7-7 それぞれの想い
「…………」
俺は無言、無心で歩き続けていた。いや、無心ではない。心の中で呟いている。ずっと『無心』と。
「巧人君! そろそろ離してください!」
そうして利莉花は無理やり、俺の手を振り解く。
「急にどうしたんですか? あの……私、状況を飲み込めないんですが」
ふう、もう無心と言う必要はなくなったか。
だってそうしてないと、俺のバナナが、どんどん反り返っていくからな。
それに、正常に戻った利莉花に説明している時間はなかったし。さっさと去るためには仕方なかったからな。だが、これもさやちゃんのため……安い代償だ。
……え? なんで途中で離さなかったかって? いや、それは……何か離したくなかっていうか、なんていうか……。
「ヌッキーなんて大胆な!」
俺に追いついた(結構早歩きだったと思う)絵夢が、突然そう言った。
「あんな大勢の人の目の前で、リリーの手を握るなんて……ついにヌッキーにも、心の変化が!?」
違います。
「あの……私も、お友達同士とはいえ、いきなり手を掴まれるのはその……恥ずかしいです。その異性でもありますし」
な……に? 百合の利莉花が……恥ずかしいと、頬を染めている!?
これはもしや……イケる!?
(ってそれはダメだ! いろんな意味で!)
「あれ? 関羽は」
俺は話を反らす意味でそう聞いた。
「ああ、なんかね。ヌッキーたち追ってる途中で、いい人発見! って口説きにいっちゃったよ」
またかよ。
「それよりリリー。よくその状態で、ヌッキーについて行ったよね」
利莉花は今、両腕で伊久留を抱きかかえている。しかし、あの時は片手は俺が握っていたわけだから、片腕だけで支えていたわけだ。
「いえ、伊久留ちゃんが途中で下してほしいと言ったので、下ろしたら、普通に着いてきました」
体育に出ず、出ないくても一時間は休憩を要するという、あの伊久留がか?
いや、尾行できるんだからそれなりの体力はあるの知っているが、にしてもすごいな。
伊久留は利莉花の腕の中で、本を読んでいる。まるで、さっき利莉花が言ったことはなかったかのようだ。
この中では一番俺が伊久留と付き合いが長い。でも、まだまだ理解できないことも多いってことだな。
そんな考え事をして、さやちゃんのことへと戻る。
(頑張ってね。さやちゃん、君は本当に魅力的な人物なんだから)
*****
「私もおいてかないで――!」
絵夢がそう言い残して、巧人たちを追いかける。そして、その場には峰内兄妹だけが残った。
去って行った後、それまでの様子を見て、先に紗弥が声を発した。
「なんだったの、あれ……」
紗弥はどうにも展開についていけてないようだ。しかし、巧人マニアである透には、何となく理解できていた。
(紗弥にかけた言葉……なるほど。巧人は紗弥のほうについたか)
透は、巧人が紗弥の気持ちを尊重し、そして勇気づけて、紗弥を気遣って出て行ったのだと、そう解釈した。
(優しいな、巧人は。紗弥にあんなことを言われても、平然としているんだから。でも俺は、そんなお前のことが大好きなんだよ)
そのとき、透の脳に巧人と出会った時のことがよぎる。
高校に入り、一目ぼれした。その時の、巧人の優しさと、言葉が。
『いいんじゃないか、別に。少なくとも俺は、人が真剣なのに、笑ったりしない』
同時に、透が普通の人から、ホモへと変わるきっかけであったが、そのことを巧人は知らない。
「紗弥、俺の友人たちに実際に会ってどうだった?」
「どうもこうもないよ、お兄ちゃんにはあんなやつら相応しくない!」
「そうか? みんな付き合ってみれば面白い奴らだぞ。それに……巧人は本当にいい奴だよ」
紗弥はその言葉に頬を膨らませる。
「むー! 私のほうがお兄ちゃんのこと好きなんだからね!」
「ふふ……わかってるよ」
そう言って透は、紗弥の頭を撫でる。紗弥は最初嬉しそうにするが、その扱いがそのまま子供に対するもので、少しだけ落ち込む。
(お兄ちゃん……結局、巧人巧人って……私のこと見てくれないよ)
自分では無理――そんなことを考え始める。
(もういっそ、巧人は消すか。でも、お兄ちゃんが悲しむよね。それは嫌だな……じゃあどうすれば――)
『自信を持って、さやちゃんは可愛いよ』
そこで思い出されるのは、ついさっき巧人がかけてきた言葉だった。その言葉を聞くと、妙に落ち着く。
(どうしてだろう。本当は、お兄ちゃんが好意を寄せる相手で、あたしからすれば倒す相手のはずなのに)
それなのに、こんなにも元気をもらって、闘争心というものが紗弥には湧いてこない。
不思議だった。それゆえに、さらに思い出す、紡がれる言葉。
『お兄ちゃん、こいつ気持ち悪い!』
『俺は好きだよ。さやちゃんのこと』
『え?』
本当にどうしてだろう。嫌われているのに、相手に好きだって言えるのは。わからない。けど――
「お兄ちゃん」
紗弥は透に嫌われてはいない。それだけで、なんだができる気がした。
「あたしね。お兄ちゃんのこと大好き!」
そう言って紗弥は、兄の頬にキスをした。それが、兄に嫌われたくなくて行動に移すことのなかった紗弥にとっての、初であった。