第3話 そして二人は言葉を交わしたとさ
連れてこられた彼女は、今の自分が置かれている状況のどれくらいを理解しているのだろうか。彼女が異世界に来て、いったいどれくらいたっているのかはわからない。だが、この世界に馴染むほど長くいないことは、彼女が周囲を見る目や、おびえたような態度から想像は難くない。
鍵を渡してもらった俺は、首輪の錠を解いてやった。はっとした表情で、俺を見る。買い物に行くときはいつも起動させている翻訳の魔道具のおかげか、彼女に俺の言葉は伝わっているようだ。
「なぁ、あんた。こいつに何か取られたりされなかったか?」
多少値が張っても構わない。彼女の持ち物中に一つでも無効とつながるようなものがあるのなら、それは彼女が持っているべきものだからだ。家族も友もいないこの世界の中は、孤独だ。その慰めにでもなるのなら安いものだ。それに、向こうの品を見れるのなら、俺的にもいい。
「あ、えっ……鞄を、持っていかれちゃいました」
俺の言葉が彼女に伝わることはあっても、彼女の言葉が俺に伝わらない可能性を考えているのか、瞳を揺らしながら初めは小さな声で、だが、持ち物を取り返してくれる様子に気が付いたのが次第にはっきりとした口調で答えた。桜色の唇から、懐かしい日本語が紡がれる。さっき、歌っているとき、綺麗なソプラノの声だとは思ったが、地声も普通より少し高いのかなどと、どうでもいいことを考えてしまう。
それにしても、さっきは坐っていたから気が付かなかったが、こいつ随分と小さいな。いや、違うか。これが、日本の女性の平均的な身長なのか? 今の俺は、異世界人だから身長が高いからそう感じるのかもしれないな。目測だが、155くらいかな。
「わかった。取り返してやる。どんな鞄だ」
「し、白い鞄です。その、肩から掛けられるショルダーバックです。えっと、あとうさぎのキーホルダがついてます」
白のショルダーバックで、うさぎのストラップ付な。問題は、こいつらが売り払っているかどうかってとこだな。まだこいつらの手の中にあるのに、もうほかのところに売り払ったなんて嘘を言われるのは御免だから、ちょいと確認しておこうかな。
耳につけているエメラルドグリーンのピアスに魔力を注ぎ込み、発動させる。この魔道具は、「透視」や「千里眼」「鷹の目」などの魔眼とか心眼系の能力を持つもので、こういう探し物や索敵に便利だ。ほかにも、「真偽」を顕にすることも可能なので、買い物には必須の魔道具だ。高い金出して、まがい物を交わされるとかは最悪だからな。
言っとくが、いいわけじゃないが、俺はこの魔道具で女性の下着を覗いたり、お風呂場や着替えを覗いたりは決してしてないぞ。ちょっと、下心があって製作したのは否めないが、製作理由が邪なものであれ、使用目的が正常なら問題がないはず。そりゃあ、ちょっと気になりはするが、前世の妻たちほどにスタイルもよく美人な女は、いくらここが異世界だといえどもそう簡単に道端にジャガイモのようにごろごろしているわけがない。
俺は、転生してから一度もそういう女せ……いたか。あぁ、いたな。だが、あれは除外だ。除外。
まぁ、前世ののろけ話はこれまでにしておいて、白い鞄ねぇ~どこにあるかな。ん、あれか。うさぎ、確かにうさぎだな。耳が長いし、ただ本格的な動物園にいそうな兎のストラップかと思ったら、パッチワークで出来た手作り感あふれた兎だった。
こいつ、手芸とか好きなのかね。それとも、母親が作ってくれたとかなのかね。もし、そうならこれは何が何としても取り返してやんないとな。
俺は、向こうの家族にそれほど愛着がなかったが、こいつが俺と同じわけがないんだ。本当は、今だってずっと帰りたいと思っているのだろう。
「さてと、それじゃあさ。こいつが持っていた荷物返してくんない? もちろんタダで、返してくれるとは思ってないさ。あんたらにとっては、大事な売り物なんだろ? どうせ、あんたたちにはこいつの荷物を使いこなすことなんてできないんだ。俺に売ってくんない。そうだな、これでどうだ」
銀貨の入った袋を、商人に見せびらかす。
さて、どう出る?
商人は、何かを言おうとしたが一度押し黙り、そして意を決して近くにいた部下と思わしき男に指示を出す。それからしてしばらくたって持ってきたのは、見るからにぼろで安そうな麻の袋だった。
「えぇ、こちらになりますが……」
どう見ても向こうの製品ではないし、ウサギのストラップが付いていない。念のために、彼女に視線を向けて尋ねるが、首をフルフルと思い切り横に振った。そうなるよな、俺だってこれが偽物だってことくらい魔道具を使わなくたってわかるぜ。本物のありかは把握してるし、さてどうしたものか。こいつ、俺が金を持っているから搾り取ろうとしているな。全くがめついじゃないか。
こういうやつは味方に回すのはいいけど敵に回すと非常にめんどくさい。疲れる。だが、ここは弱音を吐いている場合じゃないか。かわいい同郷の子のためだ、あんまり雰囲気の良くないこんなただれた場所に長く置いておくのは精神衛生面的にも良くないし、この世界の悪い側面しか知らないのはなんか悲しいしな。この世界で数十年暮らして悲しいこと嫌なこと不幸なこともそりゃあ数えきれないほどあったけど、いいことの方がたくさんあった。こいつにもそういうのを知ってほしいと思うのは、俺のエゴだろうか。そういえば、こいつの名前なんて言うんだ?
「なぁ、おっさん。そんな偽物じゃなくてさ、本物をとっとと出してくれよ。俺は気が長くないんだ」
剣の柄に、軽く手をかけて、脅す。こういうやり方は好きじゃないんだが、ニヤリと不敵に笑って見せる。最悪、夜にでも忍び込んで取り換えしてもいいんだがな。
「お客さん、武力行使はご遠慮いただきたいですね」
すぅっと、手を挙げて商人の背後に護衛の傭兵が顔を出す。武力には武力をか。腕っぷしには自信があるんだが、隣でまだこの世界になじんでいない彼女を巻き込むのは気が引ける。
まぁ、こういうところには護衛役がいるのが当たり前か。
「俺も、力づくで片づけるのは好かないんだ。おっさんは、商人なんだろ。なら、この魔道具の価値も効果も知っているよな」
そういってアイテムポーチから、小さな宝珠が埋め込まれている腕輪をゆったりと勿体付けておっさんの方に向ける。おっさんの眼がその魔道具を確かに映したその瞬間、さっきまでは余裕だった顔が恐怖に彩られた。そのあまりにも早い顔の差し替えはさながら紙芝居の用で、見ていて滑稽だった。
そして、そのあとの出来事も滑稽だった。
戦利品である鞄と、それから勝手にくれたいくつかの商品を抱えて人通りと喧騒のあふれた健全な商品が並ぶ街中を闊歩する。人混みの中はぐれるのを恐れたのか、服の裾を申し訳なさそうにだけどしっかりと指先に力を入れて掴んでいる。
「あ~~ぁ、もう、この顔は使えないかな。結構気に入っていたんだけどな。騒ぎは、あんまし好きじゃないんだけど、ああいうやつらとはどうしても遊びたくなっちまう。悪い癖だな。なぁ、あんたはどういう姿が好みだ?」
厄介ごとを避けるために変装しているのに、この格好で厄介ごとを自分から作って全く何やっているんだろう。ああいう闇市には、たまに掘り出し物が混ざっているから顔を出していたが、しばらくはやめておいた方がいいだろう。それにしても、さっきのはこわがらせたかと思ったかが魔法という日本人から見れば不思議な現象に目を奪われていたので、問題ないだろう。あれで、怖がらせてはこの先、いい関係を作るのは難しくなりそうだしな。
どうせ、変装するのならこれからの同居人の趣味に合うものがいいだろうと考えたのだが、しまった、いきなりこんなことを言われても困るよな。俺だったら、困っているか……いやぁ、巨乳でナイスバディな姉さんとか、眼鏡をかけた隠れ巨乳の知的美女とか欲望のままに行っていたかもしれないな。
「? よくわからないけれど、私のせいですよね? ごめんなさい。それと、鞄ありがとうございます。でも、どうして、こんなに良くしてくれるのでしょうか? それほど、貴方にとって私は価値がありますか?」
どうやら、俺の言葉の意味することを彼女は察することができなかったようだ。そりゃあそうだろうな。向こうの世界じゃあ、好き勝手に姿かたちを変化させることができない。整形手術とか、鬘とかコンタクトを入れるとかは変装道具だろう。
日本人らしい格好のほうがいいか。だが、それだとこっちでは浮いてしまうかもしれない。肌の色はこのまま小麦色で、髪と瞳の色は黒にしようか。そうすれば、パルマの方の出に見えるか? 白い肌に金の髪以外なら別にどれでも構わない。レイチェルであることは、ばれたくないからな。
歩きながら、自分の周囲に纏っていた光の粒子を解いて、そして再構築していく。
「あ」
姿を変えて行く様を見た彼女が、目だたないありふれた冒険者の外見を解いて、新レイフォードとしての姿を形作ったら、いやぁ、ものすごく驚かれたよ。音もなく人が絶句する姿を見るのは転生してから、2度目だ。ちなみに一度目は、家出することを知った周りの反応だ。少し本当に少しだけ哀しげな顔をする。こういう顔を俺はよく知っている。心のどこかに抱いた淡い期待が裏切られたような顔だ。それにしても、顔によく出る子だな。このまま、この世界に放って置くことはできないな。最低でも、この世界の常識を叩き込んで、身を守る術を教え込まなければならないな。
「どうした」
「いえ、怖い顔より、優しい顔でこちらの方が付き合いやすいです。でも、外見が何であれ、貴方が私を買った人だということは変わりません。鞄を取り返してくれた優しくて不思議な人だということは変わりません」
にっこりと笑って本心を隠す。向こうではよく見られた、愛想笑いとか嘘笑いとか言ったものだ。
(きれいな色だったのに。もったいないなぁ)
ふわりと彼女から思念が漂うのを、魔道具が捉えて持ち主に伝えてくる。しまった、魔道具を発動したままだった。
人の心を読むのは、あまり趣味がよくないな。これは気を付けないと嫌われてしまうか。それにしても、彼女からただよう清潔感のある甘い香りは何だろう。とっても魅力的だ。そういう対象に、見ていなかったんだが、どうやら懐かしい香りにも感情が刺激されたようだ。
手を目元に翳して、彼女の気に入った色に変えてやると、瞳を見開き「綺麗」と思わずと言った様子でつぶやいた。レイチェルとして生まれて聞きなれた言葉だったが、日本語で言われるとずいぶんと違うものだな。まったく、他に渡したくなくなってしまうじゃないか。精神年齢的には、一世紀近く年の差があるんだぞ、犯罪どころの話じゃないだろう。これも、ロリコンってやつになっちまうのか?
「あぁ、なんだ。そう! あれは、変装だ。あの街じゃあ、あっちの姿の方が溶け込めるからな」
人間って怖いぜ。今考えていることを知られまいとごまかそうと思ってとっさに出たのが、お屋敷つきの教師からおそわった「誰もを魅了する包み込むようなほほえみ」だったのだから。
「そ……そうなんですか」
「あぁ。まぁ、これが俺の本来の姿かっていわれると違うんだが、俺はこの姿が今一番気に入っていた所だよ。そんで、確認したいんだが、おまえ。日本人だろ?」
しばしフリーズする名前の知らない女の子。うん、いろいろありすぎて頭が沸騰しかけているな、これは。俺も経験者だからわかるよ。明日、知恵熱出したら看病してやるから安心しろ。
とりあえず、敵対者ではないと伝えたい。手を出すつもりもないということもな。いやぁ、一応転生して俺女なわけだしさ、百合になるだろ?
悶々と割と真剣に考えていた時に、隣を歩く彼女の腹からぎゅるぎゅるぎゅるううととてもわかりやすい音が鳴った。さて、まずは餌付けかな? とずいぶんと失礼なことを考えてしまったのは、ここだけの話だ。