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Sixth-sense of Wonder / シックスセンス・オブ・ワンダー  作者: 沃懸濾過 / いかく・ろか
第2章 - 相続会議リセット現象
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第5幕 - 何れ菖蒲か杜若

 バスに揺られ、車窓から畑の高原野菜たち──レタス、ハクサイ、グリーンリーフ、チンゲンサイ──種類が移り変わっていくのを眺めてしばらくすると、三人は目的地に到着をした。


「ここ、ほんとにイリアくんのうち?」


 本人に案内されているのだから間違えようがないのだが、ルナがそう尋ねたくなる気待ちはカムイにも想像ができた。


「僕の家じゃなくて母の実家、かな」


 細かい表現の違いを、イリアが丁寧に訂正した。彼にとっては気になる点だったのだろう。


 降りたバス停の名前は『御築おきずき家前』。村と同じ名称の家が、そのまま目印に使われていた。


 目の前に佇む邸宅は巨大な門と外壁に囲まれ、中の様子が隠されていた。瓦屋根や木造の扉から、とりあえず和風ということが分かる程度だ。事前知識がなければ寺か神社だと思ってもおかしくはない。

 山林が背後にそびえ、東側には小川が流れている。周囲に他の家屋はなく、門の面した南側に見える景色のほとんどが畑だった。小川からは水路が伸びており、その先には農業用機械が収められているだろう倉庫も見える。


「どうぞ、入って」


 イリアが屋敷の門を開け、カムイとルナを招き入れた。


 中の建物は一階建ての作りがいくつも外廊下で繋がっていた。教科書のどこかで見た寝殿造が思い浮かぶ。

 玄関で靴からスリッパへ履き替え、イリアの先導に従って長い廊下歩く。そして細い外廊下を通って、最後には西側の離れへと辿り着いた。来客用ではなさそうだが、それでも十分に造りは良いように感じる。


「外から見てもすごかったけど、中もとっても綺麗だね!」

「まるで平安貴族みたいだ」


 目的の部屋の前のたどり着いたようで、足を止めたイリアにルナが嬉々として称賛の声をかけた。カムイも思わず言葉を続けてしまったが、打って変わっての少々疲れの滲む調子になってしまった。

 必要以上の広さは、なぜだか気疲れしてしまう。


 それでも、琥珀色に輝く木造建築を物珍しく思い、ついあたりを見渡した。過度な装飾品があるわけではなかったが、綺麗の一言で済ませるのはもったいない様相だ。


「ありがとう」


 褒めたことに対して、思いのほか様式的な淡々とした礼が返ってきた。先程『母の実家』と訂正した程度には、一筋縄ではいかない思いがあるのだろう。


「この部屋、荷物置きや調べ物のために用意したんだけど、ここにいる間は自由に使ってもらって構わないよ」


 そう言ってイリアが前に向き直ったとき、彼が手を掛けるより早く、内側から戸を引く者がいた。


「あ? なんだこのガキどもは」

「おい兄さん! 話はまだ終わってないぞ!」


 部屋のほうから不和を匂わす声が飛ぶ。

 イリアが一歩二歩と気圧されたように下がり、カムイからも声の主の全身が見えた。


 部屋から出てきたのは、イリア以上の長身で目付きの悪い、四十、五十歳程度に思える男性だった。暗い色をしたポロシャツにジーンズという出で立ちで、いかにも頑固親父という風貌をしている。

 その人物を追うように、同じく長身の男性が続く。首にはタオルをかけておりこの涼しい気温なのに上は半袖シャツのみで、それが若々しい印象を与えた。


「ショウブおじさん、トジャクおじさん、どうしてここに?」


 カムイたちの横を通り過ぎていった二人を振り返って、イリアが声を張る。二人の男性はイリアの叔父──話に聞いていた母親の兄達だと分かる。想像していたよりも歳を重ねているようだった。


 イリアの呼びかけには、二人ともが足を止めていた。しかし、先に部屋を出ていたポロシャツの男から遠慮のない大きな舌打ちが聞こえた。


「んだアヤメんとこのガキかよ」

「んあっ!? イリアこそ、お友達を連れてこんな離れまでどうしたんだ?」


 あまり聞いていて気持ちのいいものではない独り言と、呼びかけに対する疑問の返事が同時に投げられた。イリアは「えっと……」と一拍置いてから答えた。 


「おじいちゃんが、友達が来るならこの部屋を使わせてあげなさい……って」

「あー例の。もっと早く来てくれたらスキーとかもできたんだろうけどな。せめておいしいもん食ってってくれ。野菜がうまいぞ!」


 快活そうな半袖シャツの男は、カムイたちの訪問を快く受け入れているようだった。


「ほら、ショウブ兄さんも、何かこの村の一押しポイントとかないか?」

「……は、こんなクソ面倒な事やってる時に遊びにくるたあいい度胸なガキどもだよ」


 ショウブと呼ばれた兄と思しき男性は振り返り、眉間に皺を寄せてカムイ達を睨んだ。


「子供は嫌いだ。何にもできねえクセして集まると何しでかすかわからねえ」


 イリアの問いかけを無視せず留まったことから、話を聞く気はあると思ったのだが、どうもそうではない。苛立っていたところへ現れた自分達に、その負の感情をぶつけて発散したかったのではないかと気付いてしまった。

 カムイは、これは仕事と割り切っているつもりではあったが、ここまで一方的に言われて何も感じないわけにもいかなかった。思わず眼鏡に手が伸び顔を隠す。

 しかしそこで盗み見たルナの顔が案外平静だったことを受けて、自分もやり取りからは一歩引いて客観的に分析しなければと気持ちを切り替えた。


 言いたいことだけを吐き捨てて、ショウブは離れから縁側に出て外履きを履くと庭へと出て行った。


「おい兄さんどこ行くんだよ!」

「タバコだ。イライラすんだよ。ガキどもにもお前にも」

「それは兄さんがちゃんと話さないからだろ! おいちょっと! 待てって! あーもう!」


 トジャクもそれを追おうとするが、外履きは一人分しかない。


「ごめんな! 喧嘩じゃないから安心してくれ! あとお友達! イリアと仲良くしてやってくれな!」


 そう言って、彼も母屋の方へ足早に行ってしまった。

 三人のこの短いやりとりを見ただけでも、この家族の関係が随分と面倒なことが想像できる。


 イリアに視線を戻すと、気まずさを感じながら言葉を探しているようだった。


「部屋、入らせてもらうぞ」


 カムイはバックパックを背負い直してイリアの横を過ぎ、案内されていた部屋に踏み入れた。背後から遠慮がちな足音が二人分続き、戸を閉める音がした。


 離れといえど中は広く、畳敷きの部屋が四つに分かれている。部屋は襖で区切られており、寝るときのプライベートを十分に確保できそうだった。


「で。今のが、遺産相続で取り合ってるっていう人たちか?」


 カムイは荷物を適当な床へ下ろして尋ねた。顔を挙げると、戸を閉めたままその場で立っているイリアが視界に入る。

 彼は背中を向けたまま問いかけに答えた。


「それはそうなんだけど……男性は家長を継げない習わしらしくて」

「今回の問題はその風習に反旗を翻したってことなのか」

「ううん。ショウブおじさんは分からないけど、トジャクおじさんは違うかな」


 カムイの推測を穏やかに訂正しながら、イリアは部屋の隅にある引き戸を開けた。そこから座布団を出して、三人で座れるように机の周りに並べつつ、言葉を続けた。


「トジャクおじさんは、習わし通りに僕の母が継いだらどうかって言ってる。兄妹では母が一番下だけど、長女だからね。でも母は継ぐ気がないらしくて」


「ええと、少し待ってもらっていいかな……」


 ずっと抱えていたボストンバッグやリュックを下ろしながら、ルナが疑問を呈した。


「ショウブさんがお兄さんで、トジャクさんが弟さんのほう? あれ? どっちだったっけ?」


「そっか、慌ただしくしちゃって、ちゃんと二人を紹介できてなかったね」


 慌ただしく、と形容できるほど生温いものではなかっただろうと内心思いながら、カムイも勧められるままに部屋の中央へ寄った。

 イリアがまず座り、机を挟んで向かいにルナとカムイが並ぶ。各々好きなように座布団に腰を落ち着けて、改めて話の整理が始まった。


「ちょっと怖い方が上のお兄さんで、御築おきずきショウブって名前。優しい方が下のトジャクおじさん。あっ、母の名前がアヤメだから、揃えて覚えやすいんじゃないかな」


 イリアがルナに視線を合わせて言った。

 ルナはすぐに「なるほどね」と物知り顔で頷く。その顔が何かに気付いたようにカムイの方を向いた。


「あ、分かってない顔してる」


 口元を手で隠し、煽るように目を細めている姿は大層腹の立つ態度だった。


「意味が分からねぇもんは分からねぇんだよ。どういうことだ」


 開き直って素直に尋ねれば、ふふふ、と嫌に楽し気な笑いを零してルナは解説を始めた。


「三人とも、よく似た植物の名前なんだよ。『いず菖蒲アヤメ杜若カキツバタ』って言葉もある。アヤメとショウブはどっちも同じ漢字で書いて、カキツバタは別名がトジャク。それで、アヤメさんと、ショウブさんと、トジャクさん」

「……なるほどな?」


 カムイはとりあえず植物の名前ということで理解を落ち着けた。覚えやすい人間には覚えやすい名前なのだろう。

 知らない方が馬鹿にされるような、広く知られた知識だとは思えなかったが。


「カムイみたいな先輩に私から教えることがあるなんて、珍しくてそわそわしちゃう」


「えっ、湊辺みなとべくんは同級生……だよね?」


 イリアが至極素直な表情で確認するように訊いた。しかしすぐに何かに思い当たったようで、ふい、と視線を逸らす。

 あまり深く考え込む前に、カムイは適当な回答を返した。


「たまに冗談で使うんだよ、先輩って。それだけだ」

「そっか……な、仲が良いんだね!」

「いや、それはどう──」


「それでさイリアくん! 相続問題の話だけど!」


 机に上半身を乗り出したルナが、強引に話題の方向転換を図った。貼り付けたような引きつった笑顔から察するに、口が滑ったことは自覚しているのだろう。


「う、うん。何?」


 イリアも話に乗ることにしたようだった。

 再び座布団に座りなおして、ルナは続きを話した。


「えーっと、アヤメさんが継ぎたくなくてトジャクさんも継ぐ気がないなら……ショウブさんが継いだらいいんじゃないの? そうならないのはどうして?」


 第六感シックスセンスに関する調査の本題ではないが、相続問題の解決は最終的に導きたい結果でもあった。


「ショウブおじさんは何を考えてるか本当に分からない……問題はそこの兄弟じゃなくて遠縁な親戚の人たちなんだ」


 あんなに険悪な会話を聞かされた後だが、一番複雑なのは彼らの関係ではないと言う。話に登場する関係者が増え、重くなったように感じた頭を肘をついて支えた。


「おばさんたちが、男に継がせるより自分たちが継ぐって主張してるんだ。直系の長女が僕の母だから、母の意見になら本来誰も反対できないはずなんだけど……」


 イリアの顔が一層下を向く。


「僕のせいで、母にも権利はないって言われてる」


 ここまですらすらと状況を説明してみせたイリアは、きっとこれまでも丸く収める方法はないかと思案していたに違いない。そしてそのたびに、こうして自分を責めたのだろう。

 隣のルナを見ると、イリアの最後の言葉の意味を図りかねている様子だった。


「アヤメさんに娘がいないから、だな」


 村の風習から察するに、答えはこういうことだろう。


「一見一番強い権力を持つ長女だが、その次がイリアじゃ女系継承が崩れてしまう」

「カムイくんの言う通りだよ。僕がいたから問題が大きくなった」


 問題が大きくなり、イリアが相談したお陰で、カムイが、ひいては心災防衛サイカシステムがこの村の異常事態を知り得た。しかしそんな損得勘定の結果を出せるのは心災防衛サイカシステム側の人間だけだ。

 イリアにとっては、自身がすべての障壁となっているように感じるだろう。


「イリアくんは何も悪くないでしょ!?」


 机の上で両手を強く握って、ルナがイリアの自責の必要を否定した。まだ見ぬ御築家の大人に向けて言うように、この場の誰の目も見ず、机に向かって叫びを叩きつけた。


「こうして私達を呼んで、解決に一歩でも近づこうと行動してる! なのに、それでも、そんな……」


 真剣そのものだった表情が揺らぎ、視線を上げて正面のイリアを見る。今までの真っ直ぐな言葉に反して、お茶目にもわざとらしく頬を膨らませて首を傾げていた。


「芥川リュウノスケみたいなこと言うつもり?」


 そう問いかけると、渋い顔をしたままイリアの返事を待った。

 感情の乱高下に振り落とされたらしいイリアが、半ば呆けた声で返す。


「ルナさん、『生まれてすみません』は太宰オサムだよ」

「知ってるわよ、わざと!」

「……ふふっ」

「えへ」


 ルナの開き直った答えを聞いて、イリアは溜め息交じりにも口角を持ち上げた。

 重くなる一方だった空気をゼロに戻すのがルナの目論見なら、それは首尾よく成功したと言っていい。


 ところで「そのフレーズは寺内ジュタロウの剽窃ひょうせつだ」と突っ込みを入れるのは野暮だろうか。とは思うものの、暗い顔を止めた二人を見て、やめておくことにした。


「母親もおじさん方も相続する気がないなら親戚のおばさん方に譲っていいんじゃないのか?」

「うん、それはみんな納得しているみたい。だけどそのおばさんたちの間で、家長権限を誰が取るかで話し合いが長引いて……」


 イリアが疲れた顔でそう言って、それからカムイ達を見て、再確認をするように続けた。


「後は話した通り、結論が出たと思ったらそれがなかったことにされる、っていう……」


 ここまで聞いてやっと、カムイは相続問題の全貌を把握した。

 調査する内容自体は『出来事がなかったことになる』という現象だが、その渦中にあるものを無視するわけにもいかない。


「今日もその話し合いはあるんだな?」

「うん。まだ戻ってきていないおばさんがいるから、たぶん夜から。今日もまた決まらなければ、明日もあるだろうね」


 現場調査をする機会は、ほとんど二回用意されていると言って良いだろう。


「大人も大変だね。毎日毎日イライラしながら話し合いなんて、気が触れて変な病気にかかりそう」

「先週の休みからずっとだからね……おじさんが僕達を邪魔に思うのも仕方がないのかも」


 自身にも言い聞かせるようにして、イリアはショウブのフォローを入れた。突然威圧するような言葉をかけたことを、イリアは身内として心苦しく思っているようだった。


「んじゃ、夜に向けて準備だ。カメラとマイク、さっさと設置しに行くぞ」

「持ってきてるの?」


 鞄に近づいて中身を探し始めたカムイに、背後からイリアが疑問を投げた。


「イリアが参加させてもらえないのなら、部外者の俺達が入れるとはとても思えないからな」


 なるほど、と二人分の納得の声が聞こえた。

 カムイがイリアから聞いていた話は事前にすべてルナに伝えたはずだが、どういうことなのか。


「わかった、案内するよ。場所は少し離れてて、こことは反対側なんだ」


 機材を入れた袋を持って外に出ようとすると、イリアも立ち上がり、ついでのようにルナも出入口に歩み寄った。


「よし、じゃあ行くか」


 高校生三人は、入ることができない大人たちの話し合いを覗くべく、東の離れへと向かった。

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