第2話 異世界は、平凡な彼女にとって「戦場です!」とさ
「こい」
そう短く鋭い声音でいわれて、鎖を無理やり引っ張られて連れていかれた先には、日に焼けた肌に小麦色の髪を持つ筋肉がたくましい殿方がおりました。背中に背負っている大剣に思わず目が吸い込まれてしまいます。鞘に収まっていても、殺すために作られた武器という圧倒的なまでの異質な存在感に気圧されてしまいます。
私の住んでいたところにはああいう武器を持ち歩く人はいませんでした。銃刀法違反で、捕まってしまいますし、中二病扱いされてしまいそうですね。ですが、そんな剣が身近にあるのがこの世界の住民にとって至極当たり前の事のようです。歌を歌いながら、周りの様子を観察してみると、腰に剣を履いた人、斧、槍……など、夢と希望にあふれた残虐なる物語に出てきそうな武器がゴロゴロしていました。
あんなものを突きつけられたら、私はどうしようもありません。運動音痴だし、体力はないですし、反射神経もよくありませんもの、仕方がありません。インドア派で、本と紅茶と音楽が有れば幸せっていう私の日常を早く返してほしいものです。
「ご希望の商品はこちらになります」
言葉はわかりませんが、媚びへつらうこの悪徳商人さんぽい方が、今何か私の価値をものすごく貶めた気がするのは気のせいでしょうか。
私とつながる鎖の橋を、剣士さんに手渡します。……どうやら、私は売られたようです。私は、やはり売り物だったのですね。推測ですが、今の私の身分は奴隷なのでしょう。最悪です。
これは、女としての最悪の事態を覚悟しなければならないようです。いつの間にか、強くかみしめてしまっていたようで、鉄の味がします。血って、美味しくありませんね。
「首輪のカギをよこせ」
ゲームの中に出てきそうな格好をした、剣士さんのぶっきらぼうにはなった言葉。
―――「首輪のカギをよこせ」
まちがいなく、そう聞こえた。
いかにも外人さんというか、異世界人の口から発せられた言葉を私は理解ができました。間違いなく、そう聞こえました。日本語に聞こえたというか、理解のできる言語に私の耳元で変換されたというというほうが正しいのかもしれません。
「(はい。こちらになります。ですが、旦那本当にいいんですか? 逃げられても、あっしは知りませんよ】」
「構わない。それに、こいつは逃げない。だろ?」
相変わらず私を売った失礼極まりない人たちの言葉や周りの民衆の言葉を聞き取ることはできませんが、不思議と目の前の殿方の言葉だけは理解できます。逃げないか? その質問の答えは、初めから私にはYESしかないのではないでしょうか? こんなわけもわからない場所で一人置いて行かれては困りますし、せっかく意思の疎通が可能な人物に出会ったのです。意思の疎通が可能なら、私でも情報を仕入れることが可能です。情報は生きていくうえでとてつもなく重要なものです。食料と水くらい大切です。
こくりと、首を縦に振り逃げないということに同意する。
この町にいる人は、武器を携帯している人が多い。それはつまり、それだけ治安が悪いということ。この世界が、お話のような世界だとしたら、魔獣や魔物といった明確な人類の敵になりうる存在がいてもおかしくはありません。
そんな化け物に遭遇したら、私は瞬きひとつすることなく食われて、引き裂かれて、死ぬことでしょう。うっ、生きながら手足を貪られるのを想像しちゃったじゃありませんか! 断固、拒否ですわ!
それよりも、状況的に言葉が通じるこの人に買われているということが問題です。私、奴隷なのでしょうね。労働奴隷でしょうか、それとも性奴隷? 辱めを受けるくらいなら死んでしまいたいです。少なくとも、向こうの世界で平凡にのほほんと流されるがままに生きていた時なら、そうはっきりと言い切れてでしょう。ですが、今はなぜか言い切れません。ものすごく言い切りたいんですけど、生きるか、侵されるか究極の二択です。はぁ、こんな……こんなはずじゃなかったのになぁ。小学校の頃はそれほどじゃなかったけど中学あたりからだんだん学力が上がっていって、地元では名の知れた県立高校に進学し、お嬢様学校と名高い大学に、進学したというのに、こんな運命ってあんまりじゃありませんか。
私が何をしたというのでしょう。こんな目に合わなきゃいけないほど、悪いことはしていないはずなのに。それにしても、舌をかんで人は本当に死ぬことが可能なんでしょうか。
ふっと、顔を上げると青年の沖縄の海のように美しい二対の瞳と、私の少し茶色がかった黒い瞳が交差しました。
ふっと、さっきまで気張っていたものが消えていきます。この人の瞳には、ほかに私を眺めていた人のような色欲の色が少なかった。あるにはあるのだけど、ぞっとするいやらしさはなかった。あったのは、知識欲。知りたいという知識欲です。どれもかなり、純粋な知識欲です。それともう一つ、郷愁でしょうか?
うまく言葉にできないけれど、この人は私の意志を無視してまでひどいことをしないだろう感が告げます。この摩訶不思議な世界で、頼りになるのは己のみなのですから、これは感を信じてみてもいいかもしれません。ですが、警戒は一応怠らないようにします。まぁ、剣を持ち歩くような殿方の腕力と脚力に、体力テストでいつも一番下の成績をたたき出してばかりの私では到底かなわないでしょうけど。
カチッと言った音がカギが外れ自由になったことを私に告げてきます。自由、その言葉はどこかさびしい響きを今の私にはもたらしました。何のしがらみもない今の状態をもしかしたら自由と人は言うかもしれません。でも、自由とは何て心細いのでしょう。何者ともつながれない今の状態はひどく、不安な心を駆り立てる。
いままでは、近くに心を許せる人の気配があるのが当たり前で、言葉が通じる人たちに囲まれているのが普通で、ネットの向こうに顔も本名も何もかも知らないけれど心が少しでも通じ合った誰かがいました。ですが、ここにはそんな人たちがいない。私は、誰ともつながっていない―――いいえ、もう私を買った奇特な殿方とは細い糸のようなつながりができているのかもしれません。願わくば、それが良縁でありますように。
たよりになるのは、自分だけなのだ。そう再び私は、言い聞かせ最悪死ぬだけだしと思い覚悟を決めました。死は最強の逃げなのはきっと異世界でも変わらないはずです。いつでも逃げられるのなら、まだ戦えます。ここは、私の戦場です。