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第二章 宇宙を往く者たち
ファブリスとメルルは高速で航行するファルメル号の窓から、テルビナが見えなくなるまで見送った。
そして、今度はこれから向かう宇宙に目を向けた。そこにはテルビナから見上げた星座がはっきり見えた。
さそり座、子羊座、ウミガメ座……。
惑星によって見える星座は異なる。それぞれの星に住む人々は空を見上げ、そこに見える星々が結ぶ形に特別な意味を持たせた。それはまるで、無限に広がる宇宙の中で、自らの位置と存在を見失わないように、そんな思いを込めるかのようだった。
「見てお兄ちゃん。ディダリオ座だよ。あんなにはっきり」
メルルが指差したのは、宇宙に一際はっきりと輝く、Yの字の形の星座であった。
かつてこの四十七宙域に到着し、未開の惑星を開拓した船団。その船団を率いたのがディダリオだった。その功績を称え、ディダリオが降り立ったその惑星はディダと命名され、今では第四十七宙域の主星となっている。ディダが周回する恒星ソーニャと、その周りの恒星が織りなす一群の星がディダリオ座と呼ばれている。ここからだと、恒星ソーニャまでは何十光年もの距離があるが、それでもその姿は、まるで手に届くかのようにはっきりした輝きを放っていた。
「うん、あれが目指す星だね」
ファブリスは今から向かうその星を見つめた。地上にいる時は思いもしなかったが、宇宙空間にいると、その距離を越えてすぐにでも飛んでいけるように感じられた。宇宙は遥か遠くまでひとつにつながっている。宙域なんて境はどこにもない。主星ディダにも、さらに遥か遠くにある宇宙の中心である第二宙域、そして第一宙域にも、そして、父さんの所にも……。
出発前に感じていた一抹の不安は、宇宙の広さにかき消されていた。
二人がひとしきり感慨にふけったころ合いを見計らって、ケネスが声を上げた。
「よし。それじゃあ、お勉強の時間だ。まずは操縦の基礎を覚えてもらわないとな」
ファブリスは操縦の方法は知っていたが、実際に航行している艦の操縦席を見るのは初めてだった。実は小型艦を操縦することはそんなに難しいことではない。方向を定め、最初に加速すれば、あとは慣性で自動的に飛んでいく。宇宙空間では物理的な障害物に当たることはごくまれである。
航行中の艦は、広い宇宙空間を他の艦から十分な距離を置いて航行しているので、故意にでもない限り衝突することは考えられない。しかし、それでも緊急時の対応や地上で離発着する場合など、覚えておくべきことはいろいろあった。
メルルにとっても操縦することは初めてことだったが興味を示した。ファブリスとメルルは時には操縦席にも座り、ケネスから操縦方法を教わった。
「宇宙を航行するときは、変わりばえのない状態が長く続くので油断しがちだが、実は危険もいっぱいだ。恒星に近づけば引力に引っ張られて進路がゆがめられてしまったり、機器が誤作動することもある。恒星表面の突然の爆発で、大量の有害な紫外線や宇宙線が振りかかることもある。それ以外にも、遥か何万光年も離れた場所の超新星爆発によって影響を受けたりといろいろだ。だから、常にレーダーから目を離さず、また、通信に耳を傾け、何か異常な事態が起こっていないかアンテナを張り巡らせておく必要がある」
先程から操縦席にあるスピーカーから、断続的に通信が流れていた。
通信はディダにある通信局からのもので、航行する艦に宇宙の状況を知らせてくれる。その内容は、恒星の状態の変化や彗星の進路などであり、広い第四十七宙域全体をカバーする情報であり、かなり離れた場所の情報も多い。どの情報がこの艦の航行にどのような影響を与えるかは、少し聞いただけだとよく分からなかった。しかし、そうした様々な情報から、重要な情報をつかんで対応する必要があるらしい。
ちなみに、素粒子が持つ情報はどんなに距離が離れていても瞬時に伝わるという量子テレポーテーションという機能を用いて、情報をデジタルに変換した電子情報の伝達により、何万光年離れていても、瞬時に情報のやり取りすることが可能となっている。
また、操縦席にはモニターが設置されていて、先程から文字で情報が流れている。これもファルメルの位置と周辺の状況を示しているようだが、慣れないとなんのことだかよく分からなかった。
「何を示しているのかよくわからないよ」メルルが正直な気持ちを言った。ファブリスも口にはしなかった同じ気持ちだった。
「まあ、要は慣れだ。誰でも初めは戸惑うが、次第にどの情報が必要でどの情報がいらないかも分かってくる」
ケネスはそう言ったが、ファブリスは不安な気持ちが湧いてきた。ケネスがずっと操縦席に座っているわけにはいかない。途中でファブリスが交代で操縦席に座る必要もあり、その責任の重さをいまさらながらに感じていた。
ケネスから教わるのはそれだけではなかった。市場で取引する際の情報の取り方、売り買いのタイミングの計り方、資金の調達の仕方など様々なことを教わった。また、メルルは出発前から会計の勉強をしていた。こちらはケネスも詳しくないということだが、出資者から出資を集めた以上、その後の取引をきちんと記録する必要があるとのことで、メルルはそれを自分の役割だと認識していた。
宇宙は、その奥に深淵な黒をたたえながら、時々見せる流星や輝き恒星の煌めき、はるか遠くの銀河の色がそれぞれに瞬いていた。小型の輸送艦は高速で宇宙を飛ぶ。時折別の輸送艦がファルメルの横を通り過ぎていく。距離は十分に離れているが、お互い相当な速度で飛んでいるため、前方にいたと思ったら、たちまちのうちに光の軌跡を残して、後方に去っていく。
ファルメルには宇宙のはるか遠くまで見通せる望遠鑑が設置され、操縦席にあるモニターから望遠鏡の映した映像をみることができる。ファブリスは時々それをのぞいて、まだ、人類が行きついていない何億光年もの彼方の超銀河団を興奮しながら見ていた。はるか遠くに見える銀河はさまざまな色と形をしていた。
「昼食ができたよ」
ダイニングからメルルの声が響いた。ファブリスはモニターから目を離した。
ダイニングにはピザが並べられていた。ファルメルの中では火が使えないため、冷凍保存していたものを加熱しただけのものである。メルルもせっかくの腕を振るう機会がなくて、少し残念そうにも見える。
「ケネスさんはどうするの」
「そっちは先に済ませてくれ。終わったらファブリス、操縦を交代してくれ」
「うん。分かった」
冷凍ピザは思ったほどはまずくはなかった。だが、メルルは少し不満げな顔だ。
「野菜の味がしないね」
「うん。そうだな。でも宇宙食ってまずいって聞いていたけど、それほど悪くはないな。いちおう一食で必要な栄養素とか補えるらしいし」
「そうだね。贅沢言っちゃいけないよね」
そう言うとメルルは黙ってピザを口に運んだ。
「でもすごいな。僕たち本当に宇宙にいるんだぞ」
ファブリスは話題を変えるため、窓からの星空を見て言った。
「うん。でもこの窓の向こうは宇宙空間なんだよね。外に出たら一瞬で死んでしまうんだよね」
「外は極寒だし、空気もないし、気圧もないから、人間なんてすぐに死んでしまうよ」
「そう考えると、少し怖いかも」
やがて二人の食事は終わった。タイミングを見計らうように操縦席のケネスが振り向いて、二人に声をかけた。
「食事は終わったか」
「うん。今終わったよ。さっそく操縦代わるよ」
「その前にお二人さん。少し宇宙体験をしてみないか」
「宇宙体験って」
「こういうことだ」
ケネスが言うと、急にファブリスの体が宙に舞いあがった。ケネスが船内の重力制御装置を一時的に切ったのだ。ファブリスだけでない。メルルも空間を泳ぐような体勢になっている。
「わ、わ、わ」
突然の変化にメルルは戸惑っていたが、ファブリスは変化を体で感じていた。
「すごい。水の中に浮いているみたいだ」
「よし、電気消すぞ」
ファルメルの室内照明が消された。すると窓から見える星々は、白く青くその輝きを増した。はるか遠くにはリングの形をした銀河が赤く光っていた。時折、恒星に引かれた流星が尾を伸ばしてファルメルのそばを通過していく。
それはまるで星の海を泳いでいる、そんな感覚だった。体重を感じないということが、こんな解放された気分なのかと思った。ファブリスは窓の近くにきて星の世界を眺めた。メルルも慣れてきたのか手すりにつかまりながら、ファブリスの近くにきた。
「お兄ちゃん。なんだか楽しいね」
「うん」
宇宙はほとんど物質のない空間である。人類にとってはその世界は空虚な世界である。だが、それでも人類は常に宇宙を目指してきた。行きつけるその果てを目指して。
やがてまた、室内照明が灯された。ケネスは操縦席にベルトで固定されているので、座ったままだ。
ファブリスたちの体はまだ宙を舞っている。ファブリスは手すりに捕まると、空中で横に回転してみた。一度回転すると、それは止まることなく、何回も続いた。メルルも面白がって真似し回転してみた。だが、そんな様子を見たファブリスが声をかける。
「メルル。スカートが捲れているぞ」
メルルの長いスカートが大きく膨れ上がっていた。
「キャー」
メルルはあわてて、スカートを手で押さえた。そんな様子にファブリスは苦笑し、ケネスは目をそらした。
途中、恒星の異変も超新星爆発もなく、安定した航行が続いていた。そして数時間が経過した頃であった。
あまり変化のない宇宙の光景に少しずつ慣れてきたファブリスとメルルの前に、巨大な人工の構造物が出現した。それは金属製で、巨大な円盤状の物体を横に二つつなげたような八の字形をしていた。
「あれがワープゲートか」
ファブリスはその姿を見て、しみじみとつぶやいた。映像などでは何回も見たことがあったが、実際に目にすると、その大きさに圧倒される。
「すごく大きいね」
隣にいたメルルも目を丸くしている。
「よし、それでは進入するぞ」
ケネスはファルメルの方向を変え、ワープゲートへの進入路に入った。
惑星間航行といっても、惑星と惑星の間は、時に何光年も離れているため、途中にあるワープゲートを通過する必要がある。宇宙空間はダークエナジーなどの存在により空間の質量にむらがある。そんな中で比較的質量が安定した二点をつなぐ箇所に、ワープゲートが設置されている。
ワープゲートは直径約百二十メートル、長さは約六十メートルの円柱が二つくっついた形で宇宙空間に浮遊している。通常、同一宙域内でのワープゲートを小ワープと言い、各宙域を結ぶ何百光年もの航路をつなぐワープゲートを大ワープと呼んでいる。小ワープのゲートは宙域内に数多く存在するが、大ワープのゲートは各宙域に一つか二つ、限られた場所に設置されており、第四十七宙域においては、主星ディダの周回上にあるのみであった。
ワープゲートの周辺には、他のワープゲートから飛んできたもの、これからワープゲートに入るもの、そうした宇宙船が多く行き来していた。
ファルメルもアルミナ方面へと向かうワープゲートへと近づいていく。入口は広く開いているがその中の様子を見ることはできない。少し進むとそこは光が届かず、何も見えないのである。ファルメルの前を進んでいた小型輸送艦がワープゲートの中に入って行くが、それも少し進むとその姿が見えなくなる。そしてその少し後に、青い光が輝く。ワープゲートの向こう側に飛んだのだろう。
ワープは超弦理論の研究過程で、その実現が理論的に可能になった。この宇宙は十一次元で構成されているが、その余剰次元の中には時空の干渉を受けないものが存在する。その次元を拡大することで、瞬間的な空間移動が可能となった。もちろん理論的には可能であったとしても、その実現のためには何万人もの科学者やエンジニアの研究開発と、何世紀にもわたる時間が必要であったが。
「大丈夫、なんだよね?」
メルルは目の前で光った他の輸送艦を見ると、少し怯えた表情をしていた。
ファブリスも声にこそ出さなかったが、不安を感じていた。毎日何百隻もの艦がワープゲートをくぐり無事通過しているので、危険はないと頭では分かっていたが。
「最初はみんな誰でも不安に思うが、安心しろ。全く危険はないから。俺も今までに百回以上くぐってきているが、このとおりぴんぴんしているだろう」
ケネスはそう言って笑った。その表情を見て、ファブリスもメルルもその不安が和らぐ。
ファルメルは真っ直ぐそのままワープゲートに入っていく。金属製の巨大な構造物の中、進むにつれて、周りが見えなくなっていく。やがて艦内も暗くなっていく。照明の光は変わらないはずだが、その光も吸い込まれていくらしい。闇が深くなっていく。だんだん周りも見えなくなる。そして、暗闇が完全に周囲を覆った。
次の瞬間には、闇は完全に消えて、また、艦内は明るくなっていた。ファルメルは金属製の構造物の中を進んでいた。
「超えたようだな」
「えっ?」
ファブリスとメルルは驚きの声を上げた。特に何の衝撃もあったわけではない。それなのに、数光年もの距離を転移したのか。
ファルメルはワープゲートの外に出た。相変わらずの宇宙空間であったが、見える星の位置が少し違っているように感じる。モニターで艦の位置情報を確認しても、確かにテルビナからはもう何光年も離れていた。
それから数時間後、ファルメルが、次のゲートまでの宇宙空間を航行している時であった。レーダーが機影を捉えた。操縦席のモニターにその機体の情報が表示された。それは大型の輸送艦だった。
それまでも艦には何度かすれ違ってきたが、いずれも小型艦か中型艦であり、大型艦は初めてだった。ファルメルに比べると遥かに大きく、長さは十倍を優に超えていた。おそらく積める荷物の量は、何百倍にもなるだろう。
レーダーは、大型艦がだんだん近づいてきていることを示した。
「ガーシュイン社の大型輸送艦のようだな」
ケネスが言ったその会社は、ファブリスも知っているディダに本社を構える大手の輸送会社の一つである。
大型艦が最接近した。といってもかなり距離は離れているが、その巨大な艦が放つ光を窓から肉眼で捉える事が出来た。艦は銀色に光り、まるでビルが動いているようだった。
テルビナで地上に泊まっている大型艦は見たことはあったが、実際に宇宙を航行している姿を見るのは初めてだった。メルルもその大きさに目を丸くしていた。
「あんな大型艦ならいっぺんに膨大な量の荷物を運べてしまう。小型艦での輸送なんかほとんど意味ないのかな」
大型艦の大きさに圧倒されたファブリスがつぶやくように言った。
「そんなことはないさ」ケネスが言った。
「あの艦はどこかの星の資源をディダに運ぶためのものだ。ディダのように大きな星で資源を多量に必要とするなら、大型艦で一気に運ぶ方が効率いいが、逆にこれから行くアルミナのような小さな星では、そんなに多くの物資は必要としない。かといって全く物資が必要ないわけではない。そういう場合は、小型艦で少しの資源を運ぶのがちょうどいいのさ」
「そうなんだ」
二人がそんな会話を交わしているとき、通信が入った。大型艦からのものだった。モニターの画面が変わり、三十代半ばくらいと思われる男が映った。
「こんにちは。こちらガーシュイン社所属の輸送艦GL二七だ……、って、お前、ケネスじゃないか」
相手の男は画面の向こうで驚いた表情を浮かべた。
「ミゲロか、久しぶりだな」ケネスが答えた。そしてファブリスとメルルに向かって説明した。「あいつとはテルビナに来た時にたまに飲んだりする。気のいいやつだ」そしてモニターに向かって言った。
「何か用か」
「別に用はない。うちの社の社訓でな。航行中に出会った艦にはなるべくあいさつするようにとな。まあ、ちょうど退屈していたところでもあってな。ところで、その艦はダンカンのものか。あまり見ない機体のようだが」
「いや、この艦はここにいるファブリスとメルルのものだ。そしてこのファブリスが船長をしている」そう言うとケネスはファブリスを示した。
「その子供が船長か」
ミゲロは驚いた顔をした。
「あなたがその艦の船長ですか」ファブリスは聞いた。
「ああ、いちおうこの艦を任されている」
「すごいですね。そんなに大きな艦の船長なんて」
「図体だけさ。操縦方法は小型艦と大して変わらない。荷物の積み下ろしや地上への離着陸などにいろいろ時間がかかるし、動力の整備も大変で、いろいろと面倒も多いさ」ミゲロは笑って言った。
「でも小型艦よりもよっぽど大きな仕事ですよね」
ファブリスの言葉にミゲロは少し真剣な顔つきになった。
「大型艦には大型艦の利点もあるが、小型艦には小型艦のいいところがある。いずれにせよ必要とされている物資を運ぶのが仕事だ。その仕事に大きいも小さいもないだろう」
「そうですね。すみません。確かにその通りだと思います」
「おいおい、あまりうちの船長をいじめないでくれ」
ケネスが割って入ってきた。
「そんなつもりはないんだが……」ミゲロはそう言うと、少し考えてから言葉を続けた。
「うちの会社は今では二百も艦を持つ大会社だが、それもガーシュイン社長が一代で築いたものだ。社長は幼いころから輸送艦で下働きをして、君と同じ年の頃には中古の小型艦を買って商売を始めた。少しずつ地道に商売を拡大していって、今の富を築いたんだ。君は航行を始めてそんなに時間も経っていないと思うが、ひとつひとつの商売を着実に地道に行ってこそ成功もあるんだ。それを忘れないでほしい」
「わかりました。ありがとうございます」ファブリスは言った。
「ではファブリスくん、それにメルルくんと言ったか、君たちの成功を祈っている。それとケネスまたそのうち飲もう」ミゲロはそう言うと、モニターの画像が消えた。
話している間に大型艦はファルメルの後方まで移動していた。ファブリスはその後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。