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少年は黒猫のように  作者: 土井士郎
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第1話『マンションの少年』

 何が起ころうとも絶対に起きてほしくなかった、想定内の出来事だった。

 喉元過ぎれば熱さを忘れる、というものだろうか。かつて甚大な被害や悲しみを残して終わり、もう2度と起こさないと誓ったはずのそれは、人間の身勝手さによって再び引き起こされてしまった。反省も後悔も、時の流れと共に風化してしまうのだろう。そうでなければ、こんなことが起こってしまう筈がない。


 血を血で洗う争いを、権力者は聖戦と称し、兵を鼓舞した。鼓舞された兵どもは何を思っていたのかはわからないが、戦地へ飛び込み、そして消えた。消えた兵士の家族は泣いた。聖夜を祝う人は今ではいなくなり、年明けの子どもの楽しみも大きく減った。怖いものは何もないように振る舞っていた傲慢な少年たちも、今はただただ神に祈りを捧げている。そんな彼らを見た通行人は、神などいないと嗤っていた。


 結局、最も力を持つのは武力なのだと誰もが思った。また平和が訪れたとしても、前のような暮らしに戻るのは難しいだろう。条約も法律も、核の前では無力でしかない。数え切れないほどあった文書は、既に燃え尽きて灰と化してしまっている。もう今更、後戻りは出来はしない。





 2XXX年。第三次世界大戦の、真っ只中である。



 =============================



 とあるマンションの一室で、1人の少年が仰向けになって天井を眺めていた。黒髪の、一般的な背丈で、これといった特徴はない。強いてあげるなら、目の下に深いクマがあることだろうか。


 少年は、寝不足だった。なぜなら今、彼の住むマンションは最も戦地に近いマンションだったからである。


 数年前より始まった戦争では、各国より陸軍も出兵している。当然、陸軍は陸地を進軍し、制圧していく。第三次世界大戦は、国民同士の挑発・侮辱行為、デモなどの影響も受けて始まってしまった。そのため、各軍はこの戦争で、民間人も殺してしまおうと画策していたのだ。

 そして、敵軍の侵略先に決定してしまったのが少年の住んでいた町周辺である。敵軍は次々に黒星を上げ、彼の住むマンション付近まで一気に進軍してきた。朝は銃声、昼も銃声。夜も銃声、たまに爆発音。人の悲鳴が聞こえてこないのは、幸いか否か。ともかく、とても安眠出来るような環境ではなくなっていたのだ。


 そんな環境に好き好んで住む人間などそうそういるはずもなく、少年以外の住人、さらには管理人も既にマンションから立ち去っていた。眠れない上に、戦火に最も巻き込まれやすい地帯となれば、実に正常な選択だろう。少年がそこに留まり続ける理由は特にはない。それでも彼がそこに住んでいるのは、彼に生に対する執着がほとんどなかったからである。



 少年は、昔受け取った1つの言葉のためだけに、意味もなく生きていたのであるから。



 ともかく、どういう理由があれ、少年も生きていく以上は食事が必要である。のそりと立ち上がった少年は、1つ小さな欠伸をして、食料を買うために隣町に向けて歩き出した。



 ==============================



 戦地から離れた町の様子は戦前とはほとんど変わっておらず、今もコンビニやデパートが軒並み建っている。変わっているのは、人間の様子だけだ。空襲を恐れてか、外を歩いている者はほとんどいない。その町の中を、少年は人目を避けながら歩いていた。向かっているのは、一軒の古い木造の建物。看板には『惣菜売り』の文字が大きく刻まれていた。


「入るよ」

「ああ、どうぞ」


 短いやり取りを交わし、少年は建物に入った。中にはいくつか、惣菜が並べてあった。どれも、相場と比べると格段に安い。少年は一瞬それを見て、無造作に数個手に取り、建物の奥に持っていく。奥には、1人の老人が座っていた。


「やあ、毎度ありがとよ、少年。お前さんのおかげで、ワシはなんとか食いつなげとるわい」


 小さな老人だった。ニット帽を頭に被り、気さくそうで、笑顔がよく似合っている。

 話しかけられた少年は、代金を用意しながら、少し笑って言葉を返した。


「こっちこそ、こんなに安く惣菜を売っている店があるっていうのはありがたいよ、じいさん」

「ハハハ、当然のことさ。何せ、ワシの売っている惣菜は恐ろしく不味い。お前さん以外の客は、ほとんどこないほどになあ」

「残念、僕は食べ物の味がほとんどわからないんだ。どれほど不味いのか、感じてみたかったよ」

「お前さんも苦労しとるのう、ほれ、サービスじゃ、持ってけ」

「いいのか? ありがとう」


 明るい口調で経営難を語る老人に、闇を感じさせる返事をする少年。内容はなかなかハードなものだが、当人たちは楽しげに見えた。


「ところでじいさん、僕がここに来始めたのは3年くらい前だけど、それまではどうやって食いつないできたんだ?」

「ああ、簡単なことさ。ばあさんの作る惣菜は美味かった」

「なるほど、近所の人たちはがっかりしてるだろうな」

「やめろ、心に刺さる」

「嘘だろ」

「嘘だ」


 身近に死が潜んでいるとは思えない様な、たわいない会話。それが一区切りついて、老人は少年にお釣りを手渡す。少年は会釈して、それを受け取った。


「今日はもう帰るよ。サービス、ありがとな」

「おお、そうか、気ぃつけて帰れな」

「それからじいさん、1つ言っておくよ」

「なんだなんだ」


「僕がもし死んで食いつなげなくなったら、自分で作った惣菜食えよ」

「ハッ、死んでも嫌だね。ありゃ食えるもんじゃねえ」

「そんなもの売ってんのかよ」


 そこまで言って、少年はクスリと笑った。そして言葉を続ける。


「じゃあな、長生きしろよ」

「お前さんこそ、死ぬなよ」

「!」


 老人の声色が、真剣みを帯びていた。少年は驚いた様な顔をして、それから微笑んで答えた。


「心配してくれて、ありがとな。じゃあ、また」


 手を振って、少年は店を出た。その微笑みは、どこか悲しげに見えた。



 少年の出て行った扉を見つめながら、老人は1つ、大きなため息を吐いた。


「また、か」


 口から漏れた呟きは、風圧で軋む店の木の音に掻き消され、誰に届くこともなかった。

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