4-2 白瀬の暗すぎる過去
次の日の放課後。この日は、木曜日、つまり現代文化研究部の活動日だ。だからこうして、みんな部室に集まっている。
まぁ、昨日もこの部室に集まってるか実質、今週は三回目な気がしなくもない。昨日その場にいなかった白瀬は違うだろうが。
「はぁ~……伊久留ちゃん……」
その白瀬はというと、座って伊久留を眺め、うっとりしている。通常運転だ。
「ねぇ、絵夢さん。どうしてもダメですか?」
白瀬は質問した。ダメというのは、伊久留に抱きつくことだ。前の一件があったため、伊久留に白瀬を近づけさせるのは危険と判断し絵夢が規制した。
「うん。ダメ」
だから、もちろん絵夢の返答はNOだった。
「ぶぅ……あんなに近くに私の天使がいるのに」
「天使なら、なおさら掴めちゃダメでしょ」
「そうですけどー」
白瀬は机の上に突っ伏す。ずいぶんとだらしない姿だな。
「おいおい。その程度でへこんでどうする」
「でもですね、透さん……」
「ただ自分の気持ち……愛を伝えるだけではダメだ。そんな一方通行では、すぐに嫌われてしまうぞ。そのためにもメリハリは重要だ」
「メリハリ……確かにそうですね。好きだからこそ、相手の気持ちも汲んであげないと」
「そうだ。時には我慢も必要だ」
一生我慢しててくれ。
「そういえば、透さんは巧人さんにあまりアタックはされてないんですね」
「ああ。それこそ我慢だ。巧人は繊細だからな。あまりやると、うざがられるだけだ」
「流石、理解してますね! 私もこれからどんどん伊久留ちゃんのこと、知っていきたいです!」
「その意気だ。俺だってまだまだ、巧人の知らないところはある。それはこれからの時間ゆっくりと知っていくつもりだ。そして、ゆくゆくは互いの気持ちを確かめ合って……」
「謙虚でありながらも相手のことを貪欲に知ろうというその姿勢……感激です! お互いに頑張りましょう!」
白瀬は手を差し伸べる。透も一瞬驚いた表情を見せるがすぐに、ふっと笑い、その手を握り返した。その様子を黙ってみていた俺は……。
「…………」
「ヌッキー……止めなくていいの?」
「いや、そのつもりではいたんだけど、タイミング失って……まぁいいか」
「そうだね。もうあれは放っておいたほうがいいよ」
しかし、こうも白瀬の近くにいると、色々困るな。できるだけ白瀬のほうを見ないようにしているが、それでも声とか気配でそこにいるってことは分かるし。あー……熱いなぁー……。
俺は少しでも気を紛らわすべく、活動記録をつけることにした。そういえば、一昨日の分を書いてないな。今のうちに書いておくか。
えっと、どんなのがいいんだろう。頭の中で、数秒考える。そして、決めたことを書いていく。
「『精神状態と性癖の関連性について』……そんな話だったっけ?」
「俺の精神状態がおかしいから、性癖もおかしくなったんだ。そうに違いない」
「いやでも、恋しているのは認めたんじゃなかったの?」
「一昨日はまだ、そう思っていたからいいんだ。逆に一昨日と同じ考えで書かなければ、嘘になる」
「それって、こだわること?」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる? この仕事をして、一年は立ってるんだ。いい加減にはできない。俺はプロだ」
「変なところにプライドがあるね。というか、プロって何?」
絵夢は呆れた顔をする。俺は「そんなことより」と、絵夢の耳元で囁くように話しかける。
「今日は早めに終わらせよう」
「え? どうして?」
「どうしてって……白瀬といても、辛いんだよ。早く離れたいんだ、俺は」
「けど、それってヌッキーの都合でしょ? ヌッキーだけ早く帰ればいいじゃない」
「……それもそうか」
それだけで話は終わり、俺は今日の分の活動記録に取り掛かる。えーっと……『愛の形について』……なんかベタだな。どうせなら、もっと他のにしたほうがいいか……。
「巧人さんは、いつもそんなものつけてるんですか?」
「え?」
考え事をしている時に、突然話しかけられ驚く。そして反射的に声のしたほうを向いてしまう。そこで、白瀬の姿を確認し、やっと誰の声だったのか理解する。さらに理解したこと、白瀬を見たことで俺は急速に胸が高鳴るのを感じた。
俺は、そんな感じで返答できずに戸惑っていると、代わりに絵夢が答えてくれた。
「うん。ヌッキーは副部長なんだけど、書記みたいな役職も兼ねてるの」
「へぇ~……大変なんですね。どんな事書いてるんですか?」
「活動記録だな。ただ、白瀬も知ってるとは思うが、つけれるようなことは何もしてないから、俺がそれっぽく書いてるだけ。現代文化研究部って言う、名前だけは何だか凄いこの部にあったやつをな」
今度の質問には、自分で返した。絵夢がフォローしてくれたおかげで、少しだけ冷静になれた。
「だからって内容は嘘じゃなくて、本当にあったことしか書いてない。たとえば今回なら、白瀬と透の会話をベースに考えてるし」
「え? 私たち、何か話してましたっけ?」
「さぁ……記憶にないな」
「まぁ、本人の反応はその程度なんだろうが……。そういう何気ない会話でも、見落とさずにチャンスに変えていく。それが重要何だと思ってる」
「結構、難しいことを考えてるんですね……」
「そうでもないさ。ただやっていくうちに物事を考える力はついたなって思ってるけど。慣れだよ慣れ」
しかし、こんなどうでもいい話に食いつくとは……白瀬ってよく分かんねーな。
白瀬は俺の話を聞くと、右手の親指を顎につけ何やら考えた表情をする。すると、その腕が胸を押しつぶし、柔らかなそれは形を変えて、いやらしく……俺はどこを見てるんだよ。
「それ……私につけさせてもらえませんか?」
「え? な、なんで?」
「折角、この部の一員になれたんです。だから、私この部のために何かしたいんです」
「ええー……。いやでも、部のために何かしたいって。何かやってるやつのほうがいないぞ」
「関係ありません! ただ、私がやりたいんです!」
な、なんだこの鬼気迫る感じ。そこまで何かをしたいのか? 俺はどうするべきか絵夢に話しかけた。
「どうする?」
「私に聞くの?」
「一応意見として」
「えー……とおるんはどう思う?」
「別に好きにすればいいと思うが……関羽はどうだ?」
「うーん……俺としてはだな……」
「あ、関羽。いたんだ」
「いたよ! つーか、なんだよその反応!」
「だって、さっきから全然喋ってなかったし」
「喋ってなくても姿は分かるだろ!」
「すまん。視界に入ってなかった」
「お前の正面だぞ、俺は!?」
「うーむ……しかし、白瀬に活動記録をつけてもらうとして、俺の仕事が無くなってしまうな」
「しかも、俺の意見は聞く気なし!?」
「完熟、うるさいよ」
「佐土原、酷い!」
マジでうるさいな。黙れよ。
その思いが通じたのか、絵夢の言葉が効いたのか関羽は黙り込んだ。
俺はもう一度白瀬に聞く。
「白瀬、また言うが別に何かをするとかしないとか、どうでもいいんだぞ? 逆に何かされたらこいつらの面目も立たないだろ」
「それって私たちにも遠回しに何かしろって言ってない?」
「気のせいだ。……で、白瀬。何もしなくても誰も気にしない。お前はお前らしく、この部で普通に過ごしてればいい」
「…………」
白瀬は黙ってしまう。俺は、何か悪いことをしたのかと悩み、補足するか考えていると、白瀬は悲しそうな……それでいて愛おしそうな目をしながら話を始めた。
「私にとっては、この本来の自分をさらけ出せる場所は新鮮なんです。今までずっと、私は隠してきたから」
白瀬の只ならぬ態度と口調。その場の全員が白瀬の言葉に聞き入っていた。ただ同時に、俺は思っていた。
(なんか暗い話きた――――!)
俺が隣を見ると、絵夢も同じようなこと思っていたのか、表情に出ていた。だが、白瀬は俺たちの様子に気づかず、話を続けていく。
「私……前の学校では、百合であることは隠していたんです。流石の私でも、自分が『普通』ではないことは分かってましたから。ある日私は、一人の女子生徒に告白をしました。それはそっちの学校では友達だった人です。だから最初は、冗談なのかと思われたようですけど、何度も言ううちに私の気持ちが本気だって理解したようです」
(勘弁してくれよ。まだ出会って三日だぞ。そこまで踏み入った話は早すぎるって)
そうは思いつつも、俺は止めない。その場の誰も止めない。止めてはいけない。
いや、俺たちは知らなきゃいけないと思った。
「答えはノーでした。ある意味当然。私も分かってはいました。でも私は、他とは違う、普通じゃないからと隠しはしても、百合である自分を否定したくはなかった。自分の気持ちに嘘はつきたくなかった。
振られてずっと悩むのはダメだって思って、気持ちを切り替えようとしました。今まで通り、友達でいれれば、別にいいかなって。そう思って次の日、学校に行ったら……」
そこで白瀬は一旦言葉を区切った。まるで開きたくない扉、封印していた記憶を思い出すように。
言いたくないなら言わなければいい。それは本人の自由。だから、俺たちはただ黙っていた。
(いや、黙るのは白瀬に言えと強要しているのかもな)
そう考えても俺が口を開かないのは、もしここで迷うくらいなら、最初からこんな話、白瀬はしないはずだから。
「……みんなに私が百合だって知られていたんです」
「……!」
「原因はすぐに分かりました。私の告白したその友達が、みんなに言いふらしたんです」
それは……きついな。
「仕方ないと思いました。女の子が女の子を本気で好きだなんて、おかしいことですから。私の告白を聞いて、気持ち悪いと思われて仕方ありません。それにもしかしたら、怖いとさえ思ったんじゃないでしょうか」
怖いか……。そうかもしれないな。人の人に対する本気なんだ。それは時に、狂気にさえ感じる。『普通じゃない方向』からのものなら、特に。
「私の周りには友達がいなくなりました。私と一緒にいたら、何されるかわからないって。さらに学校中に知られて、みんなから異端な存在として、好奇な視線を向けられました」
ああ。だろうな。一般の高校生に、ギャグとかじゃなくて真剣に、同性愛を認められるやつがどれだけいるか。周りにいるだけで、気持ち悪がるのもわかる。さらにそれが、自分に関することだったら、なおさらだ。
「仕方はない。私は『普通』ではないから。でも私にはもうあの学校に通うのは辛かったから。二年生になるときにこっちの学校に転入しました」
当たり前だ。誰だって、学校中からそんな視線で見られれば、耐えることなんてできない。できるはずない。
「こっちの学校では、前の学校のようにはならないようにしよう。誰も好きにはならない。好きになっても、その気持ちは自分の中で押し込めておこう。そう決めていました」
……悲しい決断だな。でも、白瀬の心の傷を考えればそれも妥当か。
「けれど、学校生活をしていくうちにある噂を聞きました。それが『この部活には変態が集まっている』ということでした。半信半疑ながらも、私と同じ存在を求めた。私を受け入れてくれるのは同じ存在しかないって。そうして、この部活にやってきて、皆さんに出会い、私は私のままで居ていいんだって……認めてもらえた気がして」
白瀬は目を潤ませ、そのまま涙は一つの雫となり零れ落ちる。白瀬はすぐに目を拭い、続けた。
「私も皆さんと居ると自然と自分をさらけ出すことができました。だから、皆さんの役に立ちたい。私の『普通』認めてくれた皆さんのために。そして、失いたくないんです。手に入れたこの大切な場所を」
白瀬……。話は終わるも、俺は何と言えばいいのか分からず、口を開けない。それは、みんなも同じことだった。
誰も声を発しないこの空間は、まるで時間が止まったよう。少なくとも、流れが遅くなったように感じた。
「大丈夫。利莉花は一人じゃない」
静寂を破ったのは伊久留だった。いつもは静寂を作る伊久留が、それを崩したことに、ギャップを感じた。
「この場所は伊久留達、みんなのもの。だから、決して消えたりしない。だから、利莉花も失ったりしない。心配する必要ない」
その言葉を言う伊久留は、本からは視線を外し、白瀬を見つめている。
伊久留の態度に透たちも続いて、それぞれ声をかけていく。
「承全寺の言うとおりだ。白瀬が悩むようなことはない」
「ああ。そうだぜ! 俺はよく分かんねーけど、結局自分らしく居ればいいってだけだ」
「うん。リリーは私の友達だもん! 一緒にいるのは普通でしょ?」
「皆さん……」
みんなの答えを聞いて白瀬はまた瞳を潤ませる。その中で、俺も最後に声をかける。
「お前を認めるとか認めないとかない。ただなっただけだ。仲間にさ」
そうして白瀬を見つめる。自分からはしないようにしていたこと。遠ざけていたこと。心臓のポンプ機能が激しくなる。だけど、今はそれが嬉しく感じた。
「それに白瀬はその話を俺たちにしてくれた。これで俺たちはさらに深い絆で繋がった」
絵夢と透の間にできた白瀬の席。一つ増えた椅子。何気ない変化かもしれない。けれどこれは、白瀬が仲間であることの象徴だと思った。
白瀬は今にも泣きだしそうな顔で俺の言葉を聞いていた。
「なぁ、白瀬。お前は何か役に立ちたいって言ったよな。俺から、お前に頼みたいことが一つある」
「な……なんです……か?」
「笑ってくれ。そして自分に胸を張って『普通』で居てくれ」
俺は白瀬に笑って語り掛ける。白瀬は、驚いた表情を見せるもすぐ、
「……はい」
と笑って返してくれた。その時の頬を伝う涙が白瀬の笑顔を輝かせた。