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第五章 緑の星
カディスから、次の星ダーニアまでは二十五時間の行程だった。
出発前に一度ファルメルはカディスに戻った。ニナは戻ったら防衛軍に拘束されるかも知れないので、宇宙空間で待機することとし、ニナもそれに従った。
ファブリスたちはカディスのゲートをくぐり、宇宙港に着陸すると、ホテルに置いてあった自分たちの荷物を回収し、さらにニナの部屋に行き、教えられた暗証番号でカギを開け、必要な荷物の回収を行った。ニナの部屋はワンルームで、きれいに整理されていたが、若い女性のものとは思えないほど簡素で物が少なかった。服なども袋に入れてケネス一人で持ち出せるほどしかなかった。
市場で商品も買って行きたかったが、検討して購入する時間がなく、それにほとんどの商品が値上がりしたままで、購入するにはあまりタイミングがよくないと判断し、結局カディスでは何も買わなかった。
ファルメルはまたゲートをくぐり宇宙空間に出た。もしかしたらニナがいなくなっているのでは、という懸念もあったが、ニナを乗せた戦闘艇は静止した状態のまま、同じ場所にいた。
ダーニアへの航行の前に、ファルメルは戦闘艇とドッキングした。戦闘艇はシートも狭く、荷物もほとんど積めないため、長距離航行には不向きである。
輸送艦は警備のため、戦闘艇を伴うこともあるので、それを想定した設備がついていた。ファルメルの上部に戦闘艇がくっつく形でドッキングし、あとはお互いのハッチを開けることで行き来することが可能となった。
ドッキングが終了すると、ファルメルの屋根のハッチが開き、梯子を伝ってニナが降りてきた。照明を受けて輝きを増すきれいな金髪。その表情には幾分緊張感した様子が伺えた。パイロットスーツに身を包んでいて、スリムな体形が強調されていた。
ニナは表情を変えずに、ファブリスたちを見渡した。
「世話になる。よろしく頼む」
ニナの挨拶は短かった。
「こちらこそよろしく!」ファブリスたちは笑顔でそう言った。
ニナは輸送艦の内部を見渡すと、その居住設備に驚いていた。通常の輸送艦には、居住スペースは区切られておらず、設備も最小限しかないのだが、ファルメルは三つに区切られていて、共有スペースであるラウンジと、二段ベッド付の二つの寝室に分かれていた。寝室の一つをファブリスとケネスが、もう一つをメルルが使っていた。
「ニナさん。一緒の部屋だよ」
メルルはルームメイトができたことを喜んでいた。
ニナはホテルのような設備に少し呆れていた。ニナ自身、狭い戦闘艇の後部座席でほぼ半年を過ごしたことがあるので、粗末な設備でも平気であった。
「とりあえず着替えてきなよ。その格好疲れるでしょう」
パイロットスーツの姿のニナに対してメルルが言った。ニナはそれに従い寝室に行った。そして着替えて出てきたが、その姿は軍の制服だった。
「おいおい、その格好はないんじゃないか」ケネスが言った。メルルとファブリスも口にはしなかったが同意見だった。
「そうか。私はこの恰好が一番落ち着くのだが」ニナは真顔で返した。
「本人の好きな服が一番だよ」メルルが言ってその場を納めた。
「ところで私はこの艦で何をすればいい?」
「ぜひパイロットをお願いできたらと思っています。今は僕とケネスさんが交代でやっているんだけど、二人よりも三人の方がいいし、ニナさんなら僕なんかよりもはるかにうまいだろうし」
「了解した」
「ありがてえな。実は交代とはいいながら、ファブリスが操縦しているときはすげえ心配でよ。気になっておちおち寝てもいられねえ。おかげでずっと睡眠不足よ」
「えっ、そうだったの?」
ケネスの言葉にファブリスは驚いた。その様子がおかしくてケネスとメルルは笑った。
「戦闘艇とは多少勝手が異なるが問題はないだろう。そっちは任せてくれ。それと私のことはニナと呼んでくれ。その方がしっくりくる」
「分かった。では操縦は任せるよ。ニナ」とファブリスは言った。「ではそろそろ次の星、ダーニアに向かって発進しよう」
海賊たちが通ったあとを遡ることになるが、ダーニアまでの航路は平穏であった。カディスとダーニアは近くて、ワープゲートを通らずに行くことができる。
航行中のあるとき、ファブリスは寝室のドアを少し開けて、操縦席のニナの様子を覗き見た。惑星間航行は基本的に変化のない操縦であり、戦闘艇によるカディス周辺の警備に比べるとだいぶ退屈なのではないかと思ったが、ニナはモニターに意識を向けつつ、集中して操縦に取り組んでいるようだった。
「何、覗いているんだ」
後ろから声がした。そこには寝たと思っていたケネスが立っていた。
「美人だから気になるのは分かるが、覗き見はあまり趣味がいいとは言えないぞ」
「そんなんじゃないよ」
ファブリスはケネスの声がニナに聞こえたんじゃないかと思って、ニナの方をまたそっと見てみた。操縦席のニナの様子には変わった様子は見られなかった。
「ただ、ニナが退屈しているんじゃないかと思って」ファブリスは思っているところを述べた。
「ファブリス、その考えはさすがに失礼だぞ。簡単だろうが難しかろうがきっちりこなすのがプロのパイロットだ。俺の見た感じ、ニナは仕事に相当プライドを持っているから、簡単な仕事だからといって手を抜くなんてことはないと思う」
ケネスの言葉にファブリスは自分の思ったことを恥じた。
「それにそういうことなら直接本人に聞けばいいじゃないか」
「それはそうなんだけど、何か話しかけづらくて」
「まあ、確かにわからないでもないがな」
ニナは人を寄せ付けないような所があって、ラウンジで会っても話しかけづらい雰囲気がある。メルルとはだいぶ打ち解けているようだが、ファブリスはまだメルルがいない所で、ニナと会話らしい会話を交わしたことがなかった。
「ところで戦闘艇の操縦って難しいの?」ファブリスは聞いた。
「そうだな。例えて言うなら、戦闘艇がテルビナの走行レースで使われる高出力多変速の八輪大型バギーだとすると、輸送艦はそこいらの子供が乗っている三輪車、それくらい戦闘艇の操縦は難しいかな」
「なるほど」
例えがよく分からなかったが、とにかく難しいということは何となく伝わってきた。
そうこうしているうちにダーニアがだいぶ近づいてきた。事前に調べたところでは、緑の惑星と言われるくらい森林が多いとのことである。さらに湖も多く風光明媚で、ディダからの観光客も多いとのことである。
惑星が視界に入ってきた。確かにその異名のとおり、宇宙からも惑星全体が緑色に覆われているのが確認できた。
「このまま、宇宙港に着陸していいのだな」
操縦管を握っていたニナがファブリスに聞く。
「うん。腕前を見せてくれ」
「了解した」
ニナは減速しながら惑星に近づいた。モニターは惑星情報の画面に切り替えており、その情報を参照しつつ、大気圏に突入した。やがて雲を抜けると、そこには一面の緑の大地が広がっていた。
「すごい」窓から下を見たメルルが言った。
まず目を引いたのは、緑の中から一本、塔のように伸びている高い木だった。その木の先は雲に覆われて見えないほどであった。
それ以外にも森には何百メートルもある高い木々が伸び、独特の光景であった。さらに森に影を落としながら上空を何羽もの鳥がゆっくりと飛んでいた。その大きさはファルメルほどもあるのではないかと思われるほど巨大であった。
「この星はもともと人間が開拓して作った星だが、酸素濃度が濃くて植物や生物が巨大化し、さらに他の星とは違う進化を遂げた生物もいるとのことだ。木や鳥だけでなく巨大な昆虫もいる」ケネスが言った。
「巨大な昆虫……」
メルルが反応した。ファブリスはメルルが虫を苦手にしていることを思い出した。
ファルメルは降下を続けた。緑の中を縫うように街が見えてきた。ニナは宇宙港に向けて正確に艦を誘導し、無事着陸を果たした。
「お疲れ様」
ファブリスが声をかけた。ニナは少しほっとしたような顔つきだった。
「人を乗せての着陸は初めてだったので、少し緊張した」
そこは、低層の建物が連なる通りだった。木には事欠かないようで、建物の多くは木造であった。通りに並ぶ建物の多くは店舗であり、その店舗には商いの声が響き渡り、人通りも多く、賑わいをみせていた。
その老人は、そんな町の片隅にある街路樹、その陰に置かれている椅子に座っていた。白く長い髪と髭の老人だった。
行き交う人々のほとんどはそんな老人の存在を気にも留めなかった。だが中には、老人の存在に気がつき、穏やかな気温の中、座ったまま身動きをしない姿を見て、眠っているのか、あるいは……、と気にする人もいた。しかし、そういう人もよく見ると老人の薄い目が開かれ、たまにまばたきをするのを見て、何事もなかったかと思い通り過ぎていく。
やがて、老人の眼が大きく動いた。その視線の先には、宇宙から降りてきて宇宙港へと向かう小型の輸送艦があった。海賊とやらのせいでここ数日、艦の航行が目に見えて少なくなっていた。それはしばらくぶりに外からダーニアにやってきた艦であった。
老人は立ち上がり手を振った。
「おーい、こっちじゃ、こっちじゃ」
その声が艦に聞こえるわけもない。周りにいた人々のうち、老人を見知らぬ人は、老人の突然のこの行動に奇異の目を向け、老人を見知っている者は、いつものあれかと呆れ、憐れむような視線を送った。
老人は、そんな周りの視線にはお構いなしに、輸送艦が見えなくなるまで、声を上げ続けた。




