクはどこまでも甥の心配しているようだった。
「高校でもしも超常的な出来事が起きれば、その対処には心災防衛の職員が当たります。拠点も近いですから、大抵の事に対応できるだけの準備が整っています」
「は〜あ。じゃあまぁ、特に心配することはないな」
トジャクは安心したような顔でアヤメを見た。けれどアヤメの方は困惑した表情のままだった。アヤメには気になることがあるらしい。
「カムイくんたちの組織については、なんとなく分かったわ……でも、どうして兄達に、呪いがあるって分かったのかしら?」
今からショウブに対し説得を試みるにあたって、避けることのできない話だった。
「イリアに相談されたんです。実家で起きているおかしな現象を解決してほしい、と」
「おかしな現象?」
アヤメは思い当たることが無かったようで、心底不思議そうに首を傾げた。
「アヤメたちは気付かなかったかもしれないけどよ。俺は気付いてたぜ──書記だったからな。兄さん、もう頃合いだろ」
部外者で、会った日から良い顔をされていないカムイが話すよりもトジャクが話した方が幾分か事は円滑に運ぶだろう。カムイはトジャクに言葉の先を任せた。
けれどショウブは真剣な目を向けられても、横目に嫌そうな顔をするだけだった。
「ずっと秘密にしてたんだろうけどさ、俺だけ呪いを持ったまんまってこともないだろ? なぁ、話してくれよ。兄さん」
トジャクに詰め寄られ、ようやくショウブは顔を上げた。顎を上げ、見下すような目でカムイを見遣ってから自嘲するように溜息を吐く。
「……は、本当、ガキってのは何をしてくるか分かんねえな。どいつもこいつも、邪魔ばっかりしやがる」
口を開いてそこから発せられたのは、カムイに対する苛立ちの言葉だった。
トジャクはそれを止めるように手を横に出す。
「おい兄さん」
「お前もこんなガキ連れて来やがって。いや連れて来たのはアヤメのガキか。イライラさせる」
負の感情しかないような言葉ばかりが、ショウブの口を衝き続ける。
「本当、何にもうまくいかねえな。お前らが俺をここに呼んだのはサイカとかいうのに所属させるだけじゃなくてこのクソみてぇな相続会議を終わらせるためなんだろ? は、他所様の家の問題に首を突っ込んでくるたぁ暇な連中もいたもんだな。興醒めだっつーのヤメだヤメ」
ショウブは胡座から片膝を立たせて、直ぐにでも立ち上がることのできる姿勢をとった。自分を苛立たせる人間と同じ空間に居たくない、さっさとこの場から出て行きたいという感情の表れのようだ。
「それは、心災防衛への同行を認めてもらえるということでよろしいですか?」
「はあ? なんでだ。犯罪者扱いでもするつもりか?」
煽りには、取り合わない。あくまで心災防衛の職員に徹してカムイは対応する。
「お話しさせていただいた通り、心災防衛は不思議な力を持つ者たちを守るために存在します。不幸に見舞われただけの彼らを、現行法では裁けないことになっている」
公にできない力や事象があるということは、それらによる被害を受けた者たちに口を噤ませている現実もあるということだ。
いつか第六感が世間に公表された時、社会の混乱を最小限にとどめ、全ての物事が円滑に進むよう取り計らうのが理想だ。現在の心災防衛は、まだその下地を作っている最中と言える。
「だけど、それは彼らにだけ……いえ、あなたにだけ特権を与えるということを意味するのではないんです」
あくまでも、今ある法律が適応されないというだけだ。他者の権利を侵害する行為は、心災防衛においても変わらず認められていない。
「あなたにこれ以上、リセットをさせる訳にはいかない」
「は」
下らない、という嘲りを含む笑いがショウブの口から漏れる。
「もうヤメだっつったろ。リセットなんざ俺のチンケな呪いでできるか。やってらんねえ」
ショウブは手の平を広げて見せる。トジャクが自身に脅威がないことを示した姿勢と同じだが、投げやりな態度にしか見えない。
「こんな記憶を奪い取るだけの呪いじゃ、精々嫌がらせをするのが限度だっての」
それは第六感の告白。正体はカムイがいくつか推定していた能力の候補と違わないものだった。
記憶。
秘密の部屋の中身が明らかになっていく。
記憶を奪い取られ、奪取を行なった本人の元にしか時計がないとしたら、それ以外の人間は時間の経過を体感できない。
相続会議の場で、ショウブはタイムキーパーを務めていた。
あの部屋の──すなわち今いるこの部屋の──時間、出来事の進退は全て、ショウブに握られていたのだ。
「相続会議を好き放題するなんて、土台無理な話なんだよ。俺はただ卑しい女どもに、仕返しがしてやりたかっただけなのさ」
そのときガタンと音が鳴り、部屋の襖がするすると開いた。
「ショウブおじさん、それ、本気で言ってるの?」
そこに立っていたのは、事の発端の依頼人で、この話を聞かれるはずではなかった人間──匠イリアだった。
襖口に立つイリアに、部屋の中全員の視線が集まる。廊下の先の扉も開け放たれているようで、部屋の中に籠っていた人の熱が外に漏れ出る。外の冷たい風が部屋の中へと流れ込んだ。
部外者であるはずのイリアに、心災防衛の機密を聞かれてしまった。
油断していた、わけではないだろう。これまでの行動からイリアは自身の身を守るために、問題ごとには首を突っ込まない。あちらとこちらの一線は決して越えない、暗黙の約束があるはずだった。
けれど思い返せば、イリアは相続会議の監視に参加したがるなど家族のことに関しては譲らなかった。そもそも相続会議自体イリアは以前から聞き耳を立てていたのだ。
この程度の事態、想定しておくべきだった。
「──っ、イリア、どこから聞いていた」
「ショウブおじさんの話の辺りから。ごめん湊辺くん。でもどうしても、知らなきゃって思ったんだ」
イリアはカムイの言葉に返事をしていたが、彼の目はカムイの方を向いていない。
部屋の中まで入ろうとせず、襖に置いた手を震わせながら、その目はショウブだけを見据えている。
「ショウブおじさん、まさか今この時まで、なかったことにはしないよね」
イリアは静かに、冷静にショウブに問いかけた。
部屋には母親も同級生も、四人もの人間がいるというのに、イリアにはショウブしか見えていないようだった。その雰囲気に圧倒されてか、トジャクもアヤメも、言葉が出ない。
「……は、お前がそこに立ってる限り俺がどうこうしたりはできねえよ──閉じた部屋だ。閉じ籠ってる奴らの記憶を奪い取るのが、俺の呪い。こんなクソみたいに閉鎖した排他的な村にいたせいで、俺に生まれた呪いは孤立のためにあるとしか思えねえ代物になりやがった」
これがショウブの第六感の全貌。
全く何の制限も持たない能力などない。記憶を奪い取る能力には決まった射程があるのではなく、閉鎖した部屋という条件を満たす範囲において及ぼすということ。
「御築の呪いなんて、嘘だと思ってたのに──」
「そこの襖を閉めさえすればお前が見聞きしたことも消してやるよ。そうすりゃ子供騙しの与太話に元通りだ」
「……そんなこと、絶対にしない」
イリアは拳をぎゅっと握り締めていた。まるで今にも殴りかかりそうなのを、そうすることで抑えているような、そんな様相。
「ねぇ、ショウブおじさん。これは全部、トジャクおじさんのためだったんだよね?」
突然何を言い出したのかと思えば、それはイリアの見出した一つの可能性を尋ねているようだった。善意から行ったことであると。
だから、情状酌量の余地があると。
「トジャクおじさんが御築の家長になれるように。他のおばさんに権利がいかないように。そのために、こんなことをしていたんでしょ?」
心配と、困惑がイリアの声色から感じ取れた。
「聞き耳立ててたんだろうがよ。さっきも言ったことを何度も言わせんなダルい。ただの嫌がらせの仕返しだ」
ショウブは眉間に皺を寄せて嘲る。
今も尚、自身を信じるべき身内だと考えているイリアが憐れに思えているようだった。
「なんでそんなこと……」
「なんで? この相続問題が起きたからだ。俺が仕返しをできる好機が訪れたからだ。お前は理解できているのか? この相続問題はお前がいたから起きた。お前が男でなければ、そもそも生まれなければこんなことにはならなかった。お前がいたから、遺産と家長の権限目当てで鬱陶しいハイエナ女共が集まって来やがった」
「それくらい……知ってる……でも家族みんなに迷惑がかかってるのにどうして……」
イリアの存在によってこの相続問題が起きたのは事実だとしても、それが彼の所為だと言うのは違う。昨日の夜にだってルナに茶化すようにそれを否定されたというのに、イリアは自分の存在が相続問題に発展した原因であることに、自責の念に駆られているようだった。
「なんでの次はどうしてだあ? 耳はちゃんと付いてんのか? さっきから何度も言ってる。仕返しだ。卑しい傍系女共と御築の家への! あんな奴らが家族? ヘドが出る。お前は知らねえんだ。あいつらやこの村が、何年も何十年も、俺やトジャクにしてきた散々な仕打ちを。だからそんなノンキでいられるんだ。お前は良いよな匠イリア。アヤメが村から出て行ったお陰でそんな目に遭わなくてよ」
「そんなの……ショウブおじさんも同じってことじゃないか。自分のためだけに、他の人の邪魔をするなんて」
イリアはショウブと対話する事に苦痛を感じているようだった。頭の片側を抑え、片目を閉じそうにしながらも言葉を絞り出している。
イリアの目はショウブから決して外れない。けれどその真っ直ぐな目が、より一層ショウブを苛立たせるようだった。
「そんなのはよくないから、一生我慢していろって? 偏見に塗れて盲目に差別と迫害をする輩と、それを繰り返されて積もった恨みを晴らそうとしている俺が同じだあ? ふざけるな! 今になってやっとだ。やっと何かができると思ったんだ。なのにそれを行動に移さないで、じゃあ今までずっと蔑ろにされてきた俺の心はどうなる? お前みたいにぬるま湯で育ってきたガキに! 説教垂れられる筋合いはねえんだよ!」
「う……」
ショウブが初めて本心の感情を見せたような気がした。それが、被害者の立場にいた者の悲痛な声であると分かる。分かってしまう。
心と命が追い詰められた者にしか、第六感は生まれない。
イリアはその本音に言い返すことなく、頭を抱えて苦しそうに呻き続けていた。
「お前には俺が悪者にでも見えてんのかもしれないけどなあ! 俺からしてみれば! あのクソどもの方がそうで! 外で暮らせたお前が裏切り者なんだよ匠イリア!」