第4話 安静
呪詛傷以外の傷の手当てを終えて、少女の治療に一段落がついた。冬夜は気絶して眠っている少女を医療員たちに任せて、手術室を出て暗部につながる廊下を歩いていた。自分がやらなければならないこと、暗部に少女のことを説明して暗部内への滞在許可を得るために暗部の扉を開けた。
冬夜が見た暗部内の光景は、多くの人だかりができて、先輩二人を中心に囲まれていた。どうやら、先ほどの騒動に対して説明しているようだった。
〈・・・うわ、思ったよりも騒動になってた。めんどくさ。〉
冬夜は事態の炎上ぶりにめんどくささを感じ、思わず、少女がいる特殊医療施設に引き返そうとした。しかし、自分に向けられた気配に気づいてふっと立ち止まって振り返った。人だかりの中に、少女が名指していた四人のうちの一人・滝がいた。滝は20代後半で見た目は普通の男性だが、暗部では珍しく生真面目そうに制服の着こなしをしており、遠目でも分かりやすい。
滝は扉の前に立っていた冬夜を見つけて、その気配で冬夜が気づいて立ち止まり、滝はその様子を見つつ人だかりを無理矢理通り抜けて冬夜の元に駆けつけた。
「・・冬夜!」
「滝。」
「少女を連れ込んだって聞いたけど、まさか・・。」
「冬夜。」
冬夜と滝はその声にハッと身を固くして振り返る。
その声の主は、鋭い眼光に厳つい顔をした暗部の最高幹部だった。暗部の全ての責任と判断がこの男に集結している。
それまで騒いでいた人だかりも静かになり、先輩二人も最高幹部の出現に庇い立てを少しだけ躊躇する。
最高幹部は冬夜に質問した。
「通信士とそこの二人の話だと、怪我をした知り合いの少女を無許可で暗部に入れたらしいな。規則違反の覚悟を持ってか?」
「それは俺らも判断して・・。」
「今は冬夜に聞いている。」
最高幹部は口を挟んだ先輩たちを睨みつけて止めさせた。その迫力に、先輩たちも少し怯む。その様子を見た最高幹部は冬夜に振り返って言った。
「それに、協力者と名乗ったらしいが、暗部の協力者名簿には該当する人は報告されていない。どういうことだ?」
冬夜は威圧的な最高幹部を睨み返した。
冬夜はこのぐらいの規則違反は想定した上で行動したから、焦りはなかった。それよりも、少女の存在が明らかになってしまった今、冬夜は、どこまで暗部にあの子のことを話すかを必死に考えていた。
〈あの子を守るには、どうすればいいのか・・。〉
滝も同じように思考している顔だった。二人してどうすればいいのか悩んでいた。
その時、冬夜の後ろ、特別医療施設への扉が開く音がした。
「とりあえず、冬夜たちの行為は必要だったから、異例を出してくれ。暗部の最高幹部。」
冬夜の後ろの扉から医者が疲れ気味に顔を出してそう言った。最高幹部は医者を睨むように見た。
「必要だと?」
「ああ。冬夜が連れ込んだ少女の体には呪詛が埋め込まれていた。それも今まで前例がなく、解析が不可能なものがね。それに身体中は外傷でいっぱいだ・・・。これだけでも暗部が関わる事件だと思うのだが?
運ばれた経緯や順番はひとまず置いといても、この少女は特別治療施設、つまり私たちの元に運ばれるべき患者だった。そして、この患者の件を私は暗部に確実に報告していた。」
「前例のない呪詛だと!?」
「ああ・・。誰かが少女に呪詛をかけて呪死させようとしていたらしい。」
最高幹部はその話を聞いて、手を顎に当てて考え出した。冬夜たちの行為を咎める気配は減った。事件として特殊警備部である暗部に関わるべきと判断したらしい。
最高幹部が考え込んだことにより怒りの気配が逸れ、冬夜や滝、先輩たちは少し安らいでため息をついた。
考えていた最高幹部は医者にさらに尋ねた。
「それで、その患者の容体は?」
「命は助かったが、あとはどうなるのかは正直分からない。しばらくは安静が必要だから、話はすぐに聞けない。問題の呪詛は力ずくで解除したから、とりあえず安心してくれ。」
「力ずく?そのようなことを、誰が?」
「・・・・少女本人が・・。」
言いにくそうに言った医者の言葉に、最高幹部は目を見開き眉間に皺を寄せて、冬夜たちに振り返って睨んだ。冬夜と滝は黙って睨み返した。
未知の呪詛を力ずくで解除するほどの力がある人物・少女を、暗部任務中に知り合ったらしい冬夜、滝、玲、昴の4人は暗部にすら報告せずにいた。そのことは、報告義務違反に触れる上に、最高幹部を含める暗部員全員に4人に対して懐疑的な思いを抱かせた。
最高幹部は質問ともいえる呟きを吐いた。
「・・・・何か、隠しているな?」
「「・・・・・・・。」」
「・・・その少女の出身地に調査班を派遣し、容疑者とその術式を調査しろ。その派遣に関しては調査長に任せる。調査班は別途に、少女の情報についても集めておけ。
警備係は少女の知り合いとされる暗部員4人、まずは、こいつらと玲は捕らえておけ。昴もただちに任務地から強制帰還させるよう連絡しろ。尋問は4人全員揃ってからだ。少女には回復後に話を聞く。」
最高幹部は次々と命令を下して、暗部員たちが命令通りに動き出した。冬夜と滝の後ろに暗部員数人が立った。2人を捕らえて独房に入れるつもりらしい。滝は同意するよう(少し頷いて立ち上がろうとしたが、冬夜は最高幹部に懇願するように叫んだ。
「待てっ。俺らは逃げないから、あの子のそばにいさせてくれ。」
冬夜の必死な言葉に、最高幹部は細くて見えにくい目が見開くほど驚いた。最高幹部だけではない。その場にいた、冬夜を知る暗部員たちも唖然とした。驚きのあまりに沈黙の間に、医者が冬夜を擁護するように口を開いた。
「私もそれがいいと思う。患者は思春期だ。ただえさえ重体なのに、知り合いもいない、精神不安定になりやすい状況下では“癇癪”を起こす可能性もある。知り合いに囲まれていた方が安心して養生できるだろう。」
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“癇癪”
その言葉は怒りっぽさを指すのではなく、精神的要因により“力の暴走”をする現象である。ちなみに、魔力が制御不能で放出してしまう現象を“力の暴走”という。
“力の暴走”や“癇癪”の厄介な所は、傷害や物損被害など破壊行為が生じることだ。また、当事者の力の消耗も激しく、場合によっては当事者の生命にも関わる。
“力の暴走”や“癇癪”を起こしやすい人の特徴としては、精神的に未熟である思春期の子供、力の制御が苦手な“調節不足”の人、力が大きい“稀れ子”とされている。
思春期や“調節不足”なら自他での力制御術式による療法が有効だが、“稀れ子”はその力の強さのゆえに他者からの制御術式が困難であるために問題になりやすい。
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”癇癪”は“稀れ子”が世間から嫌われる理由の一つでもある。
“稀れ子”が多くいる暗部員にとって、癇癪への罪悪感や嫌悪感、劣等感は奥深い。
最高幹部や周りの暗部員たちは、少女の回復も考慮して医者の考えに肯定を示した。
「・・・その少女と共に過ごしていいが、見張りをつける。いいな?」
「ああ。ありがたい。」
素直に礼を言った冬夜を、最高幹部と周りにいる暗部員たちは物珍しそうに見つめていた。
しばらくすると、人が駆けつける音がしてきた。現れたのは細身の男性で、少女の知り合いの一人・玲であり、慌てて駆けつけたようだった。
「冬夜・・!あの子が来ているって聞いたけど、大丈夫なのか・・?」
質問する玲の後ろから、最高幹部の命令で玲を捕らえるために向かった警備係たちが息を切らして走って追いついた。
玲はその人たちから少女の話を聞いて、捕らえられる前に彼らを振り切って冬夜の所まで駆けつけたらしい。玲は刀を主な武器として戦い、その身のこなしや素早さは国の最高峰の武力組織・暗部の中でも高い技術を持つからできる技だった。
息を切らす警備係たちを無視し、冬夜は玲に真面目に頷いた。
「ああ。今は大丈夫だ。」
「・・はーーぁ、良かった・・。」
冬夜の言葉に、玲は安堵のあまりしゃがみこんだ。顔に手を当ててしばらく動けない様子だ。
冬夜はその様子を見守りながら、静かに聞いた。
「あの子のそばにいることにしたが、お前はどうする?」
「・・・俺もそばにいる。相当、ツラい思いをしているだろうから・・・。」
冬夜の問いにそう答えて、玲はふらっと立ち上がる。その様子に、庇い立てをしてくれた先輩の一人が不思議そうに尋ねた。
「そこまで察せるぐらい仲が良かったのか?」
先輩だけではない、周りにいた暗部員たちや医者、最高幹部も同じような顔をしていた。最高幹部や数人の暗部員たちに関しては、懐疑的な眼差しも含んでいた。
そんな目を気にせず、玲はふっと微笑んで応えた。
「・・ああ、もう5年も会ってないけど、あの子のことはずっと覚えていたよ・・。」
玲の微笑みに嘘はなさそうだと周りの人たちも感じ取れた。何か真面目に考え事をしているようだった滝が冬夜に話しかけた。
「なあ、冬夜。特別医療施設に入院させるわけではないんだろ?」
「ああ。暗部内にも医療設備は整っているし、あそこは外部の人も出入りするから長居はさせない方がいい。」
「けれど、どこで療養する気なんだ?あいつに部屋の中に篭れというのは似合わないような気がするが。」
「確かにな・・・、“暗部の憩いの広場”ならいいんじゃないか?」
冬夜の提案に玲が同意して頷き、滝が納得したように考え込んだ。
「それが一番いいだろうね。あの子は自然豊かな環境で育ったから、憩いの広場なら緑があって少しは馴染みやすいと思う。」
「確かに、あそこで寝ている姿がしっくりくるな。規定上でも、あの広場で寝泊まりしてはいけないってことはないはずだった。」
「真面目な滝が言うなら間違いないな。さっそく連れてくる・・!」
3人の意見が一致したことで、冬夜が行動に移して、扉に向かった。最高幹部が冬夜に叫んだ。
「こら!暗部の奥に入れる許可は出してない!」
「医師の私からも申請するから、許してやってくれ。患者の安定と安全を重視したい。」
「しかしだっ・・。」
「さっさと連れてこい。丈夫なあいつのことだ。なんだかんだ元気だろ。」
「・・・・・・。」
最高幹部の咎める声とそれをなだめる医者の声、そして、滝のため息まじりの心配していない声に冬夜は反応することなく、特別医療施設の扉に入っていった。
冬夜は静かに眠っている少女を抱きかかえて暗部に帰って来た。少女の表情は落ち着いているものの、青白い肌は生気が弱そうだった。2人を迎えた暗部員たちは弱々しい少女の様子に静まり返った。
玲が唾を飲み、冬夜に静かに尋ねた。
「それで、・・・・・怪我したのは?」
玲の問いに冬夜は黙ったまま、少女を揺り動かさないように支えて、背中側の患者服をめくった。背中には治療されてもまだ生々しい大きな傷跡が見えた。明らかに致命傷だと分かる。他にも大小関わらず傷が多くある。
「・・嘘・・・だろ・・?」
少女を見た滝が真っ青になり、信じられないという面差しでそう呟いた。玲は黙っていたが、痛ましそうに少女のことを見つめていた。最高幹部もその傷跡を見て顰めっ面をし、医者の方をちらっと見た。医者は暗い顔で首をゆっくりと横に振った。
「他の傷はある程度癒えると思うが、それは呪詛傷だ。跡は一生残るだろう。どうやら、この子供は生命力が強くて、峠を乗り越えて命は助かると思われるけど、後遺症は懸念される・・・。傷の場所も悪すぎる・・・。私の見立てでは、力を失うか一般生活に支障が出るぐらいの後遺症があると思われる。けれど、全ては、今後の治療とこの子の回復力次第だ・・。」
「・・・・そうか・・。」
「「「・・・・・・。」」」
医者の見立てを聞いた暗部員たちは沈黙になって、重い空気が漂った。生きているのさえ不思議なくらい弱々しい少女の状況を見て、冬夜たちが規則違反をしてまで少女を暗部内に通したことを攻め立てる雰囲気はもう誰もなかった。
滝が動揺で震えて体が崩れそうになりながら、それでも信じられないという顔で少女を眺めて狼狽えていた。
「おい・・嘘、だろ・・?なあ・・こいつがこんなにやられる、なんて・・。“獣集”ですら、こんなに怪我をしてなかった、のに・・。」
「滝・・。」
「こいつがこうなったんなら、こいつの家族は?カテンらは・・・・・。」
「滝!!」
「滝、この子は一人で来たんだ・・・。それが答えだ・・。」
「・・・・そんな・・・ことって・・・っ・。」
動揺のあまり震えて床に崩れ落ちた滝、滝の動揺を止めながら悲しそうな玲、暗い表情であるものの静かな様子の冬夜がいた。
周りにいた暗部員たちは状況が察せられないため、口を挟めずに黙って見ていたが、状況の緊迫さは伝わっていた。
そもそも、滝は堅いぐらい真面目で、ちょっとのことで動揺するようなタイプではない。玲は仕事上あまり感情を表に出さないようにしているが、今回のことは感情的になっている。尖っている冬夜が静かにいることも珍しい。
滝が不安のあまり吐き出すように言った。
「これから、どうするんだよっ・・。」
「たぶん、大丈夫だ・・。」
「冬夜!なんで、そう言い切れる!!カテンらを、こいつを、ここまで怪我させたものがいるんだろ!?そい・・」
「そんなものがいたら、この子がただ逃げて、ここに来ると思うか!?」
「っ!・・・・思わない・・・。」
「そうだね。・・まずはこの子の回復が先だよ。それまではそっとしておいてあげよう・・。」
「・・・わかった。」
玲に宥められた滝は顔色はまだ青かったが立ち上がった。少女を抱えた冬夜たちは周りを気にせずに、暗部の奥にある広場にさっさと向かった。
***
“暗部の憩いの広場”は、暗部の奥にある、暗部員の共同生活空間の中央の広場だ。白い吹き抜けで広々としており、緑の木々が生い茂っていた。暗部で珍しく緑のある空間だった。
その緑の中に横たわる少女と付き添いをし看病をする3人がいた。その壁際には彼らを見張る人たち、休憩しながら遠巻きに見る人たちがいた。彼らは興味深そうに見ていた。
玲は三大名家武家の一家の長男で、下に弟たちがいる家庭で育っているから子供の扱いは慣れており、寝込んでいる少女の世話を苦もせずにやっている。むしろ、家族も家柄にも恵まれて裕福な玲がなぜ過酷な暗部に入ってきたのか、その理由は暗部の謎の一つだった。
滝も真面目な性格だから、昔は馴染みの子供や同級生の面倒をみていたのだろう。真面目にほどよく少女の面倒を見ている。
一方、冬夜は面倒見どころか面倒をかける性質だ。それなのに、不慣れで不器用ながらも一生懸命に少女のお世話をする様は珍しすぎて、見ている人たちを飽きさせない。
なにより、ぼろぼろに傷ついた少女が寝ている光景は、少女を知らない暗部員たちにも憐れみの感情が生まれていた。何人かは近づいて、「早く良くなれ」と寝ている少女に声をかけたり、「ほら、差し入れ」と3人に労いとともに食事を持ってきたりする。見張りの人たちもそれを咎めなかった。
数日後、
「・・・・・れ・・ぃ・・?」
ずっと寝ていた少女が目を覚ました。まだ弱々しい声だった。
「!・・目を覚ましたのか?大丈夫か?」
「どうだ?体は?」
「とう・・や・・たき・・。」
少女はのぞいてくる大人たちの顔を見渡す。そして、少女は無理やり起き上がろうとしたが、うまく起き上がれずに手が布団の上で震えていた。
「!まだ動かないで!」
「ここは安全だから大丈夫。」
「今は休め。昔、俺らのこと、面倒を見てくれたからな。気にせずに体を休めろ。」
無理に起き上がろうとする少女を玲と冬夜が制止して、滝がそう声をかけた。その言葉と3人を見渡して、少女は力を抜き、また目を瞑って気を失うように眠った。
ぼやけているが、はっきりした光景。
多くの獣が空を舞い、攻撃を仕掛けてくる。
地上にいる仲間の獣たちは、黒い大地に次々と飲み込まれていく。
最後に大きな術式の陣が出てきて、それを破壊した時には・・・・
「・・・うわあああああぁぁぁああ!!!」
「・・ぃ、大丈夫だ!大丈夫!!」
いきなり絶叫した少女を、冬夜が必死に抱きしめた。
絶叫していた少女は視点が合わない顔をしていたが、冬夜の温もりを感じ、悲鳴が少しずつ収まっていく。涙も分からずにたくさんの汗をかいていて、呼吸が乱れていた。手に力が入って震えている。その間、冬夜はずっと、少女を哀れに想って泣きそうになりながら、ぎゅっと抱きしめていた。
少女が目の焦点が少しずつ合ってきたら、玲がとても心配そうに覗き込んでいる顔が見えた。
憩いの広場は深夜で薄暗く、天井には星空を模った照明が光っている。生活空間は、仕事空間の暗部とは違い、外の時間に合わせて照明が変化していく。
その薄暗い広場の中央にある緑には、少女と冬夜と玲がいた。
冬夜たちは話し合って、交代で2人体制で少女の面倒を見ることにした。だから、滝は自室で一部の見張りとともに休息中だ。
少女の呼吸が落ち着いてきたことを確認して、冬夜は怪我を気遣ってそっと優しく抱きしめ直した。少女は真っ白な顔で瞠目していた。その不安げな表情は自分がどういう状況で、どこにいるのか、まだ理解できていないようだった。
「・・・とぅや・・?れぃ・・?」
「ああ・・ここにいる。」
「もう、大丈夫だ。大丈夫・・。」
冬夜は抱きしめたままで、玲は横から少女の頭を落ち着くようにそっと撫でた。少女はそれらを頼りに落ち着かせるように深呼吸をしていた。そして、2人に慰められた少女は、また少しずつ眠りについた。
少女の悲鳴を聞き駆けつけた最高幹部や滝を含めた暗部員たちは、その様子を広場の暗い片隅から見守っていた。