6-4
三十分ほど走っただろうか。車は停止した。まず、前列の二人が外に出た。後列の二人は相変わらず座ったままだ。それからだいぶ時間が経った後、ファブリスの横のドアが開いた。
「出ろ」
ファブリス、続いてメルルが外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
だいぶ郊外にきたようだ。周りには高いビルなどは見えず、目の前には六階建てのビルが立っていた。木々と高い塀に取り囲まれており、二人はすでにビルのある敷地内に入っていた。塀が高くて、敷地の外に何があるのか確認することもできなかった。
「来い」
二人に出される指示は最小限の言葉でなされた。ファブリスはメルルの手を握った。二人は前後を黒スーツに挟まれ、ビルの入り口から中に入った。
建物の中は機能的な作りとなっていた。まず、受付のカウンターが目に入り、廊下にはドアが並んでいた。観葉植物やポスターの類は一切なかった。建物の中には多少の人の往来があったが、みな関係者らしく、黒スーツの男たちとそれに挟まれた少年少女という異様な構図を見ても、だれも気には留めなかった。
カウンターの向かいにあるエレベーターに乗せられた。そこでも前後を黒スーツに挟まれた。エレベーターが辿り着いたのは六階だった。エレベーターを下りると、そこは長い廊下で、廊下の左右にはドアがいくつも並び、廊下の突き当たりには窓が見えた。
黒スーツに挟まれた状態は相変わらずで、ファブリスとメルルは廊下を歩かせられた。あるドアの前まで来ると、前にいた黒スーツが歩みを止めた。
「ここだ」
黒スーツはドアを開けた。そしてファブリスに入れと指示を出す。ファブリスは黙って指示に従った。
続いて、メルルも入ろうとしたが男に押し返された。
「お前はここじゃない」
「メルルを何処へ連れて行く気だ」
ファブリスは入りかけていた部屋から出ようとしたが、黒スーツによって強く部屋の中に押し戻された。
「お兄ちゃん!」
メルルの声が廊下から響く。しかし、ドアは強引に閉められた。声も聞こえなくなった。ドアが閉じると、鍵がかかる音がした。ファブリスはドアを開けようとしたが全く動かない。
「おとなしくしたまえ」
後ろから声が聞こえた。ファブリスが振りかえると、デスクの向こうに五十歳くらいの男が座っていた。その前にはパソコンが置かれている。
「もし無事に妹と再会したければ、我々の言うことをおとなしく聞くことが最善の手立てだと心得よ」
ファブリスは黙って男を睨みつけた。男は、部屋の真ん中にある椅子を手で示し、座れと合図した。しかし、ファブリスはそれに従わなかった。
「僕たちをどうするつもりだ」
その声を聞いた男は、軽く笑みを浮かべた。
「安心したまえ。我々は保安局のものだ。ある人物を探しているだけで、決して怪しいものではない」
「脅して無理やり連行してきて、怪しくないもないだろう」
ファブリスの言葉に対して、男は表情を変えなかった。
「君にいくつか質問がある。正直に答えてくれれば妹さんとも再会できるし、いずれ家にも帰れる。素直に従ってくれることを希望する。君たちのためにね」
ファブリスには素直に従う気などなく、ただメルルのことだけが気がかりだった。
「まず君の名前は?」
ファブリスの事情などお構いなしに、もう質問は始まっているらしい。しかし、ファブリスは何も答えなかった。
「よろしい。ファブリス=ノマークくんだね。一応調べはついている」
だったら聞くな、とファブリスは心の中で毒づいた。
「次の質問だ。君はどこの星から来たのかね」
またしてもファブリスは答えなかった。男はしばらくの沈黙の後、椅子から立ち上がってファブリスの横まで来た。
「君は自分の置かれている状況をよく理解していないようだね。どうせ君は我々に協力することになる。できれば迅速にかつ穏便にすませたいんだよ。協力してくれないかな」
ファブリスはまたしても何も答えなかった。たとえ拷問されてもこんなやつらに何も答える気などなかった。
「頑として言うことを聞かず、か。その態度は立派だと思うよ。でも、君はよくても君の妹はどうかね」
ファブリスは相手を睨みつけた。男はその視線を平然と受けとめた。
「かわいい子じゃないか。何もなければ幸せな人生が待っているだろう。そんな彼女を……」
男は笑みを浮かべた。それは醜悪な笑みだった。ファブリスの耳元で囁いた。
「犯し、何度も犯し、犯し、薬漬けにして、目をつぶし鼻と耳を切り落として、死ぬ方がよっぽどましという目にあわすこともできるのだよ」
ファブリスは吐き気が込み上げてきた。初めて人を殺したいと思った。目は血走り、こぶしを強く握りしめた。
ファブリスが立ち上がろうとしたとき、男から肩を押さえられた。強い力だった。そして男はファブリスの耳元で囁いた。
「まず、君の置かれている状況を整理してみよう。君はここから出られない。妹を助けることもできない。君が抵抗すると、妹の方に危害が及ぶ。それが君の今置かれている状況だ。そして、我々は君に対して、おとなしく言うことを聞けば君にも妹にも手荒なまねはしない。聞かなければそれ相応のことをする。そう言っている。この状況下で君の取るべき選択肢は一つではないかね」
ファブリスの握りしめた手が震え、さらに力が入る。爪が手のひらに深く突き刺さる。だが、やがてそのこぶしは力を失った。
「分かった」ファブリスは消え去りそうな声で言った。こいつらに逆らっても駄目だということを理解した。
「言うことを聞く」
「よろしい。妹思いだね。感心だよ。妹さんも君と同じように兄思いだったら、君も無事にここを出られるのだけどね」
男はゆっくりとデスクに戻り、また椅子に座った。
「それでは改めて質問だ。名前は?」
「……ファブリス=ノマーク」
「家族は?」
「妹だけで両親はいない」
「どこから来た?」
「テルビナ」
「父親の名は?」
「……ギル=ノマーク」
「妹以外の艦の同行者は?」
その質問に対してファブリスは答えを躊躇した。自分たちに関係のないケネスとニナを巻き込むことにならないかが心配になった。そんな様子をみて、男は言った。
「妹思いの上に仲間思いか。感心だな。だがひとつ君にいいものを見せてあげよう」
男はデスクの引き出しから銃を取り出した。それはファブリスがケネスから渡された銃だった。
「これは君の銃だと思うが、面白いものを見つけてね」
男は銃を分解し、シリンダーの中から、指の先ほどの大きさの薄い金属の物体を取り出した。それは小さな光を放っていた。
「これが何だか分かるかね。発信器だよ。分解しないと分からない所にしかけてあったのだけど、君は知っていたのかね」
ファブリスは首を横に振った。心当たりなどあるわけがなかった。そしてその銃を渡したのがケネスであることを思い出した。まさかケネスがそんなものを仕掛けたのか……。
男はファブリスの表情を見て、満足げに笑った。
「君のお父さんの存在は、君が考えている以上に重要なのだよ。正確には君のお父さんの研究がだ。だから君の存在も重要になってくる。怖いとは思わないか。宙域一つがまるまる消失してしまうような技術。それをどこぞの海賊やテロリストが手に入れたとしたら。いろいろな勢力がそれを狙っている。この前この宙域に現れた二つの海賊の艦隊も、それに関連したものだろう。君が仲間だと思っている者も、そうした勢力の手先かもしれない。だれも信用なんかできないんだよ。君たちも保護されたのが我々でよかった。他の連中ならきっと手荒なことになっていたから。それともうひとつ……」
男は先程の醜悪な笑みを浮かべた。
「君と同じ質問を君の妹にもしている。もし、二人の答えが食い違うようだと大変なことになる。それが君に対してか、君の妹に対してなされるのかはわからないが」
先程から男はたびたびパソコンの画面を見ていた。それでメルルの尋問の状況を把握しているのだろう。ファブリスは覚悟を決めた。
「……同乗者はケネスとニナ」
「よろしい。君も分かってきたようだね」
その後、数々の質問が行われた。ほとんどは父親に関するものだった。しかし、ファブリスは父の居場所については知らないということを正直に話したが、それに対して男はあまり意外な顔もせず、それ以上そのことを追及することもなかった。
やがてすべての質問が終わった。部屋のドアが開き、黒スーツが現れ、ファブリスを別の部屋に誘導した。ファブリスにはもう逆らう気力もなかった。廊下を少し歩き、連れてこられたのは同じ六階にある部屋だった。部屋には壁際にツインのベッドが置かれていた。一見するとホテルの部屋のようだが、冷蔵庫やモニターなどはなく、窓もなく、あるのは監視カメラだった。
黒スーツはファブリスを部屋に誘導すると、外からドアを閉じた。ドアはスチール製で、外から鍵がかかっているようで、ドアノブを回しても開くことはなかった。
ファブリスはベッドに倒れ込んだ。身体と精神は眠りを欲していたが、メルルがひどい目にあっているのではないかということを考えると、様々な心配が頭をぐるぐると回り、とても眠れる状況ではなかった。
取り調べのことを思い出してみた。保安局は事前に調査をしていたようで、尋問によって奴らが目新しい情報を得たとも思えない。それでもわざわざファブリスたちを捕まえた理由が分からなかった。男が取り調べ中に発した言葉……。ファブリスは考えを巡らした。やがて、一つの結論に達した。それはファブリスたちを人質にして、父をおびき寄せるというものだった。
そう思いつくと、居て立ってもいられなかった。すぐにでもここから逃げ出したかった。しかし、実際にはここから出ることもできず、それにメルルが無事かどうかもわからず、強い苛立ちを感じた。しかし、一方では自分たちが人質である以上、メルルに対してもそう手荒なことはしないのではという思いもあった。
ファブリスがこの部屋に連れ込まれてから十分ほど経った頃だった。部屋のドアが突然開いた。そして黒スーツに連れられたメルルが姿を現した。表情を凍らせたままファブリスを黙って見た。
メルルが中に入ると、ドアは外から閉められた。すると、メルルはファブリスに近寄り、しがみついて声をあげて泣きだした。それは、今までずっと堪えていたものを一気に吐き出すかのようだった。
「お兄ちゃんごめんね。全部しゃべっちゃった。お父さんのこともケネスさんのこともニナのことも」
ファブリスは泣きじゃくるメルルを強く抱きしめた。メルルを泣かせた保安局の人間が許せなかった。しかし、それでも冷静に、ファブリスはメルルの耳元でそっと囁いた。
「メルル、そのままで聞いて。この部屋にはカメラとたぶん盗聴器もある。だからそのままの様子で今から言うことを聞いてほしい」
メルルは小さくうなずいた。泣き声は止まらなかった。ファブリスはメルルの頭をそっと撫でた。
「この部屋から脱出する。ダーニアで手に入れた腕時計にレーザーが仕込まれているから、それを使う。無事に出られる保証なんてないけど、ケネスさんやニナに危険を知らせないといけない。それに僕たちが父さんの足かせになってはいけないと思うんだ」
メルルは黙ってうなずいた。




