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翌日、いつもより早くファブリスは工場に向かった。ダンカンがいつも早く工場に来ていることは知っていた。工場につくと、着替えのために行くいつもの事務室ではなく、社長室に向かった。
「おはよう。ファブリス」
デスクの所に座っていたダンカンは、固い表情を浮かべていた。ファブリスが来るのを予期していたようで、突然の訪問にも驚く様子はなかった。
「おはようございます。昨日、あの後メルルと話したようですね」
「ああ、そのことか。それだがな……」
そこまで言うとダンカンは、突然表情を崩した。
「いやあ、メルルちゃんには驚かされたよ。賢い子だとは思っていたけど、あんなにちゃんとした子になっていたなんて。一人でウジウジ悩んでいるどこかの誰かさんとは大違いだよ」ダンカンは大きな声で笑い出した。
「一人でウジウジ悩んでいるどこからの誰かさん」という言葉は胸に刺さったが、あまりそこには固執せず、ダンカンから昨日の様子を聞いた。
昨日の午後、ダンカンの所を直接訪問したメルルは、宇宙に行くための方法、お金の工面のことなど事細かに聞いて言ったということである。そして最後にメルルは、「お兄ちゃんはきっといろいろなことを悩んだ上で、宇宙に行くことを諦めると思うから、そうならないように考えておこうと思うんです」と言ったとのことである。
「いやあ、本当にしっかり者だよ。メルルちゃんは」
また笑いだすダンカンを尻目に、ファブリスは、成長したな我が妹よ……、と思いながら涙が出てきそうだった。
「それで肝心な話だが」
ダンカンは真剣な表情に戻った。
「行くのか」
「行きたいと思います」
答えは昨日の夜のうちに出ていた。ファブリスに躊躇いはなかった。
「そうか、寂しくなるな」ダンカンはつぶやくように言った。
ファブリスはその言葉を聞いて、はっとなった。自分の都合だけのみ思考を巡らせ、今までお世話になった人たちのことを考えていなかったことに気づき、不徳を恥じた。
「それと家のことは心配するな。いつでも帰ってこられるように、きれいにしておいてやるから」
「何から何まですみません」
どこまでも親切なダンカンに、ファブリスは深く頭を下げた。
それからは事が急ピッチで進んだ。父の残した輸送艦は長く使われてこなかったが、こまめに整備されていたこともあって、航行には問題ないということだった。
工場の倉庫に置かれている小型艦。ファブリスは今までも整備のために何回かその艦に乗ったことがあったが、改めて乗ってみた。
艦の中は、操縦席とラウンジ、二つに区切られた寝室、貨物スペースの四つに分かれている。通常の小型輸送艦に比べて、ラウンジには一通り生活のための設備が整っており、また、寝室も広くて簡易ベッドが四つついているなど装備も充実しており、航行中でも乗組員が快適に過ごせるような構造になっていた。
艦の中を一通り見た後、今度は外から見てみた。
銀色に輝くその機体は、通常の小型輸送艦と同じくらいの大きさで、長さが十三メートル、幅が六メートル、高さが八メートルあった。見た目では他の艦と大きな違いはないが、搭載されている動力は同型の艦に比べるとかなり高機能なもので、スピードは出るが、それでいてエネルギー消費は低く抑えられるというものだった。機体も機器も多少古くはなっているが、今でもまだ機能的に優れた艦であった。
「本当にいい艦だな」
声をかけてきたのはケネスだった。
「通常の量産型とは違って、オーダーメイドだ。作るにはかなりの手間と金がかかったと思うぜ」
ファブリスはうなずいた。多くの輸送艦を整備してきた経験から、他の艦とは違うことは分かっていた。
ファブリスは艦の周りを一周した。そして側面に差し掛かった時、それの存在に気がついた。艦の右側前方に金属板が張られ、そこには黒い字で艦の名前が刻まれていた。
― ファルメル号 ―
今まで整備の時に見たときは、特に意識することもなく気がつかなかった。今、始めて分かった。その名前は、ファブリスとメルルの名前から付けられたということに。
「ギルさんは昔、奥さんと幼い子供たちを連れて、この艦でテルビナにやってきたんだ。その後、使うことはなかったが、いつでも宇宙へ行けるようにと整備は欠かさなかった。きっとまた、家族で宇宙に行きたかったんじゃないかな」ケネスは言った。
ファブリスは名前が刻まれた金属板に触れた。そこから父の思いが伝わってくるように感じ、自然に涙があふれてきた。
ファブリスは宇宙へ行くという決心は固まったが、心配事はまだまだあった。まずは資金面のことだった。それについてダンカンが提案したのは、町中の人から出資を募るというものだった。もともとそういった仕組みは市場にあるらしく、新しく事業を始めるために資金を必要とする人に複数の人が出資し、事業がうまくいって利益が出れば、その利益の一部を出資者に還元するというものだった。
ダンカンの提案に異論があるわけもなく、次にどのような条件で出資を募るかということになった。ファブリスたちは宇宙港の近くにある市場にも何回か足を運び、ダンカンや市場の係員と話しあった結果、次のような条件となった。
・出資単位 一口五万リール
・償還期間 無期限
・配当金 半年に一度、税引き後の利益の五%を配当金として出資者に支払う。
・解散時には、報酬分を差し引いた残りの財産を出資者で配分する。
ファブリスにはこの条件が適正かどうかは判断できなかった。市場の係員は、何の事業の経験もない若者に対してこの条件で出資する人など考えられないと反対した。しかし、ダンカンがだいじょうぶだからと主張して押し切る形となり、結局この条件で出資を募ることとなった。
出資の条件が確定すると、それが市場に掲示された。掲示されてから実際の出資が開始されるまでは数日かかる。ファブリスはどれだけの人が自分に出資してくれるか、どれだけの金額が集まるか気が気でなかった。ダンカンは楽観的に考えているようだが、実際に自分に出資してくれる人がそんなにいるとは思えなかった。
出資が開始される日、ファブリスとメルルは朝から市場にある投資所に行った。そして、そこで予想していなかった光景をみた。
投資所はまだ営業時間前で窓口が閉まっていたが、その外には長い行列ができていた。行列に並んでいるのはファブリスの知っている人たちが多く、彼らはファブリスたちを見ると、笑って手を振った。中にはファブリスの知らない、おそらくどこかの工場か採掘関係と思われる人も列の中にいた。
やがて、投資所の窓口が開かれ、出資が始まると列が動き出した。出資者たちはお金を払い、それと引き換えに出資証を受け取る。ファブリスとメルルは、自分たちに出資してくれる人たちに一人一人頭を下げた。そんな二人に対して、みんな「がんばれよ」、「なるべく損させるなよ」とそれぞれの言葉でエールを送った。
最終的には百七十口、八百五十万リールが集まった。宇宙に出るには十分すぎるだけのお金であった。テルビナは決して豊かな星ではなく、暮らしている人にも余裕があるわけではない。それにも関わらず、自分たちに出資してくれる人たちにファブリスは深く感謝した。
課題はもう一つあった。艦を操縦するパイロットをどうするかということである。ファブリスは整備の仕事の関係上、ひととおりの操縦方法は知っていたが、実際に操縦したことはなかった。テルビナ周辺のみならともかく、操縦経験もないのにディダまで行くとなると、無謀とも思えた。しかし、この課題は意外な形で決着がついた。
ファブリスとメルルが、相談のためにダンカンを訪ねていたときのことである。
「ケネスさんも来てくれるんですか!」
ファブリスとメルルが同時に声を上げた。ケネスとダンカンはそんな二人の様子に笑みを浮かべながらうなずいた。
「お前らだけにこんないい艦、もったいなくて任せられるか」ケネスは笑いながら言った。
「でも、お仕事とか大丈夫なんですか?」メルルは聞いた。
「それも大丈夫だ。お前らにこの艦のことを伝える前にダンカンさんと話をしたんだ。そして、もしお前らが宇宙に行くことを決意したら、俺もついていくという話になった。とりあえずディダに向かうんだったな。お前らが一人前になるまでは面倒みてやるよ」
「ありがとうございます」
ファブリスとメルルは、もう何度目かも分からない感謝の気持ちを伝えた。
ケネスは整備士としての腕はもちろん、パイロットとしての経験も十分積んでいた。しばしば宇宙にも出ているので、いろいろな知識もあった。同行してくれるならこんなに頼もしいことはなかった。
これで宇宙に行くための必要な条件は整った。あまりにすべて順調にいくのが怖いくらいだった。ある時、ファブリスはずっと思っていたことをダンカンに聞いた。
「どうしてみんな僕たちにこんなに親切にしてくれるんですか?」
「こんな小さな町だし、みんな家族のようなもんじゃねえか。それに、お前の親父のギルさんには恩があってな」
「恩ですか?」
「ああ、あの人はすごい物知りでな。ギルさんたちがこの星に来て間もない頃だったが、ぶらりと工場に来たんだ。そして、工場の中をぐるりと一回りすると、機械の配置の仕方、必要な機械の種類、部品の購入と在庫の管理の方法なんかをアドバイスしてくれたんだ。初めは半信半疑だったが、言われたとおりにしてみると、確かに仕事の効率や利益がみるみる上がってな。いわゆる生産管理っていうらしい。だからあの人には感謝しているんだ」
「そんなことがあったんですか」
ファブリスは初めて聞く父の話に驚いた。
「俺の所だけじゃないぜ。資源の採掘でも農業生産でも畜産でも、あの人本当にいろいろ知識をもっていてな。
ぶらりと採掘場に来たと思ったら、何か考え始めて、いろいろ周りに聞いて回るらしい。それでさらに考えたり調べたりして、初めはみんな変人かと思っていたが、その後、ギルさんがいろいろアドバイスしてくれてな。何でも過去の資源の採掘場所を統計分析で解析して、良質な資源が眠っている可能性が高い場所を計算するらしい。ギルさんの言っていることがもっともらしくて、実際に言われたところを掘ってみたところ、本当に資源がたくさん出てきて、みんな大喜びよ。
農場では、化学肥料の配合割合を変えるように言われて、その通りにしてみたら、作物が元気に育ったってよ。何でも土壌や気候、日照条件によって最適な配合割合が変わってくるってことらしい。そんなこんなでギルさんにお世話になった人がこの星にはたくさんいるんだ。ギルさんはそれを恩に着せるわけでもなく、お金をもらうわけでもない。本当に神様のような人だったよ」
初めて聞く父の意外な姿だった。ファブリスは今までみんなが親切にしてくれたわけを理解した。
「俺も詳しくは聞いていないんだが、あの人、実はすごい学者さんだったって噂だぜ。何でもあのアカデミーの教授をしていたって。ギルさんはその辺のことあまり話したがらないが、ギル=ノマークと言えば、その筋じゃ有名な学者さんだったらしい。すごいよな。アカデミーの教授なんてそうそうなれるもんじゃない」
アカデミーとは王立科学アカデミーのことである。科学技術を一元的に管理・研究をするため、研究機関を集約するため設置された機関である。アカデミー以外にもいくつか研究機関はあるが、その中でも王立科学アカデミーは抜きん出た存在であった。
たまに人が父を訪ねてくるとき、父のことを「先生」と呼ぶことがあった。その理由もようやく理解した。そして自分が父親のことを何も知らなかったことも。
「確かディダにもアカデミーの支部があったはずだ。向こうに行ったらアカデミーにも寄ってみたらどうだ。ギルさんのことを何かつかめるかもしれないぞ」
「分かりました。ぜひそうします」