第01話 自称神様と転生相談
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因果応報、という言葉がある。俺が好きな、いや、好きだった言葉だ。
噛み砕いて言うと、良い行いをすると良い事が、悪い行いをすると悪い事が起こるという、仏教由来の言葉だ。
運という不確定なものに左右されず、自身の行動がそのまま評価される考えが好きだった。
偽善だとしても善行を為そうとした。巡り巡って、自分に幸福が訪れるように……
にも関わらず、どうして過去形を用いるかというと―――
―――憎い相手が裁かれることなく、こうして死で人生の幕を閉じることになったからに他ならない。
天網恢々疎にして漏らさず、とはよく言ったものだ、全く。
因果応報くそくらえ。何をどうしたら、こんな末路を迎えるだけの因果が蓄積されるのか。神などやはりいないのだな、くそ。
願わくば、来世は木にでも生まれ変わりたいものだ。果実の成る木が良いな、桃とか。もしくは、人の心を持たないロボットか。
……意識が薄れてきたか。未練はあるが、もうどうしようもない。身体の痛みを感じないことに、ただただ感謝する。
しかし、これでもう煩わしい思いをしなくて済むのなら、悪くもない、か……
それを最期に、俺は意識を手放した―――
―――
目覚めると、そこは暗い空間だった。
いや、目覚めた事自体が不思議でならない。俺は確かに転落死し、人生を終えたはずだ。こうして自意識があるはずがないのだ。
「ここがあの世なのか?」
上半身だけを起こし、誰にともなく呟く。声は生前聞き慣れたものだ。だとしたら、まだ今世が終わっていないということになる。
寝起き特有の微睡みが過ぎ、意識がはっきりしてくる。と、どうやら背後から光が指している事に気付く。
振り返りそちらを見ると、10メートル程先に、モニターに向かい合っている一人の人物がいた。
「ん、起きたかの?」
画面に向き合ったままの相手から、声が飛ぶ。随分幼い声だ。誘われるように、そちらに歩いて近づくことにした。
声の主まであと1メートルかという位置まできて、その人物がTVゲームをしていることに気付いた。かなり古い機種で、コントローラーが小さいものだ。
「もう少し待っておれ、今良いところなのでな」
その言葉に従い、大人しく待つことにする。なにがなにやら分からない以上、自分より事情を知っている相手の機嫌を損ねて、得をすることなど無い。
幸い、プレイしていたものは有名なタイトルなので、待つのは苦痛ではなかった。訳がわからない場所で自分が見知ったゲームを見ているのは、なんとも不思議な感覚だ。
「んがー!もう良いわこの××め!」
という罵倒とともに、立ち上がりコントローラーを投げつけようとし――その拍子に、本体に強い衝撃を与えてしまう。昔のコントローラーは、コードが短いからな……。
あまりよろしくない音をさせた本体を見て呆然としていたのも束の間、ごほんと咳払いをしながらこちらに振り返る。
声や座っていた時の高さでなんとなく予想していたが、声の主は10代そこそこの少女だった。白いワンピースを着ており、腰まで伸びた銀髪がモニターからの光を反射させ、きらきらと輝いて見える。目の色は、暗闇でなお主張する真紅。
「よくきた、不幸なる魂よ! ここはお前のような者にのみ訪れることが許される、選択の場である!」
両手を体の前で広げ、やや得意気に少女は言い放った。いや、得意気というレベルじゃない。思いきりドヤ顔だ。
それと同時に、部屋に明かりが灯る。小学校の教室ほどの広さで、TVゲームとモニター、先程まで少女が抱きかかえていたと思われるクッション以外には、何もない。
表情は若干気に障るが、ここはまず下手に出て対応すべきか。なにはなくとも現状把握、これが大事だ。
「あー、っと……初めまして。お招きいただき? 光栄です。早速ですが、お名前とこの場所についてお伺いしても?」
直立姿勢で失礼がないように返す。言い切った後に自分が名乗っていない事に気付いたが、後の祭り。
幸い、目の前の少女は気にしなかったようで、満足げに頷きつつ話し始めた。
「うむ、光栄に思うがいい! 我の名はナユタ、お前たちの言うところの神である! そしてここは、先に伝えたように選択の場である!」
…………ん? 神? レトロゲームをしていた目の前の少女が? いや、さすがに髭をたくわえた老人の姿という、レトロタイプを想像していたわけじゃないが……
呆然としている俺をよそに、少女――もとい、神ナユタが説明を続ける。
曰く、
1.ここは、不運な最期を遂げた者だけが来る事が出来る場所であること。
2.不運な最期とは、具体的に『本来、意図しない形での死』を迎えたことを指す。
3.『意図しない形での死』とは、神が監視していれば起こりえなかったことを指す。
「神の監督不行き届きじゃな」と、ナユタは皮肉っぽく付け足した。
4.その、神の怠慢によって死ぬことになった者が、今後を選択する場がここであるということ。
――とのことだった。口調が先程から変わっているのは「キャラ付けじゃよ。我が神と言っても信じてもらえんでな、大事なところだけは威厳ある話し方を心がけておる」という理由らしい。
……うむ。分かってはいたが、やはり死んでるのだな、俺は。まぁ、あそこから落ちて生きてるというのも、信じがたい話なのだが。
しかし、結局神はいないのではなく、サボってたというわけか。なんてことだ、全ての神学者と教徒に教えてやりたいな。祈っても無駄なのだと。
ここまで説明を終えると、ナユタはどこからかちゃぶ台と湯気が立つ湯呑みを出し、一息ついている。見た目は少女なのに、行動が年寄りくさい。それに倣って、こちらも腰を下ろす。
「――といった具合じゃ。えーと、お主の名は……加世堂 経明か。で、死因が……転落死? じゃが、あれは――」
「事情は概ね理解しました。それで、何を選択させていただけるのでしょうか?」
話の途中ではあったが、遮る形で聞く。実体験した上、自分の死の詳細を聞くのは勘弁願いたい。
それにもし、あの死が『あの人によるもの』だと言われたら……あれ、そこまでショックじゃないな。死んだことで、しがらみから解放されたからだろうか。
だとしたら、話の腰を折って悪いことをしてしまった。
「……そうじゃの。先の話をするとしようかの」
察してくれたのか、非礼を問うことなく話を進めるナユタ。先の話を聞いて、神なんてどれもどうしようもないと思っていたが、彼女は違うのかもしれないな。ありがたい。
ナユタ、こほんと咳払いをひとつ。
「まず1つ目じゃが。記憶・人格を持ち越した上での現世への転生じゃ。所謂『強くてニューゲーム』というやつじゃな」
なんと。破格の条件が飛び出してきた。今の自意識を保ったまま第二の生を受けられるなんて、嬉しいってものじゃない。生まれて間もないのに言葉を解したら、神童扱いされるだろうな。
「これこれ、まだ話は終わっておらぬぞ。もう1つの択を聞いてからでも、遅くはあるまい」
表情に出ていたのか、窘められる。しかしこれは、俺以外の誰が聞いても気分が高揚することだろう。予習した上で、人生がやり直せるようなものなのだから。
「2つ目じゃが、我のオススメじゃ。これも転生することにはなる。ただ、現世ではない。こことは異なる異世界に転生してもらう。勿論、記憶と人格は引き継ぐし、特典も付けるぞ!」
やけに熱が入った説明をするナユタ。よほど2つ目を選んで欲しいらしい。熱が入りすぎて、ちゃぶ台に両手をついて、身を乗り出している。
口に手を当て、暫し思案する。
怪しい。俺でなくとも気付く、明らかに怪しい。後者だけ特典が付くというのも変だし、なによりそこまで必死に選ばせようとする意図が気になる。
後者を選ばせることが、この娘にとってどんな利がある?
それを聞くまでは、安易な選択をするべきではないな。
「そこまで疑わんでもよいじゃろうに、さすがの我も傷つくぞ……」
眉尻を下げつつ、呟くナユタ。しまった、無意識に声に出していたらしい。口元を手で隠していたから、気が抜けたか。
俺、こほんと咳払いをひとつ。
「とにかく、そちらの隠していることを明らかにしてもらわない限り、選択するわけにはいきません。可能な限り、正直に答えて下さると助かります」
こちらの出方がバレている以上、偽ることなく告げる。相手に誠意を求めるならば、まずこちらに裏のないことを示すべきだ。
うーんうーん、と唸りながら頭を抱える少女の姿をした神。こうして見ていると、先程とは違って年相応の反応だな。
やがて結論が出たのか、ため息をつきつつ、口を開く。
「……分かった、話そう。確かに公平ではないし、お主の境遇にも同情するところがある。元々の原因がこちらにあるのじゃから、こちらも真摯に対応すべきじゃったな。許してくれ」
言って、頭を下げた。神にそこまでされるとは思っていなかったので、少し戸惑う。
こちらの困惑を知ってか知らずか、話を続ける。
「まず、2つ目の選択――異世界への転生を勧めた理由じゃが……2つある。1つは、上の神々の仕事―――お主のような死者が出ないようにする監視等、じゃな―――を少しでも減らすため。もう1つは、こちらを選択する者が殆どおらず、我の位階が中々上がらないからじゃ。我は神ではあるが、直接世界に干渉する権利を持たぬ下っ端。見習いの神なんじゃよ」
またよく分からない言葉が出てきた。上の神々? 上司がいるってことだろうか。それに位階とは……神の世界にも、上下関係はあるらしい。
こちらの反応を伺っているようなので、とりあえず手持ちの情報を整理して口を開く。
「上の神々というのが、本来私のような死に方をする者を監視するはずの神で、貴女にはその権限がない。ここに来た者に異世界へ転生する選択をさせると、貴女の位階が上がり、世界に干渉する権利を得られる。この理解で間違いないですか?」
「そうじゃ。世界ごとの管轄が違うのでな、異世界は異世界で別の神がおる。お主のような者がいることから分かる通り、神も手一杯なんじゃ。そこで、異世界へ転生させることで上の仕事を減らしつつ、その成果によって我の位階を上げることで、少しでもお主のような境遇の者を減らそうというわけじゃ」
ナユタが語ったことが本当なら……いや、信じるべきだな。つまり、優遇してやるからこの世界から出て行けという、体のいい厄介払いなわけだ。俺以外に何人この場に来たかは分からないが、そうしないといけない程に手が回っていないことは理解出来る。
それと同時に、納得も出来てしまった。理解だけではなく、それを受け入れている自分がいた。仕方のないことだと、それが現実的に見て最善であろうと、肯定していたのだ。
なら、これ以上責めるのも悪い気がする。しかし、このままお咎めなし、というのもなんだかな……情報を隠されていたのは事実なわけで。
「こちらの都合ばかり押し付けてすまぬ……これが、異世界での転生を勧めた理由じゃ。この話を聞いた上で現世への転生を希望しても、我らは妨害などせぬから安心してくれ。それだけは、我の名にかけて誓おう。本当にすまなかった」
「もうそれは良いですよ。ただ……そうですね。1つだけお願いを聞いてもらえたら、隠し事をしていたことは許します。それでどうですか?」
「おぉ、なんでも言ってくれ。我に非があるのだから、出来ることはなんでも叶えるぞ」
「では、以降貴女に対しては敬語を用いた話し方ではなく、私の自由にさせてもらいますが、よろしいですか?」
きょとん、とした表情も束の間。恐る恐るといった感じに顔色をうかがってくるナユタ。
「そんなことで良いのか……? なにか、他に要求があるなら、言っても良いのじゃぞ?」
「その答えを聞くに、問題ないみたいですね。では、今からそのように。それに――こっちの方が気楽で良いんだよ」
嘘じゃない。ただ、目の前の神に直接の責任があるわけでもないのに、いつまでも萎縮されているのが気になったのも理由の一つだ。
「……分かった。では甘えさせてもらおう。しかし、これだけでは釣り合うまい。他にも何かあれば、言うがよいぞ」
「ありがとう、思いついたらそうさせてもらうよ。さしあたって、話を聞きたいんだが」
「なんじゃ、我の分かる範囲であれば答えるぞ」
俺の分の茶を用意しつつ、返事をする。横に手を伸ばしたと思ったら手首から先が見えなくなり、戻った時には湯呑みを掴んでいた。
―――
ナユタの快諾を得て、俺が聞いたことは2つ。
1.どうして現世への転生希望者が多いのか。
2.転生先に異世界を選んだ時の特典はなにか。
自分の中での結論は半ば決まっていたが、どちらかを選べば、もう片方が分からなくなってしまう。
故に。知的好奇心を満たすためにも、悔いを残さないためにも、聞いておく必要があったのだ。
得た回答は満足のいくものであり、自分の選択を決定づけるものだった。
「さて……質問が終わったようなら、そろそろ決めるか? こうして話していたい気持ちもあるが、それだけ別れが惜しくなるのでな」
「そうだな。名残惜しい気持ちもあるが、決めるとしよう」
といっても、話を聞いた時から決まっていた。
「先にも言った通り、我はお主の決定を尊重する。遠慮なく言ってくれ」
顔を伏せ、目を合わせないようにして宣言する。心なしか、肩も震えているように見える。
全く。自分の落ち度じゃないのに、気にしすぎなんだよ。
「なら―――異世界への転生で頼む」
「…………ぇ?」
はっ、とした顔で、こちらを見上げる。目尻に涙が浮かんでおり、今にも零れそうだ。
「異世界だ、現世じゃない。せっかく特典もあるのだし、有効活用しないとな。それに、魔法がある世界なんて楽しそうだ」
特典以外にもスキルも貰えることだしな、と付け加える。
現世の話だけを聞いた時ならいざ知らず、他に選択肢があって特に問題がなさそうなら、そちらに飛びつくのは吝かではない。
「ほ、本当に良いのか……? 娯楽の点でも安全面でも、現世の方が良いと思うぞ……? 我に気を遣っているのならば――」
「そんなんじゃない。本心から、現世より異世界に魅力を感じたからだ。それに――」
言葉を切る。かまをかける事になるので心が痛むが、確かめるなら今しかチャンスがない。
「俺の死因を知っているなら分かるだろ? ―――家族に殺された世界には、何の未練もないよ」
その言葉に、ナユタはビクッ、と反応する。そして沈黙。それが何よりも、雄弁に物語っていた。
俺、加世堂経明の死因は転落死。しかも足を滑らせたような事故ではなく、義姉に突き落とされたものなのだと。
―――
突き落とされた時の事を思い出し、ふと考える。
何を思って、あの時あの人は俺を突き落としたのか。
無論、考えたところで俺に分かるはずもない。ただ、その事実があるだけだ。
それを確認出来ただけで、もう悔いはない。
「さぁ、先の話をしよう! どんなスキル構成にしようか、楽しみで仕方ない! これでも俺は、ネットゲームのキャラメイクに、3日は費やす男だぜ?」
努めて明るく、ナユタに声をかける。俺が空気を悪くしたのだから、戻すのは当然の義務だ。
それに、楽しみなのも嘘じゃない。終わったことを気にしていても仕方ないし、それならこれからのことに思いを馳せるほうが生産的だ。
「……うむ! では、サクサク決めていくとするかの。ではスキルの前に、先に特典を決めることを勧めるぞ。それに合わせてスキルを選ぶ方が、方向性を決める意味で効率的じゃぞ?」
意を汲んでくれたようだ。こうして行動を察してもらえるのは、嬉しさがあるな。
さて、特典ね……先の質疑応答にあった、転生時の条件の付与か。
『爵位持ちの家に生まれたい、赤子ではなく成人した状態で転生したい、不老不死になりたい、人族ではなく異種族で転生したい。ある程度は要望に応えられるぞ』
少し前に掲示された具体例を思い出しつつ、さてどうしたものかと考えながら、周囲を見回す。
ふと、ここに来た時にナユタが遊んでいたTVゲームが目に入った。ゲーム中盤に差し掛かった辺りで、生涯の伴侶を決めるイベントがあるタイトルだ。あのイベントの時、花嫁候補2人以外にも求婚することが出来て、その反応が面白かった記憶がある。
……特典としてナユタが欲しい、と言ったらどうなるだろう。聞いてみたい。
ならば、即行動あるのみ。
「ナユタ、特典の話なんだけど」
「おぉ、決まったかの? 我は生活面を考えて、爵位持ちが辺りが――」
「それより。さっきの話、まだ有効か?」
「さっきの……? あぁ、接し方を変えた時の話じゃな。勿論、有効じゃよ。何か決まったかの?」
「お前が欲しい」
「…………へ?」
ちゃぶ台から身を乗り出し、自分の両手でナユタの両手を包み込み、顔を至近距離に近づける。
突然顔を近づけられたことに驚き、あわあわと取り乱している。
「ナユタ、お前が欲しい。俺の転生に付き合って欲しい」
呆然とすること3秒。そして意味を理解し、ハッとしたかと思うと、赤面して俯いた。よし、狙い通り。実に可愛らしい反応で素晴らしいぞ、ナユタ。
「き……気持ちは嬉しいが、我には神としての使命があってじゃな……いや、嫌というわけじゃないんだぞ!? しかしじゃな、ごにょごにょ……」
慌てて手を振りほどき、頭を抱えて唸りながらそれだけ返してきた。最後の方は聞き取れなかったが、真面目に考えてくれていることは伝わってくる。
腕組みをしながら目を閉じ、感慨深く頷く。
一緒にいて気が楽になるのも事実だし、きっと同行してくれたら楽しくなるとは思う。
でも、俺の我が儘でナユタの邪魔をしてはいけないな。俺みたいな運のなかった奴を少しでも減らすために、ずっと頑張っているのだから。
目を開き、冗談だ、と告げて話を戻そうとした俺の額に、柔らかいものが触れた。
視界を白いワンピースが埋め尽くしており、目の前にいたはずの人物が立ち上がったのだと気付く。
どうやらキスをされたようだ。見た目中学生そこそこに見える、少女神に。
驚き、思わず顔を見上げる。
先程以上に顔を真っ赤にしたナユタが、そこにはいた。おそらく、俺も似たようなものだろう。
前世で一度も縁が無かった異性との接触が、まさか死後に訪れるとは思わなかった。
「わ、我がお主と共に歩むことは出来ぬ。……じゃから、せめて我の想いだけでも、持って行くがよい……」
蚊の鳴くような声が聞こえ、目を逸らした。
「あ、あぁ……」
かろうじてそれだけ言葉を交わした二人を、言葉にできない沈黙が包み込んだ。
―――
気まずい沈黙から、どれほど時間が経っただろうか。
あれからナユタにも相談しつつ、無事に来世で使うスキルを選び終えた。
ただ、特典について話をすると石化してしまうので、どうやら無しで話を進めるほかないようだ。
特に希望する内容も無かったので、問題にはならないことが救い、か。
「色々とありがとう、ナユタ。本当に世話になったよ。あと何人で位階が上がるかは分からないが、あっちから応援してる」
「こちらこそ、なかなか楽しかったぞ。これほど会話するのも久しぶりであったしな。では、あの扉を通ればそれで完了じゃ。……達者での」
指をさした方向―――モニターやゲーム機がある奥―――を見ると、いつの間にか両開きの扉があった。ノブは無く、押すだけで開く洋館等でよく見るタイプのものだ。
無言で手を差し出すと、それに応えてくれた。どこかぎこちなさを感じる笑みだが、俺も上手く笑えている自信はない。
手を離し、扉に向かう。この世界との別れを明確に意識し、少し寂寥感に襲われた。思いを振り切るように足に力を入れ、扉の前に辿り着いた。
「待て!」
手を掛け押そうかという時に、後ろから声が掛かる。それに振り向き、相対する。
「お主が我に願いを要求する際、無理を言って『成人後の状態で現世に転生させる』ことを願うことも出来たはずじゃ。そうすれば自分のかた――死の原因となった者を討つことも出来たであろう! お主は本当に、これで良かったのか!?」
「…………」
考えなかった、と言えば嘘になる。その選択もあっただろう。他人からの言葉ではなく、自分で真相を明らかにする選択肢が。
でも、それは選ばない。
もう終わったことに対して執着するのも馬鹿馬鹿しいし、それで転生したとしても、その後はどう生きれば良いのか。貰った命とはいえ、無駄遣いは良くない。
なにより――
「良いんだ。もう出来るだけ人とは関わりたくないし、前世と縁が切れるなら、むしろ喜ばしいくらいだ。だから――そんなに泣くな」
両目からは既に、涙が溢れている。この神は、どうして他人の事でそこまで泣けるのか。神としてはあまりに人間くさくて、あまりに優しい。
「あまり自分を責めすぎるなよ! お前には何の責任もないんだからな! それに……笑った顔の方が、俺は好きだぞ!!」
歯を見せて笑う。三枚目の自覚がある俺の笑顔だ、さぞ不格好で笑いを誘ってくれるだろう。
しゃくりあげる声が少し落ち着き、顔をこちらに向けた。
「莫迦者が……っ! せいぜい来世では、その口の軽さで問題を起こさぬことじゃな!!」
「善処する!」
片手で目を拭いつつではあるが、笑顔とともに手を振ってくれた。ほらな、やっぱり笑顔の方が似合うって。
こちらも思い切り手を振り返し、そして背を向け、今度こそ扉を押し開いた。向こう側から光が溢れてくる。
一歩、また一歩踏み出し、歩き続ける。
今度はもう、止める声は聞こえなかった。
―――
ナユタと別れ、どれほど歩いたのか。目前には相変わらず光だけがあり、他には何も無い。そのせいか、前をまっすぐ歩いているという確信が持てない。いつまで歩けばいいのだろうか。
<<……すか~……こえ……>>
困った。扉を抜ければ、すぐに意識が遠くなって転生すると思っていたから、詳しく聞くのを忘れた。後ろを振り返るも、既に通った扉は見えない。
<<……聞こえて…………たしの…………>>
おいおい。まさかこのまま彷徨い続けるなんてオチじゃないだろうな? 俺はジャック・オ・ランタンじゃないんだぞ。
<<あの~、私の声聞こえてますか~? そこのお兄さ~ん? お~い>>
耳にはっきりと、何者かの声が聞こえる。現状に参った俺の幻聴かと思って無視していたが、そうじゃなかったようだ。集中してみると、それが上からのものであると気付く。
「聞こえてるよ。そちらはどちら様かな?」
やや間があり、声が返ってくる。
<<あ~聞こえてたんだね~。良かった~。あ、さっきはナユタちゃんに優しくしてくれてありがとね~>>
質問への答えではなかったが、ナユタの関係者であることは分かった。つまり、ナユタと同格かそれ以上の――
ナユタとのやりとりで失念していたが、ここは神域。神かその御使いくらいしかいないに決まってるじゃないか。言葉遣いに気を付けねば。
「……いえ。こちらこそ、ナユタ殿にはお世話になりました。ナユタ殿のお知り合いかと愚考しますが、私になにか御用でしょうか」
<<むー。そんなに他人行儀じゃなくて良いよ~。お姉さん、寂しい……>>
姿は見えないが、指と指を合わせていじいじしている姿が浮かんだ。類は友を、ということだろうか。
「すみません、ナユタ殿とは取引した結果でして、どうかご容赦を。それで、私になにか――」
<<つーん! お姉さんは怒っています! 今はお話したくありませーん!>>
子どもか! 声に出さないよう気を付けつつ、ツッコミを入れる。えぇ……これ、どうするよ。無視してもどうにもならないし……はぁ、従うしかないか。
「……分かった! 分かりましたよ、お姉さん。……他の神に何か聞かれたら、そっちから説明して下さいよ?」
さすがに敬語を全く使わないことには抵抗があったので、これで妥協してもらう。
<<そうそう、始めからそうしてたら良いのよ~。あんまりお姉さんを困らせちゃ、ダ・メ・だ・ぞ☆>>
年上っぽさを全面に押し出した雰囲気を感じ、少しげんなりとした。ただでさえ姉関係は、あんまり関わりたくないのに。
「そ、れ、で! 一体何の用ですかね? 俺はあの扉を抜けたら、すぐ転生するものと思ってたんですが」
<<そうなの、その転生についてのお話よ~。貴方、結局特典を受け取っていないでしょ? だから、私がちょっとだけ叶えてあげようかなって>>
「ありがたいですけど、特に希望はないし、それにスキルも決めた後だから――」
<<は~い、これでオッケー! ナユタちゃんが出してた例の中から、少しだけ叶えてあげたわ~>>
話を聞けよ。しかし比較対象が無いから分からないが、こんな一瞬で転生条件を変えられるって、やはり高位の神か……?
<<あと、これはナユタちゃんに優しくしてくれたことへの、私からのお礼よ~>>
声と同時に、身体を差している光とは違う、暖かさを感じる光が身体を包んだ。それだけで、これといった変化は感じない。
「なにかは分かりませんが、ありがとうございます。でも、ナユタには本当にお世話になっただけなんで。特別な対応はしてませんよ?」
<<それで良いのよ。私達の都合で死んでしまった人は、少なからずあの子を罵倒するわ。『お前のせいだ』『神のくせに役立たずが』『代わりに死ねばよかったのに』 ……貴方も知っての通り、あの子には何の責任もないのに>>
「…………」
その気持ちも分かる。俺は死に方のせいで色々と疲れていたから、罵倒するだけの気力も理由も無かっただけで。本来死ぬはずがないのに死ねば、怒るのも当然だ。そして俺は話を聞いたから、ナユタに責がないことを知っている。
だが、それ以外の人にとってはそうじゃない。目の前にいる神を自称する少女、それが原因だと判断しても無理はない。
<<状況が違えば、貴方も彼らと同じような対応をしたかもしれない。でも、そうじゃなかった。ちゃんと話を聞いた上で、あの子を尊重してくれた。私はそれが嬉しいの>>
さっきまでのおっとりした話し方は、親近感を持たせるためのフリだったのか。明朗とした話し方の端々に、ナユタを大切にしている想いが伺える。
<<そして謝罪を。私達のせいで、貴方が死んでしまったことに対して。そのせいで、貴方が来世では人との関わりを極力持とうとしない事に対して>>
「それは別に貴方がたの責任じゃない。俺が煩わしいと思っただけだ。それを謝罪して、俺の気持ちを蔑ろにしないでくれ」
<<ですが、原因を作ったのは私達。だからせめて、貴方が来世で他者との繋がりを感じられるように――>>
話の途中だというのに、急に耳が遠くなってくる。それに伴って、身体が後ろに引っ張られるような感覚を覚える。
あまりに強い引力に気を失う直前、脳内に直接響くように声が聞こえた。
―――貴方が今度の生において、愛を感じられることを祈ります―――
言葉を返す余裕は無く、手を伸ばすだけで精一杯な中。
今度こそ完全に、意識を失った。