第6話 “癇癪”
夜、少女がふっと目を覚ます。
少女の体は、力が入らずに起き上がるのもままらないため、水分補給も厠も補助が必要であり、あとは連日ほぼ寝ていた。もちろん、寝ている間も冬夜、玲、滝の3人は少女の看病をずっとしており、医療員たちの往診も行われていた。その甲斐があってなのか、日中に「当初の診断よりも驚異的な回復で峠は完全に越えた」と医師から告げられた時に広場一体で歓喜が上がったことなど、昏睡状態のように寝ていた少女が知る由もない。
少女は目を虚ろに開けていた。
暗部の生活圏の広場は人が少なくて閑散としている。広場の中央にある木の根に少女は布団を包ませて寝ていた。枕元の影に気づいた少女が寝ながら見上げると、今まで看病してくれた3人ではない、30代前半の短髪で程よい筋肉質の男性が少女に背中を向けて布団の横に座っていた。
「すばる・・・。」
少女はその男の名を弱々しく呟く。昴と呼ばれた男性は、少女が目を覚ましたことに気づいて振り向き、鋭く細い目が優しくなり、少女に優しく言った。
「起きたか・・。腹が減ったのか?」
「ううん。」
「手洗いに行きたいのか?」
「ううん。・・・3人は?」
「連日看病を続けていたらしいから、とりあえず交代してまとめて寝かせた。冬夜は何徹夜したか分からないほどの状況だったしな。」
「ん。」
「・・・久しいな・・。」
「・・・ん。」
元気のなく頷いた少女に、昴は様子を見守りつつ頭を撫でた。黙ってしばらく撫でられていた少女は、布団に顔を埋めて何か呟き始めた。
「・・すばる・・・・まだ・・・・。」
「・・いい。話す時が来たら、話してくれ・・。」
「・・・・一人に・・った・・・。」
布団に顔を埋めたままの少女の表情は読み取れないが、声と体は震えていた。昴は少女を哀れんで、少女がまた眠りにつくまで頭を撫で続けた。
***
「昴。交代だよ。」
「玲・・・。」
少女がまた眠りについてしばらくした後、玲が静かに近づいて来た。少女の容体が安定したので、一人ずつ看病することになっていた。玲も昴も少女に目線を落としながら話した。
「何か変化はあったのか?」
「・・・・・一人になってしまったと言ってた。」
「・・・・・そうか・・。つまり、カテンたちはもう・・。」
「ああ・・。そうだろうな・・・。」
玲も昴も哀れそうに少女を黙って見つめる。しばらくして、昴は少女から目線を上げた。けれど、玲の方にはその目線は向かなかった。
「・・・なあ、玲。」
「ん?」
昴の雰囲気がいつもと違うと、玲は気がついて不思議に思った。少女を不憫と思っているのかとも取れるが、それにしては違和感がある。
昴は思いつめたような眼差しで、どこか分からぬ遠くを見て呟いた。
「この国・・いや、獣の世界を含めたこの島は、もう終わりなのかもしれない・・・。」
「? 何を言っている・・?」
玲は昴の言葉を完全には理解できなくて困惑した。
玲、冬夜、滝の3人にとっても、カテンたちが死んだと察した時は悲しくもあり、殺した相手に脅威を感じたが、この国が終わるとまでは思っていなかった。今だって、そこまで追い込まれている状況とは思っていない。
ここ数日間で出した3人の見立ては、少女の住む北方の獣の世界に何か混乱が起きて少女が巻き込まれて負傷した。最悪の場合、村々が巻き込まれると想定していた。ただし、北方地方は自然が豊かで人口が少ない上に、“獣集”以降は防災対策も万全なので、最悪な状況になっても人間の被害は最小限に食い止められると想定できる。その状況は大災害ではあるが、“獣集”を経験した山狩りや暗部にはこの世の終わりではない。
おまけに、関連する通報もないことから、「とりあえず北方の町村らは大丈夫」 と3人で見解した。玲も同じくそう思っていた。
けれど、昴はまるで目の前に死しかない絶望を感じているようにしか思えなかった。
玲の戸惑いを気にせずに、昴は独り言のように話を続けた。
「カテンたちを倒すほどの相手、俺ら人間が対処できると思うか?そんな相手がいたら、俺ら人間はお終いだろう・・。それに、俺らには“毒の谷”を渡れない・・・。」
「・・・・・・・。」
「・・・話が過ぎた。忘れてくれ。俺も休んでくる・・・。」
昴はそう呟きながら、ゆっくりと立ち上がって寝室がある奥塔に去っていった。
玲は過ぎ去った昴の方を複雑な思いで見つめていた。
「・・・昴でさえ、この状況に動揺しているんだな・・。」
昴の言葉は、最後の方は聞き取れないぐらい弱々しかった・・。
玲が考え事をしながら看病をしていた深夜、少女の容体が急変した。
「・・・・うぁあああああぁあぁぁぁ!!!」
「っ!!」
少女が急に絶叫をあげたと同時に、大きな力の圧を感じた。身の危険を感じた玲は反射的に防御術式を実行した。その直後、少女を中心に力は放たれ、広場の木は大きく揺れ、葉は宙で荒れ、椅子や机など周りの物が宙に舞って壊れていく。
恐れていた現象、力の制御が効かない“力の暴走”だった。
防御しながら、玲は焦った。
「・・・・どうすれば・・・!?」
玲は途方に暮れた。
“力の暴走”の荒療法は‘力が尽きるまで待つ’のだが、これは暴走当事者の体に負担がかかる。峠を越えたばかりの少女では、その負担に生命が持つのか分からなかった。その上に、少女の暴走がさらに進んだら、場合によれば、耐衝撃性の建築構造で誇る暗部さえも破壊されるだろう。
だからといって、‘力の分散’や‘力の共有’の療法は、療法者側の力の耐性が暴走当時者よりも強いことが条件である。少女と玲の魔力の差を考えても、少女の力は強すぎて玲の体が耐え切れないので、この方法は無理だ。ましては、少女が本気で暴走したら、玲の防御術式も壊されるぐらいの実力差があるかもしれない。
〈あとの方法は、・・“力の暴走”の原因を特定し対処するしかないが・・、それは・・・・〉
「・・・カテン・・、どうすればいい・・!?」
少女の“力の暴走”の原因でもあり、たぶん、もういない、自分が知る限り、少女の暴走を止められる唯一の存在に嘆いた。
〈誰も止めてくれる相手がいない、本当に孤独になった少女が号哭している・・・。〉
玲の心情は、周辺が破壊されていく“力の暴走”の恐怖よりも、少女への憐れみの方が優っていた。
その時だった。絶叫も物が破壊されていく音も遠くなり、ただ、ある声だけが聞こえた。
『・・衣を。』
「・・・・・・・え・・?」
どこから聞こえたのか分からない、むしろ頭の中から聞こえる知らない声に玲は戸惑った。周りを見渡しても、今は深夜で誰も広場にいない。見張りが、・・たぶん医療員たちを呼びに行ったのが見えたぐらいだ。玲は少し気味が悪くなった。
『衣を、かけてあげて・・・!』
また聞こえた見えない声は、心の底から心配する声だった。
誰か分からない声だが少女を心配している声に従うべきだと玲は直感的に判断し、その声が言う衣がないかと見渡し探し始めた。その途端に、遠くに感じていた現実の音が戻ってきて、少女の絶叫と周りの破壊音が聞こえ始めた。その絶叫の方向に向くと、少女の脇に金色と銀色が混ざったような色彩を放つ鱗状の衣が輝いてあった。玲は「これだ!」と思い、すぐにそれを取りに行った。少女の“力の暴走”で放たれる圧力に耐えきれなくて防御術式が少しずつ破け、衣を取ろうと手を伸ばす腕や体の至る所の皮膚が裂けて血が滲んでも、玲は怯まずに少女の方へ歩み寄った。そして、なんとか手に取った衣を少女に覆うように優しく被せた。衣は不思議な暖かさを持ち、それは玲の手から全身に伝わるような感覚だった。
衣をかけた途端に、少女の“力の暴走”がぴたりと止んだ。それに合わせてなのか、少女の絶叫も少しずつ治まってきて、哭くような短い息で喘いでいる。玲はその様子を哀れに思いながら、慰めるように衣の上からずっと手を添えていた。そうしていたら、その息も治り始めて、少女の落ち着いた寝息が聞こえて始めた。
玲はほっとため息をついて安堵した。
そして、この見たことのない色とりどりに輝く、今までに感じたことのない暖かさを持つ衣が何なのかと不思議に思った。さっきまで無かった衣が、なぜいきなり現れたのか・・。
玲がそう思っていたら、人が駆けつける音が聞こえた。見張りと医療員たちだった。すぐに少女に駆けつける。一部の医療員は玲を治療しようと寄ってきた。玲は必死のあまりに忘れていたが、手や体の至る所で血が流れて、服を赤く染めていた。玲は治療を受けながら、物陰に冬夜たちの心配そうな気配と最高幹部や他の暗部員たちが見ている気配が感じ取れた。“力の暴走”の騒動で彼らも駆けつけていたが、それよりも早くに“力の暴走”が落ち着いて医療員たちが来たことで様子見をしているらしい。そう思った玲は汗を一筋流し、安堵のため息をついた。
医者は少女の様子を見ながら、玲に質問した。
「“力の暴走”を起こしたと聞いたが、容体は?」
「今、落ち着いたところです。」
「そうか・・。峠は越えて安定したと思っていたが・・。」
「何度か寝ている時に苦しそうにしています。絶叫したのは、初日と今回だけですが、“力の暴走”は今回が初めてです・・・。」
玲の言葉に、医者は思いつめたように少女を見ながら言った。
「・・体の傷は治せたとしても、見えない心の方は簡単にはいかない・・・。徐々に心からやられていくこともある。今までは生きることで必死だっただろうから、自分の傷ついた心まで気付いていなかったかもしれない。しかし、安全な所にいけば・・知り合いに囲まれて、安心し始めて、そして、自分の状況が見えてきて・・・自身の体験に耐えられなくなることもある。」
「・・・そうですか・・。」
「支えてあげてほしい。少なくとも、この子が心から立ち上がれるまでは・・。」
「言われなくても、そのつもりです。」
少女の容体を診て、安定したと判断した医師は、切り傷を負った玲の手当てもし、何かあればまた呼ぶようにと言って去っていった。玲はお辞儀をして見送った。
そして、玲が少女の方を振り返った時、衣は見えなくなっていた。