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その後もファブリスは出発のための準備で忙しかった。メルルも今までお世話になった人への挨拶周りなど忙しそうにしていた。
月日は今までになく早く過ぎていった。そして明日はいよいよ出発という日になると、ファブリスとメルルはケネスに呼ばれた。市場に来いとのことだった。
二人がケネスに指定されて行った場所は商品の取引所だった。そこはダンカンの整備工場くらいの大きさがある広い部屋の中に、天井からつらされた巨大な電子掲示板があった。そこには様々な商品名と数字が表示されていて、その数字は絶えず変化していた。掲示板の周りでは多くの人が忙しそうに動き回っていた。
ケネスは二人に言った。
「いいか。小型艦じゃ直接ディダまで行くのは難しい。最短距離で行ったとしても途中で三つの星、アルミナ、カディス、ダーニアを経由する必要がある。その度ごとに宇宙港の使用料がかかるし、燃料代も必要になる。だから、せめてそれらの経費をまかなうくらいは稼ぐ必要がある。そこでだ」
ケネスは頭上の電子掲示板を指差した。
「掲示板には、商品名、取引単位、売値、買値が表示されている」
ファブリスが見てみると、資源や食品、機械といった商品が何十種類も表示されており、それぞれに売値と買値の値段が表わされていた。
「ここテルビナの市場で取引されている商品は、農作物、鉱物など約八十種類だ。掲示板の上の方を見てみろ」
掲示板の上にテルビナと表示されていた。さらにその横には近隣の星であるアルミナ、カディス、そしてディダの表示もあった。
「それぞれの商品が、他の星で今いくらで取引されているかもここで確認することができる。立ち寄った星で、次の星で高く売れる商品を安く買って、それをその星まで運んで売る。その差額が儲けになる。これで航行に必要な経費くらいは稼ぐことができる」
「なるほど」
ファブリスはまた掲示板を見た。確かに同じ商品でも、星によって異なる値段が表示されている。
「注意することもあってな。今、他の星で高い売値がついているからといって、将来その値段で売れるとは限らない。値段は刻々と変化する。商品を運んでいるうちに、値段が暴落して、買った値段よりも下回ってしまうこともあるから注意しろ」
「でも、そんなのどうやって分かるの?」メルルが聞いた。
「もちろん正確に予測するなんて誰にもできない。そんなことができればたちまち億万長者だ。だが、過去の値動きや経済情勢などを分析することで、ある程度の予想は可能だ」
「何だか難しそう」メルルはため息をついた。
「ただ、ものによってはあまり変動しないものもある。例えば食品なんかはその年の豊作不作で大きく値段が変動するのに対して、鉱物資源なんかは比較的変化が少ない。初めのうちはそこら辺で手堅く商売するのが無難だな」
「分かった」ファブリスは答え、メルルもうなずいた。
「それで出発はもう明日で、今からじゃあまり勉強する時間もないと思うのだけど、テルビナでは何を買ったらいいの?」メルルが聞いた。
「テルビナで買うものと言えば大方決まっていてな」
ケネスは掲示板のある場所を指差した。
「テルビウム。この星の主要な鉱物資源だ。テルビナでの今の買値は一単位当たり、十三万七千リールだが、次のアルミナでの売値は十五万八千だ。一単位の差額は二万一千。三十単位買えば六十三万儲かるという寸法だ。まあ、アルミナまで行く燃料費などもあるから、その分も考えないといけないが、最初としてはこれくらいでいいんじゃないか」
ファブリスもそれでいいとは思ったが、ふと疑問が浮かんだ。
「そうだね。最初はケネスさんに任せるよ。でも、何で三十単位なの。三十単位だと全部で四百万リールくらいだよね。もっと資金はあるんだから、ぎりぎりまで買った方がいいんじゃないかな」
「それは失敗する奴がよくやることだ。もっとも初心者だけでなく、結構商売経験がある奴でもたまにそれで失敗することがあるがな。
いいか、航行には燃料や食料、宇宙港使用料などいろいろお金がかかる。それに艦だっていつ故障するか分からない。そうなったら修理代もかかる。常にある程度の資金は手元においておく必要がある。それにさっきも言った通り、商品は値下がりすることもある。時によっては値段が下がり過ぎて買い手がつかない事態もあり得る。そうなったとき、目いっぱいまで商品を買ってしまっていると、資金が足りなくなってどうしようもないことになる。だから、商品購入に充てるのは、手持ち資金の半分かせいぜい六割程度。それがルールだ」
「勉強になります」ファブリスはかしこまって言った。
ケネスが言ったとおり、テルビウムを三十単位購入した。取引は現金ではなく、口座から引き落とされる仕組みになっている。ちなみに一単位は取引に使われる箱の大きさで、テルビウムの場合、百八十センチ四方のミディアムサイズの箱が一単位となる。
ファルメル号を市場の隣にある宇宙港まで移動させ、商品を搬入した。貨物室にはその大きさの箱が約百箱詰める広さがあるので、三十箱積んでもまだかなりの空きスペースがあった。いつかこの艦いっぱいに商品をつめるだけの取引をしてみたい。ファブリスはそんなことを思った。
その日の夜は、ダンカンやファブリスたちの友達が、盛大な壮行会を開いてくれた。会場は町の広場で、そこには装飾が施され、ごちそうがたくさん用意された。整備士の仲間や近所の人たちも集まり、たくさんの人が広場につめかけた。
メルルの周りには学校のときの友達などがたくさん集まり、おしゃべりがつきなかった。さらに近所の人たちも大勢集まり、メルルが旅立つことを祝福しながらも、しばらく会えなくなることを寂しがっていた。その周りでは、メルルに密かに恋心を寄せているだろう男の子たちが遠巻きにしており、話しかける機会をうかがっていた。
ファブリスも友達や整備士仲間に囲まれていた。ファブリスの突然ともいえる旅立ちに驚いている人も少なくなかったし、宇宙に行くことを少しやっかむような発言もあったが、皆、一様にファブリスの門出を祝ってくれた。遠くからちらちらとファブリスに視線を送る女の子たちもいた。しかし、仲間たちに囲まれていたファブリスは、その視線に気がつくことはなかった。
ケネスももちろん参加していた。主に整備士仲間たちと大騒ぎをしていた。普段の豪快な性格は、酒を飲んでさらに加速されていた。
やがて、だれかがギターを弾き始めた。さらに歌声も加わった。音楽が広場に響き渡る。
音楽に合わせて、ダンカンやケネスが整備士たちと一緒に広場の真ん中で踊り歌いはじめた。 お世辞にも洗練されている踊りとは言えないものだったが、広場は更なる盛り上がりを見せた。それを笑って見ていたファブリスだったが、ケネスにつかまり広場の真ん中に連れ出され、一緒に踊るはめになった。その様子を見ていたメルルも、周りの友達に手を引かれる形でそれに加わった。
一人また一人と踊りの輪は広がり、広場全体に広がっていった。
やがて、踊っていた一人が、それに気がついた。
「見て、流星だ」
その声に導かれて、人々が空を見上げた。
夜はすっかり更けていた。空に流れ星が流れた。ひとつ、またひとつと。その数はだんだんと数を増していく。その速度は速いものゆっくりと流れるもの、その色は青く輝くもの、赤や黄色に輝き弾けるものなど様々であった。
この天体現象は、流星雨ともエンジェルブレスとも呼ばれている。
細かな流星が大気にぶつかり、その性質によって色を変え夜空を彩る。これだけの規模の流星雨が見られる星は、宇宙広しといえどもそう多くはない。大気の透明度や恒星との距離など、いくつかの要素が組み合わさってこのような現象が起こる。テルビナの数少ない名物のひとつである。年に四、五回、事前に予測されることもあるが、突発的に発生することもある。今日のこの流星雨は予想されたものではなかった。
古くから、流星雨は天使の祝福とされ、幸福のシンボルとされている。
ファブリスは、広場の中にメルルの姿を目で探した。メルルはすぐ近くにいた。メルルもファブリスの視線に気がつくと、にっこりと笑った。
「幸先いいじゃねえか。天使までお前たちの出発を祝福してくれているぞ」
近寄ってきたケネスはかなり酒臭かったが、ファブリスも同じ思いであった。
数を増した流星雨は、夜空に色とりどりの色鉛筆で線を描くように、様々な色の軌跡が、空いっぱいに広がっていた。
出発の当日になった。宇宙港には見送りの人が多く来ていた。ファブリスとメルルはそれぞれの友達や仲間との別れを惜しんだ。ファブリスは昨日遅くまで酒を飲んでいたケネスが来ないのではと心配になったが、ケネスはいつもどおりの顔つきで荷物を持って、時間通りにやってきた。
見上げると、空には雲ひとつなく晴れ渡っていた。風もなく、宇宙に行くには絶好の天気だった。
しかし、メルルの表情は快晴とは言えず、笑顔の中にも幾分不安げな気配が漂っていた。その表情を見ている自分もおそらく同じような表情なのだろう、とファブリスは思った。これから向かう宇宙への様々な期待と、今までいた星から離れ生活を置いていく不安な気持ち、そうした気持ちが入り混じっていた。
ファブリスとメルルの肩に手が置かれた。それはケネスの手だった。
「二人とも、新しい世界を見る準備はできたか?」
肩に置かれたその大きな手から伝わってくる確かさは、二人の心に安心感を与えた。
一瞬の沈黙ののち、ファブリスとメルルは声を揃えて言った。
「うん!」
やがて出発の時間がきた。
ファブリスは見送りの人たちに手を振りながら、ファルメル号に乗り込んだ。メルルも泣くのをぐっと堪え、がんばって笑顔を浮かべて見送りの人たちに答えた。ケネスは、いつもの出張といった感じだった。
三人が乗り込むと、ハッチが閉まる。ケネスは前方の操縦席に座り、その横の補助席にファブリスとメルルが座った。
ファルメルがゆっくりと上昇を始めた。といってもまだ自力で飛んでいるのではない。小型艦は通常、自力で宇宙に飛び出すのではなく、地上から大気圏外までをつなぐ宇宙エレベーターを使って宇宙の航行軌道まで上り、そこから航行を開始するという仕組みになっている。
すでに艦内の重力制御装置は稼働しており、上昇に伴う加速の負荷は乗組員にはかからず、また、宇宙の無重力空間に至っても、艦内には地上と同様に重力がかかることになる。物質に質量をもたらすヒッグス粒子と、重力をもたらすグラビトン、その相互作用によって重力は発生するが、その反物質を生成し制御することにより、限られた空間において重力を発生させたり、低減することが可能となる。宇宙船にはそうした制御を行う装置が設置され、宇宙空間でも地上と同様の環境を保つことができる。
ファルメルは高速で宇宙エレベーターを昇る。そこには外壁はなく、窓から外を見ることができた。
ファブリスとメルルは上昇していく艦の窓から外を見た。家やその近所、通っていた学校や工場、町の広場が見えた。その見慣れた風景はどんどん小さくなっていく。艦はさらに上昇を続ける。やがて視界にはテルビナの広大な荒れ地が遠く広がり、その中で町の姿はほとんどに見えなくなった。
やがてファブリスは視線を上げた。視界の先には、澄み切った空がどこまでも広がっていた。果てなく広がる青の世界は、吸い込まれそうに透明だった。
いよいよ宇宙に飛び立つ。ファブリスはずっと待ち望んでいたが、叶わないと半ば諦めた思いをかみしめていた。艦は空の中をひたすら上へ上へと進み続ける。
突然、キーンと耳鳴りがした。それは線のようにか細く高い音だった。
視界いっぱいに広がる澄み切った青い空、そして、耳鳴りの音。それは、どこか既視感のある感覚だった。
ファブリスはふと、背後に人の気配を感じた。そして、その人の手が頭にそっと添えられるような感覚を受けた。
慌てて振り向いてみたが、そこには誰もいなかった。
「どうしたの?」
メルルが隣で怪訝そうな顔をしている。
「いや、何でもない」
そう言いながらも、ファブリスはどこか懐かしさを感じていた。
艦はまだまだ上昇を続ける。段々窓から見える空の色が次第に濃くなり、やがて黒く変わっていく。
そして、周りの風景は一変した。
ファブリスは目の前に広がる光景に息をのんだ。
そこには果てしなく広がる暗闇の世界、宇宙空間が広がっていた。目の前には今までいた星、テルビナが暗闇の中に浮かび、その黄色く鈍い輝きを放っていた。
本当に宇宙に来た。その事実にファブリスは言葉をなくした。ただ、眼前の光景を見つめていた。
目の前の宇宙には無数の星が様々な色で輝いていた。それはテルビナから見上げたものとは比較にならないほど、鮮明な姿であった。
ファブリスの頭には、かつて幼いころに見た、かすかな記憶の中にある宇宙の風景が浮かんだ。その風景を、父と母、そして幼いメルルと並んで見た。あの時には家族みんながいた。でも今は……。
ファブリスは隣に座っているメルルを見た。メルルも窓から見える宇宙の姿に引きつけられていたが、ファブリスの視線に気がつくと、にっこりと笑った。
ケネスもファブリスたちの方を見ていた。
「準備はいいか、おふたりさん」
「うん」二人はうなずいた。
「それじゃあ船長、出発の合図を出してくれ」ケネスはファブリスに向かって言った。
「船長って、まさか、僕が?」ファブリスは驚いた。
「当たり前だろ。お前の艦なんだから。あ、もしかしてメルルの方が良かったか?」
「もちろんお兄ちゃんだよ」メルルは即答した。
「では決まりだな」
ファブリスはケネスの突然の申し出に戸惑った。てっきりケネスがずっと仕切ってくれるのかと思っていた。
メルルとケネスを見た。メルルは笑顔を浮かべ、ケネスは力強くうなずいた。
ファブリスは、どうやら本当に自分がやらないといけないようだと、その置かれている立場を理解した。
窓からは、果てしない星の世界が視界に入ってくる。
(父さんも母さんもここにはいない。でも、メルルとケネスさんがここにいてくれる。ここまで来られたのはすべてダンカンさんや町のみんなや、そして父さんのおかげだ。だけど今度は自分の力で、自分たちの力で、あの宇宙の向こうに行くんだ)
ファブリスは意を決した。
「ディダに行って父さんに関する手掛かりを得ること、たくさんの星を見て周ること、そして何より、町のみんなに恩返しするために、一人前になってお金を増やして戻ってくること。学ばないといけないことはいっぱいだけど、三人で力を合わせて成し遂げよう。ではファルメル号、まず最初の星、アルミナに向かって発進!」
ファルメルの動力に光が灯った。そしてゆっくりと前進を開始した。小さな艦は、無限に広がる星の海の中に飛び込んでいった。