第7幕 - 朝の支度
カムイ、ルナ、イリアの三人は、母屋の一室で朝食を摂っていた。
昨日の晩に引き続いて、せっかくだからみんなで食べたら、というイリアの母親であるアヤメの勧めに従った。母屋だがイリアの親戚たちとは別の部屋で、客間でもないのに物の良さそうな調度品が揃えられている。御築家の持つ余裕が窺えた。
食事もそのために雇われた人間が配膳し、食べ終われば下げられる。広い家には不可欠なのだろうが、どこまでも裕福な家らしさがあった。
昨日も三人での食事の間に話せるようなことがあるのかと疑問ではあったが、ルナがイリアとの昔話に花を咲かせたお陰でカムイは居心地の悪いものにはなることはなかった。
そして朝食が終わった頃に、アヤメは再び三人と話をしにやって来た。
イリアが座布団に正座するのを受けてルナも居住まいを正し、足を伸ばしたままだったカムイもそれに倣う。和室に不慣れなため座り心地は良いものではない。
「あら、いいわよ無理に正座なんてしなくても。楽にしてちょうだい」
アヤメはそう言うが、家族であるイリアが正座をしているのに崩すわけにはいかないと、カムイもルナも正座のままだった。
けれどアヤメはそれを見て笑う。
「ほんとにいいのにー。この家で正座なんて、私の方こそやりたくないわ。胡座かいてやるわよ」
そう言ってどっかりと本当に胡座で座った。
家長を継ぎたくないというイリアの証言通りだ。余程御築の家が好きではないのだろう。
「大した用があって来たわけじゃないわ。昨日は忙しくて挨拶もそこそこであんまりちゃんと話せなかったから来ただけなのよ」
ふふ、と優しく笑うアヤメは母親らしいものだったが、余裕のある気の強さも感じられた。それは本来御築家の家長となる立場、というのに似合っているような気もする。
「それで、学校ではどう? 調べ学習しにわざわざこんな所に一緒に来てくれたくらいだから仲が良いのは分かるけど、ルナちゃんの話とかぜんぜんイリア話してくれなかったわ」
世間話をさせろ、ということらしい。息子の友人から聞きたいことといえば、それくらいか。
けれどカムイにはネタがない。横目に見れば、ルナがすっと身を前に傾けていた。
「中学の間ずっと会ってなかったので、入学式のときにはびっくりしました。私は剣道やめちゃいましたけど、イリアくんはすごいですね!」
ルナは控えめながら身振り手振りを添えて賑やかに語った。それを聞くアヤメは嬉しそうに見える。
「そうなのよ特待とれるくらいになっちゃって! 剣道はイリアが初めて自分からやりたいって言い出したことだったから嬉しいわ」
「ちょっとお母さん……」
困った顔のイリア。年頃の息子として当然の反応か、それとも『情報の共有』に関して敏感になっているこの状況だからなのかは分からない。
「はいはい。でもイリアぜんぜん自分の意見を言ってくれないじゃない」
そう親子の会話が始まった、と思いきやアヤメはカムイの方を向いた。
「ね、君はどう思う? カムイくんで合ってるよね?」
「あ、はい」
突然話を振られてカムイは拍子抜けた返事をしてしまう。旧知の仲のルナや息子と話してばかりは悪いと感じたのかもしれないが、イリアと知り合って数日なカムイからしてみれば余計な親切だった。
不自然にならないよう何か言葉をと考えるが、アヤメに伝えられそうなイリアとのエピソードは思いつかない。相談という形をとって行われた初めての会話と、その後の些細な事務連絡しか未だ接点がないのだ。
「そうですね……ぜんぜん意見がない、ってこともないと思います。結構、大胆な決断もするタイプだと思いますよ」
ちらとイリアの方を見れば、やめてくれと言わんばかりに冷めた顔をしていた。
しかしイリアについてよく知らないカムイとしては、意見の主張に乏しいというイメージの方が懐き辛い。家では余程家族に心配をかけないように生活しているのだろう。
「そっか。イリアも成長してるんだね。嬉しいわぁ」
「もうお母さん、恥ずかしいって……」
「はいはい、もう出てくわよ」
イリアに止められながらも思いの外アヤメは嬉しそうにしていた。相談を持ちかけて来たことから勝手な印象を述べたに過ぎないのだが。
居心地の悪さを主張するイリアは素で恥ずかしがっているのか、カムイ達を呼んだ本当の理由を母親に察せられ心配させないためか、そこまでは分からない。
それに、友人と家族が会う気恥ずかしさなど、カムイにとって知ったことではない。
「ルナちゃんもカムイくんも、イリアと仲良くしてくれてありがとうね。これからも仲良くしてやってくださいな」
アヤメはそう言い残して、にこやかに部屋から出て行った。
「友達ね。利害の一致による一時的協力関係、くらいのつもりだったんだが」
同級生の母親を騙すようなことをして、罪悪感が全くないわけではないのだ。カムイは念のために自分の立場を主張しておく。
「私はイリアくんと友達だけどぉ?」
「お前はそうだろうよ。けどイリアの方がどう思ってるか分からねぇぞ。なぁ?」
意地の悪い言い方だが、今までの関係のままにいられると思っているルナくらい気楽であれたら、と思う。
イリアの方を見れば、難しそうな顔をして考えていた。
「……僕はルナさんと、今でも友達のつもりだよ。湊辺くんとだって、同じ高校の同級生なんだから」
ルナとの関係が複雑になったことはイリア自身感じているようだった。昨日の監視によって、それは十分思い知ったらしい。
「でも、誰だって全てを共有できるわけじゃないからね……秘密は、みんなあるものだし」
カムイたちはイリアからしてみれば秘密の塊だ。そして自分がそちら側に踏み込むことはないことを言っているのだろう。
敵意がないが故の友達だが、同時にそれは自身の平穏を脅かさないでくれというイリアの壁でもあった。
カムイにはカムイの事情があり、ルナもイリアもそうである。立ち位置が全く同じになることはありえないのだ。
イリアがカムイに相談する判断をしたように、カムイは自分の判断ですべきことをするだけだ。
「それじゃ行くか──」
ガタン、と、後ろに手を付いてカムイは倒れた。
「どうしたの?」
行くかと言われ、その気になって立ち上がったルナから心配の声を掛けられる。
イリアの方も何事かと、立ち上がりかけて膝をついた姿勢のまま固まっていた。
「なんでもない。ちょっと待ってくれ」
再度カムイは立ち上がろうとしたが、今度は前へとのめりそうになり、机に手をついた。流石に二度は誤魔化せない。
「……痺れたみたいだ」
「えぇー、そんな大袈裟な」
ちょん、とルナが足をつつくと、電流の流れるような衝撃が足全体に走る。
なんとも情けない声が、意識とは無関係に呻き出た。
「カムイ正座だめなんだ……」
「悪いか」
ルナからは何とも言えない視線を向けられる。そこには憐れみが含まれているようにも感じられた。そんな視線とともに上から見下ろされるのはあまり気分のいいものではない。
足を掴むことすら難しく、畳の上を引き摺って、なんとか伸ばすので精一杯だった。
「私は正座余裕だよ。なんてったって茶道を習ってたからね」
「そうかよ」
立ち上がるまでしばらく時間を要すると判断したのか、ルナは隣にしゃがんで雑談を始めた。
習い事の経験がないカムイからするとお茶の飲み方を学んでどうするのかと頭を捻る。
「まぁ一ヶ月体験でやめちゃったけど」
「そんな短期間で慣れるもんか?」
ルナはカムイの疑問には答えず、不自然ににこにこと笑っていた。そして自身の顔の横にVサインを添える。
「華道もやってたよ」
「それで?」
「二週間体験でやめちゃった」
「は?」
それは、正座の経験と痺れは関係ないという主張でもするつもりなのか。
掲げられていたVサインに、もう一本指が加えられた。小指と親指以外が伸び、数字の三を表す格好となる。
「書道もやってたから伝統芸能三道を経験したことになるよ! 合わせて半年にもならないけど!」
「もはや飽きの速さ自慢じゃねぇかよ」
Vサインを見せつけていたのではなく、ただ数字の二を表していただけらしい。
心身共に痺れを切らしたカムイは堪らず言う。戻りつつある脚の感覚が逆にもどかしく、余所事に意識を割いていないと脚から砂粒が流れ出るような感覚が溢れそうだった。
「……この部屋って、この後すぐに使われる予定はあるんだろうか」
「いや、特には聞いてないけど……そうだね、治るまでは動けないよね」
いつになったら情報収集に向かえるのだろう。今日の任務に支障が出るんじゃないのかと、余計な心配の種を持ちたくない。
「……悪い、イリア。もうしばらくここに居座らせてほしい」
「うん、無理させるつもりはないよ。それとルナさん、『道』を挙げるなら『剣道』も数に入れて欲しいな」
軽い調子でイリアが言うのを受けて、閃いたように目がぱっと開いた。
「確かに! 私の人生で一番続いた習い事だった気がする」
真剣な顔をしたため何を言い出すのかと思えば、朝食の間に聞いた話の延長のようなものだった。
「そういえばあの頃のイリアくんってばさー」
剣道が長続きしたのは本当らしく、習った内容を交えながらイリアの思い出話を聞かされる。
カムイの脚が完全回復するまで、ルナから芽吹く話の種は尽きることがなかった。