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翌日の朝、ファブリスはメルルを連れて工場に行った。その日の早朝、メルルと一緒に来てほしいというダンカンからの連絡があった。
メルルが工場に入ると整備士たちから歓声が上がった。メルルは今までもたびたび工場を訪れていて、何度か差し入れを持ってきたこともあった。整備士たちから可愛がられ、工場に行くたびに歓迎されていた。その日も整備士たちに対して笑顔を振りまいていたが、表情は少しぎこちなかった。
二人は昨日の会議室に向かった。そこではダンカンとケネスが座って待っていた。
ダンカンはメルルを見ると顔が緩んだ。ファブリスのことと同様、メルルのことも自分の娘のように可愛がっていた。
ファブリスとメルルが席に座ると、ケネスが話を始めた。
「昨日伝えたとおり、俺はディダでギルさんを見かけた。百%間違いないかと言われるとそこまでは自信がないが、まず間違いないと思う。だがそれは今から一週間前のことであり、今もまだディダにいるかは分からない。正直もういないと思う。見かけたのはギルさんがワープステーションに入って行くところだった。たぶんそのまま別の宙域に飛んだんじゃないかと思う」
続いてダンカンが口を開いた。
「二人を呼んだのは、ギルさんのことを伝えるためだったが、それだけじゃない。もう一つこの際だから話しておきたいことがあったんだ。実は、ギルさんからずっと預かっているものがあってな。そのことを二人に伝えたかった」
「それは何ですか?」ファブリスは聞いた。
「お前もよく知っているだろうが、倉庫にある小型の輸送艦、あれだよ」
「あの艦は父さんから預かったものなんですか」
それは何年も倉庫にあるという銀色の艦だった。
ファブリスは倉庫に入ったときにその艦を何回も見たことがあるし、たまに整備することもあった。以前から、使われることもなくずっと倉庫に眠っていることが気になっていた。ダンカンに聞いたこともあったが、いつも笑って「あれはいいんだ」と言われた。
「あの艦は、ギルさんがこの星に来た時から預かっている。そして、五年前、ギルさんがいなくなる少し前に、言付かっていたことがある。それは、『子供たちが成長して十分に物事の判断がつくようになったら、この艦のことを話してほしい。彼らに宇宙に出る気がないのならそのまま処分してもらって構わない。だがもし、子供たちが宇宙を目指すのなら渡してやってほしい』ということだった。正直その時は、ギルさんが何を言いたいのかは分らなかったが、その少し後にギルさんがいなくなったことで、ようやくその言葉の意味が分かった。そして、そのことを話す時は今だと思った。ファブリス、宇宙に行きたいか?」
ファブリスは突然の話をすぐに整理することができず当惑した。メルルも同じような表情を浮かべていた。
そんな二人の様子を見て、ダンカンは言った。
「急な話だから戸惑うのはよく分かる。別に今すぐ決めないといけないという話じゃない。輸送艦がなくなるわけでもないし、ゆっくりと考えてくれればそれでいい」
話がそれで終わった。
メルルは一人で家に帰り、ファブリスはいつも通り、整備の仕事についた。その日は、昨日とは打って変わってやることが少なく、手持無沙汰の状態が続いた。その分、考える時間はたくさんあった。
ファブリスは、宇宙に行くことを突然現実として突きつけられて戸惑っていた。
今まで宇宙に出たいと思ったことがないかと聞かれるとそんなことはない。ファブリスに限らずこの星の子供にとって宇宙は夢の舞台だった。
誰もが、宇宙を巡る冒険者の話を聞けば、見たこともない星を思い描き、わずかな手勢で海賊を倒した提督の話を聞けば、その勇敢さにあこがれ、様々な困難を乗り越え成功した大商人の話を聞けば、その豊かな生活を夢見た。しかし、実際に宇宙に出る仕事をできるのはわずかであり、この星で生まれた子供は、その多くがいずれは、資源の採掘やせいぜい宇宙船の整備関係の仕事につく、それが現実だった。
そしてファブリスは父のことを思い出していた。父はたまにどこかに出かけていくこともあったが、家にいることが多かった。書斎に引きこもりいつも何かの研究に没頭していた。ファブリスが書斎に父を呼びに行くと、いつも厳しい顔で何かを考えていた。その表情は遥か遠い何かに思いをはせているようで、父がどこか遠くに行ってしまったようなそんな印象を受けた。だが、ファブリスの顔を見ると、いつもの優しい表情の父に戻った。今から思うと、そんな生活をしていた父がどうやって家計を支えていたのかが分からなかった。それなりの蓄えがあって、それを切り崩してきたようにも思えるが。
夜になると父は、たまにファブリスとメルルを裏の荒れ地に連れて行って、星の話をした。空に光る星を指差して、宇宙の始まりのこと、終わりのこと、星座のこと、星の開拓に生涯を捧げた人たちのこと、そんなことを教えてくれた。
父は何でも知っていた。幼かった頃の二人は、父の話をいつも目を輝かして聞いていた。学校や本で宇宙のことを学ぶことも多かったが、父の話は常に、どんな授業よりも詳しく、どんな本よりも面白かった。
ジリリリリ……
終業のベルが鳴った。ファブリスは意識を現実に戻された。結局その日の作業はほとんど午前中で終わったため、整備士の多くはそのまま家に帰ってしまっていた。終業の時間には、工場には整備士が三人しか残っていなかった。ファブリスは帰宅の準備を始めた。ダンカンはその日、工場にはほとんど姿を見せなかった。ケネスは工場に残っていたが、あいさつしただけで、それ以上会話を交わすこともなかった。
ファブリスは、まだ陽の光が差し込む通りを歩いて帰った。空を見上げても星はうっすらと白く見えるだけだった。
ファブリスは決心がつかなかった。
子供の頃からいつか宇宙に行きたいという思いはあった。その気持ちは今でも変わっていない。しかし、現実の生活のことを考えると、それが子供の頃に思い描いていたほど簡単なことではないということも分かっていた。
輸送艦を所有するとなると、燃料代や整備費、宇宙港の使用料など、その維持費はばかにならない。整備工場の仕事にも慣れてきてこれからというときだ。
それに、一番気になるのはメルルのことだった。父がいなくなったときにはずっと泣いていたメルルも、二年前に母が死んだ時には泣かなかった。兄の重荷になっちゃだめだと考えたらしく気丈に振舞っていた。それでも夜中に一人になると、メルルがベッドで泣いていたことをファブリスは知っていた。そんなメルルを一人にするなんてことは考えられなかった。
ファブリスの結論は決まった。ダンカンさんもケネスさんも近所の人たちもみんないい人だ。整備士の仕事もだんだん面白くなってきた。別にあせらなくても、いずれ星間航行に連れて行ってもらえる機会もあるだろう。今、あせることない。
父さんのことは気になるけど、ディダに行っても会えるという可能性はあまりないみたいだし、もしかしたら、この家に帰ってくるかもしれない。そんなときに自分が家にいないとすれ違いになってしまう。
ファブリスの表情から憂いが消えた。メルルもきっと喜ぶだろう。
ファブリスは家に辿り着いた。そしていつものようにドアを開けた。
「ただいま」
「お帰り」
返ってきた返事はいつものメルルの声だった。
玄関から中に入ると、家の中が散らかっていることに気がついた。メルルはきれい好きで、帰ってきたときにものが散らかっていることなど今までなかった。
「どうしたんだ。まさか泥棒でも入ったのか?」
「そんなんじゃないよ。いろいろ荷物の整理をしていたんだよ」
リビングに座り、クローゼットの服を整理していたメルルは手を止めて答えた。
「荷物って、まさか」
「まさかもなにも、お兄ちゃん、宇宙に行きたいんでしょ? だからそのための準備だよ。でも宇宙に行くのに何が必要なのかよく分からなくて。虫よけとか夏服とかもいるのかな」
メルルは服の一つを手にとって首をかしげた。ファブリスは唖然とした。
「そんな勝手に決めるな。僕は宇宙に行くなんて言っていないし、むしろやめようと考えていたのに」
メルルの表情が固くなった。
「何でやめちゃうの?」
「だってほら、宇宙に行くとなるとお金がかかるだろう。うちにそんな余裕ないし、それにディダに行っても父さんに会える可能性だってほとんどないようだし。そもそも宇宙に行きたいなんて今さら。確かに子供の頃はそう思っていたけど、今はもうそんなに行きたいなんて思ってないよ」
「嘘」
「嘘なんかじゃないさ。仕事もそろそろ面白くなってきたところだし、今はそっちの方が楽しいというか、とにかく行かないことに決めたんだ」
「嘘」
「だから嘘じゃないって」
「ううん。お兄ちゃん、自分の気持ちに嘘ついている。嘘つくときの顔している。本当にやりたいことをやるとき、お兄ちゃんいつももっといい表情している。それに私知っているよ。お兄ちゃんいつも星を眺めている。その時のお兄ちゃんの表情って生き生きしているんだよ。本当は宇宙に行きたいんでしょう?」
ファブリスは言葉につまった。まさかメルルが反対してくるなんて思っていなかった。いつも兄の言うことを素直に聞く妹だったのだが。成長したな我が妹よ……、なんて思っているときではない。
「メルル、だけどな……」
ファブリスは一瞬躊躇した。しかし、意を決して言った。
「お前一人になって大丈夫なのか? 僕がいなくても平気なのか?」
その言葉を聞いたメルルは笑顔を浮かべた。
「大丈夫。一人になんてならないから。だって私も行くし」
「えっ?」
「私も宇宙に行くよ。父さんが残してくれた艦なんだから、半分は私のものでしょ?」
「確かにそれはそうだが……」
ファブリスは混乱した。まさかこういう展開になることは予想していなかった。
「だけど宇宙には危険がいっぱいあるんだぞ」
「うん。知ってるよ。今日の朝にダンカンさんたちと話したあと、実はもう一度工場にお邪魔したんだ。その時にいろいろと話を聞いてきたんだよ。艦のこと、宇宙のこと、いろいろなことをたくさん話してくれた。そしたら私も行きたくなっちゃった」
ファブリスは戸惑いながらも、それなら行けるかもしれないと考えていた。それならメルルを一人にすることもない。だけど実際にはまだまだ課題がある。
「宇宙に行くにはお金もかかるし、輸送艦を持つとなると維持費もかかるんだぞ。それを分かっているのか」
「うん。その辺のこともダンカンさんに聞いてきた。何とかなりそうだよ」
「何とかって、どうやって?」
「私も実際のやり方は分からないけど、出資っていうのを募るんだって。それで集めたお金で物を買ったり売ったりしてお金を稼いで、燃料や整備にかかるお金を調達することができるって言っていたよ」
出資。そんな方法があることを考えたことはなかった。もし、本当にお金が調達できるのならば、宇宙に行くことができるのかもしれない。だが、本当にそれで大丈夫なのだろうか。ファブリスにはかすかに希望が見えてきたが、それ以上に疑問がわき起こった。
「よく分からない。明日、ダンカンさんに聞いてくる」ファブリスは答えた。
その日の夕食は珍しく静かだった。ファブリスは現実味を帯びてきた夢の実現に対して、心の奥底から浮かび上がってくる興奮を抑えることができなかった。しかし、一方ではそんなにうまくいくのだろうかという現実的な思いもあり、葛藤していた。そんな様子を気遣ってか、メルルもその日はあまり話しかけてくることはなかった。